EP 8
睡眠学習(物理)
5時限目、座学(算数)。
教室には、チョークが黒板を叩くカツカツという音と、クルーガ先生の気だるげな声だけが響いていた。
「……というわけで、ダンジョンで宝箱を見つけた時の分配率は、パーティの契約によるが、基本はこう計算する」
平和な午後。
だが、ダダにとっては地獄のような時間だった。
(……眠い)
ダダの意識は、泥沼の底へと沈みかけていた。
まぶたが鉛のように重い。
これは単なる居眠りではない。
昨日、巨大ネズミ魔獣『マーラット』を骨まで食い尽くした影響だ。
彼のユニークスキル『暴食適合』の発動条件――【8時間の完全睡眠(順応時間)】。
食べた魔獣の能力を己の肉体に書き換えるため、身体が強制的にシャットダウンを求めているのだ。
「……ぐぅ」
限界だった。
ダダは机に突っ伏し、意識を手放した。
スピー……スピー……。
静寂な教室に、野生児の寝息が響き渡る。
隣の席のリリスが「あちゃー」と顔を覆い、前列のクラウスが「神聖な授業中に!」とわなわな震え出した。
「……おい、ダダ」
クルーガの声が低くなる。
額に青筋を浮かべた元・近衛騎士は、持っていたチョークを指で弾いた。
「起きろッ!!」
ヒュンッ!!
それはチョークではない。白い弾丸だ。
闘気を纏ったチョークは、音速に近い速度でダダの脳天を目掛けて飛来した。
当たればタンコブでは済まない。
誰もが「ダダが撃ち抜かれる」と思った瞬間。
ユラッ。
ダダの頭が、液体のように揺れた。
チョークはダダの耳の産毛を掠め、背後の壁に突き刺さった。
「……あ?」
クルーガが眉をひそめる。
ダダは突っ伏したままだ。寝息のリズムすら変わっていない。
偶然か?
いや、教育者として(そして元捜査官として)確かめねばなるまい。
「……ほぅ。いい度胸だ」
クルーガは両手に3本ずつ、計6本のチョークを構えた。
殺気(教育的指導)が教室に充満する。
「なら、これでどうだ! 必殺・出席番号順乱れ撃ちッ!!」
シュババババッ!!
6本の白線が空を裂く。
回避不能の散弾射撃。
だが――。
スッ、ヒョイ、クルッ。
ダダは眠りながら踊った。
机に突っ伏したまま、首を傾け、肩をすくめ、最後は伸びをするような動作で、全てのチョークを紙一重で回避したのだ。
壁には6本のチョークが突き刺さり、ダダは鼻提灯を膨らませている。
「な、なんだと……!?」
教室中が凍りついた。
一番戦慄したのは、後方で息を潜めていたリアンだ。
(……化け物かよ。あいつ、完全に寝てるぞ。意識がないのに、『殺気』だけを感知してオートパイロットで避けてやがる……!)
リアンの背筋に冷たいものが走る。
寝込みを襲って暗殺することすら不可能。
ダダという生物の防衛本能は、リアンの想像を遥かに超えていた。
「チッ……ナメた真似を……!」
クルーガが本気になりかけた、その時。
ガラッ。
教室のドアが開いた。
「騒がしいわね。廊下まで殺気が漏れていてよ」
現れたのは、理事長のリベラだった。
優雅なドレススーツ姿で教室に入ると、惨状(壁に刺さったチョークと寝ているダダ)を一瞥し、すべてを察したように微笑んだ。
「理事長……こいつが授業をナメてましてね」
「いいえ、クルーガ先生。そのまま寝かせておきなさい」
リベラはダダの机の横に立ち、その寝顔を愛おしそうに見下ろした。
「子供にとって、睡眠は最大の『仕事』よ。特に彼は今……劇的な『進化』の最中だわ」
リベラの目は誤魔化せない。
ダダの体から立ち昇る、微かな魔力の揺らぎ。細胞が組み変わり、新たな力を取り込もうとしている熱量。
それを邪魔するのは、教育者として無粋というものだ。
「……チッ。理事長がそう言うなら」
クルーガはチョークを置いた。
リベラはダダの肩に自分のカーディガンを掛けてやり、クラス全員に向かって人差し指を口元に当てた。
「シィーッ。野獣が目覚めるまで、静かに授業を続けましょうね。……起こした人は、校庭100周よ?」
淑女の笑顔に隠された圧力に、クラウスもリリスもコクコクと頷くしかなかった。
◇
ダダの意識の奥底。
夢の中で、彼は走っていた。
視界は低く、世界は灰色。だが、音と匂いだけが鮮明だ。
目の前を走るマーラット。その動きを追い、同調し、取り込む。
『速く』
『もっと鋭敏に』
『敵の気配を、ヒゲの一本で感じ取れ』
ネズミの生存本能が、ダダの肉体に刻み込まれていく。
――キーンコーンカーンコーン。
放課後のチャイムが鳴り響いた瞬間。
ダダはガバッと跳ね起きた。
「……おはよう。腹減った」
ダダの瞳孔が、爬虫類のように縦に裂け、そして元に戻った。
体か軽い。
周囲の音が、以前よりも鮮明に聞こえる。
教室の隅にいる蜘蛛の足音すら把握できる。
「起きたか、問題児。……ホームルームは終わりだ。明日は『実地研修』だぞ」
クルーガが呆れ顔で告げる。
ダダはニカッと笑った。
「実地研修? ……つまり、狩りだな?」
進化完了。
新しい力を手に入れたダダは、明日の獲物を想像して舌なめずりをした。
次回、魔獣の森でクラスメイトたちが絶体絶命!
目覚めた『暴食適合』の真価が発揮される。




