EP 3
その少年、いい匂いにつき(VSリアン)
バケツ持ちの刑(罰)から解放されたダダは、気だるげに教室へ戻ってきた。
先ほどの『咆哮』の余韻で、教室内の空気はまだピリピリと張り詰めている。
ダダが自分の席に向かって歩くだけで、クラスメイトたちは「ヒッ」と息を呑み、モーゼの海割れのように道を開けた。
「……腹減った」
ダダは不満げに鼻を鳴らした。
朝食に食べたオークの消化は順調に進んでいるが、成長期の胃袋は常に燃料を求めている。
給食まではまだ時間がある。
何か食うものはないか――。
ダダはクンクンと鼻を動かし、教室内の『匂い』を分析し始めた。
香水、整髪料、チョークの粉、緊張した汗の匂い。
そんなありふれた匂いの中に、一つだけ、異質にして極上な匂いが混じっていた。
(……なんだ、これは)
微かな硝煙(火薬)の香り。
鉄錆びた、乾いた血の残り香。
そして、それらを覆い隠すように漂う――芳醇なバニラと、甘いスパイスの香り。
ダダの足が止まった。
視線の先には、窓際の一番後ろの席で、必死に気配を殺して教科書を読んでいる(フリをしている)少年がいた。
リアン・クライン。
地味な茶髪に、少しそばかすのある、どこにでもいそうな少年だ。
だが、ダダの鼻は誤魔化せない。
こいつからは、『危険な狩人』の匂いと、『美味い飯』の匂いが同時にする。
「おい」
ダダはリアンの机の前に立ち、低い声で呼びかけた。
リアンの肩がビクッと跳ねる。
「……な、なんだい? ダダ君」
リアンは引きつった笑顔を向けた。
内心では心臓が早鐘を打っていた。
(まずい! 目をつけられた! 僕はただの『背景モブA』として平和に過ごしたいのに! 関わったら僕の正体(通販スキル)がバレて、城の地下で一生ポチポチさせられる自販機コース一直線だ!)
ダダは顔を近づけた。鼻先が触れそうな距離で、スンスンと匂いを嗅ぐ。
「お前……すげぇ匂いがするな」
「へ、へぇ? 僕は毎日お風呂に入っているけど……」
「嘘つけ。お前からは『火薬』と『血』の匂いがプンプンするぞ」
――ッ!!?
リアンの顔色が蒼白になった。
(バ、バレてるぅぅぅッ!!? なんで!? 昨日の暗殺任務の後は、ちゃんと『喰丸(召喚獣)』に服を処分させて、消臭スプレーも浴びたのに! こいつの鼻は警察犬以上か!?)
ダダはさらに追撃する。
「あと、なんか甘くて……すげぇ美味そうな匂いもする」
「えっ」
「俺、その匂い好きだ。……食わせろ」
ダダの「食わせろ」は、単純に「料理を作れ」という意味だった。
だが、パニック状態のリアンの脳内では、最悪の翻訳がなされた。
『お前の正体(火薬と血)はわかっている。バラされたくなければ、口止め料(甘いもの)を寄越せ』
あるいは、
『お前自身を食わせろ』
どちらにせよ、ここで騒がれるのはマズい。クラスメイトの前で「こいつは火薬臭いぞ!」などと大声で言われたら、クルーガ先生(元刑事)に即・連行されてしまう。
「……ち、ちょっとこっちに来て!」
リアンはダダの腕を掴むと、脱兎のごとく教室を飛び出した。
向かった先は、校舎裏の誰もいない旧・調理実習室跡地だ。
◇
「ふぅ、ふぅ……。ここなら誰もいないね」
リアンは周囲を確認し、鍵をかけた。
そして、ダダに向き直る。
「わかったよ。君の鼻は誤魔化せないみたいだね……。望み通り、『最高のもの』を食わせてやるから、その代わり僕のことは他言無用だ。いいね?」
リアンの目が据わっている。
彼は懐の『魔法ポーチ(バックパック偽装)』に手を突っ込んだ。
取り出したのは――ナイフでも爆弾でもない。
ボウル、泡立て器、そして通販で購入した最高級の生クリームと新鮮な苺だ。
「……?」
ダダが首を傾げる前で、リアンの手が閃光のように動いた。
前世・三つ星シェフの超絶技巧。
氷魔法でボウルを冷やしながら、人間業とは思えない速度でクリームをホイップする。
既製品のスポンジケーキ(通販の高級品)をコンマ1秒で三枚におろし、シロップを打ち、クリームを塗りたくる。
その動きは、まさに剣舞。
殺し屋としての無駄のない所作が、料理において芸術的な速さを生み出していた。
「完成だッ!!」
わずか3分。
目の前には、宝石のように輝く『特製ショートケーキ』が鎮座していた。
「食え! そして記憶を糖分で上書きしろ!」
リアンが皿を突き出す。
ダダは目を丸くした。さっきまで漂っていた『美味そうな匂い』の正体が、今ここにある。
「……いただきます」
ダダは手づかみでケーキを掬い、口に放り込んだ。
――衝撃。
ふわふわのスポンジが舌の上で溶ける。濃厚なのに後味さっぱりなクリームの甘味。そこに苺の酸味が絶妙なアクセントとして弾ける。
オークの丸焼きや、野生の木の実しか知らなかったダダにとって、それは未知の文明体験だった。
「…………ッ!!」
ダダの瞳孔が開いた。
「うめぇ……! なんだこれ、すげぇうめぇ!!」
ダダは夢中でケーキを貪った。口の周りをクリームだらけにして、野生児が初めて『幸福』という味を知った顔だ。
その様子を見て、リアンは緊張の糸が切れたように肩を落とした。
(……よかった。どうやらただの腹ペコだったみたいだ。正体がバレたわけじゃ……いや、火薬の匂いには気づいてたな。油断はできない)
完食したダダは、指についたクリームまで丁寧に舐め取ると、キラキラした目でリアンを見上げた。
「お前、すげぇな! 狩りの腕(暗殺術)も良さそうだが、餌を作る腕(料理)はもっとすげぇ!」
「え、あ、うん。……狩りの腕についてはノーコメントで」
「気に入った。お前は俺の『群れ』に入れてやる」
ダダはニカッと笑い、リアンの背中をバンと叩いた。
「俺が腹減ったら、また作れよ。その代わり、お前がいじめられたら俺が守ってやる」
それは、野生の掟における最上級の契約――『共生関係』の申し出だった。
「……はは。お手柔らかに頼むよ」
リアンは引きつった笑みを浮かべた。
(まいったな。とんでもない奴に懐かれちゃったぞ。……でもまあ、これで『自販機行き』のリスクが減るなら、安いものか……?)
こうして、学園最強の野生児と、学園最凶の隠密シェフの間に、奇妙な友情(と餌付け関係)が成立した。
しかし、リアンはまだ知らない。
ダダの食欲が底なしであり、エンゲル係数がとんでもないことになる未来を。
「おかわり」
「えっ、もう無……ちょっ、待って、今ネット(通販)で材料買うから!」
調理実習室に、泡立て器を混ぜる高速の音が虚しく響いた。




