EP 2
咆哮は挨拶代わり
「……首が、苦しい」
翌朝。太郎国の中心部にそびえ立つ、白亜の巨大建造物――ルナミス学園の正門前で、ダダは不機嫌そうに唸った。
彼が今着ているのは、昨日リベラが用意した真新しい制服だ。
上質な生地のブレザーに、パリッと糊の効いたシャツ。そして何より、首元を締め付けるネクタイが、ダダにとっては『首輪』のように感じられて不快極まりない。
唯一の救いは、靴を履くのだけは断固拒否して、いつもの裸足であることだった。
「我慢なさい。それが『文明』という名の服よ」
隣を歩くリベラが、優雅に微笑む。彼女の放つ香水の匂いは、ダダの鋭敏すぎる嗅覚には少しきつかった。
「給食、本当に食えるんだろうな?」
「ええ。入学手続きは済ませてあるわ。あなたが配属されるのは『初等部・特進クラス』。この国でも選りすぐりの才能(と問題児)が集まる場所よ」
校舎内に入る。
磨き上げられた大理石の床。天井には豪華な魔導シャンデリア。すれ違う生徒たちは皆、育ちの良さそうな綺麗な服を着て、上品に談笑している。
ダダの野生の勘が、警鐘を鳴らした。
(ここは……森よりも危険な場所だ)
一歩間違えれば、得体の知れない『ルール』という名の牙に食い殺される。そんな予感がした。
「ここがあなたの教室よ。あとは担任に任せてあるわ。……頑張って『人間』を学びなさい」
リベラはそう言い残し、理事長室へと去っていった。
残されたダダの前に、一人の男が現れる。
「……たく、リベラ理事長もとんでもねぇ爆弾を拾ってきたもんだ」
気だるげな声と共に現れたのは、スーツを着崩した獣人族の男だった。
しなやかな黒豹の耳と尻尾。鋭い眼光は、ダダの全身を値踏みするように見据えている。
担任教師、クルーガだ。
「お前がダダか。俺が担任のクルーガだ。……まあ、適当にやってくれ。死なない程度にな」
「お前、強いな」
ダダは直感で理解した。この男は、昨日食ったオークよりもずっと危険な匂いがする。
「フン、ガキのお世辞は結構だ。入れ。ホームルームが始まる」
クルーガが教室の扉を開けた。
ガララッ――。
教室内の空気が一変した。
特進クラスだけあって、教室自体が広い。一人ひとりに専用の魔導端末付きデスクが用意されている。
中にいた二十名ほどの生徒たちの視線が、一斉にダダに突き刺さった。
(……なんだ、こいつら)
ダダは鼻をひくつかせた。
値踏みするような視線。好奇心。そして、微かな敵意。
その中に、ひときわ強い反応を示す者たちがいた。
窓際の後ろの席で、顔を青くして気配を消そうとしている少年。
最前列で、背筋を伸ばしてこちらを睨みつけてくる真面目そうな少年。
可愛い服を着て、目をキラキラさせている少女と、スマホを構えてニヤニヤしている天使族。
「今日からクラスメイトになる新入りだ。……おい、自己紹介しろ」
クルーガに促され、ダダは教壇の前に立った。
全員の視線が集まる。
森での掟を思い出す。
『ナメられたら、食われる』
ここは敵地だ。最初に自分が『捕食者』側であることを示さなければならない。
言葉はいらない。もっと原始的で、確実な方法がある。
ダダは大きく息を吸い込んだ。
腹の底から、かつて食べた『飛竜』の魔力を練り上げる。
「……スーッ」
そして、解き放った。
「ギャオオオオォォォォォォンッ!!!!」
それは、人間の声帯から発せられる音ではなかった。
正真正銘、本物のドラゴンの咆哮。
空気を震わせる衝撃波が、教室を揺るがした。
パリィィィィンッ!!
教室の窓ガラスが全て内側から砕け散る。
机がガタガタと揺れ、魔導端末が火花を散らしてショートした。
「ひいぃぃっ!?」
「魔獣!? 魔獣が侵入したぞ!!」
「いやぁぁぁ! お漏らししちゃったぁぁ!」
生徒たちは阿鼻叫喚のパニックに陥った。机の下に潜り込む者、腰を抜かして失禁する者。
学園の防衛システムが作動し、けたたましい警報音が鳴り響く。
「……よし」
ダダは満足げに頷いた。これでナメられることはないだろう。
だがその直後。
ゴチンッ!!
「ってぇ!」
ダダの脳天に、クルーガの拳骨が落ちた。
闘気を纏った、容赦のない一撃だ。
「てめぇ! 挨拶しろと言ったんだ! 誰がダンジョンを再現しろと言ったこの野生児がァ!!」
「挨拶だろ! 森じゃこれが一番通じるんだよ!」
「ここは人間の学校だ! ……たく、初日からこれかよ。修理費でボーナスが飛ぶぜ」
クルーガは頭を抱えながらも、手際よくダダの首根っこを掴み上げた。
「反省しろ。廊下に立ってろ。バケツ持ってな!」
◇
数分後。
ダダは廊下に放り出され、両手に水の入った木桶を持たされて立たされていた。
「……ちぇっ。せっかく挨拶してやったのに」
ダダが不満げに唇を尖らせていると、教室のドアが少しだけ開き、中から一人の少年が出てきた。
最前列に座っていた、真面目そうな少年――クラウスだ。
彼はハンカチで額の汗を拭きながら、ダダをキッと睨みつけた。
「君、なんてことをするんだ! 神聖な教室をなんだと思っている!」
クラウスは学級委員長としての使命感に燃えていた。
だが、ダダは彼の言葉を無視し、持たされていたバケツの中身をじっと見つめた。
喉が渇いていたのだ。
「……ん」
ダダはバケツに口をつけ、ゴクゴクと水を飲み始めた。
「なっ!? それは罰として持たされているものだぞ! 飲むな!」
「? 水だろ。飲んで何が悪い」
ぷはー、と息をつくダダ。空になったバケツをポイと放り投げる。
クラウスは絶句した。
言葉が通じない。常識が通じない。
彼がこれまでの人生で積み上げてきた『エリートの理屈』が、この野生児の前では無力だと本能で悟った瞬間だった。
(こいつは……とんでもない『怪物』だ……!)
戦慄するクラウスをよそに、ダダは腹の虫を鳴らした。
「……給食、まだかな」
彼の学園生活は、まだ始まったばかりである。




