01
――三年前
流れていく景色を、車の助手席から眺めていた。見慣れた街から隣の市に変わり、ワクワクが膨れ上がっていく。
小学六年生にもなれば親と買い物に行くことは殆どないが、あの場所に行くとなれば、自分から喜んでついて行くのだ。
国道沿いにあるすごく広い公園を通り過ぎると、すぐにホームセンターが見えた。車が曲がり敷地に入ると、百台ほどは停められる駐車場の半分は他の客に使われていた。
それでも普段に比べたら空いている方なので、今日は運が良い。さらに運が良いことに、入り口から近い駐車場が空いている。
お母さんとオレは車から降りて、軽く話しながらホームセンターに入った。
駐車場の半分が使われていたので、もっと人が多いはずだが、思ったよりも少ない。
「オレはいつもの場所に行ってくるね」
「買い物が終わったら迎えに行くからね」
お母さんは右に行ったので、ホームセンターの一番奥へ向かい歩き始める。人がまばらな店内を他の商品を見ずに歩いたので、目的の場所まではすぐに着いた。
ホームセンターにあるペットショップだ。
札を見ないと鳥の詳しい種類まではわからないが、小さくて可愛い綺麗な鳥や、大きくてかっこいい鳥が籠の中にいる。
ここのペットショップはとにかく広く、色々な動物を取り扱っている。鳥だけではなく犬、猫、魚、虫、爬虫類までいて、まるで小さな動物園だ。
小さい頃からこの場所が好きだった。ここならずっと見ていても全く飽きない。
人があまりいなかったので、今日はじっくり落ち着いて見たはずだったが、思ったよりも早く鳥を見終えてしまった。
今度は犬猫のコーナーへと向かう。
ショーケースに入れられている、可愛い犬猫の赤ちゃんたちが目に入った。活発な仔もいれば、寝ている仔もいる。
狭くてかわいそうでここから出してあげたいが、オレの家では残念ながら飼うことは出来ない。
犬猫のコーナーは鳥のコーナーよりも、さらにお客さんが少なく、見ているのは黒づくめの細い女性が一人だけだ。
夏休みが終わったばかりでオレはまだ半袖だ。でも、その女性は黒い長袖の派手なワンピースのような服を着ていて、黒い鞄を持っていた。オレよりも十センチほど背が高く、艶のある綺麗な黒い髪は背中まである。ついでに履いている靴も黒い。
この人……。いや、そんなはずはない。
それでも気になってしまい、女性の顔がわかる位置まで歩いてしまった。
眉毛を隠す揃えられた綺麗な黒髪、くっきりとした二重に長いまつ毛、整った鼻にシャープな顎。
まるで作り物のようで不気味なほど完璧な横顔がそこにある。もし彼女のことを知らなかったら、絶対に自分と同じ小学生だと思わないだろう。
同じ六年一組の笹野初夏、「魔女」がここにいる。
このペットショップがあるホームセンターは、学区から離れており、自転車で行ったとしてもそこそこの距離がある。こんな場所で同じクラスの生徒、しかも魔女に会うとは思わなかった。
予想外のことはそれだけではない。
全身真っ黒な服を着ているのは学校にいる時と変わらないが、いつもと違うのだ。
いつもの魔女はとにかく無口で暗い。
毎日だるそうで死んだ目つきをしていて、私に近づくなと言わんばかりの雰囲気だ。その異様な様子から、男子には裏で魔女と呼ばれている。
はっきり言って、オレは魔女のことが苦手だ。
自分とは違う得体の知れない感じが不気味で、一度も話したことがなかった。
だが、今の魔女の目はとてもキラキラしている。ショーケースの中にいる真っ白な仔犬を見て、どことなく不健康そうな口角が緩んでいるのだ。
誰がどう考えても、真っ白な子犬をうれしそうに見ている。学校では絶対にこんな顔をしないので、見てはいけないものを見てしまった気分だ。
オレはどうするべきだろうか。
このまま見なかったことにして、この場所から離れた方が良いのではないか。でもクラスメイトを無視するみたいで、なんだか申し訳ない。
その時、自分のおかしな気持ちに気が付いた。魔女とは絶対に関わりたくないと思っていたが、今は話しかけるという選択肢が生まれている。
整った顔なのに人間らしくない不気味な魔女と違い、明らかに人間的で優しく温かそうな部分を見てしまったからだろうか。
心臓がバクバクしてきた。汗が吹き出してくる。おかしな気持ちが生まれた理由の答えが出る前に、気持ちを抱えることに耐えられなくなった。
「あ、あの。笹野さんだよね?」
クラスメイトは全員呼び捨てで呼んでいるが、自然と「さん」付けで呼んでいた。
笹野さんはビクッとなり、すぐにオレの方へと振り向いた。大きな目をさらに大きく見開いて、なにも言わずに口を半開きにしてオレを見ている。その瞳の中に映る自分の姿が見えてしまいそうだ。
オレは何をやっているのだろうか。
自分がしてしまったことが急に恥ずかしくなり、目を逸らしてしまった。ショーケースにいる黒い仔猫と目が合う。
すると今度は不安が押し寄せてきた。
今まで一度も会話なんてしたことないのだから、話しかけられて迷惑しているかもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。どうしよう。
段々と血の気が引いてきた時だ。まるで大人の女性のように低く落ちついた声が聞こえた。
「河野くん。ここで何してるの?」
オレに興味をなくしてそっぽを向いてしまった黒い仔猫から、恐る恐る視線を笹野さんに移す。
不思議そうな顔でオレの方を見ていたが、目が合うと早く数回まばたきした。
学校にいる時とは違い、表情から察することができる。どうやら迷惑ではないようだ。
ホッと胸を撫で下ろしてから言った。
「ど、動物を見に来たんだよ」
「見に来たの? 飼いに来たんじゃないの?」
「マンションに住んでいるから飼えないんだよ。だからさ。ホームセンターに来た時は必ずここに寄ってるんだ」
笹野さんは軽く目を丸くして、白い仔犬を見ていた時と同じように口角を緩める。さっきよりも少しだけ高い声で言った。
「そうなの? 私も動物好きだけど飼えないからここに来てるんだよね」
「一緒だな。そっちもマンションに住んでるの?」
「違うよ。一軒家だけどお母さんが動物嫌いなの」
笹野さんは苦笑いした。
学校にいる時とはまるで別人だ。
魔女と呼ばれている笹野さんが普通に笑うことに驚いたし、話してみるとしっかりとした会話になっていることにはもっと驚いた。今起きていることを理解するのに時間がかかり、少しだけ間が空いてしまったが、話を続ける。
「それは残念だなぁ。こんなに可愛いのにね」
「うん。残念だよね。そういえばさ、河野くんも一人でここに来てるの?」
「いや、親の買い物のついでだよ。笹野さんは?」
「私は一人でバスに乗ってきたよ」
驚きのあまり少し声が大きくなってしまった。
「え、バスで!?」
目の前のショーケースでの中にいる白い仔犬が、「うるさい」と注意するかのように、ワンワンと吠える。
一方、笹野さんはなぜか妙にうれしそうで、オレのことを見てフフと笑っていた。
話しかけた直後とは、違う恥ずかしさがグンと込み上げてくる。顔が熱くなってきたので、笹野さんの瞳から逃げるように白い仔犬の方を向いて言った。
「さ、笹野さんはこの仔が気に入ったの?」
「真っ白で可愛いからね」
「白いのが好きなんだ」
「そうかもね。学校にいるウサギも白い仔が一番好きだし」
「ウサギも好きなんだ。飼育委員に立候補すればよかったのに」
「立候補したかったんだけどね、人気だからさ。やりたい人が多くて手をあげにくかったんだよね」
ショーケースに映るその顔は心底残念そうで、本当は飼育委員をやってみたかったことがわかる。想像していたよりも、笹野さんは表情豊かだった。
残念に思う気持ちはよくわかる。オレと同じだ。
「その気持ちわかるぞ。本当のこと言うとオレも立候補したかったんだが、代表委員をオレがやるみたいな空気だっただろ?」
「あ、確かにそうだったかもしれない」
「だから飼育委員やりたいって言えなかったんだ」
「私達、同じだね」
初めてこの話を人にした。
飼育委員は二年連続で金原が選ばれているが、委員長も任されるほど向いている奴なので全く不満も後悔もない。
でも、そのはずなのに何故かスッキリとして、すごく気分が良い。自分でも気が付かないうちに笹野さんの方を向いたオレは、自然と笑顔になっていた。
笹野さんの綺麗な瞳と、しっかりと目が合う。
「ありがとう。笹野さんと話せて良かったよ」
笹野さんは目を逸らして、モジモジし始めた。
「私も、話せて良かったよ。あのさ、河野くん。お願いがあるの」
「お願い?」
何をお願いされるのか、全く見当も付かない。オレにできることだったら良いが、できないことだったらどうしよう。不安に思っていると、笹野さんは細い声で言った。
「今日、私とここで会ったこと、誰にも言わないでほしいの」
「え? なんで?」
思わず聞き返すと、笹野さんは何故か目を泳がせた。
「えっと……えっと……」
明らかに答えに困っている。どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。例えば、習い事をサボって来ているとか、知られたくない事情があるのだろう。
「ごめん。理由はいいよ」
笹野さんはフーと小さく息を吐いて、すっかり安心し切った様子だ。
「ありがとう。ところで河野くんはまだここにいるの?」
「うん。親はまだ迎えに来ないと思うし。爬虫類でも見にいく?」
「え?」
話の流れで何も考えずに言ったが、笹野さんはキョトンとして固まっている。オレもどうしたら良いかわからず固まったが、すぐに答えが出た。
笹野さんは女子だ。爬虫類が好きな女子なんて冬美くらいで、苦手な人の方が多いはずだ。一番一緒に話している女子が冬美なので、油断するとあいつが基準になってしまう。冬美は女子だけど女子ではないことを、忘れてはいけないのだ。
「ごめんな。爬虫類苦手だったか」
「違うの。爬虫類も好きだよ。私も一緒に行って良いの?」
どうやら苦手ではなかったようだ。それなら、あの反応はなんだったのだろうか。
いや、そんなことをわざわざ聞くのも失礼だし、考えても仕方がない。やることは決まったのだ。
「もちろんだよ。行こうぜ」
「ありがとう」
犬猫のコーナーには、お客さんが増えていた。一年生くらいの女の子が、チワワのショーケースの前でお母さんにおねだりしたり、カップルが店員と何やら話したりしている。
二人で爬虫類コーナーに行こうと歩き始めが、オレはすぐに足を止めてしまった。
「河野くん、どうしたの?」
「今日はこれで終わりみたい」
お母さんが犬猫のコーナーに入って来たのだ。
思ったよりも早い。これからせっかく爬虫類を見ようと思ったのに残念だ。
お母さんはオレ達の前に来ると、オレではなく笹野さんの方を見た。思わずオレも、一歩後ろを振り返り笹野さんを見る。
「寿の母です。こんばんは」
お母さんが優しい声で言うと、笹野さんは目も合わせずに慌てて言った。
「こ、こんばんは。河野くんとは、さっきここで会いました。では、私は帰りますね。さようなら」
まるでウサギのようにチョコチョコと笹野さんは走り去ってしまったのだ。姿が見えなくなる前に聞こえるような声で言った。
「明日、学校でな!」
もうこれで全てがわかった。ペットショップにいるところをうちの親にも見られたくないのは、習い事サボりで間違い無いだろう。親から親へと、話がいってしまう可能性があるからだ。
今まで笹野さんがどんな人かわからなかったが、ちょっとだけ不良なのかもしれない。ただ、意外と話す女子だということだけは、今日はっきりとわかった。
だが、よく考えてみると一つだけ疑問がある。習い事サボりならオレに見られた時点で話さずに逃げればいいのに、何故かオレとは普通に話してくれたのだ。
習い事サボりではなく、他に理由があるのか。笹野さんがいなくなった方向を見て考えていると、お母さんが話しかけて来た。
「あのさ」
これから笹野さんのことを聞かれるのだろう。クラスメイトであり偶然ここで会ったとしか伝えようがないはずなのに、どう伝えようかを必死に考える。
「そろそろ帰らない?」
お母さんの一言に拍子抜けして、頭の中は一気に冷静になった。
「あ、うん。そうだね」
ペットショップを後にして、客が増えたホームセンターの出口まで向かう。買った荷物を車に運び終わっていたようで、そのまま真っ直ぐホームセンターの建物から出た。
外はすっかり夕方になっている。
帰る方向に向かい始めてからお母さんとは他愛もない話をしており、笹野さんの話を振って来たのは、車がホームセンターの敷地を出て国道を走り始めた時だった。
「さっきの子、学校の友達?」
広い公園から帰るオレと同じ歳くらいの小学生達が、助手席の窓から見えた。
オレにとって友達とは、一緒に遊ぶ仲間のことだ。笹野さんは今日初めて話したばかりなので、友達とは違う気がする。言えるとしたらこれしかない。
「同じクラスの知り合いだよ」
「もしかして、四年生の時に転校して来た子かな」
笹野さんは四年生の時に引っ越して来たので、その通りだ。だが、まさかお母さんが笹野さんの顔を知っているとは思わなかった。
「お母さん、知ってたんだ」
するとお母さんはちょっと気まずそうに言った。
「うん。四年生の時に引っ越してきた女の子が、結構変わった子だって親の間でも有名だからね。多分、その子だと思ったの」
「あぁ。確かに服とかいつも真っ黒だからな。今日も暑いのに長袖だし」
「……親も変わってるから子供もそうなるのかね」
お母さんの方を見ると、眉間に皺が寄っていた。すぐにいつもの表情に戻ったので特には気にせず、お母さんが振ってきた別の話題を、家に着くまで話したのだ。
笹野さんの話題はもう出なかったが、オレの頭からは消えずにずっと考えていた。
笹野さんは友達ではなく、単なる知り合いだ。だけど、お母さんにそう話したことを思い出すと、なんだか寂しい気持ちになる。
悩んだ末に決めた。
意外と笹野さんは喋る子なので、学校でも話しかけてみよう。
冬美以外の女子とは必要最低限のことしか話さないが、笹野さんとはきっとさっきみたいに、楽しく話が出来るはずだ。友達からは色々言われるかもしれないけど、頑張ってみよう。
そう、努力はした。
オレなりに頑張ってみた。
だけど、ペットショップの時とのギャップで、近寄れないオーラを余計に強く感じ、チャンスは何度もあったのに学校で関われなかったのだ。
あの事件までは……。