全然ハッピーじゃないセット
人生にはメリハリが必要だと思う。
何度か死線をさまよい、絶望を乗り越えて得た結論だ。
どんなに自己管理したってあっけなく人は死ぬし、好き勝手しても長生きする人は居る。
少なくとも私は明日自分が生きていると自信を持って言えない。
だからこそ日々の過ごし方は大切だ。人生は瞬間の積み重ねで出来ており、成人した人間であれば人生の責任は自分自身にある。
前振りが長くなってしまったが、ようするに割り切りが大事なのだ。生きてゆくために働くこと、お金を稼ぐこと、そこからは逃げられない。
ならばそれ以外の時間はすべて自分のために使うべきだろう。人それぞれだとは思うが、私は仕事=生き甲斐にはやや否定的だ。はっきり分けないと心が持たない。
私にとって幸せを感じるのは、小説を書いている時、絵を描いている時、
そして――――朝、マックで熱いコーヒーを飲んでいる時である。
ここで大事なのは朝食は家で済ませているということ。混ぜてはいけない。
余計なことはしない、ただコーヒーの香りを楽しみながら(マックのコーヒーは香り控えめだけど)小説や絵のことも考えず本を読んだり資格の勉強をしたり。
純粋に好きなことに使える時間は貴重で贅沢だ。そういう時間は自分で決めて確保しなければ得られない。時間の使い方が下手だと思っている人はぜひ試して欲しいと思っている。
駅前のマックから見る景色はとても良い。
夜の仕事を終え帰宅する人たち、これから職場に向かう社会人や学校に向かう学生。
皆、一様に疲れ切った顔、憂鬱そうな顔をしている。
そんな中、優雅にコーヒーを楽しむ私――――控えめに言っても最高である。
現代人の一日は長くストレスフルだ。寝る前の創作活動は至高ではあるが、その分睡眠不足になりがちだし、朝も憂鬱になる。だが――――朝のコーヒータイムという二段構えがあれば一日二回のご褒美タイムで乗り切れる。
というわけで――――朝マックのコーヒーが私にとってどれほど大切なのかわかってもらえたと思う。
本題に入ろう。
五月のある日のことだ、私がいつものようにマックに到着すると――――ある異変に気付いた。
「え……ナニコレ』
駅前とはいえ朝の五時だ、私はモバイルオーダーしているので待ち時間はほぼゼロ、そもそも待っている客は多くても二、三人くらい。
しかし――――その日は五十人はいただろうか? モニターの画面は、予約番号でぎっしり埋まっていた。受付カウンターがある一階は人であふれている。
団体さんだろうか?
しかし彼らに共通点はない。会社員、学生、主婦……強いて言えば全員持ち帰りということ、そして――――やたら量が多いこと。
少し観察して気付いた、あ……これもしかしてハッピーセットかもしれないと。
冷静になればあちこちに紙が貼ってある。お一人様四セットまで。
調べたら『ちいかわ』らしい、恐るべし。
私のゴールデンタイムがガリガリ音を立てて削られてゆくのが聞こえる。
すでに待ち時間は二十分を経過した。
ただの二十分ではない、殺気立った人々がすし詰めされた中、たったコーヒー一杯を受け取るために、しかもモバイルオーダーしているにもかかわらず、だ。
こんな理不尽なことが許されるだろうか? 負けずに私も殺意を発する。
「あの、コーヒー先に出してもらえませんかね?」
どうせこういう時にしか来ない客(偏見)よりも毎日通っている常連を大事にすべきだろうが!! と言いたいが、私は所詮コーヒー一杯しか飲まないモブにすぎない。ぐっとたかぶる感情を抑える。
結局、コーヒー一杯受け取るのに二十五分かかった。
優雅に飲んでいる時間は無かった……急いで飲んでそそくさと店を出る。
「酷い目に遭った」
まあ……仕方がない。こういうこともあるだろう、知らなかった私が悪いのだ。
だが――――私は負けず嫌いである、やられたまま泣き寝入りなどしない。
すぐにスマホで検索した、これだけ人が並ぶのだ、きっとニュースになっているはず。
案の定話題になっていた。即日完売、転売問題など様々な悲喜こもごもが目に飛び込んでくる。
しかし――――私の目に留まったのはある情報。
「マジか……第二弾があるって」
一大事である。
私は対策を練った。おそらく第一弾より客足が落ちることはないだろう。であるならばマック以外の店にするか? いや、それではなんか負けた気がする。
当日、私は普段よりも一本早い電車に乗っていた。
「早めに行って並ぶ? ふふ、私がそんな愚かなことをすると思っているの?」
誰に言われたわけでもないけれど、私はこの日のために考えたプランを語り出す。
一本早い電車に乗ったのは、単に気合が入り過ぎて早く起きてしまったからに過ぎない。私の本命はモバイルオーダーだ。
モバイルオーダーは便利だが扱いが難しい。早くオーダーを入れすぎると店員さんに迷惑がかかってしまうし、コーヒーが温くなってしまう。
普段であれば、逆算して改札を抜けるタイミングでオーダー完了するのがベスト。だが――――ハッピーセット狙いの客が並んでいるなら――――もっと早いタイミングでオーダー完了すればその分待ち時間が短くなるはず。
前回二十五分待たされたことを考えれば到着二十分前にオーダーを完了すべきだが、スタッフも第一弾で慣れているはず、反省点などを活かして時間短縮してくる可能性はある。
というわけで到着十二分前にオーダーを完了することに決めた。十五分前にしなかったのは私が小心者だからである。
「そろそろか……」
私はスマホを操作してマックのアプリから注文を開始する。
だが――――想定外のことが起きた。
この店舗ではモバイルオーダーを受け付けていません
たまにあるのだ、不具合でこうなることが。まさかこのタイミングで来るとは思ってもいなかったが。
だが、近隣のマックすべてが同じ表示になっている、こんなことは初めて――――まさかハッピーセットのせいなのか?
全国でアクセスが殺到してダウンしたとかそういうこと?
こうなってしまえばレジカウンターで注文するしかなくなる。
別の店に行くか?
一瞬そんな考えが浮かぶが、私は頭を振って邪念を振り払う。
私は別にコーヒーが飲みたいんじゃない、朝、マックでコーヒーを優雅に飲む時間を過ごしたいだけなのだ。
負けてたまるか、こうなったら正面突破、幸い一本早い電車だから二十五分待たされても余裕はあるはず。
「ひいいいいいっ!?」
変な声が出そうになった。人目が無ければその場で崩れ落ちていたことだろう。
マックの周囲を囲むように行列が出来ていた。初めて見る光景だ。先日行った免許センター以来に思う。
「ここディズニーランド?」
店員さんが即席のプラカードを持って行列の最後尾に立っている。
「申し訳ございません、機械の故障で支払い現金のみとなっております!!」
レシートや番号札も出ない、すべて手書きの紙でやりとりしている。どう考えても時間がかかるヤツ。
だが私は基本現金派だ、これはチャンスではなかろうか? キャッシュレス? はは、文明の利器に慣れて危機意識を喪失した連中が離脱してくれるかもしれないなどと一瞬思ったが、誰一人離脱する様子はない、どうやら日本はまだまだ安泰らしい。
そんなことよりも私の目算では一時間は待たされるだろう。コーヒーを飲むために一時間待つ? 貴重な朝の時間を使って? そんな馬鹿いるはずがない、待っている人はおそらくほぼ全員ハッピーセット目的、そこに常連の姿はいなかった。
こういう時、私は自分の性格が嫌になる。
きっとすべてが上手くいかなかった人生に反発したかったのだろう。こういう時の私は最高に負けず嫌いで頑固になる。まあ……最近はそんな私も愛おしいとは思えるようになったのだが。
結局、五十五分待った。一時間と見た私の予想はほぼ正しかったことに嬉しくなる。
しかし――――喜んでいる場合ではない、バスの時間までにコーヒーを飲み終えなければならないのだ。ちなみに――――店内の客席はガラガラだった。ほぼ私の貸し切り状態。それはつまり――――私以外の利用客は全員ハッピーセット客で常連はいなかったことになる。
なんとなく試合に負けて勝負に勝った、みたいな気分になった。
とはいえ二戦二敗、完敗である。私にとってハッピーセットはちっともハッピーなセットじゃなかった。
でも――――その陰でハッピーになれた人がいたのならそれで良いかなと思う。
優雅ではなかったし、散々待たされたけれど、それでも多くの人々の想いに触れて――――滅多にない経験も出来た。
いつもよりちょっぴりほろ苦いコーヒーも――――たまには悪くないのかな。
そんな週末の朝の出来事でした。またね。