side 魔女
むかしむかし、あるところに。
ひとつの王国がありました。
その王国には、とても強い魔女がいました。
その魔女は悪逆非道の限りを尽くし、いろいろなもの達を殺して回っていました。
人間はもちろん、竜や、そして神様まで。
心を痛めた王様は、魔女を倒すために力を尽くしました。
そしてとうとう、勇気ある1人の勇者によって魔女は滅びたのです。
勇者はその後、お姫様と結婚してしあわせに暮らしましたとさ。
この話はこれでおしまい。ハッピーエンドの大団円。どこにでもあるような、陳腐な話。けれど視点を変えれば、正義も悪になる。それは語られないだけで、認められないだけで。絶対悪は、どう頑張ったって変えられない。それが1番正しい世界の在り方なのだから。
この世界では、大きく分けると2つの人種が存在する。人間か、人間以外か。その中の、私は後者にあたる。
人外の生物だとしても、人魚や妖精、エルフなどの人型に近い者の末裔には美形が多く、踊り子や役者など華やかな仕事について、裕福な暮らしを営む事ができる。
「げっ、気持ち悪いモノ見ちまった」
できるだけ人通りの少ない所を選んだと言うのに、すれ違っただけでこの言われようだ。気持ちはわかるが黙っていてくれたらいいのにとは思う。チラリ、とローブの隙間から声の主に目線を向ければ、ヒッ、と短い悲鳴をあげて走り去ってしまった。
──私は、恐ろしい程に醜い。
全身は鈍く光る黒い鱗のようなもので覆われており、地肌は見えない。指先からは黒ずんだ化け物のような爪が生えていて、目は眼球から全て真赤に染まっており、鼻は歪み、口元は醜く裂けている。上手く閉まらないので、口端からは時折唾液が漏れ出す。歯は鋭く尖っていて、よく唇に刺さる。
真っ直ぐに伸びない醜く曲がった腰、クシを折ってしまうほどゴワゴワで長い髪の毛。
魔女、とも化け物、とも呼ばれる私はどこをとっても恐ろしく醜悪な生物にしか見えないだろう。
これも前世の業だと、今世は諦めている。
前世の私は悪役令嬢だった。死に際には、魔女とも呼ばれていた。
私はとある貴族の令嬢で、貴族の次男と婚約をしていた。次女という立場もあり既に家を継ぐのは兄に決まっていたので、階級などを考慮された上の政略結婚だった。
彼は会いに来ることは少なかったものの、毎月季節の花を送ってくれていた。枯れてしまうのが勿体なくて、押し花にしては日記帳に挟んでいた。
愛されていると、自惚れていた。
彼の為になればと魔術を極めた。
彼の為になればと剣術を極めた。
表情だって、仕草だって、言葉だって。彼と同じ家名を名乗るのに、相応しい女にならなければと。血を吐くような、いや、吐きながら努力した。
我が国で最も優れた者しか通う事が出来ない、婚約者を立てる為なら手段を選ばずになんだってした。
彼が望むのならと、ありとあらゆる生物を手にかけ、神様に近い龍だって殺した。
それなのに、私は殺されてしまった。
婚約者は私を愛してなど居なかった。そればかりか、別の者を見初めていたのだ。
邪魔なら、殺す。同じことをしてきた私に対する罰なのだろうか。
的確に心臓を一突きされ絶命した。魔女め、と蔑まれながら他でもない、愛する人の手によって。
──私は力を持ちすぎたのだ。
婚約者は悲劇の主人公になったのだ。自らの醜態を晒すことなく。そして、彼は後の勇者と呼ばれその国の英雄となり、やがて王に君臨した。
森の結界を抜けて少し歩いたところに私の家がある。かつては、年老いた魔女と2人で暮らしていた。
赤子のときに、私は森の入口に捨てられて居たとその人は言った。
魔女──私がマザーと呼んでいたその人は、森に結界をかけてそこに家を建てて暮らしていた。マザーは最初、魔物だと思って見て見ぬふりをしようとしたらしい。けれど、マザーの指を懸命に握る私に同情したのだとカラカラと笑った。
マザーは薬草学や錬金術、魔道具学などかなり知識が秀でていて、老い先短い身だからとありとあらゆる知識をつけてくれた。マザー曰く、拾った責任だとかなんとか。
マザーは甘くはなく、関係性としては親代わりといった感じでもない。
むしろ、師匠と弟子と言った感じだ。
歪んだ指はものを握るのも難しく、魔道具学に関しては知識のみの習得になった。
ただ、魔力量は半端なものではないようで、不幸中の幸いとあるものだねと苦笑された。
私は、マザーに出会えた事こそ不幸中の幸いだと思っていた。
マザーは、歳を重ねることを誇りとしていた。故に、延命や年齢操作の類を良しとしなかった。流れに委ね、その日を生きる。いつか終わるものにわざわざ手を加えるなんて冒涜だと言っていた。
別れは突然だった。
彼女は眠るように逝ってしまった。
私は頼まれていた通り、庭先の木下に彼女を埋めた。自然に返すために。
マザーが居なくなってから暫くは、マザーと取引をしていた所に回復薬であるエリクサーを売りながら細々と生活していた。
暫くは、というのも今は滅多に街へは出ていないし、直接取引する事もないからだ。
仲介人をしてくれている人物──勇者のおかげで。
彼とは不思議な縁で、私を命の恩人だと未だに崇めてくれている。森の中で死にかけだったのを助けただけで、こんなにも長い付き合いになるとは思わなかった。いつだったか黒魔術の神様にならなれるかしらと言ったら、魔女さん冗談言うんだねと目を丸くされたなあと思い出す。
マザーの作った畑では、季節のものが収穫できる。勇者が持ってきてくれる食材が入った保管庫を眺め、今日は何を作ろうかと考える。鶏肉が残っていたので、ことこと煮込んでスープにしよう。
今日の食事に使用する野菜を収穫しに畑へと向かう。
ふと、魔物よけの柵を見ると何かがぶつかった様な跡が目に入った。手を翳し、魔法をかけ直す。柵は何事も無かったかのように綺麗に直った。実は珍しい事でもない。ここは森の中だし、人気もない。魔物からしたらフルコースが並んでいるようなものだろうし。
「あの、あ、っひっ」
何かの声がしてキョロキョロと辺りを見渡す。
「下から見るとこ、こわ」
──下?
目線を向けると緑色の3角帽子を被り、同色のワンピースのような服を着ていて、金色に近い髪色に空のような青い瞳のそれはそれは小さな、手のひらもないくらいの男の子が
後ずさりしながらこちらを見上げていた。
避けられ慣れているとはいえ、傷つかない訳でも無いんだけれど。
「新種の妖怪……? にしてはどの図鑑でも見たことないけど、異世界特有の原種なのか?」
1人でブツブツ言い出したので、ねえ、と遮る。小人はうっわ、すっげえ顔だなあと満面の笑みでこちらを見た。表情と言葉が合っていないと思う。
「どこからきたの?」
「きっとこことは違う異次元の、あの異世界転生って! 知りませんか! ここ何のゲームですか」
「ごめんなさい、わからないわ」
「ンー、じゃあ俺はなんで。あっ、魔法使えますか?」
「少しなら」
「魔法!!!」
向けられたことの無いキラキラとした視線になんとも言えない気分になる。私は手作業で行う収穫をわざと魔法で行って小さな木の実を少年の手元に持ってくる。
「わ、すごい」
「毒はないわ」
彼は目の前に浮かぶそれをそっと受け取ると、ウットリと眺めてはしばらくニヤニヤしていた。
「私が怖くないの?」
少年がやっと木の実を口に含み、美味しそうに食べるのを眺めたあと、お代わりを与えながら聞いてみる。
「怖いっすよ。でもアンタ魔物じゃないから俺を食べないでしょ?」
「食べないわ」
「うん、だと思った」
2個目もペロリと平らげた後、彼は私のマントの裾を掴む。
「俺、怪談とか好きでよく見てて。アンタは色んなヤツに似てるよ。アマビエ、ドラゴン、山姥、鬼、吸血鬼……口裂け女にも!」
「なあに、それ」
「めっちゃ美人な妖怪!」
「ようかい?」
「通じなかったー」
「そろそろ日が暮れるわ。行く場所がないなら泊まっていきなさい」
「華麗なるスルー! いや、でも助かります」
もう一つだけ木の実を与えて、家の方へと方向転換し、ドアを開けて振り返るとちまちま歩きながらこちらに向かってくるのか見える。
──小さいから、遠いのか。
私は近くにあった使っていない木皿を持ち、彼の前に置く。
「前言撤回? 食べられる?」
「歩くの、大変でしょう」
「えっ、優し」
彼は嬉しそうに笑ったあとぴょこん、とお皿に飛び乗る。
「お願いしまっす!」
私は彼の警戒のなさにふ、と笑って揺らさないようにお皿を持ってからできるだけ並行に保ちながら扉へと向かった。