暫くすると、ユースの頭越しに、白い壁のようなものが見えてきた。白い石材で造られた民家を円状に並べることで、城壁の代わりにしているのだろう。周囲に小さな家々が建っているのも散見された。
私は、町へと入るために門の近くに行くと、ユースの背から降り、荷物の幾つかを手にして、何食わぬ顔で隣を歩いた。誰かに背負われている姿を見られるのが恥ずかしかったというのもあるが、何よりも、一見すると可憐な少女であるユースが、大量の荷物と私とを同時に背負っている姿は明らかに異様であり、悪目立ちすると思ったからである。が、離れるのが少し遅かったようだ。
門番は私とユースを怪訝そうな表情で見ていた。私が門番に微笑みかけると、まだ若い歳の門番はたじろいだように視線を逸らした。
「どうかしましたか?」
私は出来る限り穏やかに言った。私は自身が淑女であると思い込もうと努力したが上手くいっているかは分からなかった。
「いや、その……。お嬢さん方は何方からいらしたのですか? 見る限り、裕福なお方のようですが……」
私は思わず首を傾げ、そして直ぐに自分の愚かさを思い知った。私が着ている服はどうみても、村娘が着るようなものではなかった。この門番の男には、私達二人が、何処からか家出でもしてきた貴族の娘にでも見えているに違いない。
貴族や金持ちの娘が家出をして領地を抜け出すこと自体は、それほど珍しいことではない。だが、大体の場合、そこには問題が付き物で、後々難癖を付けられぬように、各町の門番は、独り歩きをするような身元不明の貴族の娘を町に入れるようなことはない。まして、最近では着飾った移動型民族が、富裕層の娘を偽って町に入ろうとすることもあり問題となっている。尤も、そのような試みが成功することは殆どないが。
どうしたものか。今の私に、身元を保証するようなものは何もない。沈黙した私を見かねてユースが溜息と共に口を開いた。
「巡礼の旅をしています」
「お二人で、ですか? 御付の方などは」
門番の言い分は尤もだった。私が首を横に振ると、門番は怪訝そうに私を見た。
「失礼ながら、どの神を信仰しているのか、お聞きしても?」
賢い質問だと、私は呑気にも感心してしまった。ある程度の身分を持つ者の信仰は、個人と言うよりも、家柄や職業組織によって選ばれていて、信仰を訊ねれば、身元を絞ることが出来る。ついでに言えば、無知なジプシー娘を炙り出すことも。
思わず、私は若い門番の男の顔をまじまじと見てしまった。日焼けした肌に筋肉質な身体付き。目元がすっきりとした爽やかな顔立ち。そして知性ある物言い。さぞ女性に人気があるに違いない。厄介なことだ。
「……夜の暗黒に輝くものを」
「月と清水の女神、ウェリタデニスですか」
曖昧に笑って誤魔化そうとした私を、ユースが突如として抱き寄せた。
「夜空に輝くものは、月だけではないわ」
不意に頭痛が私を苛み、眉を顰める。門番の表情が強張り、蒼褪めていく。私はつい先日同じような表情を見たなと他人事のように思った。哀れな門番はすっかり怯えていた。それにしても。オルニアスは随分と人材が豊富であるらしい。まさか。何処の町でも、門番に霊視持ちの人物を採用しているのだろうか。
「し、失礼を。まさか、使徒様であらせられるとは、存じ上げず、その……」
「全く――」
「――構いません」
私はユースの言葉を遮って、後ろに下がらせた。私はこの哀れな門番を今度はどう慰めようかと考えて悩んだ。
「あ、あの、私は――」
「貴方に祝福がありますように。貴方の誠実な勤務態度が報われますように。貴方を襲う悪事と悪漢が悉く討ち滅ぼされますように」
私は祝福する神官さながらに言って、逃げるように門を通り抜けた。
*
無事に町へ入った私は先ず、質屋で館から持ち出した細々したものを売り払い、幾つかの銀貨を得て、それから、服屋へと向かった。私は一般的な平民の着る、平凡な麻の服を選び、購入しようとした。が、お節介な服屋の女主人が、私に服を売るのを渋り出した。私を貴族の娘か何かだと思っていて、もっと高価なものを買わせようとしているらしい。
「私は、これから大学まで徒歩で向かわなければならないのです。思うに、その、私の服装は旅には向いていない、そうでしょう? 私は、動きやすい服が欲しいのですが……」
私の主張に、然し服屋の主人は笑ってまともに取り合わない。
「歩く? アンタみたいな、お嬢様がかい? それは無理だよ。そんな細い脚で」
正直なことを言えば、私も同じ考えだった。実際は馬車でも使いたいところだったが、金銭的な余裕があるわけではない。私はこの後に両替商か鍛冶屋のところへ行って、硝子樹の大森林で拾った硝子の枝葉を売り払えないか交渉しようかと思っていたが、それがどの程度の金額になるかは分からなかった。
「兎に角、目立たなく、動きやすい服が欲しいのです。丈が長く、虫に噛まれにくい服が。出来れば長い下履きもあればいい」
あの忌々しい虫共が、どれほど私を苛むかを、この女主人は知らないのだ。雪が降り積もる地域にはあの忌々しい虫共が出没しないと聞いていたのに。
女主人は私の苛立ちを感じ取ったのか、苦笑しながら渋々といった感じで、幾つかの服を見繕ってくれた。膝の下まである丈の長いゆったりとした上衣と、太腿まである靴下、それと幾つかの下衣を購入した(驚くべきことに、幾つかは新品である。噂が真実であるのなら、自動で糸を織るという魔術機械のせいだろう。王国が布の輸入を制限したのもそれと関係があるのかもしれない)。
お節介な女主人は飾り帯で長衣の裾を結って短くすることを提案してきた。私は辟易としており、女主人が頑固なのを十分理解していたので、好きにさせることにした。
靴下は太腿まで引き上げた後に、帯と金具で下衣と繋ぐことで留め置くもので、長衣の裾を膝上で固定してしまうと、帯と金具がちらちらと見えてしまった。私は不安になって、これでよいのかと確認したが、女主人はこれが流行りなのだと言って聞く耳を持たなかった。
私は自身の衣服を見返し、どうみても村娘には見えないと思ったが、最早仕方がないことだった。それでも家出した貴族の娘のような恰好よりは幾分はマシであった。
店から出た私をユースは笑って出迎えた。どういう類の笑みなのか判断が付かなかったが、馬鹿にされているわけではないだろう。恐らくは。
私はその後、革細工屋で財布を買った後に、鍛冶屋に向かい、硝子樹の大森林で採ったものを売り払った。鍛冶師は私が硝子樹の大森林を抜けて来たと言っても信じなかったが、硝子樹の落果を見せると、態度を豹変させて媚び諂った。私は硝子樹の落果を一つ売り払うだけで十分な金貨を得られると知って喜ばしく思った。鍛冶師が私に不当な金額を提示して買い取ろうとしていることは分かっていたが、それでも尚、十分な金額だったので、私は気にしないことにした。
鍛冶師が神殿に預金を取りに向かっている間に、私は店の中を見て回った。
私は先ず鍋を買うべきだろうと思った。冷たい食事は、精神を擦り減らせる。そうでなくとも、堅いパンはしんどいものがあった。暖かいスープが私には必要だった。そうなると香辛料も欲しくなる。値は張るが、幸いにも私は薬草や香辛料に詳しく、料理以外にも十分役立てられるだろう。
鍛冶師が帰ってくると、私の財布は金貨ではち切れんばかりになった。鍛冶師は私が渡した硝子の宝石を高利貸か貴族にでも売って倍程度の儲けを得るのだろうが、私には関係のないことだった。物を売るのには伝手が必要であり、鍛冶師が得る利益は、鍛冶師が伝手を得るために、そして、維持する為に支払っている労力の正当な対価である。不可思議なことに、このような単純なことを理解出来ない人間は沢山いて、誰も彼もが他人の労力には無頓着であることが多い。
私が鍛冶師に鍋と幾つかの刃物を買う意志があることを伝えると、鍛冶師は喜んだ。私は護身用に刃物を買い揃えておこうと思い、展示されていた中で質の良いものを幾つか選び砥いでもらった。鍛冶師は私が見せた刃物に関する見識に驚いた表情をしていた。少しばかり焦った表情をしたのは、私に吹っ掛けていたのがばれていることに気付いたからだろうか。
私は鍛冶師を安心させるために微笑んで見せた。鍛冶師はぎこちなく笑い返してくると、なんと、私が選んだ刃物と鍋を無料でいいと言ってきた。
結局、私が買い物を終えるのは、日が傾き、大地が赤く染まり始めた頃だった。私は、新しく買った背嚢を背負って機嫌を良くしていた。尤も中身は殆ど空であり、荷物の大半はユースが背負っている方にあるのだが。私は、長衣の胸元の隠しに革製の鞘を取り付け、館で見付けた風の短剣を収め、胴締にも鍛冶屋で買ったものを幾つか差しておいた。
私は、刃物の携帯に安心感を抱いていた。事実上手く扱えるかは兎も角として、少なくとも私の肉体的弱さに関する不安を、解消する効果はあり、これは重要なことだった。