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余命半年で入院中の70歳の夫が、『実は僕は昔……異世界の勇者だったんだ』と、突然妻の私に告白してきました

作者: こたつ猫



路子(みちこ)、よく聞いてくれ。実は僕は昔……異世界の勇者だったんだよ!」


「えっ……? あなた、突然何を言ってるの?」




 病室で寝たきり状態になっている夫からの、あまりにも突然過ぎる告白に、私は思わず困惑してしまう。



 私の名前は、牧村路子(まきむらみちこ)


 夫は名は、牧村雪兎(まきむらゆきと)



 夫は普段から良くも悪くも、無口で無骨(ぶこつ)な昭和風の雰囲気を持つ男だった。


 40年勤めた建設会社の仕事も、定年まで無事に勤め終えて。今はもう、70歳を迎えている。


 夫には特に仲の良い友達はいなかった。仕事が終われば、いつも真っ直ぐに家に帰ってきてくれるし。口数は少ないけど家事を手伝ってくれて、休日にはよく手料理も作ってくれた。


 しかも夫がたまーに作ってくれる手料理は、凄く美味(おい)しかったのを憶えている。

 昔、料理屋でバイトをしていた事があると言っていたけれど。夫の作る料理は日本風ではない独特の味付けがあって、クセになるその味わいが本当に私は好きだった。


 そんな私達夫婦の間に生まれた一人娘も、今はもう立派な大人に成長して実家を巣立っている。現在は孫も生まれていて、2人の子持ちママになっていた。



 お酒は飲まず、ギャンブルもせず。


 いつも休日は家で一人で新聞を読んだり、日向(ひなた)で本を読んで過ごすのが趣味の私の夫。


 そんな物静かな夫と一緒に人生を連れ添って、もうかれこれ50年。ふと気づけば私も、約半世紀を彼と共に一緒に過ごしてきた事になる。


 昔のように、恋人感覚でときめくような事は今では無いけれど。家族として共に過ごしてきて、私は夫を嫌いになった事は一度もなかった。


 娘も私も無骨(ぶこつ)無愛想(ぶあいそう)な夫を、何だかんだ愛おしく思っていたのだ。


 それに今はもう、すっかり白髪の目立つお爺ちゃんだけど。若い頃は周囲のママ友に自慢したいと思えるくらいの、なかなかのイケメンだったしね。



 そんな夫が……突然、(がん)になった。



 余命は半年だという。


 今は病院で入院生活中の身だ。

 私も夫の最期を看取(みと)るために、病室に一緒に住み込み。夫の介護をしながら現在は過ごしている。



 そんな、入院生活の中で。

 私は夫に突然、衝撃の告白をされてしまったのだ。



 ――えっ、異世界の勇者って何?



 What?


 何で?


 一体、どこからそんな知識を得たのかしら……?


 テレビ、それともアニメ? でも夫はいつも野球とかニュースばかり見ていて、バラエティー番組だってまもとに見た事が無いような人なのに。


 ましてやアニメなんて、もっての他よ。夫が娯楽番組を見ている所を、私はこの50年間、一度も見た事がないんだから。


 それなのに、いきなりネット小説系アニメで定番の『異世界の勇者』だなんて……ちょっとそれは、いきなり発想が飛躍しすぎなんじゃないの?



 ちなみに私は最近、ネット系小説にハマっている。

 好きなジャンルは特に『異世界恋愛』だ。


 もう既に結婚をしていて、2人の孫を作った一人娘に入院生活の暇つぶしになるからと、スマホで気軽に読めるネット小説を勧められたからだ。


 今までスマホを使って何かを見るという事は、ほとんど無かったけど。というか年寄りの私は、あまりスマホを上手く使いこなせないし。

 でも、確かに入院生活の暇つぶしにはなったから。ついつい時間を忘れて、ネット小説サイトに投稿されている異世界恋愛小説を読み(ふけ)ってしまっていた。



 もしかして……それで知ったのかしら?


 でも、夫は私のスマホをいつ(のぞ)き見たの?

 今はベッドの上で、体を動かす事さえほとんど出来ないのに。



 湧き上がる、疑問は尽きない。


 でも夫の突然の告白に、私はそれを邪険に扱うような事はしなかった。


 もう、余命も短い夫の話だ。例えそれが『宇宙人による地球侵略』みたいな、荒唐無稽(こうとうむけい)なとんでも陰謀論だったとしても。


 彼の話をしっかりと、最後まで聞いてあげたいと思ったからだ。


 それにあれだけ無口だった夫が、突然話してきたファンタジー話なのだから。私もその内容に少しだけ興味が湧いた。



「……そう、あなたは実は異世界の勇者様だったのね。じゃあどうしてこの日本にやって来て。普通の会社員をして、私と結婚をしたの?」


 私からの問いかけに、夫は病室の窓の外の景色を見つめながら。遠い目をして語りだす。


「……元々僕は、この世界の住人だったんだよ。だけど異世界召喚に巻き込まれて、ある日突然、異世界に転移してしまったんだ」



 なるほど。そうきたか。

 うん、ネット小説ではよくある王道展開なのね。


 でも、口調まで若い頃の『僕』口調になっている所が、何だかツボってしまうわね。


 最近は歳のせいか。自分の事をずっと『ワシは』ってお爺ちゃん口調で話していたのに。


 それにしても、まさかこの年で。夫から異世界系のファンタジー話を聞かされる事になるなんて、私にとっては本当に新鮮な感覚だわ。


 夫の話しによると……。異世界に転移してしまった夫は、異世界の王様に謁見し。異世界から召喚された勇者として、魔王退治をして欲しいとお願いされたらしい。


 王の一人娘である、とても綺麗な外見をした金髪のお姫様にも懇願をされて。夫は断りきれなかったらしい。



 ――うふふ、そうね。


 あなたは昔から人が良いから、もしそんな環境下に置かれたなら、きっとそういう返事をするのでしょうね。


 私は、異世界で夫が困惑している姿を想像して。ついクスクスと微笑んでしまう。不思議とそんな光景が頭の中に、自然と浮かんでくるようだった。


「――それで? あなたは王様と美しいお姫様にお願いされて、魔王退治の冒険に出たという訳なの?」


「そうだ。僕は異世界の事は何も分からなかったから。聖魔法が使えるお姫様と、その護衛の騎士。そしてエルフの弓使いも連れて、合計4人のパーティーを組んで魔王退治の旅に出たんだ」


「そうなの。お城の綺麗なお姫様も一緒に冒険の旅についてきたのね。じゃあ、あなたはきっと旅の道中でずっと緊張しっぱなしだったのでしょうね? だってあなたは女性と話しをするのが大の苦手ですものね」


「……うん。でも、僕にとってそれは本当にありがたかった。姫様は異世界の常識や知識を全部、僕に丁寧に教えてくれたから。僕はそのお姫様とだけは、心を開いて普通に会話をする事が出来たんだ」



 むぅ……。


 夫が語る、妄想の中の作り話だと分かっていても。

 なぜか胸の奥がモヤモヤするわね。


 ふーん。綺麗なお姫様と一緒に冒険の旅が出来て、本当に良かったわね。と、私は愛想のこもらない声で、夫の話に適当に相槌(あいづち)をうった。



 思えば、夫と連れ添って50年。


 私は夫が他の女性の話をしている所を、一度も聞いた事が無かった。

 若い時はあれだけイケメンだったのに。会社にいる女性社員の話や、他の女との浮いた話や噂も、一度も聞いた事が無かった。


 夫は仕事が終わると、真っ先に私の待つ家に帰ってきた。そして、いつも無愛想だけど。ずっと私のそばに居てくれた。


 だからこの年になって、私は初めて夫から別の女の話を聞かされて。もしかしたらヤキモチを焼いてしまったのかしら? もう、私だって70歳になっているというのに。


 はぁ……もう、ダメね。

 これはあくまでもフィクションじゃない。


 夫が私に話してくれている、作り話の世界の事なのだから。そんな事を真に受けてはダメよ。


 それにしても……。

 これだけ詳細な世界観の凝った話を夫はいつ頃、考えついたのだろう?


 もしかしたら、私の知らない所で。実は小説家志望だったりしたのかしら? それで今までずっと私に隠れて、異世界系の勇者の冒険話のアイデアを心の中で練っていたのだろうか?


 そうでないと、ここまで話の辻褄が合う重厚な物語(ストーリー)は語れないはずだ。


 異世界の建築。文化、料理、魔法の体系。


 夫は、それらの異世界設定を全く矛盾させる事なく。まるで本当に目で見てきたかのように、スラスラと病室の中で私に話してみせている。



 だとしたら、私は気付いてあげれなかったけど。


 夫はずっと前から、この異世界小説のアイデアを胸の奥に秘めて。密かに温め続けてきたに違いなかった。



 だんだんと、私は夫の話す異世界の勇者の物語に興味が沸き。その内容をノートに書き留めるようになっていた。


 もし、これが……50年間私と連れ添い。真面目で浮気をする事もなく、ギャンブルにハマる事もなく。

 お酒を飲む訳でもない、実直しか取り()がないような生き方をしてきた夫の、その人生を賭けた最後の大作小説のアイデアなのだとしたら。


 それを書き残す事は、夫がこの世界で生き続けてきた事の『証明(あかし)』になると私には思えたからだ。



 私は2人の孫の世話で忙しい、一人娘にもこの事を相談してみる事にした。


「ええ〜!? お父さん、実は小説家志望だったりしたの〜? そんなのうち、全く聞いた事なかったんだけど……」


「私だって、ビックリしたわよ……。でもね、本当にお父さんの話す物語は凄いの! もう3日も聞き続けているけれど、一向に止まる気配が無いわ。よっぽど昔から心の中で温めてきた、とっておきの創作物語だったと思うのよ」


「そうなんだ〜! ふーん。あの真面目なお父さんがね〜。うん。うちも何だか興味が湧いてきたわ! お母さん、お父さんの話す物語うちも聞きたい! 今度息子達と一緒に遊びに行くから、そのノートをうちにも見せてよ!」



 娘も、小説家としてのお父さんの意外な一面にビックリしたようだった。

 

 何でも、もし面白い内容の話だったなら。出版社に持っていこうよ〜なんて言い出す始末だ。それで大ヒットして出版でもされたら。私達は印税で大儲け出来るかもしれないよ、なんて茶化していたけれど。


 どうやら今の時代は、誰もが気軽に心に思いついた小説を、ネットに投稿して形に残す事が出来るらしい。

 大昔にペンを片手に、400字詰めの作文用紙に一生懸命文章を買いていた時代はもう、過去のものなのね。



 でも、もし夫が亡くなった後も――。


 夫の考えた異世界小説の作品がネット上に残り続け。そして、それを誰がが読んでくれるのなら。


 私は、小説家志望だった夫の、ささやかな夢を叶えてあげる事が出来るのかもしれない……と、今は思うようになっていた。



 ………。


 ………。


 ………。



 それから、約3ヶ月の月日が過ぎて。


 時間は(またた)く間に過ぎ去っていった。



 私は来る日も、来る日も。

 夫が病室のベッドの上で語る、異世界の勇者の冒険物語をノートに書き留め続けていた。


 書き留めたノートは、既に30冊に及んでいる。こんなにも長編な物語になるとは、夢にも思わなかった。


 70歳を超えた夫の脳細胞が、凄まじい記憶力を維持している事に驚く一方で……。


 夫の体は目に見えて、日に日に衰弱して弱っていくのが分かった。


 気付けば私は、夫が話す異世界の勇者の冒険物語の大ファンになっていた。

 今はその続きを夫の口から聞けるのか、私の毎日の楽しみとなっている。


 勇者が伝説の剣を手に入れる為に、ドラゴンの巣窟である火山に向かった話や。

 エルフの国で、エルフの女王様に求婚されて。嫉妬深いお姫様に叱られてしまった話など、本当に夫が話す異世界の勇者の冒険のお話は面白かった。



 そう、それはもはや『伝記』だった。


 夫にとっては、まるで本当に異世界に行って。

 そこで実際に見て。体験をしてきたかのように、スラスラと勇者が体験した異世界の冒険の話を私に聞かせてくれる。


 とても創作で、これほど重厚な世界観の作品は作れないだろうと思えるような完成度だった。


 私は真面目で無愛想だった夫が、こんなにも流暢に異世界の物語を話してくれる事に、今更ながらに新鮮な驚きを感じている。

 まるで若い頃のように。こんなにも素敵なお話を作って、私に話してくれる夫の小説家としての才能に惚れ直してしまったくらいだもの。



 そして、次第に夫の話す異世界の物語の内容が終わりに近づいていくのが、心から寂しかった。


 きっと、この長い長い異世界の勇者の冒険のお話を話し終えた時――。


 夫は、この世界から旅立ってしまうのだろうと……私は本能的に感じ取っていたからだ。



 夫の話す異世界の勇者の物語は、とうとうクライマックスを迎えようとしていた。


 4人の仲間達と共に。勇者はとうとう、異世界の魔王を倒し。世界に平和を取り戻したからだ。



「良かった、本当に良かったわ……」


 私は思わず大号泣をしてしまう。


 それだけ大変で、苦難の多い旅だった。

 勇者は仲間達と団結をして、一緒に多くの試練を乗り越えて、とうとう魔王を倒したのだ。


 まるで私自身も旅の仲間の一人として。

 勇者様と一緒に魔王を倒したかのような、カタルシスを味わっていた。


 その苦労の冒険の末に、とうとう世界に平和を取り戻したのだから。感動で思わず涙が溢れ出てしまう。



「魔王を倒した勇者は、その後、どうなってしまったの……?」



 私は全ての冒険を語り終えた夫に、恐る恐る聞いてみた。


「……元の世界に戻る事になったんだ。元々、そういう契約での異世界召喚だったからね」


「でも、みんな寂しがったでしょう? 特に嫉妬深いお姫様は、絶対に勇者の事が好きだったから。凄く悲しんだんじゃないの?」



 夫は――なぜか無言だった。


 しばらく(うつろ)な目をして。病室の窓の外を飛んでいる、小鳥達の様子を眺めていた。


「そうだね……。だから彼女は、必死に異世界の女神様に頼み込んで。勇者のいる世界に無理やりついて行く事にしたんだよ」


「えっ!? お姫様は勇者のいる世界にまで追いかけてきたの? 素敵だわ! それはまさに、ハッピーエンドじゃないの! きっとお姫様は愛している勇者と一緒に過ごす事が出来て、幸せな人生を過ごしたのでしょうね!」



 私の目からは、滝のように大粒の涙がこぼれ落ちている。


 本当に長い長い冒険の果てに。

 お互いを想い合う恋人同士が、未来を一緒に過ごす道を選べたのなら。


 それはなんて素敵で、ロマンスのあるお話だと思えたからだ。


 夫はそこで一度、言葉を止め。

 今度は真っ直ぐに、私の目を見つめてくる。



「……路子(みちこ)。君は、この僕と長い人生を連れ添ってきて、本当に幸せだったかな?」


「……えっ?」



 夫の突然の質問に、私は困惑する。


 夫は窓の外の景色を見ながら、遠い目をするように私に尋ねてきた。


 もしかしたら、もう夫は……。

 そうだった。その長い冒険のお話を話し終えたら、夫の体はもう……。


「ええ。私はあなたと一緒に過ごせて本当に幸せだったわ。あなたは最後まで私だけを愛してくれて、私を本当に大切にしてくれたし。娘もちゃんと育て上げて、私達は可愛い孫達だって授かったのだもの。私は本当に素敵な人生を過ごせたと思うわ」



 それは嘘偽りのない、私の本心だった。


 私のような何の取り()もない女に。夫は誠心誠意尽くしてくれた。


 夫は要領の良い性格をしていないし。仲の良い友達だって誰も居なかったから。

 きっと会社で怒られたり、たくさんの苦労をしてきたと思う。


 でも、一度も愚痴を私にこぼす事はなかった。

 いつでも私だけを見つめて。そして、私に自分の全てを捧げて寄り添ってくれた。



 だから、私は心から夫にお礼を言いたかった。


 こんな私と人生を一緒に過ごしてくれて。本当に『ありがとう』って。



「……そうか。それは本当に良かった。もう、時間がきたみたいだね」


「時間って……何?」



 思わず、心臓がドキッとした。

 夫の寿命の最期の瞬間が、まさに今……訪れようとしているかと思ったからだ。


「異世界転移は期限(きげん)付きなんだ。それが女神様との約束だったからね。だから君はこれから『元の世界』に戻る事になるだろう。異世界に渡り、勇者である僕の命が尽きた時に、元の世界に強制的に戻される――そういう契約だったんだ」


「……えっ? あなた、何を言っているの?」



 夫は私の手を取り、両手を力強く握る。


 年季の入った深いシワが刻まれた、温くて大きな手だった。お互いに歳をとったものだと、思わず実感してしまう。そんな優しくて大好きな私の愛しい夫の手。


 夫は目から大粒の涙を流して、微笑んでくれた。



「僕は君と一緒に人生を過ごせて、本当に幸せだった。ありがとう。元の世界に戻ったら君は全てを思い出す。だから憶えていて欲しい。僕は、勇者は……愛しい異世界のお姫様とずっと一緒にいられて、最後まで本当に幸せだったって……」


「待って、一体何を言って……!」



 突然、病室の中が白い光に包み込まれていく。


 これは一体、何なの? 周りを見渡して驚く。光に包まれているのは、私の体の方だった。


 私の体を白い光が、ゆっくりと包み込んでいるのだ。



「……大好きだよ。僕のいる世界にまで追いかけてきてくれて。そして僕と最後まで人生を一緒に過ごしてくれて、本当にありがとう……」



 夫が最後に何かを言っているようだが、光に包まれた私には何も聞こえない。



 ……お願い、待って!


 私もあなたに、『ありがとう』って言いたいのに……! あなたの共に生きてこれて、本当に幸せだったと伝えたいのに!



 私の体を包む白い光は、どんどん輝きを増していった。



 そして、夫はその場で静かに目を閉じる。


 それを私は見届けた瞬間……私の体はここでは無いどこか遠くの彼方に意識が飛ばされてしまった。




 ぐるぐると反転する、真っ白な視界と意識。


 


 ――しばらくすると、目の前に小さな薄明かりが見えてきた。




「………ここは?」



 気付いた時には、私の体は冷たい床の上に寝かされていた。


 ゆっくりと瞳を開けると。そこは大きなお城の中で、大理石の床に真っ赤なカーペットが敷かれた、大きな広間の上に私は寝かされていた事が分かった。



「――姫様! 良かった……! 皆の者、姫様が目を覚まされましたぞ!!」



 周りから、見慣れない人達の大歓声が聞こえる。


 腰に剣を装着した、銀色の鎧を着た騎士達が大勢で歓喜の声をあげていた。



「こ、これは一体、どうなっているの? 私は、私は……」


 視界に映り込んだ自分の白い手を見て。

 私は思わず驚愕する。


 まるで絹のように白く、美しく滑らかな手をしていたからだ。

 無数のシワが刻まれている老いた手ではない。

 自分の体を見回して、触れて……。私は、この場所がどこなのかを思い出した。


 そうだ、ここは異世界だ。


 ううん、でも違うの。ここが『私が生まれ育った、本当の元の世界』なんだ。



「……姫様、目を覚まされて良かったです。私達は本当に心配を致しました」


「ねえ? 私は一体、どれくらいの時間をここで寝込んでいたの?」


「……?? 大体、3時間くらいでしょうか? 勇者様が元の世界に帰還されて。その後を追うんだと、姫様が女神様に祈りを捧げた瞬間に、いきなりここでお倒れになってしまわれたのです」


「3時間ですって? そんな、それじゃあ私は……」


 状況が分からずに、キョロキョロと周囲を見回す私は、慌ててみんなに声をかけた。


「そうだ、勇者は!? 勇者は、どこに行ってしまったの……?」


 私からの問いかけを聞いた、全員が目を伏せて。悲しそうな顔を浮かべる。


「姫様……勇者様は、女神様との契約通り。元の世界に帰られてしまいました。魔王を倒し、この世界に平和を取り戻して下さった勇者様の事を、我々はこれからも決して忘れる事は無いでしょう」


「勇者が元の世界に帰っていった? えっ、えっ? そんな……何を言っているの!?」


 だって勇者は、私と一緒に日本で過ごして、そして最後まで私に連れ添ってくれて……。



 そんな……まさか、そんな事って……。



「嫌よ、そんなの……私は絶対に嫌よッ! うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」



 思い出した!

 私は全部、全部思い出した――!!


 そうよ。私はこの世界のお姫様。あの人が語ってくれた異世界の物語に登場する、嫉妬深いお姫様は、『私』の事だったんだ!



 私は、本当に勇者の事が大好きだった。

 あの人の事を……心から愛していた。


 だから、元の世界に帰ってしまうあの人とどうしても別れたくなくて。女神様に必死にお願いをしたんだ。



『お願いです!! 私を勇者のいる世界に一緒に連れていって下さい!』……って。



 女神様はそんな私の願いを聞き届けてくれた。


 だけど、異世界転移は『契約』を伴う。



 私はずっと向こうの世界に居続ける事は出来ない。


 想い人である勇者が、天寿をまっとうして生き絶えてしまった、その時――。


 私は強制的に元の世界に戻されると、女神様に約束をさせられていた。そして勇者のいる世界では、私は以前の世界の記憶を、全て無くしてしまうとも女神様に聞かされていた。



 私はそれでも良かった。

 大好きな勇者と、一緒に人生を過ごせるのなら。


 それだけで充分に幸せだと思えたから。



 でも、でも……そんな、こんな事って! 



「姫様、大丈夫ですか? お体が優れないようでしたら、寝室でお休みになられた方が……」


「いやぁああああ!! 私に触らないでっ!!」



 私は半狂乱になって、その場で硬い大理石の床を両手で叩き続ける。


「お願いです、女神様! もう一度私を『日本』に連れていって下さい! せめて、あの人のお葬式に出させて下さい! 日本には私の娘や、孫達もいるんです! みんなきっと私の事を心配しています。私はあの人のそばにいたい! もし、もう一度やり直す事になっても、記憶をまた全て失ったとしても。何度でもあの人と人生を添い遂げたい。お願いです、私を勇者のそばにいさせて下さい!」



 私はお城の広間で、必死に懇願し続ける。

 あの人は最後まで、私と、私達の家族を愛し続けてくれた。


 記憶を全て失った私に。異世界での事は何も告げずに、ずっとずっとそばにいて寄り添ってくれた。


 元の世界に戻ってきて、全てを思い出して。

 そして分かった。勇者が、あの人が、どれだけ私を心から愛してくれて、大切にしてくれたのかを……。



 嫉妬深い私を心配させないように、あの人はいつも会社が終わったら、真っ直ぐに家に帰ってきてくれた。

 私が作るお弁当を毎日、お米一粒さえも残さないくらいに、丁寧に食べてくれた。


 娘が生まれた時は、普段は無口なくせに。

 あんなにも飛び跳ねるようにして、一緒に喜んでくれた。


 大好きなあの人にもう一度、会いたい。


 そして私を、ずっと大切にしてくれて『ありがとう……』と心から彼に伝えたい。



 でも、勇者は。もう、あの人は………。



「いやあああああああああああーーーーっっ!!」




 ――その日。

 私は一晩中、お城の広間で泣き続けた。


 みんなが心配をして、必死に呼びかけてくれたけれど。私は決して泣き止まなかった。


 そして、女神様は私の『もう一度、日本に戻りたい』という願いを、聞き届けてはくれなかった。



 私は、もう……。勇者のいない、元の世界で生きていくしかないのだ。


 それが元の世界に戻されてしまった、物語の中に登場する嫉妬深いお姫様の運命なのだから……。





 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




「――うん。うん。大丈夫よ。私はこっちの世界で上手くやっているから。それよりもどう? ちゃんと孫達は良い会社に就職出来たの?」


『大丈夫だよ、お母さん。上の子は◯◯商事に無事に就職出来たんだから。凄いのよ、あそこは福利厚生も充実しているし、初任給で35万円も貰えるんだって〜。私達の時代とは違うんだな〜って、ビックリしちゃったもの」

 


 私は今、お城の寝室で『スマートフォン』を使って日本にいる娘と会話をしている。



 女神様は、私の願いを聞き届けてはくれなかった。


 でも、日本に残した娘達と会話が出来るように。

 異世界と連絡を取る事の出来る、スマートフォンを用意してくれた。


 異世界間の通話は電波がかなり悪い。

 一カ月に一回くらいしか通話は繋がらないけれど。


 でも、おかげで私はこうして一人娘や孫達とも普通に会話が出来ている。



「それにしても、お母さんの声が若いから。何だか不思議な感じがするわね〜。いいなぁ〜、私も異世界に行きたいなぁ〜。お母さんの生まれ育った世界を、この目で見てみたいし」


「うふふふ。そうね、いつかあなた達もこっちの世界に招待出来たらいいわね。日本みたいに大きな建物は無いけれど、自然がとっても美しい素敵な世界よ」



 娘や孫達をこの世界に招待出来たのなら、それはどれだけ素敵な事だろう。


 あの人と私の間に生まれた娘や、孫達にも。

 この美しい世界を本当に見せてあげたい。


 あの人が魔王を倒して、平和を取り戻してくれたこの世界を、彼の子孫達に本当に見せてあげたかった。


「そうだ。お父さんの三回忌は無事に終了したから、心配しないでね、お母さん。それとね、聞いてよ! お父さんとお母さんの異世界での冒険小説。ネットの小説コンクールで大賞を取ったのよ! 今度出版される予定だから。楽しみにしていてね! 印税が入ったらお父さんからのお小遣いだと思って、ありがた〜く使わせて貰うから」


「そうなの、凄いわね! 私もお父さんと私の冒険譚が日本の本屋さんに並ぶ所を見てみたかったわ〜!」


「ねえねえ、お母さん、また女神様にお願いしてみてよ! 日本の本を一冊だけ、異世界から送り届けて欲しいってね」


「うん。そうね、叶うかどうかは分からないけれど。私、女神様に祈ってみるわ!」



 娘との通話を終えて、私は外の景色を見つめながら。静かに自分の部屋のベッドの上で吐息を漏らす。



 不思議なくらいに、ここから見える景色は、


 あの人がいた、病室の窓の外に見えた景色と似ているように感じられた。



 私は異世界の物語に登場する、嫉妬深いお姫様。


 そして最愛の勇者と、50年の歳月を共に日本で過ごした、彼を心から愛する妻でもあった。



 窓から吹いてくるそよ風が、優しく私の頰をかすめていく。

 


 私は今でも胸を張って言えるの。


 記憶を失ってしまっても、あの人と一緒に日本で過ごせて本当に良かったって。




 そして、心の底から最愛の勇者様に伝えたい。



 私は最後まで、あなたと一緒にいられて本当に幸せでした。だからあなたが平和にしてくれたこの世界で、今もあなたの事だけを想いながら生き続けていきます……って。



 私を幸せにしてくれて。

 本当にありがとう……異世界の勇者様。


 私はずっとずっと、今もこれからも、あなたの事がずっと大好きです!




 お読み頂き、本当にありがとうございましたm(_ _)m

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