アンジェリカの体
翌朝、目を赤くしたレイルが泣き笑いのような顔をして抱き着いて来た。
「リリーさーーーん……」
私より頭一つ分も背の高い成人男性なのに、子供のようにぎゅっと抱き着いてくるから、よしよしと頭を撫でてあげた。優しい性格をしている素直な子だけど、私よりずっと大きく育っている。過剰接触な気がしないでもなかったけれど、レイルのご両親は私たちをにこやかな笑みを浮かべて見ていたから、大丈夫そう。フローラは目を丸くしていて、ギデオンは目が合うと顔を逸らされた。
「ありがとうございます、本当にリリーさんのおかげです」
「いいのよ、ごめんなさいね。もっと早く連れて来てあげられたら良かったのに」
「そんな……感謝しかないです。段々思い出して来たんですけど、僕はこの家で育ったって、はっきり覚えてるんです。記憶が溢れて来て……愛してくれていた家族と、また会うことが出来ました。全部、リリーさんのおかげ、です……!」
そう言うとレイルはまた泣き出してしまったので、なでなでしてあげる。
そういえば小さいころから良く泣く子だった。この子は、勉学の吸収がとても素直だったけれど、感情に対しても同じなのだろうか。自分にはよく分からないので、とても羨ましく思う。
そうして朝食を頂きながらご家族の話を聞いた。
「賢者の里に生まれた者同士で、幼いころからお互いを思い合って結婚したのです。それがまさか、生まれた子供が攫われると思わず……。この里に侵入出来る者がいるとは思えなかったのですが、結局誰の仕業かも分かりませんでした」
それは驚く話だった。この里から神隠しのように人が攫われる。そんなことがあるのだろうか。
そうしてご両親とレイルが並んで座っている姿はしっくりとピースのはまったパズルのようだった。それでいてまだぎこちない様子なのも、微笑ましく思える。
「長老からこの後、皆様を連れて来てほしいと言われています。大丈夫でしょうか?」
「ええ、お願いします」
「ひさしぶりじゃのう、リリー」
出迎えてくれたのは、長老と、昨日のおじさま。
床に置かれた座布団に一人ずつ座らせてもらい、長老に向き合った。ご高齢の……けれど20年前にはすでに今と同じご容姿をされていたから、一体おいくつなのか年齢が不詳の方だ。
「ごぶさたしております長老さま。みなさまには私が分かるのですね?」
「そうじゃのぉ……我らは、知恵を使い、常人には見えざるものを見てるんじゃよ。お前さんには無理じゃが、レイルはすぐにできるようになるじゃろうな」
「まぁさすが賢者様」
長老はじっと私を見てから、少し悲し気に眉を落とした。
「こちらにおいで、リリー」
「はい」
近づくと「手をおかし」と言われ、長老の手に自分の手を重ねた。彼は目をつぶり、何かを感じているようだった。
「……これはこれは」
「な、なんですか?」
顔を上げた長老は、子供をあやすように私の頭を撫でた。
「大変だったじゃろう。今まで良く生きた。こんなに魂をすり減らして、どうして生きていられるのか」
「え……」
なんだか大層なことを言われて動揺する。アンジェリカはそんな苦労もしてなければ、むしろ我がまま放題だったのではないだろうか。
「魂の残りが……そうじゃのう、リリーの半分くらいしか無いのかもしれないな」
「え、え!?そうなんですの?」
「魂は、生命力そのもの。尽きたら死ぬのじゃ。お前さんなにか心当たりはあるのかい?」
「魔王の呪いかと……魔王を倒した直後に体力を失って、そのまま死んで生まれなおしたのです」
「あやつが望めばそれくらいは可能じゃろうな。意図は分からんが」
くーあいつのせいで、再戦が叶わぬ体にされていたのか。まぁ、子供たちが戦ってくれるから倒せればいいけれど……いや、駄目か、この呪いを対策し、解く方法が分からなければ、大事な子たちを戦わせるわけにはいかなくなる。
「じゃがなリリー」
「はい?」
「実はの、理由が分からないからいえなんだが……」
もったいぶる言い方に不安が募っていく。
「かつてのリリーもすでに半分になっているのではないかとわしらは思っておったのじゃ……」
「なんですって!?」
おじさまを振り返ると、頷いて肯定される。
「人ではありえないほど生命力にあふれていたから、わしらも間違いじゃないかと思うところがあって、はっきりと伝えることが出来なくて……すまなかったな」
え、えぇ……。今は少なくとも、魂が半分の半分になってるってこと?何それ死にかけ?
「まさか……魔王?」
「どうじゃろうなぁ、そこまでは分からなんだが、一度戦って記憶をなくしたまま、同じように生まれ変わっているという可能性も否定は出来ないじゃろうが」
「いえ……いえ、むしろそんな可能性がありそうに思えますわ。アンジェリカも少し前まで記憶を失ってたんです」
そういえば、リリーは幼いころから戦うことに狂ったような喜びを感じていた。子育てをした今なら分かる。多分そんな子供は普通はいない。
「呪いのこと、なにか分かりますか?魔王の再戦のために必要に思えます」
「ああ、里にいる間に賢者の塔のやつらに聞いてごらん。なにか分かろうて。空き家を用意してあげるから、そこにお住み。お前さんは里の恩人だ。ここにいる間の生活は心配しなくて良い」
用意してもらった空き家をフローラと片づけ、料理を自炊する。レイルはご飯を食べたあとは、ご実家に滞在するとのこと。
なので、私とフローラとギデオンの三人になってしまって、少し寂しいような気がした。
普通の人の気持ちはよく分からないのに、私の情緒は子供のことに関してはよく働くようだなって思う。
「レイルの知恵が深まるまで、もう少しここに滞在する予定よ。賢者の塔で魔王の呪いについて調べましょう。いいかしら」
「分かった。おねえちゃん」
「了解した。が……」
ギデオンが考えるように視線を伏せた。歯切れの悪い言い方を不思議に思っていると、顔を上げた彼が言った。
「話がしたい、アンジェリカ」
決意したような視線を受けて、私はそれを快諾した。
散歩をしましょうか、とギデオンを誘えば彼が夜道を付いてくる。
光の実がなる木々の光景は幻想的で美しい。川のある方向を目指して歩く。久しぶりにギデオンとまともに話せることが嬉しくて、私は鼻歌を歌いながら歩いていた。
「ねぇ、ギデオン」
「なんだ」
「いいのよ、無理に、リリーだと思わなくても」
ギデオンは黙って聞いている。
「私にとってはそれはどうでもいいことなの。子供たちが元気に育ってくれて、強くなってくれる。それだけで私はとても嬉しいの」
川が見えて来た。水面が輝いている。
振り返ると、ギデオンの銀色の髪が木の実の光の中輝いている。彫刻のようなその容姿が、絵画のような風景の中に溶け込んでいる。彼は考えるように視線を伏せている。
「私のことで思い悩まなくていいのよ。苦しませてごめんなさいね。アンジェリカが酷いことをしたことも」
「……俺は分からない」
ギデオンの低い声が響く。
「今の貴方は、リリーにしか、見えない。彼女しかしらないことを語り、彼女でなければありえない事実を示し続け、また周りも貴方をリリーと呼ぶ。まるで俺だけが、頑なに受け入れられずにいるように……」
射るような眼差しが私を捉えた。
「だが!なぜだ、リリーであるなら、その魂が同じだというのなら、なぜ、アンジェリカのような悪女だったのだ?!自分の手を汚さず、人を陥れることしか考えない、そんな女だった。ずっと恐ろしかった……。俺が、リリーを恐れるなど、ありえないのに!なぜ俺は……。一体あの悪女はなんだったんだ?なぁ、教えてくれよ!!」
畳みかけるように訴えかけられると、彼の心の痛みを感じてしまう。
「ごめんなさいね。私にも分からないの……」
リリーの心が、慰めてあげたいと叫んでいる。けれど、彼に手を差し伸べることも出来ない。傷付けたのが私自身だからだ。
「何も覚えてなかったの……多分だけど、リリーの頃よりずっと、感情が欠落していた気がするの。もしかして、魂の欠損に関係があるのかしら。そんな風にも思える」
「魂の欠損……」
「リリーの頃もそうよ。人の心が良く分からなかったの。聖女なんかじゃありえないわ。見よう見まねで、世間の母親を模倣していただけ。アンジェリカに生まれ変わったら、今度は両親がいたのに……何の情も浮かばなかった。やっぱり同じように人の心が良く分からないのだと思う。以前より酷くなってる。そんな人間怖くて当然よ。心も……きっと欠けていたのよ。今なら、なんとなくそんなことを感じる。分からないけれど……」
「……そんな、ことはない、リリーは慈愛に満ちていた」
「一人で戦うのにも限界があったから、強い仲間を育てようとしていたのよ。それだけ」
「……!」
「リリーはきっと、あなたが思うような人じゃなかったと思うわ」
ギデオンは何かを言いかけ、諦めるように口を閉じた。
こんなことで悩まなくてもいいのに。私自身が気にもしてないのは、本当に感情が欠落しているからなのだろうか。
「ねぇ、私のことはどうでもいいのよ。あなたは自分のことだけ大切にして。もうすぐ魔王を倒せるくらい強く……」
「……ふざけるな!!」
急に両肩をガシリと押さえられ、怒鳴られる。ビクリと見上げると、そこには激怒したギデオンの顔。
「どうでも……どうでもいいわけがない!リリーが……そしてお前がリリーだというのなら、軽んじられていい存在ではない!俺は、リリーを軽んじるというのなら、アンジェリカ、お前を許さない」
泣きそうなその表情から真剣さが伝わってくる。一体急にどうしてしまったんだろう。
そうして私にどうしてほしいのだろうか。
「くそ!!なんで、リリーの瞳をしてる!何も分からないという目で」
「……」
「なんで、お前がリリーなんだ……」
そう言うと、ガシリと抱きしめられてしまう。突然の展開に頭が付いて行かない。
くそ、くそ、と、何度も言いながら、強い力で抱きしめてくる彼は、もしかしたら泣いているのではないかと思う。彼はいつも、怒りながら泣いていた。
大丈夫よ、とか、頭を撫でてあげたいとか、いろんなことを思ったけれど、何もしてあげられることがないまましばらくそうしていた。
どれくらい時間が経ったのか、ギデオンが私の体を放したとき、彼は泣いていなかった。
怒ったような顔で、私を両腕で抱き上げ、そのまま連れて帰ろうとする。
「え、いいのよ、今日は歩けるわよ!」
「駄目だ。俺は決めた。もう何一つ無理はさせない」
「……」
「俺が魔王を倒して、呪いを返せばいいんだ」
「え?」
それは嬉しいことだけど、呪いを返す?
「現魔王は竜王だ。竜族がその死の淵に呪いを掛ける言い伝えが本当のことならば、元の場所に還せばいいだろう」
そんな言い伝えあったかしら?
けれど、ギデオンは決意したような顔をしてただ前を見据えていた。