賢者の里
朝日の中目を醒まして、安宿の一室にいることを思い出す。フローラと同室のはずだけれど、今は誰も部屋にはいないようだ。
ぼんやりと昨夜のことを思い出して、そっと自分の額を触る。熱は下がってる。だけど……はっきりと感触を覚えている、そこに添えられていた手は剣士の手だった。
(何考えてるのかしら、ギデオン……)
知らぬ間に認められていたの?そんな風には思えないのに。
起き上がり、着替えながら考える。華美な程の肉体を、質素な動きやすい服で包んでいく。
「どうしようかしらねぇ」
この体の貧弱さよ。
ちょっとした魔法なら問題なく使えるようだけど、普通以下の運動量で体力を失うなら、大きな魔法を使うことなど不可能だ。もちろん魔王など倒せるわけがないし、冒険者で生計を建てることも難しいだろう。
「まさかこんな形で未来を閉ざされるとは思ってもいなかったわね、アンジェリカ」
むしろ、自分で何も出来ないから人を使っていたのかと理解した。アンジェリカは思いの外賢かったのかもしれない。
まぁ、思い悩んでも仕方がないので、次の目的地を目指そう。ちょうどよく、次は賢者の里なのだから。彼らなら、私の体についても何か教えてくれるだろう。
「というわけで、魔王はあなたたちに倒してもらおうと思います!」
どや顔で、様子を見に来た三人に言い放つと、怯えるような顔を返された。
「何言ってるんですか!」
「ひぇぇ」
「……」
あら?なにか怪物を見るような眼で見られているような。
信じてない?
「大丈夫よ、今はまだ難しいかもしれないけど、もうちょっと強くなったら余裕よ」
「……魔王を余裕?」
「もうちょっとってどれくらいですか?三倍くらいじゃないですか?」
「……無理だ。試していないと思っているのか。俺は一度、討伐部隊とともに対峙している。ろくな戦闘も出来ぬまま壊滅させられ、そのため聖女の育成の方に舵が切られたのだ」
「まぁ……」
ギデオンの話は全然知らなかった。あれ?知ってたかしら?アンジェリカはそういうことを聞いてもすぐ忘れそうなのよね。いつ頃のことなのだろう。愛する人が加わっていたというのに、心配していたというそぶりは思い出すこともが出来ない。
ベッドの端に腰かけ、私は自信たっぷりの笑みを浮かべる。この三人が魔王と戦う姿を想像するだけで興奮が止まらない。きっといい戦いをすることだろう。
三人が若干引いているのを感じる。
「リリーは、魔王を完全に攻略しているわ。正直、今のあなたたちのままでも、死闘を繰り広げれば勝てるんじゃないかと思うの。でも危ない橋を渡らせるつもりはないのよ。だから、もう少し、頑張りましょう!」
元気付けるように言ったのに、余計に気落ちさせてしまったようだ。
困ったような顔をするレイル、震えるフローラ、憮然と私を見つめるギデオン。
リリーとしては楽勝で勝つより死闘を繰り広げた方が絶対楽しいと思うのだけどな。
仕方ないか、と私は立ち上がると言った。
「次は賢者の里に行くわよ。太古から受け継がれる偉大な知恵を与えられた者たちの暮らす場所よ」
え、と小さな声が三人から漏れる。
「……伝説の?」
「賢者にあった者などいないと聞くが」
「物語の中にしか出てこない里の名前なんですけど……」
私は首を傾げる。そんな場所だったかしら?
「そうなのかしら。私はいつでも行くことが出来たのだけど……」
そういわれると、リリーが特別だったのなら、アンジェリカの体でたどり着けるのかしら……。
「……行ける気がするから、行ってみましょ?ね?」
とりあえず押し切る形で、私たちは賢者の里を目指すことにした。
が、またしても私は甘かった。
森を抜け山に入る前に、倒れたのだ。木陰に休まされ、フローラが回復魔法を掛けている。
「アンジェリカさん、失礼ですけど、なにか特別お体が弱いとか、ご病気があるとか、そういったことはありますか?」
レイルの質問を考えてみるけれど、アンジェリカは医者にもかかっていなければ、家系的な疾患の話も聞いたことはなかった。ひ弱だったけれど。
「いいえ……なにも……お医者様にも長い間お会いしてないわ。ただひ弱なだけ……」
「そうですか……この旅がお体にきついのでしょうか」
「大丈夫よ少し休んだら、行きましょう」
「おねえちゃん、宿にもどろ」
「そうですよ。アンジェリカさん帰りましょう」
しかしそれでは、この子たちを連れていけないではないか。もう少しなのだ。
「大丈夫よ、里に着いたら賢者が治してくれるから」
「たどり着けないですって」
「無理だよおねえちゃん」
私の体の状態を一番に把握しているだろうフローラが泣きそうになっている。そんな顔をさせたいわけではないのにと、困ってしまう。
その時、はぁ……と深いため息が聞こえた。
顔を上げると、髪をかきあげるようにしたギデオンが顔を伏せ考え込んでいるようだった。
そうしてギデオンは背負っていた鞄を下ろすと「これはお前の収納魔法にしまえ」と言った。
「俺が背負っていく」
「……」
私をじっと見つめるギデオンと視線が合う。無表情ながら、まっすぐに私を見ている。嘘ではないようだ。
「遠慮するわ」
即答で断ると、彼の目が見開かれる。意外だったようだ。
「だって触れるのも嫌な相手なのでしょう?そんな無理させられないわ。もう少し登ればすぐだもの」
「おねえちゃん、まだ山にも入ってないよ……」
フローラに突っ込まれてしまった。
「いいから、まず、これをしまえ」
と荷物を渡してくる。言う通りに仕舞うと、今度は私の片腕を引っ張り上げ彼の背に担ぎ上げていく。
彼が立ち上がると、とても高くて、思いの外気分が良くなった。
「まぁ……これ楽しいのね」
ふふ、と彼の首筋で笑うと、少しだけビクリとその背中が揺れた。
「私が背負っていた子たちはもう大きくなったのね」
背負ったことはあっても背負われたことなんてなかった。
なんとなく感慨深くなってそんなことを言ってしまったけれど、ギデオンは返事をしなかった。
人を背負い山を登るなんて大変な作業だと思うのだけど、ギデオンはすいすいと歩いていく。
中腹ほどのところで「このあたりだと思うの」と私は言った。
背中から下ろしてもらい、少しだけ歩いて結界の気配のあるあたりに近づく。
「賢者よ、あなたたちに縁の者を連れてきました。私たちを入れてくれませんか?」
それは言ってからほんのすぐだった。淡い光が輝いたかと思うと、目の前に新たな道が生まれていく。ほっとして、三人を振り返ると、彼らは驚愕するように目を見開いて見ていた。
「大丈夫よ、この先が賢者の里」
ギデオンは改めて私を背負い出した。もう少しだからと遠慮したけれど、余計に不機嫌になって担ぎあげられてしまった。
相変わらず幻想的な光景の場所ね、と思う。
光り輝く実のなる樹木が道の端に連なり、里までの一本道を明るく照らしている。その先に見えるのは、虹色に輝く小さな家屋たち。賢者の知恵の技術で生み出されているそうなのだけど、私にもよくわからない。
空高くから降り注ぐ滝のような場所に着くと、背景から浮き上がるように、老人の姿が現れた。
「ふぉふぉ、誰かと思ったらリリーではないか」
「まぁ!おじさま!」
背中から下ろしてもらい、駆け寄ると、長い白髪で小柄な、人の好さそうな笑顔の賢者に迎えられる。
昔馴染みだ。
「しかし外見がまるで違うのぉ……。なにがあったのか教えてくれるか?」
「ええ!もちろん聞いていただきたいわ。でもその前にお願いがあるの」
「なんじゃい」
「彼よ……賢者の里の者になれるでしょう?」
「そりゃまた……外から現れるのは何十年ぶりかの」
おじさまは私の後ろに視線を移すと、まっすぐにレイルを見て、考えるようにひげを撫でる。
レイルは突然の事態に狼狽えているようだ。
突然、おじさまは目を見開くようにして言った。
「マーサの子か!」
「……マーサ?」
「君の……ご両親の名前は?どこで生まれたんだい?」
「僕は孤児なので……両親のことは分かりません」
おじさまは私を振り返ったけれど、私は首を振る。私もご両親のことは知らない。
ああ、ああ、と、うわごとのようにおじさまは繰り返してから、早く里に行こう、と言った。
そこからは急展開だった。四十代ほどの夫婦が駆け付けてくるとレイルを思いきり抱き締めた。
「レイル……!!」
「ああ……私の子!」
レイルを抱き締めながら号泣している。レイルと同じ髪色をした父親と、似た顔つきをしている母親。顔をくしゃくしゃにさせて泣き崩れるその様子から、どう見ても親子の対面のように見える。
レイルは状況が呑み込めないようで、固まってされるがままになっている。
フローラがどういうこと?と私を見つめてくるけれど、私だってご両親との再会になるとは思っていなかったのだ。
……リリーには両親がいなかった。
もしも感動の再会をすることが出来たなら、こんな感じだったのかしら、とぼんやり思う。
リリーはどうやら捨てられた子のようだったから、ろくでもない両親なのだろうと思っていたけれど、レイルの親との再会は、孤児にとっては理想的なもののようにも思える。
「……分かっていたのか?」
ギデオンの低い声が響いた。感動の対面を果たしている彼らを見据えていた。
「いいえ、小さなころ賢者の素質を感じたけれど……こんなことなら連れて来ておくべきだったわ」
思えば子供を引き取ってから旅に出ていないので、賢者の里にも訪れていなかったのだ。一度来ておけば分かっただろうに。
「レイルを保護してくれて……連れて来てくれて本当にありがとう」
彼の母親と言う女性が、心からの礼の言葉を何度も何度も繰り返してくれた。
「あの子は6つの歳に攫われて、それきり探し出すことも出来なかったのです。また会えるなんて……本当にありがとうございました」
それはリリーがレイルを引き取る直前のことに思える。ならば攫ったのは、あの時リリーが討伐したあいつらだったのだろう。
「火の国の集団誘拐事件でしょうか」
「そうです……」
もう二十年前の、国を揺るがした大事件の名前を上げると、ギデオンの顔つきも険しくなる。それはそうだろう。うちの子供たちは皆あの時の被害者なのだから。
「国に保護した子供の情報を伝えてあったはずなのですけど……」
「そうね、ただ役人が名前を把握していなかったあげくに、ほとんどの子供が亡くなっている……とのことで何も情報を得られなかったわ」
酷い話だ。だからギデオンの両親もずいぶんと来るのが遅れたのか。
「リリーさん……」
レイルが私の隣にやってきて、そっと腕を引いた。アンジェリカではなく、リリーと言って。
話したいことがあるのだろうと、そっと二人で席を離れ、人目のないところに来てから言った。
「なぁに?」
「僕突然のことで、どうしたら……」
泣きそうになっているレイルの頭をそっと撫でる。
「大丈夫よ」
「……」
「リリーがあなたを愛していたように、あなたを愛している人が増えていくだけ」
「……そうでしょうか」
「そうよ。あなたはいつも考えすぎだもの。じっくり感じ取ればいいのよ」
たぶん、ね。なにせリリー自体が孤児なので、そんな気がするだけなのだ。
だけどこの子にはそんなことを言ってあげたくなってしまう。勇気を出して、と。
「さぁ、戻りましょう」
「はい」
手を引いてご両親のもとに連れて帰ると、「今夜は我が家に泊まって欲しい」と言ってくれて、その晩彼らの家にお世話になることになった。
レイルはご両親と夜遅くまで話し合っていたようだけど、私たち三人はそうそうに休ませてもらった。
私は少し寂しそうにしているフローラを抱きしめて眠った。
自分の両親を知らないのはこの子だけになってしまったのだ。思うところがあるのだろう。
どうにか探し出して上げられたらいいのだけど……そう思っているうちにフローラの寝息が聞こえて来て、私も寝てしまった。