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婚約破棄

 私は侯爵家令嬢アンジェリカ・ホルダー。

 緩やかな曲線を描く長く艶やかな黒髪に宝石のような紫の瞳が輝く。豊満な体つきに反比例するように幼さを残す少女の顔立ちは、及ぶものなどいないと言わしめるほど繊細で美しい。男たちはみな虜になるから、ほんの少し笑みを浮かべてこういえばいいのだ。「ねぇお願い」私にとって人を操ることなど容易いこと。





「アンジェリカ、お前との婚約を破棄する!」


 それは学園の卒業パーティでの出来事。

 その言葉に目を瞠ったその瞬間。

 体中に電流が走るかのような衝撃を感じた。そうしてアンジェリカでなかった時の記憶が私の中に降ってきたのだ。


 冒険者『リリー』の記憶。かつて、大陸を横断するように旅をしていた女冒険者だった。各地で冒険者ギルドの依頼を請け負い、そして、いつしか名声を得るようになっていた。世界に数人しかいないS級冒険者になったあとで、私は簡単に死んだのだ。

 ……そういえば、最後に死んだのはこの国だったわよね?

 あの頃、子供を拾ったのだ。三人。親がいなかった。彼らのために家を買いこの地で暮らしていた。

 あの子たちは今――?


「聞いているのかアンジェ!」


 激昂したのか婚約者が呼ぶ自分の愛称で意識を戻す。


「まぁ、なんでございましょう。エド様」


 エドウィン殿下を、あえて愛称で呼び返す。慣れ親しんだ、アンジェリカとしての対応が体から抜けない。前世の私なら、こんな挑発しないであろうに。

 金髪碧眼、若く美しい相貌を持つ彼は、国の第一王子……感情の高ぶりを抑えられないように、顔を赤くして私に険しい視線を投げている。そうしてその横に……男爵家のご令嬢が寄り添うように立っている。淡いピンクの髪のかわいらしい女性。名前は憶えてもいない。


「お前の数々の所業をここに告発する。この告発を持って、婚約は破棄され、卒業資格ははく奪されるだろう」

「まぁ……」


 聞いていれば、なんとも摩訶不思議な展開になっている。

 ちらりと周りを見渡せば、困惑の表情と、そして、愉快そうな視線……見世物になっているのだと分かる。


「男爵令嬢ヘレナへの、数々の暴言、他者を使い、物品破損、傷害、監禁、なにより、男どもへの数々の甘言、次期王太子妃として相応しくない」


 アンジェリカの記憶を思い返すと、割と本当にやっていることのようだった。アンジェリカ酷い女……。


「ヘレナは、我らを怯えさせる魔王を祓える唯一の聖女!ヘレナこそ、次期王太子妃にふさわしい!」

「殿下……」


 抱き合う二人を前に、さて困った……と思う。


 アンジェリカは、もともとこの男を好いていない。数々の所業も、愛ゆえではなく、婚約を破棄したかったからだろう。具体的な指示を出さずに、ただ、下部のように寄ってくる者たちにこう言ったのだ「お願い」と。そうしてありきたりな嫌がらせが行われたんだろう。


 アンジェリカのことを思えばこの上なく喜ばしい状況。汚名を被るであろうが、アンジェリカは、この目の前のピンク髪の男爵令嬢の100倍は愛で生きる女なのだ。好いた男と結婚したい。

 そんなアンジェリカの恋愛脳を差し置いても、目の前の所業は頂けないものである。


 けれど、前世を思い出した今、まるで違うことを思う。


「殿下発言をお許しください」


 丁寧に礼をし、申し出る。


「なんだ」

「私は男爵令嬢のマナーの至らなさに苦言を申し上げただけでございます。……そのほかのこと、私は何も行ってはおりません」


 直接には、ね。アンジェリカに非が浮かび上がるようなそんなヘマはしていないだろう。


「何を出鱈目を。お前なら息を吸うように行っているだろう」

「調査をお願いいたします。学園の監視、王家の影、全てを使いお調べくださいませ。そしてそれを公正に判断していただけますようお願いいたします」


 そうして私は満面の笑みを浮かべて言った。


「婚約破棄は喜んで承ります。早急な手続きをお願いいたします。ええ、出来れば本日中に」

「……っ」


 陛下は今国外に出ていらっしゃる。国の王太子の独断のこの機会、逃したらもう破棄は出来ないかもしれない。


「お前はなんなのだ……いつも話が通じん」

「私は……」


 私はかつて、自由に生きる冒険者だった。その思いがアンジェリカの中にも残っていて、だからこそ鬱屈した貴族社会に辟易していたのだろう。心が歪んでしまうほどに。


「私は、新たに冒険者として生きるもの。冒険者アンジェリカでございます」


 会場がざわつく。

 貴族社会では冒険者は職に就けなかったものの底辺の職業だとされている。実際そういう人も多いが、上級になると話が違ってくる。彼らは国の代えがたい財産と言えるほどの力を持つ。だが……貴族令嬢が冒険者になると言えばどうか。頭が花畑の少女に、辛く苦しい冒険者など勤まることなどないだろう。


「アンジェリカ、狂ったのか」

「いいえ、私は侯爵家令嬢アンジェリカ・ホルダー。生まれの責務を果たすもの。私は、ここに誓いましょう」


 会場を見渡すように笑顔を向ける。


「仲間とともに、魔王の討伐に出発することを!」


 人々が様々な声を上げる。それは困惑のざわめき。見世物にもならないほどの一線を越えた発言。


「ふざけているのか!何を馬鹿な」

「どうか、仲間と旅に出ることをお許しくださいませ」

「ああ、もう訳が分からん。勝手にしろ!!」


 そういうと殿下は踵を返して立ち去ろうとする。


 ざわめきに支配された会場の中で、私は、ゆっくりと視線を動かし『彼』を探す。

 『彼』は聖女ヘレナの護衛のためにこの会場にいるはず。

 騎士団長ギデオン・リード。齢28。逞しい体つきと裏腹に、シルバーブロンドの髪と、アイスブルーの瞳が美しい。けれどそのまなざしは冷ややかで、氷の騎士、そんな名でも呼ばれているらしい。


 『彼』は私をまっすぐに見つめていた。まるで憎しみを込めているかのように、射るように強いまなざしで。


 アンジェリカが懸想し、そして欠片も靡かなかった男。けれど、冒険者リリーを思い出した後は、ただ愛しい……私の子。


「雛鳥たちよ、時は来た。今宵止まり木で逢おうぞ!」


 そう言い放つと、彼は驚愕に目を見開く。

 ……もしかして、そう思っていたけれど……他にも二人同じような反応をしている人がいる。

 これは合言葉。私の養い子にしか通じないもの。


 私の育てた子たちは、どうやらみなこの場にいたらしい。


 ――アンジェリカ。

 あなたならどうする?

 リリーなら最短で魔王にたどり着くだろう。

 けれど、妖艶な容姿をもった、鍛えられていないこの貧弱な体をどう動かしたものか。


 嗚呼、考えるだけで面白いじゃないか。喜びでゾクゾクと震える体を両手で抱きしめる。

 また戦える。命を懸けた死闘を繰り広げられる。


 戦うこと。それは生きる喜びを感じられる唯一。

 

 さぁ、新しい人生の幕開けだ。


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