抱かれたいんデー
明日、3月14日はホワイトデーである。
誰が言い出したんだ、ホワイトデー。
何だよ、ホワイトデーって。
白人の日?
色白の日?
ていうか、うちの会社、ブラックなんだが。
ホワイトデーに先立つ日として、2月14日のバレンタインデーがある。
仕事をしている女性の中には、社内の男性社員に義理チョコを配り歩いた人もいたのではないかと思う。
チョコレートのメーカーからすれば、義理チョコだろうが何だろうがチョコが売れればそれでいいのだろうが、チョコレートの販売とは関わりの無い仕事をしている僕らにとっては、毎年この日が来るたびに、その存在意義を疑わずにはいられない。
「バレンタインデーにチョコを貰ったら、ホワイトデーにお返しをしなきゃいけない」なんて勝手に決められて、まったく大きなお世話である。
べつに欲しがってもいないものを押し付けられて、その上、さらにお返しをしなくてはならないなんて、厄介事もいいところだ。
今の若い人は知らないかもしれないが、かつてはバレンタインデーだけがあって、ホワイトデーは存在しなかった。
それがいつの頃からかホワイトデーなんて事を言い出すようになり、現在へと至っている。
お返しの日を作ればメーカーが二度儲かると考えたのかも知れないが、ホワイトデーの存在が奇妙な義理のサイクルを生み出し、バレンタインデーの本来の趣旨とその価値を著しく貶めていることに、果たして気付いているだろうか。
本気で好きな人にチョコを贈っているのにそれを義理チョコと誤解されたり、あるいは本来なら貰って嬉しいチョコレートのはずが、ホワイトデーのせいでかえってウザく思われたりするのは、チョコを贈る側にとっても迷惑でしかないはずだ。
好きな人でもないのに義理でチョコを贈り、後日、その人から義理でお返しをもらう。
こんな事をして、いったい誰が得をしてるのか。
むろん、チョコレートのメーカーには違いない。
だが、それに振り回される我々に果たしてメリットはあるのだろうか。
かつてバレンタインデーは、直接「好き」と言えない想いをチョコレートを渡すことで伝えるイベントだったように思うが、これがホワイトデーのせいで、すっかり様変わりしてしまった。
この際、ホワイトデーやバレンタインデーには見切りをつけて、初心に帰って、伝えられない気持ちをモノを渡すことで伝えるという目的に絞った新しい大人のイベントを始めてみてはどうだろう。
名付けて、『抱かれたいんデー』。
だいたい、『子供の日』はあるのに、なんで『大人の日』は無いのか。
おかしいだろ。
アダルトな雰囲気全開の『抱かれたいんデー』があってもいいじゃないか。
この日に伝えたい事はそのまんま、『あなたに抱かれたい』という気持ちである。
そもそも男から見て、女は何を考えてるのかよく分からない。
本当は抱いて欲しいのに、妙に態度がよそよそしかったり、恥ずかしがっているようにも見える。
どうすりゃいいんだ。
押せばいいのか、引けばいいのか。
寄り切りか、はたき込みか。
いや、相撲じゃねーって。
僕みたいに歳を取ると、なんかもう、そういう駆け引きがイチイチ面倒くさい。
そこで、毎月14日(毎月かよw)を『抱かれたいんデー』にして、この日に例えば何かマスコットを贈ると、それは贈った人に今日抱かれたいという意味だということにしてしまう。
好きだとか、付き合うとか、そんなのどうでもいい。
とにかく今日抱かれたい相手にマスコットを渡す。
カッコいい男を見て、「付き合う事までは望まないから、せめて一度あなたに抱かれてみたい」と思う女性は多いんじゃなかろうか。
でも恥ずかしくて直接的には言えない。
そんな時こそ、『抱かれたいんデー』。
マスコットさえ手渡せば、何も話す必要はない。
(マスコットはUFOキャッチャーで取れるショボいヤツで構わない)
さらに『抱かれたいんデー』の一環として、この日に限り、不倫は不倫と認めない事にする。
まぁ、そうするとある意味、『不倫デー』という事になってしまうのだが、せめて月に一度くらいは不倫してもOK、くらいにしておかないと、人生息苦しくて仕方がない。
大人はもっと大っぴらに性欲を楽しんでもいいんじゃなかろうか。
もちろん、自己責任で。
いちおう断っておくと、『抱かれたいんデー』は「不倫をしてもいい日」ではなく、「不倫をする事ができる日」である。
不倫をしてもいいよ、なんて言うつもりはない。
不倫なんてしない方がいいに決まっている。
ただ、この日は『不倫をしても法律では裁けない』というだけの日である。
不倫をするしないの善悪の判断が、法律ではなく個人に委ねられるだけだ。
たとえ法律が裁かなくても、不倫をした人の良心が自分自身を裁くであろう。
あるいは恋人や家族や友人が、自ずと不倫をした人を裁くであろう。
ともかく、この日に限って不倫は不倫ではなくなる。
本気で抱かれたい人に抱かれるためには、不倫を許容するくらいの寛容的な仕組みが不可欠だ。
義理とかお返しとか関係なく、ただ抱かれたい人に抱かれる日。
面倒な話は抜きにして、人として極めて正直かつ真っ当な理由で誰かに抱かれるための日である。
モノは試し。
さっそく『抱かれたいんデー』を法律に組み込んで、来月から施行してみよう。
「そんな事をしたら、その日は不倫するカップルで街がいっぱいになるんじゃないか」と心配する人がいるかも知れない。
でも、本当にそうだろうか。
さっきも書いたが、不倫をするしないは各自の判断である。
僕は、仮に『抱かれたいんデー』を施行したとしても、不倫するカップルで街が溢れかえるほど多くの人が不倫をするとは思えない。世の中は、それほどまでに自制心の無い人で溢れているとは思えないからだ。
各自がうまいこと自制するものと思っている。
反対に、この日は不倫に対する警戒心が最大になり、夫婦やカップルたちは、かえってお互いを監視するようになるのではないか。
「悪ぃ。今日は仕事で帰りが遅くなるから」
「そんなこと言って、あなた不倫するつもりでしょ」
「ま、まさかそんなわけ無いだろ」
「アタシ信用できないわ。悪いけど今日は会社を休んでちょうだい」
「バカ言え。それでなくても仕事が溜まってるのに、休めるはずないだろ」
「とにかく、今日はアタシとずっと一緒にいてちょうだい。会社にはアタシから連絡しとくから」
なーんて、もしかすると既婚のサラリーマンは、たとえ仕事でも家から出させてもらえないかも知れない。
「ちょっと私、買い物してくるわね」
「ダメだよ、一人で外出しちゃ」
「何言ってんのよ。ただ買い物に行くだけよ。すぐに帰ってくるから」
「買い物なんか明日でいいだろ。とにかく今日は一人で外出するのは許さないからな」
などと男も疑心暗鬼になって、これじゃあ女性も一人でおいそれとは外出できない。
「だったら今日はお互いずっと家にいよう」なんて事になって、実質的には休日みたいになったりなんかして、案外、有給休暇の消化に一役買うかも知れない。
実際、『抱かれたいんデー」が施行されたら、その日はみんなどうやって過ごすのだろうか。
ドキドキするのか、ワクワクするのか、それともヒヤヒヤするのか。
興味は尽きないが、まぁでも現実には、こんな法律が施行されることはあり得ない。
所詮は、しょーもない空想上のアダルト・ファンタジーだ。
読んで頂き、ありがとうございました。