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Epilogue. [答え合わせ]



 ――考察は、柔らかく響く地鳴りと共に。



「……、……」



 数十年社会で生きてきた成果の一つとして、俺はこの車を得た。

 車という文化に特別な趣味を覚える人生ではなかったが、コイツと付き合い始めて数年、不思議と愛着ってのはすんなり板に付くものである。


 まず、動作が静かでいい。

 娘を迎えに行くときなんかは、勉強か部活かで疲れたアイツをこの車は静かに休ませてやってくれた。それは今日も同様で、俺の用事ですっかり疲れて寝落ちしてしまった家内を、この車は邪魔せずそっと運んでくれる。


 柔らかい地響き。タイヤがコンクリ舗装を行く音は、ホワイトノイズのように耳の奥に浸透する。

 だから、考察が捗るのだ。


 結論から言おう。

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「……………………………………………………………………………。」



 青春時代、俺はエロかった。

 学校でエロ本を買うためにバイトしてたやつなんて俺くらいだった。当然バイト代でエロ本を買っている奴なら幾らでもいるだろうがそれでは順序が逆だ。俺は、エロ本を買うためにバイトをしていたのだ。


 それがガキの俺で、それから幾星霜。

 結婚して子供も出来たおかげで丸みを帯びた俺のデザートイーグルは磨く必要を失い、その果て俺は青春の遺物の存在ごと記憶から消していた。実家に戻る機会も少なくて、思い出すことなんて本当になかった。


 だけど、考えてみたら俺の両親は違う。俺の血と汗と涙とあと一つの体液が染み込んだ特急呪物をずっと隣人としてあの家で生きてきたんだ。頭がおかしくなってもおかしくない。俺ならなる。もし娘の部屋から何かしらのそういうふんふふんが出てきたら発狂する。そしてもしかしたら娘を問いただすかもしれない。分かってるんだぜ悪手だってのは。それだけで反抗期が10年延びるクソ手だってのは分かってるんだけど無理だよ。お父さん限界を迎えてしまうんだよ。そういうもんなんだよパパって。


 で、だ。

 問題はそれがカネに代わっていたことと、お袋の字で一筆したためられていたこと。その感情たるや察するに余りある。言葉を選びに選んだ結果主語がなかったもんな。でもだってそうだよな70とか80になって肉筆でエロ本なんて書きたくねぇもんな。ばっちいもん。


 いや、まあそれは良いんだ。問題は少なくとも母さんにはアレを見られたという事実。いや待て問題はもう一つあるぞ。母ちゃんあの本売ったんだよな。待ってくれ泣きそうだ母さんのちっちゃい背中でアレをブックオフかゲオに持っていく姿想像したらもう駄目だ涙で前が見えねえ運転中なのに。よしオーケー父さんだ。父さんが存命だった時に売ったことにしよう。同性だから幾分マシだどっちにしろ最悪だけどな!!!


 まあ、それももういいとも出来る。

 マジでこの慣用句を肉親に使うことになるとは思わなかったんだが死人に口なしだ。あの二人がいくら天国から地表にアピールしても俺のエロコレクションに98,000円ちょいの換金性があったなんて話は届かない。だからこれも問題じゃないコトに無理やりできる。


 だから、真の問題は最後の一つ。

 うちの家内が、……あれを見て、どう思ったか。




「……、……」




 あの手紙には主語がなかった。だからすっと読んでサクッと意味が分かるものでもないともいえる。

 それにそもそも、あの封筒にこいつは気付いてない風だった。あの様子を素直に信じても別にいい。だけど、空っぽのクローゼットのど真ん中にたった一つ置いてある封筒が気にならないわけないよな? あと、あの元俺の部屋なんだが、微かにタバコの匂いしたんだよな。


 コイツがな、隠れて吸ってるんだパーラメントの1mmを。それ自体は別に良いんだよ。昔俺がタバコをやめるやめないで大ゲンカしたんで自分も吸いたいとは言いづらかったんだと思ったらいじらしくて可愛いもんじゃない。ただね、コイツがタバコを吸うときってのは基本的に心が非常に動揺した時なんだ。


 例えばうちの娘の受験前夜ね。あと娘のカバンから男物の靴下が出てきた時も吸ってた。あの時は俺も吸った。同じ屋根の下で別の部屋でな。何やってるんだろうって思ったよ俺の家族全員。いやこれはあんまり関係なくて、とにかくこいつは情緒がやばいときにタバコを吸うんだよ。で、さっきも吸ってたんだ。


 じゃあ見てるんじゃねぇか? そして察してねぇかな。

 そうだよな絶対やだよな数十年添い遂げてきた夫が実家に現代価格にして10万円弱ものエロ本抱え込んでたって知ったら100年の恋も冷めるよな。なるほどこれがカエル化現象かオーケー離婚切り出される前に誰か俺を殺してくれ。



「いや、まだだ。死ぬのはまだ……」


「うぅん、なに……?」



 声に出てた!? やべぇどこから出てた!?



「なにィ……? 娘のカバンから男物のむにゃむにゃ」



 いや、セーフか。

 でもこれ悪夢見てるな……。起こした方がいいのか?



「(……、……)」



 と、そんなインシデントがむしろ俺を冷静にしてくれた。

 イカンイカン。運転中に死を身近に感じちゃ絶対だめだ。素数を数えてみるか。駄目だ3から先が分かんねえやっぱまだ冷静じゃねえや。


 問題は、そう。問題は。

 この愛すべき隣人が、何をどこまで知っているのか。


 嗚呼。一生添い遂げると固く誓ったこいつを、俺はまさしく『隣人』のように感じている。車の座席同士程度の距離があまりにも遠い。隣人とは、他人である。他人の考えていることは当然分からない。分からないから、そこには推理が必要になる。


 推理材料は、煙草の匂い。あの時の様子。封筒に開けられた形跡は? あとは……、




「(あっ!!!!!!!!)」




 あと一つ、俺は思いつく。

 昼間の、そう。娘からのラインである。


 アレは、もしかしてアレって言うのは――、




「(コイツ!? 娘に相談しやがった可能性がある!!!!!!!)」




 ぎゃりぎゃりとタイヤがコンクリを咬む。それと共に家内が隣で身じろぎをする。

 焦るが、俺が思ったほどの衝撃ではなかったらしい。家内はそのまま寝落ち継続だ。しかし、


 ……マズい。例えば、コイツが娘に事のあらましを伝えてお父さんのお財布に10万弱が入ってるのも言っちゃったとしたら辻褄が合う。でもだけどそしたら、そしたら下手すると反抗期ぶり返すぞ! 俺だったらぶり返すし! ダメだいやだようやく娘とこの間一緒にお酒飲んだんだぞお父さん死ぬまでにもう一回飲みたいよ! ホントは毎晩zoom繋げてオンライン飲み会してぇくらいなんだぞ!!


 いや。

 ……待てよ? でも、普通に考えたらパパがエロ本を10万円弱も持っていたことを娘に話すか? 話さないよな?

 なるほど、今までの俺は冷静じゃなかった。コイツのことを、もっと信じてやるべきだった。いやしかしでもだったらどうして娘は俺に連絡をよこしたんだ、あのタイミングに。


 ああ、やっぱり辻褄は合うんだ。あの時間、俺はちょうど外出をしていた。家内は一人で家にいて、あの封筒を見つけて娘に連絡するとしたらあのタイミングしかないんだ。ああ、わからない。何がどうなってるのか何もわからない!!




「…………いや、――そう、か」




 ひとつだけある。

 この推理の答え合わせをする方法が一つだけ。


 要は、家内がアレをエロ本の代金だと理解できるか否かだ。

 男なら、親がアンタッチャブルっぽく用意した何かがあれば即座にエロ案件だと気が付く。男の部屋には必ずエロ本かエロタブレットがあるからだ。だけど女は、そうじゃないんだとしたら?


 要は、そう。『男の文化』への理解度だ。

 コイツがどれだけ、そういう思春期のエロを知っているのか。


 それを、……図るためには!




「なぁ」


「うぅん……?」




 ふわふわとした声。

 起こしてしまうのは忍びないが、もうすぐ夕飯の時間だ。メシをどこで済ますかの相談を兼ねるとすれば問題ないだろう。


 さて、時刻を確認したアンナは深くシートに座り直したが、まだ()()()()している。

 今がチャンスだ。コイツが夢見心地だからこそ引き出せる真実を、俺は必ず引き出して見せる!



「俺、小説家になってみようと思うんだ」


「……これはまだ夢?」


「夢だよ」



 これはむしろ都合が良い。

 あと、いきなり荒唐無稽な事を言い出す夫を見て現実か疑う程度には信頼されてるもの嬉しいしな。



「物語は、――そう」



 それから俺は、頭を介さず口から出てくる物語を、彼女に紡いで聞かせた。

 ありがたいことに、イマジネーションの源泉は用意できている。そう。あのエロ本の山だ。


 俺は、ふと思う。あの頃の青春を。

 確かに今は不要なモノだけど、それでもあの当時の俺にとっては何物にも代えがたい財産だった。それを売り払われたとすれば、どうだろう?


 いや、……売ってくれてありがとうと、今なら言える。

 親愛なる俺の両親にエロ本を売ってくれてありがとうと! なにせ俺の親がまともに身辺を整理してくれてたおかげで、今の俺は首の皮一枚で繋がってるのだから!!



 ――嗚呼。この物語の主人公は、売られた恨みを持って家族と世界に復讐をするだろう。

 所々は思いつかず、流暢にとはまるで言えない。ワードに文章を打ち込んでは消してを繰り返して、過去の設定とドッキングしてみて、そうしてようやく出来上がるような不細工なストーリーを俺は語り、語り、――語って、




「でな、その主人公の名前をカイラ・クーテンにしようと思うんだけど、どう思う?」


「なに……? 快〇天……?」




 ――あ、こいつ快〇天知ってんのね。

 じゃあ終わったわ。









 今回のお話のオチ


 鏑木進は自暴自棄になり、奥さんを乗せたまま娘の住む関東某所まで車を走らせて家族団らんで焼肉に行きましたとさ。おしまい。



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― 新着の感想 ―
[良い点] まったく予想外のオチでした。 てっきり封筒にはもっとたくさんのお札があり、誰かが何枚かぬきとって『勝手に手をつけてごめんなさい』と書いたのだと思ってました。
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