[問]
――考察は、柔らかく響く地鳴りと共に。
◆◆◆◆
長く来訪者の途絶えていた地下牢に、かちゃりと小さな金属音。
扉に鍵を差し込む音だろう。それが、階上から聞こえた。
細い階段を反射するように降りてきて、その音は地下牢に響く。
かがり火の一つもない部屋だけれど、こうも地べたが冷たくては横になって眠ることも難しい。
だから、私は時間が過ぎていくのを瞬きもせずに待っていた。
「……。」
家族の笑顔を、脳裏に描いた。
その顔はわざとらしく目元が黒塗りになっていて、口元だけがニタリとしている。
私の手を引いて釣りに連れて行ってくれたお父さん。私の頬についた小麦粉を拭って、クッキーの作り方を教えてくれたお母さん。その記憶は鮮明だけど、今や疑問でもある。
そんなに優しい両親が、私に本当にいたか? と。
私、――私ことカイラ・クーテンが両親に売られて、幾日経った頃だろうか。
私は今日を以って『在庫』ではなくなるらしい。
◆◆◆◆
ヒトの消えた家屋の寂寥感と言うのは、春の日和にも中和できるものではないらしい。
カーテンを開けると、埃が光の粒子に代わる。
窓を開けると、光は景気よく踊り出す。
「……、」
階下で、「アンナ」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
返事をすると、その人物(初老男性らしい皺枯れた声だ)はそのままの声量で私に用事を告げる。
昼食を買ってくるらしい。何か食べたいものはあるか、と。
特に思いつかなかった私は、「ない」とだけ返す。すぐに、扉が閉まる声が聞こえた。
「(……歩きで行って来るんだ)」
まだ埃が舞う室内を眺めながら、私はうなじにそんなことを思う。
この街は、彼の半生を過ごした場所だ。それに久しぶりに帰ってきたのだから、歩きたくなるのは良く分かる。思えば私も、自分の故郷にはしばらく帰っていない。
道の様相は、どれだけ変わっているだろう。馬車が走っていてもおかしくないような片田舎がふと恋しい。その心象と比較すると、そこの窓から見える景色は少しばかり都会的すぎる。
……と言うのは、今は仕舞っておこう。
すべきことはまだ幾つもある。その一つが、
――これだ。
「……、……」
空っぽの棚。卓上灯だけが無機質に置かれた一人用の机。
椅子の上にちょこんと乗ったフワフワのクッション。綺麗にメイクされたまま埃を被ったベッド。
名探偵じゃなくても、この部屋が『来訪者』を待望したまま放っておかれたモノだとすぐに分かる。
それ自体にも妙な感慨はあるけれど、本題はそこじゃない。
この部屋には、両開きのクローゼットがある。
その中もまた、そこの棚や机の上と同様に『基本的』には空っぽだった。
そう、『基本的には』だ。
一つだけ、クローゼットの中には痕跡があった。
「……、」
それは、『封筒』だった。
目を閉じて最初に思いつくアレと相違ない。ありふれた封筒である。
これを私は、この部屋の主に内緒で既に開けて確認してしまっている。
中には、まずは結構なお金。
一般的な最初のお給料の大体半分くらいのお金が入っていた。
そして、一緒に入っていたのが『手紙』だ。曰く、
『勝手に手をつけてごめんなさい
でも、あなたはこちらに感謝すべきでもあると思います』
……とのこと。
細い達筆にて残されたこの二行が、私の作業の手を止めて久しい。
「(………………。???)」
気になったままで捨て置くには、この金額は不穏過ぎる。
しかし、ずけずけと真実を確認しに行くにも手紙の内容が不穏過ぎる。
……幸い、この手紙の宛てられた先だろう部屋主は現在不在である。
答え合わせを求める前に、多少なりこの封筒の正体を考えてみるのはアリだと思う。
しかし、そこまでは良いが問題はこの先だ。
この金額がクローゼットの中に放置されてるのは何だ? この手紙にもなんだか文章的な違和感があるのだけど、その違和感の出所が曖昧だ。
◆◆◆◆
クーテン家は、商いによって成り上がり地位を授与された貴族である。
しかし、
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現在では、
しかし現在では、数代にわたる当主の放蕩により落ちぶれて、現当主は過日の栄光を切り売りすることで貴族としての生活水準を何とか維持している状況だ。
カイラは、その『クーテン家の栄光の末代』とでも呼ぶべき男と、妊娠と共に娶られた高級娼婦の間に生まれた一人娘である。
クーテン家は、商いによって成り上がり地位を授与された貴族である。
しかし現在では、数代にわたる当主の放蕩により落ちぶれて、現当主は過日の栄光を切り売りすることで貴族としての生活水準を何とか維持している状況だ。カイラは、その『栄光の末代』とでも呼ぶべき男と、妊娠と共に娶られた高級娼婦の間に生まれた一人娘である。
◆◆◆◆
「はい。もしもしどなた?」
そう言って少女は、目前にてサンドイッチをつまむ友人に手刀とウィンクで謝意を告げた。
場所は、とあるカフェの外席。春らしい活気が目前を往来する休日風景である。
「あぁ、はいはい。ごめんね画面見てなかったから。どうしたの?」
「うん? まぁ、友達といるけど……」
少女は一瞥、友人の方を確認した。
……ありがたいことに、友人はのほほんとした春らしい虚無の顔をしている。これならあと五時間は放っておいても気にしないだろう。
「うん。うん。……封筒? の中にお金と手紙???」
「どこにあったの? へぇ? 中身は? ……へぇ」
と、
……少女はそこで、苦虫を嚙み潰したように瞑目して、
「私はパス。言えることが、何もない」
そう言って、通話を終了した。
/break..
私はスマートフォンを仕舞って、春日向の窓に向けて溜息を一つ吐いた。
……まず、状況を整理してみよう。
部屋は、家の主によって綺麗に整頓されている。棚や机上にモノがないのは、部屋の主がもうここに住んでいないのだから当然のことである。
そんな、清潔にされたまま時だけを蓄積していった部屋のクローゼットにあったのが、先の封筒だ。
中には手紙と結構なお金。
状況素材は、これだけだ。
これで何か分かる? 分かんないよね……。
「……、……」
実のところ、私には一人心強い相談相手がいる。
彼女は、最近上京したばかりとは思えないような吸収速度で社会というモノを学びつつある。一度、彼女と(遂に!)一緒にお酒を飲んだときなんかは、私も気分が良くなってしまって友人みたいにフランクに話をしたものだ。
その際に彼女は、電子マネーの便利さとかサブスクリプションが如何に多種多様なのかとか、私みたいなモノにはもう努力しないと学べないような新しい常識をたくさん持ち帰ってくれた。彼女はもう、一人前に生きて自分らしさを自分で選べる大人になっていた。
だから、私も素直に彼女にいろんなことを聞けるのだ。彼女の頭の柔らかさなんかは、もう私には真似できない水準ですらあって、それがまた誇らしいゆえに。
……だけど、今回はダメらしい。
友達と一緒にいるらしくて、せっかく電話したのに近況の一つも聞けなかったのは実に残念だ。
「……、」
そして、ふと違和感。
今回はダメらしい、というのは本当に?
電話口での会話は奇妙だった。
アレはなんだか、分からないんじゃなくて、分かってしまったみたいな表現だったような?
「……、」
仮に、分かってしまった方だったとしよう。
だったら状況は変わる。
この問題は、視点が違えば既に整理した情報だけで答えに辿りつけるように出来ているのかもしれない。