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旭日の超大国  作者: 反共主義者
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大和三重皇国 日本三重皇国(大和=ローマ=ブリタニカ三重皇国)

1830年にイギリスが史実と違い早く清と戦争を開始したため日本それが伝わり幕府が危機感を感じたため開国決意。イギリスなどの列強にうまい具合に外交で勝利でき不平等条約をギリギリ回避できたが輸入した商品が日本製より良かったため尊王攘夷をはじめる人が現れ、結果、幕府は大政奉還し明治政府は平和的に国を作れた。その後、1874年ロシア帝国と大和皇国はなんやかんや民衆同士仲が良く国同士でも仲がよかったため民衆のひとりが「このままなら日露同盟とかいけるんじゃ」と言ったためその思想が広がり大和やロシアでそのような思想をもった議員が現れ結果国民投票が行われロシアと日本どちらも賛成70%以上で、日露統一条約つまり大和=ローマ二重皇国ができた。ロシアがなぜローマと名乗るかはロマノフ家が自分はローマの子孫とかいいはじめた結果である。当時、ロシアは陸軍で最強であり、大和はなぜか平気で変な建物を建てたり(現代風)変な兵器を沢山持っていたりと意味の分からないため大和は化け物扱いされてた。イギリスでは日露統一を聞いたとき「はぁぁぁーーーーーー?!」と軍事に詳しい偉い人や一部の議員は発狂したり神に何かを祈り始める人が出てきた。フランスはこれをある意味喜んでいた。そのあと、1908年、イギリスと大和二重皇国は海上で起きた問題で互いに譲れないプライドにより戦争を決意。日英戦争が勃発、結果大和側が圧勝し植民地は独立か自治領としイギリスも併合、ロシアより戦後やや低い立ち位置の自治領としてスタートした。

現代では、世界の超大国として史実のアメリカみたいに警察役を担った。


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