ムーラ帝国その7
「アール皇帝陛下、空を飛びます。恐ければ目を閉じてくださいね」
「女王エマ、朕は怖くありません」と言ったものの目を固くつぶっているのが可愛い。
アール皇帝陛下と寝台を乗せたフローティングボードを光のロープでヴァッサに固定して、私は空に飛び立った。念のためドラちゃんを、私たちの進路を妨害する者が現れないように、私たちの周囲を飛んでもらった。
地上は大騒ぎになっているようだけど急患なので勘弁してほしい。
アール皇帝陛下はマジマジとドラちゃんを眺めて「凄い」とつぶやいていた。
アカデメイアに到着したものの、皇帝陛下の父上の寝台は大き過ぎてクルト診療所には入らない。仕方ないので皇帝陛下の父上だけ病室にフローティングボードで運び入れて、寝台は大家さんに預かってもらった。大家さんが「リビングがなくなったわ」と嘆いていた。
クルトさんもウンザリした表情で「今度は何なの?」と尋ねてくれたので私は即座に「診察をお願いします」と言ってみた。
クルト診療所は午後から休診になった。
クルトさんが「父上」に「胸を取った方が再発の可能性は少ないですが、残すことも可能です」と説明していた。
「父上」の答えは「残してほしい」だった。
「クルトさん、ゆきちゃんは戻ってますか?」
「今、シャワーをしているよ。フェンちゃんが汚れたからって」
「あのフェンちゃんって伝説の魔獣フェンリルそっくりなんだけど。そんなことはあり得ないよね。最近色々なことがあり過ぎて僕は疲れていると思う。急患の手術はエマさんにお願いするよ。僕はサポートね」
「私に乳がんの手術ってできるかなあ。緊張します」
ゆきちゃんがシャワー室から出てきた。「ゆきちゃん、私が執刀します」
「私、全力でサポートします」と言ってくれて少しホッとした。
「ゆきちゃん、フェンちゃんは手術室には入れないよ」
「フェンちゃんは手術室の警備にあたります。アール君の護衛を兼ねてです」
手術室には、私、クルトさんにゆきちゃん、そして患者さんの四人だけ。皇帝陛下は中に入りたがったけど、外に待ってもらった。トラウマを作っても仕方ないから。
患者さんは麻酔が効いて眠っている。私は患者さんの脇からメスを入れた。シコリの大きさは五センチ程度。少しズルをして精霊さんたちに患者さんの体の中を巡ってもらった。他にガンはなかった。
ゆきちゃんが私の汗を拭ってくれた。クルトさんは患者さんの脈拍を見ていてくれている。出血も最小限に抑えられている。問題は私の集中力だけだ。もし取り残したら間違いなく再発する。
シコリの摘出終了。クルトさんに見てもらった。合格って言ってもらえた。家庭医志望の私に乳がんの摘出手術は荷が重い。戦場で取れた腕とか足を縫ってる方が気が楽かもしれない。縫合はゆきちゃんがしてくれた。疲れた。
「エマさんにはこれからは乳がんの手術をお願いしますね」
「それは大変ですね」メスと風刃で患部を切った。私は非力なのでメスだけでは、患部が上手く切除できなかった。まだ十二歳だから仕方ない。
今回の手術は精霊さんたちに頑張ってもらったからなんとかなっただけ。医者ってこんなに怖い仕事だとは思ってもみなかった。
患者さんを病室に移した。皇帝陛下はまさかこんなことになるとは思ってもみなかったみたい。ただわからないのは、あれだけ文明が発達しているムーラ帝国でどうして手術をしなかったのだろうか?
わからないことが多いけど、今は休みたい。
「女王エマ、父上は大丈夫なのか?」
「大丈夫です。シコリは全部取りましたから」
「なぜ誰も父上のシコリについて気付かなかったのか?」
「王族の体を刃物で切ることができないのは、ユータリアではよくあります。王族には手術はせずに、お薬だけで済ませることが多いです」
「治らないのがわかっていて、薬で誤魔化すなんて理屈に合わない。治せる方法があるのならそれをしないといけないと朕は思う」
「アール皇帝陛下、お願いがございます。ここはムーラ帝国ではなく、ユータリアでございます。陛下を護衛する近衛もおりません。「お父上」を警護する者もおりません。どうか私とおっしゃってください。皇帝陛下だと気付かれるとよからぬことが起こります」
「私のことは良いから女王エマ、「父上」の護衛だけでもつけてほしい」
「承知しました」
「ゆきちゃん、フェンちゃんを私の患者さんの護衛につけて、お願い」
「了解です。フェンちゃん、エマさんの患者さんを守ってね」
「クン!」
「フェンちゃんも了解しました」
「隣の病室の前がうるさいですね。ちょっと注意してきます
「ダンとヤン、ここは病室の前なの、何を騒いでるの」




