第7話 奇跡の草には旅をさせろ
「じゃあ今日は藤田さん県庁にいってるんですか」
「ああそうだ」
自分があの傷薬を会社へ持ち込んで以来ドタバタしていた社内が少し落ち着いたので、何らかの結論が出たのだろうと、古賀は恐る恐る若林へ聞いてみると、若林は幾分スッキリした様子でそう言った。
「君に伝えるのが遅れてすまなかったね。室長と主任は、今日は保健所に出張だ、そこで市と県の担当者と会議予定する予定になっている」
「……いや、なんだか済みませんでした、余計な仕事増やしちゃって」
「ははは、まぁここの所忙しかったのは事実だけどね、けどこれは古賀さんのミスってわけじゃないよ。役所の方でも噂は流れてたみたいでね、ようやく現物が手に入ったってよろこんでたってよ」
「お役に立てた? なら光栄ですが……」
「まぁ、会議が終わってどんな風になるかは想像がつくけどね……。まぁ、どこよりも早く第一報を届けられたのはお手柄だよ。それが凶事ならなおさらね」
「……やっぱり、凶事なんですよね」
「あぁ、凶事と言うのは言い過ぎだった。だが、とても難しい案件と言うことは確かだ」
若林の言葉に古賀は無言でうなずいた。
「もしもあの薬の分析が成功し製品化できたとしたら、それこそ地球規模での医療の大革命だ。だがその為に超えるべきハードルは正に異次元レベルと来ている。宝の山を目の前にしながら、現代の常識の通じないトラップが山の如し……しんどいだろうねぇ」
ごめんなさいと、古賀は藤田に心の中で謝る。こんど飲み会があったら精一杯お酌をしよう、そんな益体も無い事を考えながら。
「あぁ、大事なことを1つ忘れてた」
「はい? なんですか?」
「あの薬を売っていた人、薬事法がらみで警察が捜査するかもしれないから、古賀さんにも話を聞きにくることになるかもって」
「ひょぇ!」
警察の名前に奇妙な声を上げてしまった古賀を、隣にいた彩がけらけらと笑いかける。
「大丈夫よ恵子ちゃん。貴方に後ろめたいことは無いんだから」
「そっそれはそうですが」
彩とは違い、自分は立派な小市民だ、警察の聞き取り調査と言われてどっしり構えられるほど神経は太くはない。古賀はそう思いつつ、しくしくと痛む胃にそっと手を当てた。
★
『中間報告です』と響から渡された資料には例の男、蓮屋の詳細なデータが記されていた。
だが重要なのは蓮屋の過去ではない、奴が今何をやっているかだ。いや極論すればそれすら些細な情報、我々が求めているのは例の植物のありかだった。
「それで、響さん、例の植物については何か分かりましたか?」
「いえ残念ながら」
そう言って響は口を濁す。だがそれは無理も無い話だ、此の世に存在しない筈の植物、それも顕微鏡サイズに細分化されたモノを頼りに、それの正体を探るのは。
「では、やはり蓮屋なる男の足取りを探るのが近道と言う所でしょうか」
「はい、僕もそう判断し、彼についてより詳細な調査を始めました」
響は机に目を落としたままそう話を続ける。
「幸いな事に、貴社から渡された事前情報のおかげで調査はスムーズに行きました」
響はそう言って資料をめくる。
「此処です、僕の伝手で色々と探った所、彼は園山組の関連組織と行動を共にしている様です」
広域指定暴力団園山組。日本で、否、世界でも有数な非合法暴力組織だ。法改正以前には表の組織に広く影響を与えていたが、改正後の現在では深い所で影響を与えている組織だ。
「響さん。つまりは、例の植物は暴力団が出所だと?」
「断定はできません。いやむしろ彼が園山組に売り込んだ可能性の方が高いと思われます」
響は資料を捲りながらそう説明をした。
蓮屋が見つけた? 奴は一山いくらのごくつぶしだ、それがあんな摩訶不思議な植物を見つけ出した?
立花は、悪魔のような偶然に眉をしかめる。
現在乾化成では総力を挙げて、例の植物についての分析を進めている。だが結果は芳しくない、ありとあらゆることが規格外、調査不能の未知なる植物だ。
どこかで偶々新種の植物を見つけ出した、話にすればそれだけの話だが、その影響力は単純なものでは無い。世界の常識を変えるもの、大げさに言えば人類の転機となるべき品物だ。
この件に関しては薬事法を盾にして県警も動いていると言う話が聞こえて来る。単純に足取りを追うのなら人海戦術に勝るものは無い。
幾ら百戦錬磨の響真治とは言え、数の暴力には屈するだろう。
タイムアップになる前に、いっそのこと園山組に殴り込んで、蓮屋の身柄をさらってきてしまえばいいのに。
立花は無責任にもそんな事を考えてしまうが、幾ら著名な名探偵とは言え、そんな事をしていれば命がいくらあっても足りないだろう。
とは言えそれは立花も同じこと、本社からは毎日の様に矢のような催促が送られてくる。このままでは彼の地位が取られかねない。
「蓮屋がどこで例の植物を入手したか、その糸口はつかめないのですか」
立花は何度も繰り返したセリフを口に乗せる。
「申し訳ございません、現在調査中です」
響の応えもまた、何度も聞いたセリフだった。
★
「おう、長旅お疲れさん」
「「「「お疲れ様です社長」」」」
速水たちは住み慣れた北九州市から離れ離れて長崎のとある小島までやって来ていた。
目の前にあるのは飾りっ気のない四角い建物、一見すれば何処にでもある普通の工場という所だ。
ここを早乙女たちへ手配した若頭補佐である郷田は、彼らたち一行を案内する。
ここは以前、木材加工工場だったという話だ。だがそれは表向きの話、裏……と言うかこの工場には地下があるのだ。
以前本家へちょっかい出してきたとある組をつぶした時、ついでに接収したのはいいが、原材料の仕入れルートも潰れた事などから塩漬け状態になっていたのがこの工場だ。それを改修して上では工場再開、下は例の薬草の加工場と言うわけだ。
加工場とは言っても今のところはその前段階の実験場といった感じである。あの奇妙な世界で育ってたものが全うな世界でちゃんと育つのか試行錯誤するための施設らしい。
こうして島流しの憂き目にあった速水たちだったが、彼らのシノギは基本的に大して変わらない。電話をかけて親子のきずなを確かめる仕事や、スポーツ観戦をよりエキサイティングにする仕事だ。
とは言え、この狭い島内で営業するわけにもいかないので、島外に営業電話をかけるのが彼らの仕事。集金は例の若頭補佐の所に任せると言うことになった。結局早乙女金融が若頭補佐の所に吸収合併されたようなものである。
さらに、若頭補佐の所から経理・事務・研究に人員が回されたので、ダブついた人間は交代で上の工場で周囲へのアリバイ作りに適当に機械を動かす仕事が追加された。
特に速水は集金業務が主だったので木くず紛れになる時間が多くなった。もちろん蓮屋は地下に缶詰だった。
★
「えっ、指名手配ですか!?」
「えぁ、場合によってはそう言う方向に進みかもしれません。と言うわけで、ほとぼりが冷めるまでの間、蓮屋さんには地下で薬草の育成についての実験に専念していただきます」
郷田は、蓮屋に対して穏やかな口調でそう説明した。
表裏問わず、大小様々な組織が蓮屋の身柄を探しており、早乙女金融にも聞き込みが入ったそうだ。まぁ後任の社長は蓮屋が借金を完済しているとしか知らされていないので、その後の探りようなど入れようが無い。
「我々は、貴方の才能を高く評価しています。この薬草の生育条件が解明され大量生産が可能となれば、その影響は裏社会だけではとても抑えられないでしょう。貴方が人類の救世者として後世に名を残すことも夢ではないでしょう」
郷田はそう言ってにこやかな笑みを浮かべる。
蓮屋はようやく自分の事を正当に評価してくれる人物に出会えた事実に、今までの貧乏くじだらけの人生を振り返り心が震えた。
その後ふたりは、今後の打ち合わせをした。
郷田が望むことは薬草が生えていた黄金空間をこの地下実験室で再現すると言うことだ。
それならば望むことだ、蓮屋は自信満々に笑みを浮かべた。
彼が生まれ変わった場所、今では自分の故郷と言えるあの聖なる世界をこの地に再臨させる。その為の物資は可能な限り融通してくれるという。
蓮屋は郷田と熱く握手を交わした。




