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第4話 三社三様

 工業団地の一角にある小さな会社、古ぼけた看板には(とどろき)製薬会社と書いてある。製薬会社とは名乗っているが、近年では主に効果のあやふやな健康食品を取り扱っている、よくある地方の弱小企業だ。


「課長課長、若林課長! なんか凄いの見つけちゃいましたー!」


 出社早々、狭い事務所に甲高い声を響かせてドタバタと若林の元へと駆け寄ってきたのは入社3年目の古賀(こが)だった。

 私が3年目の時はどうだったろうか、もうぼんやりして思い出せないが、いやまぁ元々彼女とはもって生まれたキャラが違う、比較しても詮無きことだ。若林はそう思いつつ融和な笑みを浮かべた。


「おはよう古賀さん。今日も元気で何よりだ」

「おはようございます課長! とにかくこれを見てください!」


 そう言って古賀が若林の机に置いたのは、緑の液体の入った小瓶だった。


「これは?」


 沈殿した緑の繊維状の物体。パッと見にはこれでもかと雑に淹れた緑茶か、夏の日差しに放置された水槽の水か何かにしか見えない。

 粘性はそれほどでもなく、振って見るとちゃぷちゃぷと水面が揺れた。


「それがですねー、すごいんですよ!」


 古賀はカバンからスマートフォンを取り出し操作し始めた。そして彼女が見せてくれたのは幾つかの犬の写真だった。その犬はかなりの老犬の大型犬だった。

 寝たきり生活が要因であろうか、腰部に広範囲の褥瘡が出来ている。痛ましいがこればっかりは大型犬の宿命と言えるかもしれない。

 だが次の写真ではその傷はふさがっていた、しかも瘢痕形成もほとんど見られなかった。


 何だろう、別個体の同部位? それとも、褥瘡が出来る前と後の比較写真?

 ……それともまさか、この液体を使って、その褥瘡を治したとでもいうのだろうか。

 若林は頭に疑問符を浮かべつつ、スマホの画面を凝視した。


 今のところ傷薬にこれと言った決め手はない。今ある傷薬は二次感染を防止するための消毒薬か、自然治癒力をほんの僅かでも向上させる手助けをするための物だ。

 傷、特に広範囲の皮膚の欠損を伴う二次治癒には長期的なケアが必要だ。さらに人と違い清潔に保つことが難しく、コストも抑えざるを得ない動物相手では尚更悩ましいことだろう。

 若林がそんなことを考えていたら、古賀はこんな寝言を言い放った。


「この傷にこれを塗ったら5分もたたないうちに治っちゃったんですよ!」


 何を馬鹿なと一蹴したい所だが、生憎と彼女の目は本気の目だった。


「古賀さん……それ本気で言ってる?」


 若林がいぶかしげにそう尋ねると、彼女は目を輝かせながら何度も頷いた。そんな馬鹿なと笑い飛ばそうとしたのを、彼女の後ろから覗き込んできた本城(ほんじょう)がこうつぶやいた。


「あらあら、課長に恵子(けいこ)ちゃん。なんだか面白そうなこと言ってますね」

「ああ、本城さん、どうもこうもないよ。古賀さんが何でもすぐに直しちゃう魔法の薬を見つけたんだって」

「へぇ、それは興味深い」


 本城さんは暫く考え込むとこう提案して来た。


「課長。恵子ちゃんが折角手にしたチャンスです。ここはダメもとで調べてみるのはどうですか?」


 彼女、本城彩(ほんじょう あや)は我が社きってのやり手社員。彼女のお眼鏡にかなったのなら、もしやこいつは本物かもしれない。

 若林は駄目元と思いつつも、この胡散臭い品物を研究所に廻してみる事にした。


 ★


「はいおばあちゃん、仕上がったよ」

「ああどうもねぇ」


 若いころなら率先して出来た庭仕事も、年を取って腰が曲がってくるとそう自由には出来はしない。

 老婆はピカピカに仕上がった自分の庭を見てついつい眉根を下げた。


「ありがとうね真治(しんじ)ちゃん。はいこれ今日の」


 封筒に入った報酬を手渡す。何でも屋の真治は、それを恭しく両手で受け取ると、『失礼します』と言ってから中身を確認した。


「はい確かに、ありがとうございます」


 真治は、はきはきとした笑顔でそう言った。今時珍しい好青年だった。

 彼は少し前に近所のお寺に住み込んできた青年だ、最初はみんな訝しい目で見ていたものの、今ではすっかり町の住人として溶け込んでいる。


「あら真治ちゃん、擦り傷できてるじゃないの」

「ああちょっと引っ掛けちゃいましてね、僕もまだまだですよ」


 真治はそう言って手の甲を見る。ウチの庭にはバラや柚子と言った棘のある庭木が植えてある。おそらくそれに引っ掛けたのだろう。


「まぁこの程度どうってことないですよ」


 真治はそう言って笑った。植木仕事なら擦り傷切り傷などは日常茶飯事だろう。だが見つけてしまったものを、そのままにしておくのは気が引ける。

 なにか手当を、と思った時に、彼女はとある薬を思い出した。貰い物だが何やら凄い効果があるものだ。


「ちょっと待ってね、真治ちゃん」


 老婆はそう言って、家に戻って緑の液体の入った小瓶を持ってきた。


「なんですかそれ?」

「いいから、ちょっと傷見せて」


 老婆は真治の若くて張りがある手を取った。しわくちゃになった彼女の手とは真反対の手だ。


「これを塗るとね」


 サラサラとした液体をガーゼに含んでその傷口に塗り込む。すると見る見るうちにその傷は消えていった。


「ねっ、凄いでしょう。知り合いからの貰い物だけど、よく効くのよこの塗り薬」


 どこかの蚤の市で買ってきたと言うこの薬。歳をとって少しの事でも傷がつくこの体には重宝している。

 持病の腰痛には効果が無いのは残念だが、簡単な打ち身や切り傷程度はこの薬があれば医者いらずだ。


「これは……」


 真治は目を凝らして自分の手を見る。

 久しぶりに若い人を驚かせてやった。老婆は少しの満足感と、真治への感謝の気持ちを込めて、傷跡があった手を一緒に眺めていた。


 ★


 何とか本家まで話を持って行けた。

 早乙女は、ひとつのゴールにたどり着いた事で、ほんの少し肩の荷を下ろせた気分になっていた。

 昔やんちゃしてた頃の名残と――例のブツ、いや薬草とやらの胡散臭さで、あの手この手で手柄を横取りしようとする奴らの手を払いつつの全速力だった。


「お久しぶりですね、早乙女さん」

「よしてくれ。今のお前さんは押しも押されぬ若頭補佐だ、俺みたいな下っ端にさん付けなんて貫目がさがる」


 早乙女は何時もの喧しい居酒屋では無く、上等の料亭に足を運んでいた。そこで早乙女を待っていたのは上等なスーツをパリッと着込んだオールバックの青年だった。

 その青年は自分の方が役職は上にあるにもかかわらず、それでいて嫌みなく早乙女を上座に案内した。


「ふふっ、相変わらずですね、けれど俺の極道としての基礎は早乙女さんから頂いたもんですかなね、こればっかりは幾ら月が経とうと変わらない」

「はっ、言ってろ。お前は俺の下に収まるような器じゃなかった、とっとと引き抜かれて正解だったってことだ」

「ごねる自分の背中を押してくれたのは貴方だったじゃないですか」

「昔のことだ、それよりも今日は新しいシノギについて話に来た。お前さんも暇じゃないだろ?とっとと始めようぜ」

「そうですね、まぁ今晩は時間を空けてます。続きは後で一杯やりながらとしましょう」


 滅多に行く機会も無い超が付く高級料亭。早乙女と机を挟んで座る郷田(ごうだ)は笑みを滲ませながらそう言った。

 郷田を拾ったのは早乙女だが、彼の下にいたのは1年と少しだった。その頃の早乙女は場末の闇金社長じゃなくてもう少し上等な席に座っていた……いやそうでは無い。本家の周辺でちょろちょろ使いっ走をやってるやんちゃ盛りのころだった。


 早乙女が繁華街の路地裏でまだ若い郷田を見つけた時には、ゴミ捨て場に転がっている札束を見つけた気分だった。

 面も恰好もボロボロだったが、まとっている雰囲気が違っていた。気絶していたその男を馴染みの闇医者に持っていったが目を覚ますのに2日かかった。目を覚ましても数日は口もきけないほど消耗していて、正直拾い損をしたかもしれないと早乙女は後悔し始めた。


 だが、使ってみると郷田はやっぱり本物だった、口数は少なく愛想はないが、その代わりに頭も切れるが拳も切れる、器用貧乏じゃなく器用万能だった。半年もすれば早乙女が教えることなど何にもなくなっていた。

 早乙女が指示する前に段取りを完璧に整えており、突発的なトラブルの時はどうやってか先回りし、猟犬みたいに獲物を早乙女の手の届く範囲に追い込んでくれる。ここまで来ると嫉妬なんか浮かびやしない、持っているものが違いすぎた。


 見ている人は見ているものだった。いやどんな盆暗だって奴の光は目につくだろう。そうこうしているうちに、上からの引き抜きの話があった。ところが驚いたことに郷田はその話を本気で断った。少しでも高値で売るための交渉術でなく、仁義や恩義とやらによる拒否だった。捨てられる前の子犬のような目で郷田は早乙女を見つめてきやた。


 河川敷で草野球している時に、たまたまメジャーのスカウトが通りがかって即決で数年契約のスタメン起用が約束されたようなものなのだと言うのに、郷田はその話を断った。


 説得に3日かかった。騎士は二君に使えずってのは、いったいどの時代のおとぎ話なのだか。学のない早乙女でも戦国時代は裏切り・不忠・下剋上の全盛期だって事ぐらい知っていた。

 ともかく頑固な奴だった。最終的には何とか折り合いを付けられたが、幸いその親分も古い人で余計に郷田を気に入ってくれたのは結果オーライと言うやつだった。


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