第30話 どこから来てどこへ行く
終焉は訪れた。
それはゴードが予想していた、国同士の諍いごとが起こるよりも先に。この世界は薬草により異界と化した。
「ふん、案外こちらの世界の住人は理性的なのだな」
ヤクザなるものをやっていた時も感じた事だ。こちらの世界の人間は意外と大人らしい。
ゴードはそう思いつつゆっくりと歩を進めた。
「俺たちの世界では、隙を見せれば直ぐに武力行使だったがな」
衣食住足りて礼を知ると言う事だろうか、常に飢えていたあちらの世界は奪い合いが日常だった。
野盗に怯え、モンスターに怯え、飢饉に怯え、常に何かに怯えていた。死はとても身近なものだった。
薬草なんてものがどれだけ有っても、命の危機はそれ以上に身近なものだった。
「かくしてマナは世界に満ち、世は異界に成り下がる」
いや、世界の転機なんてものはとっくの昔に終わっていた、これはその後の話だ。
ゴードにしてみれば嗅ぎ慣れた空気、深呼吸してマナを取り込む。
計画変更、プランBって奴だ。こちらの世界の流儀に乗っ取り、お行儀よく世界の王になるとしよう。
ゴードは勿体付けたようにドアを開けると外へ出た。
大気に満ちるマナ濃度の影響か、どうやら無線に不具合が出ている様だった。指令が行き届かなくなり、現場は混乱の極みにあった。
この混乱を抑える事で実績を積み、取りあえずは国連軍の中で地位を不動のものとする。あんなにも反吐が出るほど嫌っていた害獣駆除係だが、こちらの世界でも同じことに精を出す羽目になるとはな。
ゴードは自嘲気味に微笑んだ。
だが、今回は自分の意思でモンスターどもを切り伏せる。勇者として名声を重ね、いずれ王になりあがってやる。
ゴードは決意を固めると、硬いアスファルトへと一歩踏み出した。
外に出たゴードを出迎えたのは、人間擬きのモンスター擬き。変わりたての異形共だった。
「ふん。蓮屋いや、試作1型、試運転だ」
ゴードの指示に従って、元蓮屋は両腕の擬態を解く。
鎧袖一触、ゴードが手塩に掛けて育て上げたモンスターだ、生まれたての雑魚どもとは完成度が遥かに違う。
元蓮屋が叫びを上げて、鞭の様な両腕を振るうたびに、雑魚どもは木端微塵に吹き飛んでいく。
「む?」
銃撃が俺たちにも向けられる。馬鹿めが、誰が救世主かの判断も付かないのか。
「しょうのない猿共だ」
ゴードは冷静さを取り戻す魔法を唱えつつこう言った。
「大丈夫、私が来ました」
★
「ばっきゃろう!ふざけんな!」
速水は急に枝を伸ばしてきた街路樹を蹴り飛ばす。その蹴りを食らい街路樹は真っ二つにへし折れた。
「うおっ!なんだこりゃ!」
すると、折れた幹からあふれ出た青い光が速水に纏わりついて来た。
「来るんじゃねぇよ気持ちわりい!」
速水は古賀を抱えているので、まともに降りかかる火の粉を払う事すら出来やしない。
速水は青い光をたなびかせながら、中国軍が泊まっていると言う大学へと突き進む。ところが、彼の行く手を邪魔するのは、虫けらや街路樹だけでは無かった。
突如アスファルトがめくれ上がったかと思えば、それはそのまま津波の様に速水に襲い掛かってくる。そんなものはトラックに衝突されるようなものだ。生身で食らえばぺしゃんこになってしまう。
「ふっざけんな!!」
渾身の蹴りはしかして、アスファルトを切り裂いただけだった。それは見た目に反して水みたいにプルプルと震えていた。
「水風情が人間――」
どぽんと速水たちはコールタールの塊に飲み込まれる。
苦しい! 息が出来ねぇ!
何とか脱出しようともがくも、どこが上だかも分からなかった。
『速水さん、あっちです!』
「もがっ!?」
目も開けられない暗闇の中で、古賀の声が速水の脳内へ響いて来た。
『あっちです! あっち!』
「もがが!」
口を開けようとすれば、コールタールが流れ込んでくる。嬢ちゃんは腹話術でもつかえたのか? と、速水が混乱した頭で思っていた時だ。
『そこですって……ば!』
ばしゃんとコールタールがはじけ飛んで、宙に浮いていた速水たちは尻もちをついた。
「げほっ! ごほほ!」
速水は口から真っ黒く染まった液体を吐き出した。
「じょっ、嬢ちゃんがやったのか?」
「わっ私……何でしょうか?
黒い世界に、とびっきり明るい青い塊が浮かんでいたんで、そこに手を伸ばしたんですけど」
何だかわからんが結果オーライだ。原因なんて後から考えりゃいい。
速水はそう考えを改めると、ギラリと前を睨みつけた。
「兎に角逃げるぞ! 中国軍の所だ!」
「だから人民解放軍ですって!」
「んなこたどうでもいい!」
背後から、またスライムどもが押し寄せてきた。速水は古賀を再び担ぎ上げて、前方に向かって駆け出した。
「ひゃ! はっ速水さん!」
「だあってろ嬢ちゃん! 舌噛み切るぞ!」
「ひゃっ! ごっごめんなさい!」
前、もう少しで目的地と言った所で、俺の目に入ったのは……。
「何なんだ……こりゃ」
元大学の構内には、ゾンビの様にウロウロと徘徊する奴らと、ブンブン飛び回る虫けらたちで一杯だった。
★
「アイアンドラゴン、いやメカニカルドラゴンって所か」
シージの目の前に立つのは巨大なドラゴン……の様な形をした何か。確か以前はここに博物館があって、恐竜の化石が展示されていた筈だ。
巨体はその骨格に鉄骨や自動車を纏い、静かにシージを睨んでいた。
「ストーンゴーレムやアイアンゴーレムとは戦った事はあるんだけどね」
それは、ギチギチと耳障りな音を響かせながら、一歩、また一歩と、初めて動かす体をじっくりと確かめるように歩を進める。
「こうして、無機物系のモンスターが生れ落ちる瞬間は始めて見たよ。教えてくれないか?君は、君たちは何処から来て、どこへ行くんだ?」
その質問に答える事無く、それは大きく体をよじる。ドンと振るわれた尾の先端が、音速の壁を越えた音がする。
「ハッ!」
衝撃波を伴って振るわれる鋼鉄の鞭、シージはそれを手刀でもって切り落とした。
「くぅ!」
切断された尾の先端が周囲の建築物をなぎ倒しながら吹き飛んでいく。
流石に手首がいかれた、素手で相手をするにはほんの少し厄介な相手だ。だが、この世界に僕の攻撃力についてこれる武器は無い。
薬草のゲルを手首に塗る、まったくこの世界は凄い。あちらの世界ではこんな発想は存在しなかった。精々すり潰して小袋に入れる位だ。
「でもあれは、臭いが凄かったんだよね」
それが大きく足を振り上げる。アレは危ない、食らったら地面に埋まってしまう。
だが、この程度の動きはゴードの攻撃に比べれば、止まっている様なものだ。シージは冷静にそう思いつつ前方に駆け抜けて、そのままそれの股の下を潜った。
背後で巨大な衝撃音、そして地面が大きく揺れる。攻撃力だけならば、あちらの世界で戦ってきた強敵たちと、ひけは取らないだろう。
「ハッ!」
後ろの足に足刀を叩き込む。メキリと言う音がして、巨体がふらついた。シージはそのまま間髪入れずに左右のフックを叩き込む。
それからすれば、シージのサイズはネズミの様なものだろう。だがそのネズミの牙は、彼の体を確実に蝕んでいく。
崩壊。
それの左足の破壊に成功。それはバランスを崩し、巨体が大きくよろめく。
「ここだ!」
それのコア。即ち、マナが最も集まっている場所が、シージの手の届く場所まで降りて来た。それはすなわち胸の中心。
精神を研ぎ澄まし、狙いすました一撃を叩き込む、その瞬間だった。
シージは背後から迫る殺気を感じ、咄嗟にその場から逃げ出した。
轟音が鳴り響き、それの胸に大穴があく。遅れて届く衝撃波、そして鳴り響いて来る履帯の音。
国連軍の戦車がやって来たのだ。
そして、その先頭車両には
「……ゴード」
大胆不敵に微笑む、かつての友の姿があった。




