第28話 Midnight Blue
「んだ……これは」
トンネルを抜けた速水が目にしたのは、見慣れた筈の折尾の街ではなく、一面が薄ぼんやりと青く染まっていた奇妙な街だった。
「うわっ眩しい！」
古賀はそう言って目を抑えた。速水にはそこまで感じ取れないが、彼女にとっては目を覆うほどの眩しさという事らしかった。
ところがだ、運転している兵士たちには、速水たちが何を言っているのか分からないらしく。後ろを見ては不思議そうな顔をしてハンドルを握っていた。
「おい、大丈夫か嬢ちゃん」
「あっ、はっ、はい！ ええ、咄嗟の事でびっくりしちゃいましたけど、今はもう大丈夫です」
どうやら急にライトを当てられたみたいになっていたようだ。古賀は目をしばしばさせながらも、速水にそう返事をした。
「どうやら、この光景は俺らにしか見えちゃいないようだ。何か心当たりはあるかい嬢ちゃん」
速水の問いに古賀はフルフルと顔を左右に振った。
速水が車外を良く見ると、青い光には濃い場所と薄い場所があった。彼はその濃い場所を探して衆人護送車の金網越しに目を光らせる。
「あれは……」
「あれは、折尾体育館の方角ですね」
速水と同じことに気が付いた古賀はそう言ってくる。そしてあろうことかこの車の進行方向はそっちに向かっていた。
「おい！ この車は何処に向かってるんだ！」
「だから彼らに日本語は通じませんって」
古賀はそう言ってくるが、速水にはその事が気になって仕方が無かった。速水は軍が接収するような大きな建物を思い出そうとする。
「嬢ちゃん、中国軍が使ってる建物は知ってるのか？」
「中国軍じゃなくて人民解放軍ですよ。後、彼らが接収したのは大学です、この辺りじゃ一番大きな建物ですからね」
馬鹿はデカイのと高いのが好きってことか、実に分かり易いと、速水は訳知り顔で頷いた。
「なぁ嬢ちゃん、あの光は何だと思う？」
「分かりませんよ、でも不気味ですよね」
速水たちを乗せた車は青く輝く折尾体育館の真横を通り過ぎる。その時だった。
「速水さん！ 危ないです！ 何かが！ 何かが近づいてきています！」
「ああわかってるよ！ おいお前ら飛ばせ！」
小さな生き物の群れがこの車に向かって飛んできていた。ハエか何かが化け物になってしまったのかもしれない。
日本語が出来なかろうが、目の前に迫っている危機には関係ないだろうと、速水は運転席を遮る鉄壁に蹴りを入れる。
だが兵士たちは速水の狼藉に罵声を飛ばすだけで、迫り来る危機に気付きもしない。
何故だ？ あんなにも目立つ虫に何故気づかない？ 小さな虫けらだがあんなにもピカピカと光っていると言うのにと、速水はえもいわれぬ危機感に焦りを募らせる。
「駄目です速水さん！ 彼らには光が見えてな――」
カキキキキと甲高い衝撃音が車内に反響する。ここに来てようやく運転席の兵士たちも事の事態に気が付いた。彼らは突然の敵襲にギャーギャー喚いて慌てふためく。
ミシリと嫌な音がする。振り向けば、防弾ガラスに虫けらが食い込んで足掻いていた。
「おい！ さっさと飛ばせ！ それかさっさと手錠のカギを寄越しやがれ！」
速水は焦りを口の端に滲ませながら大声でそう叫んだ。
「ちくしょう、北九州から化けもんは居なくなったんじゃなかったのか！」
嘘だった。それが嘘である事を速水は知っていた。いや、速水は誰よりもあの薬草が強い生物だって事を知っていた。
（ってことは、あの薬草が生み出す化けもんも、いずれは復活してくる、それが今この時ってわけだ！）
速水はそう思い歯ぎしりをする。
「きゃあ！」
急に車が蛇行運転を始め古賀が悲鳴を上げる。ガタガタと道路の振動がダイレクトに伝わってくる。
腐っても軍用車両、その丈夫さは市販車とは段違いの筈、だが奴らにそんな常識は通用しなかった、どうやらパンクしてしまったようだ。運転席からは兵士たちの叫び声が響いて来る。
（くそッたれが、ぜんぶてめぇらの所為だろうが、いや元をただせば俺たちの所為か⁉）
速水がそんな事を思っている時、ドンと一際激しい衝撃が車を襲い、彼らは前方に投げ出された。
「おい！ 大丈夫か嬢ちゃん！」
速水がそう言うが古賀は返事をしない、どうやら気絶してしまったようだった。
前席から悲鳴が聞こえて来る。兵士たちは、パニックになってドアを開けてしまう、その隙を逃さず、ブンブンと虫けらの羽ばたき音が耳に響いて来た。
★
「藤田さん、これを見てください」
真っ青な顔をした大原が、ディスプレイ指さした。
「どうしたんですか大原さん」
その尋常じゃない表情に、とびっきりのトラブルを感じつつも、藤田はディスプレイを覗き込んだ。
「なんですかこれは……青い、土？」
それは青く染色された土だった。色以外はなんてことない土にしか見えない。
「例の青い結晶、その検査キットの試作品を試した結果です」
「これが……ってもうできたんですか！？」
「ええ、原理は簡単です、高校生の実験でも出来る。だがそんな事は重要じゃありません」
藤田はその鬼気迫る口調に、黙って先を促した。
「問題はこれがそこら辺で採取した土だと言う事です」
「それは……結晶による汚染がこの辺りまで進んでいると言う事ですか！？」
藤田たちは米軍のエスコートで小倉に来ている。そこは板櫃川の河口付近、上流からはるか離れた場所だ。
「ええ、私はネガティブサンプルとしてこの土を使用したはずでした、ですが結果はクロ、汚染は我々が思っているよりも遥かに広範囲に及んでいると言わざるを得ません」
「そんな、じゃあこの北九州に安全な所は無いって事ですか！」
我々はPXによって汚染された地域だけが危険だと思っていた、だが結晶の汚染範囲はそれよりもかなり広範囲に広がっている可能性が提示されてしまった。
「結晶は分子サイズの小さく軽い物質です。僕は何故そんな単純な事に気が付かなかった」
大原はそう言って机を叩く。
勿論PX生産工場は密閉型の施設だ、だがP4レベルの気密性を有しているとは思わない、突貫工事で作られたものに、そんな期待をするのは無茶だろう。
「僕には見えるんです、この街が青く輝く様子が」
そう語る大原の瞳は、何処か青み掛かって見えたのだった。
★
「いで！ いででででで」
速水は車内に侵入した虫たちから身を挺して古賀を守ろうと試みるも。膨大な数の虫たちに対してその試みは成功しているとは言い難かった。
なにせ相手は小さな虫だ、隙間など山ほどある。
ああ、それにしても手錠が邪魔だ。せめて両手が使えればと速水は歯ぎしりをする。とは言え、彼を縛っているのはおもちゃの手錠では無い、軍隊使用の本物だ。
「くそが！ 邪魔なんだよ！」
チクチクチクチク、遠慮なしに刺してくる虫たちにイラついて、速水は渾身の力を込める、その時だった。
パキンと軽い音と共に、速水の腕は自由になった。
「なんだこりゃ」
速水は自由になった腕を確かめる。そこには鎖がちぎれた手錠がぶら下がっていた。
「これは、俺がやったのか？」
昔から力自慢で暴れていた速水だったが、ここまで人間離れした力を持った覚えはなかった。
もしかして手錠の方がイカレてやがったのか？
速水は一瞬そう思うも、とある光景がフラッシュバックし考えを改める。
そう、この人間離れした力に、速水は覚えがあった。
「……蓮屋」
あの時化けもんになっちまった蓮屋の振るった力、あれも人間離れしたものじゃなかったか？
速水はそう思い、ブルリと背筋を震わせた。
