第2話 昨日の借金取りは今日の同僚
蓮屋が事務所に押し込められた瞬間、血走った速水が目に入ったので、その日の売り上げを財布ごと差し出し、全力で額を床に押し付ける。こうしている間は、少なくとも顔を殴られることはない。人間、背面は意外と強いということはパチンコ屋で読んだ某格闘漫画で学んでいた。
だが相手は暴力を生業としている人だ、蓮屋ががら空きのわき腹を蹴り起こされ悶絶している隙に馬乗りになった速水からたっぷり数ダースの拳を受けた。
「げほっ!」
「おう、おはようさん」
「っつーーー!!!」
気付けに酒をぶっかけられた蓮屋は、焼け付く傷痕を抑えながら床をゴロゴロと転がった。
「すっすみません! ですが! どうか話を聞いて―」
「てめー何なめたこと抜かしてんだ!」
ガコンともう一発、何を食らったかも理解できない蓮屋の脳内には星がきらめき、口の中は血のスープが広がった。
「おう、そこら辺でいいだろ、事務所が汚れる」
「……っち、分かったよ社長」
こいつはチップとばかりに、締めの一発をくれた速水は、早乙女の鶴の一声で何とか引き下がっていった。
「あー、で、蓬屋さんよ。まぁ、期限から約一月遅れとは言え延滞金も含めて先月分の利息はこうして振り込んでもらったわけだ」
早乙女は先ほど収めた財布から抜き出した金をポンと叩きながらそう言った。
「は、い」
口から溢れそうな血を飲み込みながら、なんとか返事をしていると、嗜虐的な表情を浮かべた速水が酒で口をゆすいだ。
「んー、でだ。話を続けるが、あんたガラかわしてから今まで何やってたんだ? この金は今日の出店でこしらえたのか?」
「いっいえ、今日のだけじゃありませんが、似たようなことを2度ほどやりまして」
その返事を聞いた早乙女は少し眉をひそめる。
それはそうだ、蓮屋にはたかが数回のフリマで20万近くをさばけるようなものは持っていない、いや持っていなかった。そう、人生の転機を掴んだあの日までは。
「何だ? 盗品でもさばいてたのかてめー?」
とっと吐けとばかり、蓮屋は速水に胸倉をつかまれ片手で起こされる。
「だーから、じゃれるなって速水そういうのは勤務時間外にやれ」
「まー残業代はでねーがな」
はっはっは、と闇金ジョーク皆が盛り上がってる間に蓮屋は何とか息を整える。
さて、ここからが勝負の時間だ。蓮屋は熱を持つ傷痕をさすりながら、ニヤリと頬を歪めた。
★
「なん…だ…そりゃ……」
早乙女はそう言いつつ目をうかがった。
さっきまでの蓮屋は速水に凹られて前衛的な抽象画みたいな顔だった――はずだ。
だが、蓮屋が持っていた緑色の軟膏を塗った瞬間に彼の面は元通りになっていた。いや、血の跡はコマンドーのシュワルツェネッガーみたいに顔中に愉快なペイントを描いちゃいるが、腫れはまったく無くなっているし、鼻血も吐血も止まっていた。
速水の奴がアタフタとこっちを見てくるが、残念ながら正直俺の想像力じゃ、速水と奴が手を組んで、ドッキリマジック大成功ってのが関の山だ。目を閉じ深呼吸、なにがなんだか分からんが、なにがなんだか分からない事態になってきたのは分かった。
だが、もしかすると人生を変える転機ってやつが巡ってきたのかもしれない。
早乙女は、目の前の非現実な出来事に目を白黒させつつも、頭の奥では静かに計算を始めていた。
★
痛みは引いた、もちろん予定通りというか実験済みだ、この結果を知ってなかったらとてもじゃないが、大人しく事務所についてきたりはしなかっただろう。社長を含め事務所の皆が、目を白黒させてこっちを見ていやがる、いい気味だ。
中でも一番驚いているのが速水だ。そりゃそうだろう、自慢の拳であれだけ痛めつけたのが全部なかったことになったんだ、ざまぁ見ろ。
さーて、ここからはビジネスの時間だ。闇金なんて盆暗な仕事をしている連中にもこの商品の価値がいかに高いかは、百聞は一見に如かずというものだろうし。
蓮屋はそう思いつつ満足げな顔でにんまりとほほ笑んだ。
★
蓮屋が語った話は、彼の顔面の様に摩訶不思議なものだった。彼の回りくどい話を整理するとこうだ。
『山道を滑り落ちた先に洞窟があり、それを抜けた先にあった草原で見つけた草を塗ると傷も痛みもきれいさっぱりなくなった』……との事。
一体全体、どこの昔ばなしだと早乙女は突っ込みたくなったが、実際に蓮屋の傷がきれいさっぱりなくなっているのを見ると少なくとも草の効果は本物なんだろう。
だがこれは少々厄介だ、蓮屋は軽々しく『医薬品として販売すれば大儲け出来る』とはしゃいでいるが、そう簡単にはいかない……なにしろ効果が絶大すぎる。
表のルートで正式に販売できればそれは世界を変える一品になるが、こんな胡散臭い品物早々に許可が下りるはずがない。
医薬品の製造販売は確か県の縄張りだったか……検査、検査、駄目だ、もしコレの原料、製造過程、成分等に違法性がなかったとしても、こんな派手なブツ絶対途中で国や製薬会社の目に留まり横やりが入ってくる。
日本より鼻薬の聞く海外のどっかで許可を取らせて……いや製薬会社の手が届くことに変わりはない。
早乙女は頭の中で算盤をはじきつつ、慎重にこう言った。
「……すぐには、返事出来ねぇな。これはでかいシノギになる。まーうちも企業の一部門なんでな、ホウレンソウは社会の常識、取りあえずお前の要件である借金はちゃらにしよう。
そして製薬会社の要職をくれと言う件については、ひとまずウチの社員として席を置いておけ。話が進んだらそっちにスライドできるよう手を打っておこう」
「…………」
早乙女の答えに蓮屋は黙り込む、借金の件についてはこのブツが放つ光に比べればゴミのようなものだ。それはお互い分かっている。
問題は二つ目だ、これは明らかな首輪。だが素人である蓮屋にはこんな奇抜なブツを売りさばける伝手はここしか知らなかった。
早乙女は、渋る蓮屋に精一杯の笑顔を込めて駄目押しをする。
「なぁ、蓮屋さん。こいつは対等なビジネスの話として言っている。
アンタが持ってきたこいつは、アンタがやってたように表と裏の権力から隠れて細々と露店でやり続け、穏やかな老後を迎えられるような地味な品じゃない。今の常識ではそれこそ太陽のような輝きを放つ派手な品だ。
だが、光が強けりゃ影も濃くなる。少なくともウチの世話になってるうちはその影と同化できる、なにしろウチの本社の影は日本でも特上に濃い影だからな」
蓮屋はしばらく悩んだ後、少し不満げな顔をしつつも静かにうなずいた。