第80話 一夏と和正
■隆臣
俺と少女……一夏は、ブルーライン湘南台行で桜木町駅から阪東橋駅まで行き、そこからは徒歩で横浜市立大学附属市民総合医療センターへ向かった。
「ひいじいちゃんの部屋は503号室だ。お前幽霊だろ? すり抜けて会ってこいよ」
「わかった」
一夏はそう言ってうなずき、正面入口をすり抜けて行った。
■一夏
503号室の前で深呼吸をして、私はドアを開いた。
人工呼吸器やらたくさんの管が取り付けられた95歲の和正くん。痩せこけていて、たしかにいつ死んでもおかしくない様子だ。
和正くんに近づき、骨がちな手に私は手を伸ばした。しかし触れることができない。そっか、和正の霊感、弱くなっちゃったんだ。
私を認識することができるのは霊感が強い人のみ。そして私は霊感が強い人には触れることができる。
わたしは死後、和正くんをずっと見てきた。けど姿を現したことはなかった。だって和正は幸せそうに暮らしているから、幽霊の私がその幸せを邪魔するわけにはいかないだもん。
けど今日、和正くんにもう一度会えて本当によかった。もし私の足が悪くなくてちゃんと疎開できていたら、私も和正くんと幸せになれたのかな?
だめだよ。そんなこと考えたら。ますます成仏できなくなる!
でも85年間ずっと考えてた。和正くんと家族になりたかったって。
「さよなら和正くん」
私がそうつぶやくと、和正くんの指がピクリと動いた。そして節くれ立った指が私の手に近づく。
「和正くん!」
そんな指を握ろうと、再び手を伸ばした。でもやっぱり触れられない。
「どうして触らせてくれないの! 最後くらい触れさせてよ! ねぇ酷いよ神様! お願い神様! 一生のお願いだから、一生のお願いだから! 和正くんに触らせてよ!」
私は思いっきり叫んだ。しかしこの世にいるはずのない存在の叫びは、神様のただでさえ遠い耳には届かなかった。
■隆臣
翌日。ひいじいちゃんはあの世に旅立った。
ひいじいちゃんの病室のテーブルの上に、誰かが書き残したメモがあった。そこには、
――大好きでした
と震えた文字で書かれていた。涙を零しながら書いたのか、所々インクが滲んでいる。
それを見てひいばあちゃんは、
「よかったのぅじいさん。最後に一夏さんに会えたんだね」
と言った。
後になって聞いたんだが、ひいじいちゃんはひいばあちゃんと結婚した後も、何度も一夏の話をしていたんだとか。
それほどひいじいちゃんは一夏のことを思っていたんだな。
■一夏
「渡っちゃだめっ」
私は叫んだ。
「いいや、行かなきゃ。だってほら、みんな僕に手招きしているんだ」
「渡ったらもう二度と、こっちに戻って来れなくなるんだよっ!」
「それでも行くよ。だって僕はもう、十分生きたから」
「わたしはもっとあなたと一緒にいたいの!」
「それは僕だって一緒さ。けど僕の霊魂は弱すぎて、現世に留まっていることはできないんだよ」
「そんなぁ」
少年の姿をした和正くんの言葉に、私は心の底から落ち込んだ。
「一夏、笑って!」
「え?」
「僕は一夏の悲しんでる姿を見るのは嫌だよ」
「そんなこと言われても……」
私が俯いて地面の石ころを蹴飛ばしていると、
「結婚しよう。一夏」
和正くんはいきなりそんなことを言ってきた。
「え!? え!?」
「だから一夏も一緒に行こう。幽世に! 黄泉の国で僕たちは結婚するんだ!」
「……結婚したい。でも、私まだ現世にやり残したことがあるの」
「やり残したこと?」
「うん。隆臣くんの心の穴を埋めたいの」
「僕のひ孫の隆臣かい?」
「そう。隆臣くんはね、霊感が強いからね、私に触れられるんだよ。しかも隆臣くんはね、すっごく優しいんだよ」
「ははは」
「どうして笑ってるの?」
「いいや、今の一夏、すっごく楽しそうな顔してるから。そんなに隆臣のことが気にいったのかい?」
「だって昔の和正くんみたいなんだもん」
「そういえば僕も、小さい頃は霊感が強かったよね」
「いつも見えない誰かとお話してたから、私は怖かったんだよ?」
私は85年前のことを思い出しなが言った。
「一夏」
「ん?」
「好きだよ」
「私も! 大好きっ」
「じゃあ僕は行くよ。渡し船が来た」
「うん。またね」
「幽世で待ってるよ。ひ孫を……隆臣を幸せにしてやってくれ」
「うんっ!」
和正くんは手を振って、渡し船に乗りこむ。
私も大きく手を振り返した。さよなら……和正くん。
■隆臣
ひいじいちゃんが死んだ数日後。一夏が俺の前に再び現れた。
「よう。ひさしぶりだな。元気にしてたか?」
「おひさしぶり。私は元気だったよ。隆臣くんは?」
「俺も元気だったぜ」
「それはよかった。今日はね、お願いがあって来たの」
「お願い?」
「うん。私に隆臣の心の穴を塞がせて欲しいんだよ。いーい?」
「構わんよ」
「ほんとに!?」
「心の穴を埋めてほしい。誰でもないお前に」
一夏と一緒にいると安心する。落ち着ける。癒される。心の傷が癒えていくんだ。もっと一夏と一緒にいたい。このとき俺はそう思ったんだ。
To be continued!⇒
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