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前編

   アウトサイド

              ―プールサイドメリーゴーラウンド―


 後悔や未練は人を縛り付ける力がある。

あの日、あの時、あの瞬間。ああしていれば、しなければ。言っていれば、言わなければ。生きていれば必ずつきまとう自分の選択にたいするタラレバ。今更どうにもならないのは分かっていてもふと気が付くと考えている自分がいる。そういった強い思念が本当に人を、心を縛り付けてしまうことがある。


「なるほど、そのプールとやらに友人たちと肝試しに忍び込み遊んでいたら一人が溺れて死んでしまったわけですね?」プリヤと名乗った青い紫陽花のような髪をしたお姉さんがいった。隣に座る銀髪のルーンという少女はふてくされた顔で黙ったままだ。

「は、はい」サイトーは自分の友人に起きた不幸を明るく話す異邦人に少し不快感を覚えた。やはりからかわれているのだろうか。

 通っている高校のクラスの女子たちが話していたオカルトじみた噂だ。二度満月の光を浴びた紙に自分の血で頼みごとを書く、それを黒い封書に入れる。次に銀の食器に封書を入れ百合の油を注ぎ火をつける。炎を油が完全になくなるまで消さないようにできれば書いた頼みを鬼が聞いてくれるというものだ。

 ミカはあの日、プールで見たものが忘れられず、何もしないままうやむやになるのが嫌で噂を試した。しかし、本当に返事が返ってくるとは思っていなかった。しかもあんな物々しい儀式のような方法で手紙を出したのに返事は普通の手紙がポストに届いた。学校の誰かがからかっているのだと疑いながらも指定された日に指定された喫茶店に行ってみるとそこには綺麗な外国人の女性と、女の子が座っていた。その姿をみて噂は本当ったのかとドキドキしたが、話をするにつれてやはり疑惑が強まっていった。「あの、でもそのことは手紙にも書いたはずです」ミカはどこかで自分を笑っている人たちがいるのではないかと周りをさりげなく見渡したが喫茶店にはほかの客はいないようだった。

「あくまで確認です」プリヤがにっこりと笑う。「それでその一人が死んだとき貴方はその場にいるはずのない人間を見たんですよね?」

「女の人だったと思います。私たち以外はいないはずなのにその人はじっとこっちを見ていたんです」

「どうしてその人が幽霊だと思うんだい?」ルーンがぶっきらぼうにいった「本当にそこに女性がいたのかも」

「でも、あの人水の上に立っていたんです」ミカはすぐさま否定した。ルーンはふむとうなった。「その、亡くなったジンドウ君・・・彼はプールで溺れるような人じゃなかったんです。泳ぎがすごく得意で」

「でもどんなに泳ぎが得意でも足を攣ったりすることもある」ルーンがミカの話を遮る。「〝猿も木から落ちる〟というしね」ルーンの言葉でミカは黙った。言いたいことはわかるがなんて配慮のない振る舞いだろうか。プリヤが困り顔でルーンを見た。ルーンは口をへの字に曲げ首を傾け続けるように示す。

「それじゃミカさんはその女性の幽霊が友人を溺れさせたんじゃないかと思ってるんですね?」プリヤは重い空気をどうにかしようとしたのか明るい調子で言ったが、明らかに場違いな振る舞いにミカの表情はさらに暗くなった。

「・・・・・あの、やっぱり私」やはりからかわれているのだろう。ミカは出会ったばかりの人間にこんな相談をしている自分が恥ずかしくなり、鞄を手に取り席を立つ。

「ちょ、ちょっと待ってください」プリヤも立ち上がりミカが帰るのを止める。「無礼はお詫びします。お願いです。私たちにこの案件を任せてもらえませんか?後悔はさせません」ミカの肩をつかみ席に押し戻す。

「後悔させませんと言われても、どうするんですか?」

「お任せください」プリヤはグラビアアイドルのような豊満な自分の胸をたたく。「その友人を溺れさせた幽霊、滅して差し上げます」

「めっする・・・・」この人は自分がゴーストバスターとでもいいたいのだろうか。

「退治するという意味です」プリヤはミカに指を立ててみせた。

「意味は分かってます」確かにあの幽霊がジンドウ君を溺れさせたのなら許せないが、その前に真実が知りたいのだ。あの日、プールで何があったのかを。「でも、そういうことではないというか・・・・・私はあの日何があったのかを知りたいんです」

「じゃあ、調査をすればいいんだね?」ルーンがいった。

「調査するって、なんの証拠もないのにあなたたちを信じられません」心霊現象を調査だなんていくらでも適当な話をでっち上げられる。

「オーケー、君が言いたいことはこういうことだ。」ルーンがいった。「自分で依頼を出しておきながら僕たちのことを信用できない。ゴーストバスターだというのなら証拠を見せろと」ミカはうなずく。「よし、一週間時間をくれ。事実関係を明らかにして、その君が見たという幽霊が君の友人の死に関与していたときは仇をとる。そして一週間後またここで会おうその時、証拠をみせよう」プリヤが何やらルーンに耳打ちをしたがルーンはそれを押しのけた。

「・・・・・わかりました」胡散臭いし、まだいたずらではないかと疑っていたがこれで本当のことがわかり、心に残るもやもやが晴れるかもしれないならこのままこの話にのってもいいかもしれないとミカは思った。

「それで、報酬のことだけど」とルーンがいったところでミカは思い出した。そうだクラスの女子たちの噂では頼みをきいてもらったものは体の一部をその報酬としてとられるという話だった。そもそも、お金もあまり持っていないが。「成功した時は現金で五万円、それと君の血をもらうよ。今回は君が僕たちの調査報告に納得できたらってことだね」

「五万円?」思ったよりも少ない。いや高校生にしてみれば大金だがもっとすごい金額を・・・・・「ち?」

「そう、君の血液」冗談かとミカはルーンを見たが肯定した。どういうことかとプリヤに視線を移す。

「血液をもらうといってもほんの少し命に別状はない程度です」安心して下さいとプリヤはいう。

「まあ、それも君が調査結果に納得できたらで大丈夫だから」とにかく任せるように銀髪の少女は繰り返す。

「わかりました」ちょっと必死すぎる感じがするがミカは任せることにした。納得できなければ払わなければいいだけで、こちらのリスクはいたずらに引っかかったと哂われるくらいだ。


 ルーンとプリヤは待ち合わせのためジパングの首都を訪れていた。相変わらずの人ごみと湿度の高さにルーンはイライラしながらその人物を待っていた。プリヤは駅前の混雑をもの珍しそうに眺めている。約束の時間から三十分経ってようやく見覚えのあるスポーツカーがルーンたちの目の前で停まった。

 スポーツカーから降りてきた人物を見て思わず眉間にしわを寄せた。身長は178センチ、モデルのようなすらりと長い脚、絵にかいたような美しく整った顔にサングラスをかけたパンツスーツの女がルーンの前に立ち腕を組む。

「送迎ご苦労様、ユキナ君」ルーンは差していた日傘を傾け見上げながらぶっきらぼうにいった。

「いったい何の用かしら?」ユキナも機嫌が悪かった。「あなたと違って私たちは忙しいのよ」

「君に用はない。ウルフ君はどこだい?」ルーンはシッシと手を振る。

「ベンは来ないわよ」ユキナはベンを強調した。

「なぜ?ちゃんと彼に伝えてくれたのかな?」

「知らせるわけないでしょ!あなたに会わせると、どうせまた危険なことをさせられるんだから」ユキナは声を荒げた。

「お、落ち着いて下さい」プリヤがまあまあと二人をなだめる。

「だれ?この子」ユキナはようやくプリヤの存在に気付いた。

「居候だよ。プリヤ君だ」でとルーンはユキナを指さす。「こちらはユキナ君。ウルフ君の保護者だ」プリヤはどうもと会釈し、ユキナはルーンの指をつかみおろさせた。ルーンは顎をさすりながらユキナを足元から頭の先まで舐めまわすように観察した。「まあ君でも問題ないか」

「なにがよ・・・・・」ユキナはルーンのいやらしい目つきに後ずさりする。

「これからプールに行く」ルーンはにっこり笑ってみせたが。ユキナはサングラスの奥で目を鋭く細めた。


プールは夜中に忍び込んだ高校生の事故が原因でしばらく営業を自粛していたがつい二日前から営業を再開していた。世間は夏休みという長期休暇中らしいが事件のせいだろう、客はそんなに多くはなかった。屋外プールは流れるプールと子供のための浅いプールが一つ、あと屋内にも二つプールがあった。スタイルに自信があったユキナは更衣室から

見せびらかすように堂々と出たがプールは子供連れのファミリーばかりでユキナに注目するものはほとんどいなかった。ため息をつき、先に出たルーンとその連れを探す。二人は屋外に出てすぐのところでプールを眺めていた。ルーンは相変わらず日傘を差している。

「あんた、そんな格好して大丈夫なの?バンパイアのくせに」ユキナがルーンを見ていった。ルーンは黒のセパレート水着を着ている。

「日焼け止めをこれどもかってくらい塗りたくったからね」僕は純血じゃないしねとルーン。バンパイアは確かに日光に当たると蒸発して死んでしまうが、それは純血のバンパイアだけでルーンのようなハーフは日光に当たってもせいぜいやけどする程度だ。

「それにしてもプリヤ、あなたすごいとは思っていたけど着やせするタイプなのね」ユキナはプールを見てはしゃいでいた青いビキニ姿のプリヤにいった。名前を呼ばれ何が?という表情で振り向いたプリヤの胸がたゆんっと揺れる。

「それにしても随分時間がかかったじゃないか。ユキナ君」

「あ、あなたが急にプールに連れてくるからよ」そういったユキナは赤いビキニを身に着けていた。「そんなことより、遊びに来たわけじゃないんでしょ?」

「君はせっかちだねぇ」ルーンやれやれと首を振るとパラソルの並ぶ休憩スペースを指さした。一行は三色のパラソルの下の樹脂製の椅子に座る。ルーンはユキナにプールに来た経緯を話した。

「じゃあここがそのプールってわけね」ユキナは振り返りまばらながら賑わう流れるプールを見た。そしてあまり入りたくないわねとつぶやいた。「まさか私に幽霊を探せとかいうんじゃないでしょうね?私霊感なんてないわよ」

「いやいや、君にそんなことは期待してないよ」確かにそういった〝感〟はまるっきりないがルーンにはっきり言われユキナはカチンときた。

「何のために呼んだのよ!」

「だから、僕が呼んだのは君じゃなくてウルフ君だって言っているだろう」

「だから、そのベンを何のために呼んだのかって言ってるのよ。ベンだって霊感は強くないでしょ?」実際にベンとそのことについて話したことはないがそのはずだ。

「あの~」プリヤがもじもじしながら話に割って入ってくる。

「僕はプールを調査する。君はこのプリヤ君を看ててくれ」

「なんで?それだけ?」なにかもっと面倒なことを言ってくるんじゃないかと思っていたユキナは拍子抜けした。

「じゃあ頼んだよ、ユキナ君」ルーンはそういって立ち上がり日傘を差すと、引き止める間もないまま室内プールのほうへ去って行く。プリヤはルーンの背中を見ながら口を半開きにするユキナによろしくお願いしますと笑った。


水は思ったよりも冷たかったがそれが逆に心地よかった。ユキナはプリヤに遠くに行かないように言いつけると、自分は浮き輪に乗っかりプールの流れに任せぷかぷかとだらけていた。こんなにのんびりするのはどれくらいぶりだろうか、ユキナはルーンを警戒してベンを連れてこなかったことを少し後悔していた。彼は今慣れない仕事に忙殺されていることだろう。

「ルーン様とはどんな関係なんですか?」プリヤがいきなり水中から現れ、ユキナは驚きひっくり返りそうにジタバタとペンギンのように手足をばたつかせる。ひっくり返る寸前でプリヤが浮き輪をおさえてくれた。

「ふー。ルーンとの関係?昔助けてもらったことがあるのよ。」ユキナは浮き輪を両手でしっかりと抱え込んだ「・・・・・おまけにひとり子供を押し付けられてるの」ユキナはプリヤをじっとみつめる。「あんたはなんでルーンのところに?」

「私もルーン様に助けていただきました」

「やっぱりあんたも理由ありなのね。」

プリヤはユキナから少し離れると背を向けた。そしてまるで水の中の階段を上るように浮き上がっていき水の上に立って振り返る。周りの客がプリヤを見て驚いた声を上げる。無理もない。ユキナは慌ててプリヤの浮き輪から起き上がるとプリヤの足を掴んだ。プリヤはバランスを崩し倒れ盛大に水しぶきが舞う。

「何考えてるの?あんまり目立つようなことしちゃだめよ!」ユキナは慌てて水から顔を出しせき込むプリヤに小声で注意する。

「私何かいけないことを?」プリヤはあなたこそどうしてこんなことをと言いたげな目をした。

「あんまり目立つようなあことはしちゃダメよ」

「目立つ?いったい何のことですか?」

「あんたもしかして、いやもしかしなくても人間じゃないのね?」

「随分騒がしいね」ふたりが振り返るとくくくと笑うルーンがプールサイドに立っていた。日傘で顔が陰っているせいか陰湿に見える。「プリヤ君、彼女の言う通りもう少し人間らしくしてくれ。人間は水の上は歩けないんだ」

「ごめんなさい」プリヤはルーンに注意されシュンとなる。

「そっちの用事は終わったの?」ユキナは浮き輪から降りてプールのへりに腰掛ける。プリヤは流されないように近くの手すりにつかまった。

「まあね」ルーンは当然と肩をすくめる。

「いやいや、こちらがさっき言っていた連れの方たちっすか。スゲー美人だしスタイル抜群っすね、こっちはグラビアアイドルみたいだしたまんないっすよ」どこから現れたのかいつの間にかルーンの横にハイティーンらしき青年が立っていた。プリヤとユキナを見て鼻を膨らまして興奮している。

「だれ?」ユキナの眉間に深いしわが刻まれる。プリヤも自分を守るように腕を体に巻き付けた。

「彼女たちをあまり不快にさせないでくれ、えーっと・・・・・」

「ジンドウっす。さっき教えたばかりっすよ」どうもすみませんとジンドウは二人に頭を下げたがユキナの眉間に刻まれた皺とプリヤの腕は緩むことはなかった。

「ジンドウってあのここで溺れたっていう・・・・・」ユキナの顔がどんどん青ざめていく。「ちょ、ちょっとなんで私に見えてるのよ!」ユキナは慌てて立ち上がりルーンのジンドウから距離をとり、顔を引き攣らせた。

「いま彼は僕に憑りついているからね。僕の魔力を吸収して力が強くなっているんだ。それよりもどうしてそんなに怯えているのかな?幽霊ならあの時さんざん見たじゃないか」

「駄目なものは駄目なのよっ‼」ユキナはさらに一歩後ずさりした。

「ルーン様、もうおしまいですか?」プリヤは残念そうな顔でプールから上がる。その瞬間おおっとジンドウが声をあげたためルーンは腕を振ってジンドウの姿を消した。

「いや、彼にも溺れた時の経緯をきいてみたらミカ君と同じく溺れた時に女性の姿を見たというんだ。それに彼はその女性の声も聞こえたらしい。」

「それでその女性はいたんですか?」

「男子更衣室やトイレまでくまなく探したけれどどこにもいなかったよ。ジンドウ君に聞いても溺れた日以外見てないというし」出直すしかなさそうだねとルーン。昼間に現れなければ今度は夜にまたここを訪れてみるしかない。できるだけミカやジンドウが霊を見た時の条件を再現すれば現れるかもしれない。

「さっきの奴はどこに行ったの?」ユキナは不安な顔であたりをきょろきょろしていた。

「ここにいるよ」ルーンが自分のすぐ横を指さす。「存在を感じられなくなってるだけだよ」別になにも悪さはしないとルーンは何度もいったが。ユキナは一週間ほどちょっとした影や不意な物音に悲鳴を上げ続けた。



 夜のプールは思ったよりも厳重な警備がしかれていた。不定期な時間に警備員が施設の周りを巡回いている。ルーンは真夜中近くにまた事件のあったプールを訪れていた。プール施設の周りを警備員の目に留まらないようにぐるぐる回りながら、侵入できそうな場所を探している。

「前よりも厳しいっすよ」ルーンの後ろでジンドウがいった。自分たちが忍び込んだ時よりも警備が厳しくなっているといいたいらしい。

「当たり前だよ。君たちがあんなことをしたせいだ」なんどか周囲を回ってみたが侵入できそうな場所がほとんどない。屋外プールにはフェンスが張ってあるだけで一見侵入しやすそうにみえるが施設が丘の上にあり、屋外プールが崖に面していた。ルーンなら登れないこともないが服が汚れるのを嫌い登る案は自分の中で却下いていた。

「どうやって中に入るんすか?」ジンドウは他人事のような口調だった。

「別に君がひとりで確認してきてくれてもいいんだよ?」ルーンも思わず冷たい口調になる。

「それは勘弁してくださいよぉ。おれ、幽霊とかお化けとかそういうのあんまり得意じゃないんすよね」自分自身がそういう存在のくせにとルーンは思ったが、考えてみればこのジンドウの言葉は彼の現在の状態を表しているように思えた。つまり、実感がないのだ。自分が死んだという。だからこそまだ魂は現世にとどまっているのだろう。ルーンは嫌味の一つでも言ってやろうかと口を開きかけていたが、それを飲み込んだ。

「僕は平気なの?」よく理解できていない人間からすれば幽霊もバンパイアも似たようなものだろう。

「・・・・・あんたは別に怖くないかな」ジンドウがじっとルーンをみつめる。「怖いというより可愛い」二百歳を超えても十代の若い異性から言われると悪い気はしなかった。

 ルーンは施設の駐車場端にある従業員用の入り口を車の陰から覗く。すぐわきに警備員用の詰所があり男が二人交代で見回りをしていた。ちょうど一人が見回りから帰ってきたようでもう一人が入れ替わりに出ていく。これで少なくとも十分くらいは詰所は一人のはずだ。

「やはり何事もなくことを済ますには君の協力が必要だ」ルーンはすぐ後ろで一緒に様子をうかがっている幽霊にいった。「これから作戦を話す。僕の言うとおりに頼むよ」

 ルーンが話し終わるとジンドウは作戦について不安があるようだったが最終的には承諾した。

 ルーンは警備員の死角から詰所に忍び寄り壁を背にしてしゃがみこむ。横で同じようにしゃがみこむジンドウに頷いて合図を送るとジンドウは文字通り夜の闇に姿を消した。しばらくすると駐車場に停めてあった車のフロントガラスが夜の静寂を切り裂くように割れた。警備員が驚き詰所から飛び出し車の方へ駆けていった。ルーンはその隙に従業員用の扉に近づく。扉の前にはジンドウがいた。

「何をしてるのかな?」ルーンがジンドウに訪ねた。

「なにって、あんたの指示通り鍵を開けてる」ジンドウは鍵穴に針金のようなものを差し込んでガチャガチャと鍵穴をほじくっていた。その道具はどこで手に入れたのかとかいろいろと突っ込みたいことはあったがルーンは肩で息を吐き出してそれを抑えた。

「そうじゃなくて、内側から開ければいいんだよ」ルーンの言葉にジンドウの手が止まる。そして、ジンドウはゆっくり立ち上がると扉をすり抜け中に消えた。数瞬後、扉がカチャリと音を立てた。ルーンは扉を開き中に入った。

「こいつは便利だ」ジンドウが真面目くさった顔でいった。


「君たちが忍び込んだ時はどこで泳いだのかな?」施設の中は、外ほど警備は厳しくなかった。プールに向かう途中の廊下で鉢合わせした警備員はルーンが一瞬で気絶させ縛ってトイレの個室に放り込んだ。更衣室を通り過ぎ室内プールに出るとムアッとする空気がルーンを襲った。締め切られているせいで湿度が異常に高い。昼間来た時よりも塩素の匂いもきつかった。

「外のプールっすね」ルーンはほっとして早足で外に出る。熱帯夜の生ぬるい風も涼しく思えた。「あそこのカーブの中央あたりにいたんすよね」ジンドウが流れるプールを指さす。

「泳いでいたら現れたんだよね?」

「うす」ジンドウの返事を聞くと同時にルーンはカーディガンだけ脱ぐと服を着たままプールに入った。シャツやスカートが思った以上に水の抵抗をうけよろける。

「あぶないですよ」突然目の前に亜麻色の髪をした少女が現れルーンは驚き、足を滑らせ水に沈み情けなくジタバタと手足をばたつかせた。危ないと注意してきた少女は溺れかけているルーンを見てオロオロとするだけだった。はたから見れば突然現れた幽霊に襲われているように見えるかもしれない。

 「大丈夫っすか?」プールからはって上がり咳き込むルーンにジンドウが心配そうに声をかける。ルーンは返事をせずにしばらく荒く息をするだけだった。

「あの娘で間違いないかい?」呼吸が落ち着いたルーンがようやく口を開いた。ルーンがプールの方を指さす。そこには水面上に立ちこちらを見ている少女がいた。

「えっ」ジンドウは今、少女に気付いたようだ。「でっでっで・・・でたーーーーーーーっっ⁉」自分自身も幽霊だということを忘れているのか、自覚がないのか彼は腰を抜かして尻餅をついた。震えながらルーンの脚にしがみつく。

「落ち着くんだ。君も同類だろう」ルーンはジンドウを振りほどいた。

「・・・・・そういえば、そうか」ジンドウは落ち着きを取り戻し立ち上がる。理解はできたようだったが、顔にはまだ恐怖心が現れていた。無理もない。あの少女はジンドウの死に関係があるのだから。

「あの~。大丈夫ですか?」少女が申し訳なさそうに口を開いた。歳はジンドウとそんなに変わらないように見えるが伏し目がちな態度のせいで幼い印象をうける。「私のせいですよね。でも、危ないんですよココ。でるんですよお化けが」何やら深刻な顔で告げてきたが、そもそも今この場にいるのは広いくくりで言えばルーンふくめ全員お化けだ。

「そうみたいだね」ルーンはじっとりとした眼でジンドウと少女を交互に見た。自覚がないのは似た者同士のようだ。

(あね)さん、こいつですよ。間違いないっす。」相変わらずルーンの陰に隠れている。「やったって下さい」ジンドウの言葉に少女はビクッと身体を震わせ小さくなる。

「だから、落ち着いてよ」ルーンはジンドウをなだめた。この男、臆病なくせにやたら威勢がいい。「あとそのアネさんって僕のことかい?そうならやめてくれ」年齢のことは自覚しているが容姿はここにいる幽霊の二人より断然若い。これを認めてしまうと残り僅かになった乙女心がさらに薄くなってしまうような気がした。それに、あまり慕われないように注意しておかなければプリヤのようになりかねない。

「うす」どちらにたいする返事なのかははっきりしなかったがジンドウはとりあえず静かになった。

「そんなに怯えなくていいんだ。僕はきっときみの役に立てる」ルーンは震える少女にできる限り優しくいった。「名前を訊いてもいいかい?」怖がらせないようゆっくりと近づきプールの淵に立った。

「ミドリです」少女はきつく自分を抱きながらこたえた。

「ミドリ君」ルーンはできるだけ優しい声でミドリと名乗る少女にいった。「こっちの男の子を覚えてるかい?」そう言いながらジンドウを指さす。

「ええ、覚えてます。少し前にプールに忍び込んで溺れましたよね?」後半の方はジンドウに話しかけていた。

「そうだ、お前のせいで俺は溺れたんだ」またジンドウが声を荒げ、ミドリはまた震えて小さくなる。ルーンはジンドウの顔を鷲掴みにして少し黙るように注意した。

「あの~、もしかして私に用があってきたんですか?」

「そうだね。この男の子、ジンドウ君の友達に頼まれてね。ジンドウ君が溺れた日に何があたのか。それと、その原因を正すために来たんだ。」ルーンの言葉にミドリは息をのみ顔が青ざめる。おそらく何かはやとちりをしているのだろう。「正すといっても乱暴なことをしに来たわけじゃない。君を傷つけないと約束するからいくつか質問に答えてくれないかな?」

「わかりました」ミドリは同意して頷いた。「でも一つだけお願いがあります。話をする間あなたのその日傘を私に預けてください」勘が鋭い。彼女はルーンの日傘からただならぬ気配を感じとっているのだろう。霊体化してかなりの年月が過ぎているに違いない。ルーンも頷き日傘を差しだす。ミドリはまたビクッと身体を震わせたが、恐る恐る手を伸ばし日傘を受け取った。事情をルーンが話している間ミドリは真剣な顔で、黙って預かった日傘をみつめていた。話し終えても何も言わず考え込んでいる様子だったがようやく口を開いた。

「私は溺れさせていません。その人が勝手に溺れたんです」弱々しい声ではあったがきっぱりと否定した。

「そんなわけあるか。俺が泳いでいたらあんたが急に現れて溺れさせたんだろ!」

「ジンドウ君!少し黙っててくれ」ルーンはぐるりと眼を回して、また興奮しだしたジンドウを睨みつけた。ルーンの鋭い眼を見てジンドウは両手をあげもうしないと示した。

「悪かったね」ルーンがジンドウの非礼を詫びる。「それで、ジンドウ君が勝手に溺れと言っていたけど、その時の状況を教えてくれないかな」

「状況もなにもその人とほかに何人かが夜中に忍び込んできて泳ぎだしたんで、わたし注意したんです。危ないですよって」

「さっきも言っていたけど何が危ないんだい?」

「出るんです。ここ」

「君が?」

「違います」ミドリは力いっぱい否定した。「いや、でるという意味では違わないですけど・・・・・。私じゃありません。馬のお化けが出るんです。」

「馬?」

「そうです。馬のお化けです」ミドリは真剣な顔でうなずく。ルーンはあたりを見渡した。つられてジンドウもミドリもあたりを見渡す。ここにいる三人以外には誰もいない。ましてや馬なんてそんな大型動物なんて影も形もない。まあ、馬のお化けなら姿を見られないようにできるのかもしれないが、ルーンにはここにいる二人の幽霊以外の気配は感じ取れなかった。

「どこにもいないようだけど・・・・・」ルーンがぼそりといった。

「いたんです!わたしその馬のせいで死んじゃったんですから」ミドリは疑われて鼻息もあらく声をあげた。口をへの字に曲げ不満をあらわにする。

「・・・最近はいつ見たのかな?その馬を」なんだか話が妙な方向に進んでいるように感じたがミドリを穏便に成仏させるためルーンは最後まで話に付き合うことにした。成仏させるには彼女のことをよく理解する必要がある。

「最後もなにも、そのお化けは一回しか見てません」

「つまり、君が殺されたその日以来その馬はここに現れてないのかな?」

「そうですね。そういうことになると思います」ミドリはそういうと満足そうに息を吐いた。それ以上何も話そうとしないのでルーンはその馬のお化けが現れた時の話をするようミドリに言った。ミドリは眉をひそめたが、それがルーンに話をするように言われたからなのか、自分が死んだときのことを思い出したからなのかは判断がつかなかった。

 「あの日私はとっても落ち込んでいたんです。どうして落ち込んでいたのかは・・・・・話に関係ないので言いません。私ココでバイトしてたんです。プールを閉めた後いつものように一人で泳いでました。オーナーさんが優しい人でお願いしたら温水プールはだめだけど外のならいいって許してくれまして。それでよく営業後に泳いでいたんです。誰もいないプールを自分だけのものにして泳ぐのはとても気持ちがいいものでした。あの夜はいつもより遅くまで泳いでました。泳いでいる間は余計なことを考えずに済んだので。どれくらい長く泳いでいたかははっきり覚えてませんが、あの日も現れたんですあの子が」

「あの子?あの日も?」ルーンは思わず口をはさんだ。

「はい、私は勝手にハヤテと呼んでました。まるで天女の羽衣のような鬣をもった馬です。いつも鬣が風もないのに揺れていて水面のようにキラキラと輝く姿がとても綺麗な馬でした。ハヤテは私が閉園後泳ぎ始めたその日からプールに現れました。初めは私も驚いて怖かったんですが、徐々に彼にも慣れて仲良くなりました。私がプールから上がると近づいてきてよく撫でさせてくれました。あの日はひとしきり撫でると彼が身を屈めたんです。まるで乗ってくれっていうみたいに。私は彼の背中に乗りました」ミドリはその時のことを思い出しているのか恍惚とした表情を浮かべた。「まるで自分が風になったかのような体験でした。」それ以上は何も言わず今にも涎をたらしそうな顔でトリップしていた。

 ミドリが背中に乗ったのは恐らくケルピーだろう。ケルピーは馬の姿をした怪物だ。水辺に済み油断させた人間を背中に乗せて水の中に引きずり込み溺れたところを食べる。おとなしそうな見た目とはうらはらに獰猛な本性を隠し持ったハンターだ。

「そのあとはどうなったのかな?」

「・・・・・覚えてないんです。」ミドリはルーンの声で我に返った。「気が付くとこの姿でプールに立っていました。なぜかこのプールから出られなくて。自分が死んだんだと気づくのにしばらくかかりました。」彼女が自分の死についてどう思っているのかは仕草や表情からは読み取れなかった。

「今の話はどれくらい前のこと?」ルーンはミドリにきいた。

「さあ、ずっとここから出られずにいるから時間の感覚はもうありません」

「それでも君がその馬に乗ったときの年はわかるだろう?」

「ええ」とミドリ。「確か五十五年でした」今から二十年近く前だ。彼女はそれほどの間この場所でひとり過ごしてきたのだ。余程、現世に未練があるのだろうか。しかし不思議なのは彼女がそれほどの長い間、地縛霊としてこの場所に憑りついているにもかかわらず悪霊になっているようにはみえないことだ。普通彼女のような死を遂げた幽霊は自らの恨みや怨念のような負の感情で悪霊になることが多い。

「なるほど。じゃあ君がここにいる理由はなにかな?」

「理由?今話しましたよね」

「それは原因であって理由ではないよ。君をこの場所に留めているなにか想いみたいなものがあるはずさ」

「そんなことを知ってどうするんですか?」ミドリは軽く眉を寄せた。

「さっきも言ったけど君の力になりたい・・・・・というと嘘くさいし実際裏もあるか」ルーンはふむと顎をさすった。「ここに来た目的はこのジンドウ君の友人に頼まれて彼の死の原因を調査、解決するためなんだ。故意ではなかったとはいえジンドウ君の件にかんしては君にあるようだし、今後同じことが起きないように君には成仏してもらいたいんだ」

「・・・・・成仏」ミドリが息をのむ。「成仏すると私はどうなるんですか?」

「べつにどうもならないさ。この世界に別れを告げるだけさ」

「ひとつだけ・・・・・ひとつだけもう一度経験したいことが」正直言ってミドリはこの世界に、延々と続くこの日々に飽き飽きしていた。毎日プールで泳ぐ人を眺めるだけの毎日、そんな退屈な時を紛らわせてくれたのは「・・・・・あの馬にもう一度乗ってみたいんです」あの美しい馬の背に乗って風になった記憶だった。


 「プリヤ君。これは何だい?」変わり果てた自宅兼事務所の部屋を見てルーンは顔を引き攣らせた。後ろではジンドウがもの珍しそうに部屋を見渡している。もともと部屋は整理されていなかった。資料のために集めた怪しい本は本棚に並ぶことなく直接床の上に積みあがっていたし、読み終わった新聞や依頼書などの書類は分類されることもなく机の上に乱雑に置かれていた。そのほか洋服や雑貨、すべてのものは整理されず無秩序に散らかり放題だった。それがどうだろうかあるべきものがあるべき場所へ、本棚や机が本来の姿を取り戻し役割をはたしている。まあ、一言でいえば綺麗に片付いている。それどころかフローリングや窓も本来の輝きを取り戻し部屋の明かりを反射いていた。

「おかえりなさい、ルーン様」プリヤはにっこり笑い、ルーンを出迎えた。「見てください。居心地のいい部屋になったと思いませんか?以前拝見したお宅の真似をして掃除と片付けというものをやってみました。」心なしかどや顔を決めているように見えるプリヤは、芸をした犬のように褒めてと言わんばかりにルーンに擦り寄ってきた。

「僕は前の方が落ち着くよ」ルーンはそっけなくプリヤを振りほどくと冷たくそう言い放った。

「そんなっ」苦労して片付けたプリヤだったがルーンの言葉にショックを受け、涙目になった。掃除をしていた時はルーンから感謝される自分を妄想していただけにダメージが多きくその場に崩れ落ちた。

 ルーンはため息をついて自分の定位置である肘掛椅子に腰を下ろした。無意識にデスクに手を伸ばしたがいつもの場所にあれがなかった。

「プリヤ君。ここにあった木箱はどこだい?」プリヤは崩れ落ちたままの格好で微動だにしない。ルーンは再びため息をつくとロリポップキャンディの入っているはずの木箱を探してデスクを漁った。

「そう落ち込むなよ、プリヤちゃん。俺は今の方が全然いいと思うよ」ジンドウがプリヤの肩をポンポンとたたいた。「正直プリヤちゃんが片付ける前のこの部屋は人間が住む場所じゃなかったよ」

「私もルーン様も人間じゃありませんけど・・・・・」プリヤはたたかれた肩を払いながらジンドウと少し距離をとる。事務所は変な空気に包まれた。


 片付けられた事務所の応接用のソファで食事をとる間も三人は誰もしゃべらなかった。特にジンドウはプリヤに露骨に避けられたのが相当ショックだったのか、あの後すぐに依代であるルーンの中に姿を消してしまった。

「事件は解決したのですか?」プリヤが重たい空気を払いのけるように話題を振る。

「まだだよ」ルーンはいった。「ちょっとまた問題が増えてね。今日はこれを食べたらすぐに寝るよ」

「まだ十二時も回ってないのに?」バンパイアのルーンは夜型だ。本来ならこれから活動を始める時間なのだ。

「図書館に行く必要ができたんだ。公共施設は万国共通で夜はやってないからね」ルーンはそういうと最後の鳥のレバーを口に入れ席を立った。「片付けておいてくれ」プリヤが頷くとルーンは隣のベッドがある部屋に向かった。ドアに手をかけたところで思い出したように振り向く。「明日は君も連れて行くからね」ルーンはだから早く寝るようにとプリヤに言い残し自室に姿を消した。ルーンは普段、依頼人と会うときか本当に危険が少ないと判断した時しかプリヤを仕事に連れていくことはなかった。プリヤは連れて行ってもらえることをうれしく思ったが、それと同時にルーンが連れていくと決めたであろう理由を考えて複雑な気持ちにもなった。


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