第一章[表]古びた校舎の片隅で②
一ヶ月前、九野里市を震源として小規模な地震が発生した。
それによる被害は全くと言っていいほど存在せず、人々の記憶から薄れるのに、さほど時間は要さないようなありふれた地震ーーのはずだった。
揺れが収まった後で誰かが言った。電話した誰かが言った。
次の日に誰かが言った。仕事でやって来た誰かが言った。
ある日誰かが言った。久しぶりに再会した誰かが言った。
ーーそんな地震は知らないと。
この地震は隣接する美咲香市、静木市まで及んだ。それだけだった。
その外に一歩踏み出すと、誰もが口を揃えて言う。地震なんて無かったと。
それでも大した話じゃない。その小規模な地震に友人が気づかなかっただけだと、たまたま狭い範囲しか揺れなかったのだと。
そんな風に納得した彼らの中では、この現象は意識の底に沈み落ちて、ぺちゃんこに潰される。
そのまま溶けるはずだった。そのまま薄れるはずだった。しかし、その寿命は僅かに伸びた。
取るに足らない記憶たちは身を寄せ合い、噂話、与太話として人々の間を渡り歩く。
そこには三つの『続き』があった。
ーーーー
「曰く『四足歩行の幽霊を見た』」
「曰く『夜空を走る人影を見た』」
「曰く『降り注ぐ流れ星を見た』」
「ーーていうのが、この前の地震前後にあった出来事だって噂されてるわけだけど」
そう言って裕也は前提事項を確認する。
あの奇妙な地震から一ヶ月。すぐにかき消える靄のように希薄だったそれは、この噂達と共に延命した。
つまりは、あの地震はこれらの怪奇現象の延長線上に存在するのではないか。というこじつけの理論だ。
この噂に噂を重ねがけた歪な噂話に、超常の怪奇に飢えに飢えた彼女が食らいついたのは言うまでもない。
記念すべき新学年最初の部活動が決定したのは、もっと言うまでもない事なのであった。
ホワイトボードの左隅の『今月の活動!!』の欄にも『あの地震の謎を解明する!!』とでかでかと書いてある。
まず最初の方針として、どの噂から調査するかを決めるところから考えた。一つに絞った方が効率が良いとの判断だ。
これは大して時間もかからずに『幽霊』の噂に決定する。
三つの中で最も目撃情報が多く、他の二つ目より『実態がありそう』と判断したからだ。
「『幽霊』っていかにもベタで、怪奇現象って感じがするし」
「わたしは残り二つを掘り起こすのもやぶさかじゃなかったんだけどね〜」
「茨の道もなんのそのですね」
三つのうち、『四足歩行の幽霊』は深夜に、黒い影のようなものを纏った生物が現れるという噂だ。
その影はかなり背が低く、足が四本ある。そして瞬きの間に現れ、消える。
地震から一ヶ月近く経った今でも、目撃談が疎らにあるらしい。
以上から、これは何かの動物を見間違えているのではないか。というのが常識的な判断となるだろう。『幽霊がいる』と潜在意識に刷り込まれていれば、そういった偶然は無い話ではない。しのかは「UMAに決まってるよ〜」と頑なだが。
「これは久しぶりに聞いたよな」
「そうだね〜。最後に聞いたの何年前だっけ?」
「俺はこの話知らないんですよね」
『夜空を走る人影』は、意味通り深夜に、空を駆けて飛び回る人間を見るという噂話だ。
これは中々にーー少しおかしい言い方だがーー歴史と由緒ある与太話だ。
自分たちが生まれる前からこの地域に根付いて、しかし人々の口までには浮上はしない。記憶の底にこびりついた一筋の染みのような目撃談。
今回に限っては継続した目撃情報が無く、おおかた怪奇現象に触発された誰かが思い出しついでに吹聴しているのだろう、というのが部の考えとなった。しのかは「闇夜に生きる陰陽師集団がいるんだよ〜」と頑なだが。
「……流石になぁ、これは……」
「誰かが花火打ち上げたとか。時期外れですけど」
「こういうのにロマンチックなナニカがあるんだよ〜」
そして最後、『降り注ぐ流れ星』の噂。
これは最も確度の低い話だと言えるだろう。ニュースを見ても流星群が接近していたなんて情報は全く無く、前者二つとも毛色がかなり違う。同時期に発生した噂話は発生源が同一であることが多く、必然的に共通性が見られるものだ。絶対とはもちろん言えないが。
そしてなにより、目撃情報が規模にしては少なすぎる。
言うまでもないが、流星群は規模が大きい。テレビデビューで朝から晩まで引っ張りだこ確実ものである。だがそれにしては目撃者があまりにも少なすぎだ。本当にあったのなら絶対にこんな地方都市の噂話ごときで収まるはずがない。
よってこれは、ほぼ荒唐無稽なホラ吹き話で決定、というのが部の考え。その始点がどこなのかというのが気がかりとなる。
しのかは「これは宇宙人がこの街を使って行った極秘実験で失敗したその反動でバラバラに砕け散った彼らが塵として降り注ぐ過程で流星のように見えたんだけどそれを知られる事を恐れた黒幕は街の人々から記憶を消去して隠蔽したけどそれでも記憶が残ってる人は宇宙人と戦う選ばれし戦士になれる資格があってこれから終わりなき戦いの火蓋が切っておとーーーー」と頑なだ。
そうやって前提を確認しながら、手元のノートの切れ端上の情報をざっくりとボードに書き写す。
最後の一文に間違いがないのを確認し、マーカーを置いた。
「それでは〜、つい昨日に情報提供者のところに訪問した裕也隊員から、新たなる真実が明かされま〜す。どうぞっ!」
「『幽霊』の発生源の有力候補。それと確かな目撃情報だ」
実にあっさりと、なんでもないことのように。むしろ嫌そうに裕也は言った。
待ってましたと言わんばかりに部長の目に炎が滾る。
「『幽霊』の発生源……。噂の中心の実在が前提なのもそうだけど、色々と一足飛ばしどころじゃないね〜」
「眉唾だと思うか?」
「『嘘つかない』んでしょ? その、ロッドさんって人」
「…………言わなきゃよかったよ」
後悔混じりに溜め息をつく裕也。
『三つの噂』について調べ始めた頃。ちょうど智紀が研究会に加入した辺りに、その『ロッド』という名前は何度も出た。
なんでも裕也とは旧知の仲。そしてもたらす情報に関しては信用に足る人物なのだという。
『情報を売るときに嘘はつかない』と、裕也は件の彼をそう評価したのだ。
そこには信頼とはもっと違う感情が滲んでいたと智紀は感じていた。
「それにね〜、例え眉唾でも口から出任せでも、それはわたしたちには大切な『情報』なの。ならば一考以上の余地を求めるのが、我が研究会なのであります」
なんてね〜、とふわふわ笑う少女のそれは、決して曲がらない信念のようなものなのだろう。などと言うと大袈裟に聞こえるか。
しのかはいくらか考えるようにしてから、
「いったい何者なのかな〜? ずっとSNSとか掲示板に潜ってる人なのかな〜?」
その想像とは恐らく対極であることを裕也が伝えると、一度会ってみたいとしのかは言う。裕也は何となく微妙な面持ちになるが、特に気にかけられずに話は進む。
「発生源の話ももっと掘り下げたいけど、先に次の話にいこうか〜。『確かな目撃情報』っていうのは、もしかしてロッドさんは幽霊を目撃した、もしくはいっそ、捕まえたりしたのかな〜?」
満面の期待を笑顔と貼り付けて。しのかは裕也に尋ね、
「この目で見た」
その返答に石と化す。
「えっ!? なにそれすごい! ユウ君が見たの!! いつ!? いつの話??」
石化を気合いと好奇心で秒解きして長机ごと詰め寄る少女に、裕也は両手で馬を宥める。
「落ち着け落ち着け。息整えて。ーー吸ってぇ〜」
「スゥゥゥ」
「吐いてぇ〜」
「ハァァァ」
「これは昨日の話なんだけどーー」
「えぇぇ!?? めっちゃ最近、てかどこ!?? どこで見たの!!!???」
全く深呼吸が効いていない。仕方がない。仕方がないので、裕也は今自分が考えられる最高峰の伝家の宝刀を切った。
「マサも見てたから間違いない」
「信用度下がった〜」
なんという便利な男。伊吹誠人。
『信用』という一点において、これほどまでに見込み点を下げる要素はお前だけだよ。
「確かに『悪い』ニュースだろ?」
「悪いのはマサ君だけだよ〜」
予期せぬマイナス要素で少女のテンションは安定する。一度大きく息を吐いてから、ズビシッ、と扇子を突きつけた。
「昨日何があったのか聞かせて。こと細かく、全部」
結果裕也が誠人の板チョコをくすねたことがバレた。