第二章 神城裕也
合宿、二日目。
土を踏みしめる音がする。
ざくざくと耳に響く。これは砂利が草に沈む音。
見上げた先では高々と背を伸ばす木々が風で揺れる。
ゆらゆらと目を撫でる。これは気持ちの良い擬音。
さらに向こうでは真ん中を陣取った太陽が燃えさかる。
ジリジリとジリジリと背を焦がす感覚は、どこか近い日のナニカを呼び起こす。
心を遠くまで引き伸ばせば、落ちて流れる水の音がこだまするようだ。
これは本当の本当に、ただのまやかし。
悪い癖、なんだろう。
目的が目の前を横切ろうとしているのに、自分を挑戦的に挑発しているというのに。
専心すべき事柄を胸に抱えて足を踏み出しても、そうしようとすればするほど、心は宙を右往左往し始める。
景色が一番見えるのは、人が一番見えるのは、世界が一番見えるのは、自分が、一番見えるのは、
いつだってそうでないものを見ようとしているときだ。
ちゅうぶらりんの優柔不断。いつまで経っても収束してくれないこれは、きっと悪い癖で間違いない。
結局は諦めて、砂上に立つ足のなすがままになるのが常で、その流れのままを考察してみたりなんかもしてみたものだ。してみるものだ。
森は笑ってる。嘲笑まじりに見えるけど、きっと慈愛に満ちた瞳で笑ってる。
安らげと。安らいでしまえと。楽になってしまえと。受け入れてしまえと。飲み込んでしまえと。全部を忘れて、そして次の一歩を踏み出せと。
山が自身に強要しているように感じられる。神様が本当にいたとして、これは気まぐれの慈悲か、職務なのだろう。毎日のノルマに『人を救ったらボーナス』とでも書き記してあるのだろう。
あぁ、酷いとばっちりを押しつてけてしまっている。ここで自己嫌悪に陥ることさえ、この母なる自然たちには喜ばしいことではなかろう。どう足掻いたって迷惑だ。
心がかぶりを振る。意味はなかった。
視界を澄ますと、少し安心した。自身の両足は確かに前進していたようだ。
滑らかな上り坂で足裏の感触を確かめながら歩む。勝手に確かめさせられながら踏みしめる。湿気のない地面は思っていたよりも固い。昨日よりも。気のせいだが。もしかしたら木のせいなのかもしれない。昨日見たのと周囲の木々は幾許か差異が見受けられるーー気がした。それこそ気のせいだ。
手の握りが強くなる。その内から漏れる淡紫の明かりがゆらゆらと。陽炎のようだ。しっかりと感触を確かめる。
少し土が柔らかくなってきた、ような。足元の緑もなんとなく増えているようで合点がいった。
少し傾斜がきつくなってきた。今までが甘すぎだったのかもしれない。昨日も通ったはずなのに。
少し足が後ろに引っ張られる感じがした。左側には昨日みんなで登った斜面が見えた。真っ直ぐ進んだ。
少し足元を確認した。特に理由は思いつかなかった。跡を辿るなら前を向くべきだ。
少し足が逸った。どうしてだろう。少なくとも好奇心とはそれなりに離れたものだ。背中が熱くて、痛い。
少し戸惑った。どこまでも続いているかと思われた標は途絶えて。途絶えたと思ったら横道にそれていた。緑生い茂る先に確かに続いている。踏み込んだ。
もう一歩。もう一歩。もう一歩。もう一歩。もう一歩。身体は緩慢で、心は疾い。全部がもう、遠くで駆けていた。
一度立ち止まった。目の前には境界がある。ここにいるぞと主張している。訴えかけている。僕はその先を見ないようにして、足を一歩と半分引いて、まだ立ち止まったままだ。
ーー中天の太陽が背を焦がす。
分水嶺はいつだったのか。
ーー中天の太陽が背を焦がす。
あぁ、酷い皮肉だ。
ーー中天の太陽が背を焦がす。
通学路を逆走した、あの日がーー
一歩を踏み出す。
少し、後悔した。
「ボン」
空気が揺れて、炸裂する。発散して、収束する。
秒にも満たない破壊の凝縮。歩み寄る男が一人。
パラパラと降り注ぐ砂利を見ようともせず、男は口を開いた。
「ーー『缶ビール』ってもんに、俺は感銘を受けてるんだ」
「向こうじゃ『樽』とか『瓶』にはいった酒はあれど、『缶』なんてもんは存在しねぇんだ。当たり前だけどな」
「美味い酒が安く、持ち運びしやすい状態で手に入る。それに俺は心底惚れたのさ。開発者の方に百億円ぐらい払いたいね。持ってないけど」
「この話をするとこぞってみんな、『別に缶ビールである必要はないだろ』『缶の酒なんていくらでもあるぞ』って話をしやがるんだが、確かにそうだ。色々あるしな。色々美味いしな」
「それでもやっぱ缶ビールなんだよ。なんでか。なんでかなぁ……」
「向こうじゃあまりお目にかかれない味ってのもあるが、こっちで初めて飲んだ酒だからか。すっかり気に入っちまったらしい。一目惚れってやつかね。ちょいと違うか」
「安いやつの方が好みかね。総合的に」
「まあなんの話だよって話だが、お前もご存知の通り俺は『語り部』。まあ真似事だが。とりあえず喋りたがりでね。そして前置きが無駄になげぇと来たもんだ。ガキのお前は随分としびれを切らしてた気がするが、今やこれがホンモノかどうかも分かりゃしないんだよな。疑いたくはねぇけど」
「あとなんだ、てきとーに話してると言ってることが矛盾してきたりもする。ま、どうでもいい話に整合性なんていらねぇか」
べらべらと、実に淡々と、何も変わらずに男は口を踊らせる。
眼前の砕けた地面と満たされた土煙に向かって。
何も変わらずに、喋り続ける。
「ーーさて、本題だ」
「酒はいくらでもあるんだが、残念ながら肴がなくてね」
「酒という存在は、しかしそれだけじゃ完結とは言えねぇ。そばに肴が添えられてこそ映えるもんだ」
「お前にはそれを任せたい」
土煙が晴れていく。
「なぁに簡単だ。話を聞かせてくれ」
「お前の今までの歩みを。どうやって始まったのか。誰がいたのか。なにがあったのか。そして幕は如何にして降りたのか。俺の聞くことに面白可笑しく答えてくれりゃあいい」
土煙が晴れていく。
「なんせ誰も知らない冒険譚だ。俺にとっては十分に価値がある」
「まずは、そうだな。『使者』フィリエル・ガーデニア・エイルフォルトの最後、なんかをよろしくしたいかね」
土煙が晴れていく。
破壊の粋を尽くされた無残な世界の中で、
炸裂を浴びた少年が
身構えた少年が一人立っている
「さあ、『対価』を精算する時間だぜ。神城裕也」
中天の太陽が、背を焦がす。
第二章 終
ここいらで少しだけ毎日更新はストップ致します。思い返せば17万字くらい、結構書きました。ちょっと助長だったかも。
ここまで読んでくれた方。本当にありがとうございます。いやホント。ありがとござます(^^)
こっから三章の完結まで筆を走らせますので、しばしのお待ちを。
感想やらなんやら貰えれば執筆ブーストかかります。いやもうホントに超ブーストします。是非とも気が向きましたら




