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この街に『勇者』はいない【絶筆版】  作者: 田神 へいき
第一部 ■■■ to ■■■■■■■
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第二章[裏]空が砕けた日

 

「本当に……なんとかなりそうですね……」


 九野里市『協会』本部。管制室。


 第六班の支援官。瀬乃(たまき)は、後ろから差し入れられた珈琲(コーヒー)を、染み渡らせるように口に含んだ。

 支援官(オペレーター)の仕事を交代し、しばしの休息時間。万が一のため、デスクからは動かない。

 人員が不足している討伐官(プロセッサー)索敵官(オブザーバー)に比べ、支援官(オペレーター)は業務に差し支えない程度の人員。いくらかの班の支援官を複数人交代制に出来るぐらいには余裕があった。


「それにしても」若い支援官がこぼすように喋り出す。


「初めてちゃんと見ましたけど、鬼気迫る強さですね。あの数の敵性(エネミー)を、()()()()()()()()()()で…………。『矢車』一真。さすが今代の最強候補。『六家』の名前に恥じないどころじゃない……。天才、ってやつなんでしょうか?」


「…………そうね。素晴らしい才能だわ」


 その苗字を強調して、まるでオリンピックのアスリートをテレビ越しに眺めるような、羨望や嫉妬の混じった称賛をした。

 環はいつも通り起伏のない、一見冷めたような返事を返した。


「それより白と黒の狼。ここ数年出なかったんですよね? 突然大量に出てきて、どういうことなんでしょう?」


「……原因は分からないわ。適当に想像するのが関の山。そもそもこれを暴くのは私たちの仕事ではないわ。専門に任せるしかないわね。

 私たちは今目の前に集中するしかないし、それ以外は余分でしかないわ」


 環は新人の目を真っ直ぐに見据えて言った。


 すいませんと、彼女は恐縮した。


「謝る必要はないわよ」環は苦笑しながらマグカップを口に運ぶ。少し言い方がキツかったか。


「その点、あの子たちは本当によくやってくれているわ。増援が送り難いこの状況で、三人だけで切り抜けようとして、本当にやってのける。…………これは財布は(ひも)ごと千切らないといけないわね……」


「?」


「なんでもないわ」


 そう誤魔化してデスクの棚を漁る。取り出した緑の缶箱を開け、取り出したものを放った。 彼女は両手で(すく)うように受け止めた。小分けに包装されたクッキーだ。


「あ、ありがとうございます……!」


「貴方も頑張りなさい。出番はいつやって来るか分からないわよ? ーーこれ、ありがとうね」


「はい!」


 そう言ってデスクに向き直った。あくまでメインの支援官は自分。交代はすぐにやってくる。

 首に手を置いてコキコキ鳴らす。年寄り臭くて、あまり人気(ひとけ)のあるところでやりたくないがーー


「あの」


「ーーはい?」


 運良く声が裏返らずに済んだ。振り返ると先程の新人支援官。引き攣らないように慣れない笑みの形を作る。


「なに?」


「あの、少し気になったんですけど、第六班の魔力観測値のグラフ。他と比べてちょっとーー」


『ーー瀬乃支援官。交代をお願いします。少し早いですが決着です』


 イヤホンから響いた任務完了の伝令。早い、いったい彼らはどれだけ財布を軽くさせれば気が済むのだろうか。不思議と嫌ではないのが、より一層感情を浮き立たせる。

 再度デスクに向き直るーー前に、彼女に少しの謝罪。


「ごめんなさい。仕事の時間みたい。……なんだったの?」


「…………いえ、たぶん大したことないです。経験不足だからですかね、少し横ばいなのが気になって……

 ーーとにかく、私も頑張ります!!! ありがとうございました!!」


 頭を下げて、今度こそ戻っていく後ろ姿を見送る。


 少し息を吐いてから、通信へと意識を飛ばした。




 ーーーー




「なぁぁぁぁしとげたでぇぇぇ!!!!!!」



「…………大和さん。叫ぶなら向こうで……」


「………………あたし、もうムリ。フツーに立てない。……ムリ……もぅマヂムリ……」


「スズちゃん!!!! なんや物騒に聞こえるから言い方考えた方がええぞ!!!!」


「…………大和さん……少し……静かに……お願いします……」


「クドウ!!! 隊長のお前がそんなんでどないするんや!!! 立てっっ……ぇぇぇっっ……………………ぐふ」


「……………大和さん倒れちゃったけど………隊長……」


「……俺が悪いのか………いや……もうそれでいい……」


「あかん…………脚動かへん…………立てへん……」


 銀英山、小狩場内。


 暫定安全地帯に選んだ円状に開けた森林地形(フィールド)の南東部。

 後付けで形成した鉄色の壁に座り込んでもたれる二人の影と、その前で大の字に転がり空を見る青年。


 雲ひとつとない天幕(ソラ)には数えきれないほどの白煙が登っている。

 辺り一面に積み重ねられた灰の山は、あえて崩さぬともそのような形で自身を弔う。魔獣たちは実は上昇志向が強いのだと、誰かは言っていた。


 そのケモノの残骸たちは登って登って、その先にどこへ向かうのだろう。

 そんな幻想に思いを馳せるのは、生者の特権であり、責任逃れであり、ただの傲慢だ、とは。さすがに卑屈が過ぎるだろうか。


 偽物の太陽が、隊服の紺色を一層鮮やかに染め上げる。


 疲労困憊(こんぱい)精疲力尽(せいひりきじん)。全力疾走。


 とにかく体力も魔力も出し切った彼らは、これ以上の運動は幼稚園の学芸会レベルでもお断りだろう。足がつる。最悪死ぬ。


「…………そら……青いなぁ…………」


「……まあ、ニセモノですけど…………」


「…………カズ君さぁ……余計なツッコミは野暮野暮だって…………」


「…………………………だな……」


 まるで夢を見ているみたいだ、なんて。なんだか詩的な未確認物質の一つでもひねり出せそうだが。あれだ。糖分が足りない。一真は溜め息を空に吐いた。


「…………我ながら……よく生きてるよ……ホントに……」


「…………俺には隊長さんがおっ死ぬとこなんか想像できひんわ。正味余裕、あったやろ…………?」


「………あるわけないでしょう………それならこんなふうに……空を仰いだりは……してません…………」


 千鈴の錆びたケラケラ笑い。

 それを火種に、三人で顰蹙(ひんしゅく)を買いそうな景気の悪い笑いを響かせた。悪くない。


 一真は客観的に述懐する。ついていた。ツキに恵まれた。この勝利に付きまとうのはそんな言葉ばかりだ。

 立地や戦闘の流れはもちろんだが、なにより()()()()()()()()()()()。終わってみれば、尚更そう感じる。断言してしまうほどに。

 まるでしばらく動かしてなかった玩具(オモチャ)に無理やり電気を流していたような。

 魔力が足りているのに、生かしきれていないような、ちょっとした機能不全を起こしていたように思える。


 ーー在庫処理(・・・・)……。あながちどころか、まさにその通りだったのかもしれない……。


 なんて考察して、もう終わったことを今考えなくてもいいかと。とりあえず無信仰なりに神様に感謝して思考を打ち切った。


 恐らく、数分。


 このままで十…………時間ぐらいは仮初(かりそめ)の青を見上げていたいが、それは問屋と、我らが支援官が許さない。許させては申し訳ない。



「そろそろ、お願いします」



 やおら空に声を投げた。



『…………了解したわ。小狩場(インスタント)を解きます』



「……ほーーーん……いつからおったんや……」


『今来たところよ』


 相変わらず下手くそな人だ。一真と千鈴はクスリと苦笑して、お互いに手を取り合って立ち上がる。


『結界解除。世界(ハコ)が割れるわ。吐かないように構えておきなさい』


 地面が軽く揺れながら、空の先にヒビ(・・)が入る。一旦仮眠室でもいいから寝たい。すぐに寝たい、と。睡魔を脳内で自由に暴れさせようとしてーー



 見えた。




(たまき)さんストップ!!」




 そう半ば叫んで意識がはね起きる。返事はない。だが揺れもヒビも止まった。

 二人は少し仰天したようだったが、千鈴は視線の先にすぐに気づいた。


「なんやクドウ。小便か?」


「そんなわけなーー…………向こう見てください」


 それで大和もようやく理解する。


 数十メートルほど先、戦闘の余波ですっかり風通しの良くなった茂みの向こうに、白影狼(ステルスウルフ)が二体見える。生き残りだ。

 見逃したまま狩場を閉じれば、後々また面倒なことになる。身体に(むち)打つようで乗り気はしないが、不安要素は取り除かなければ今日一日の意味が無い。


「危なかったな……俺がちょっと行ってーー」


 言い終わる前に、千鈴が駆け出した。


「隊長は明らかに一番働いたんだから休んどきな! あたしがちょっくら片付けてくるー!」


「おいっ!……………はぁ……」


 一真は見送りながら膝をつく。確かにもう脚は鉛をくくりつけたように重たくて仕方が無い。それは間違いなく千鈴も同じはずだが。

 彼女の背中を見れば、走ると言うより、歩いてはいないくらいの後ろ姿だ。


「痩せ我慢ばかり…………仕方の無いやつだ。ーー大和さん! 一応武装を再構築しておいてください。最期の後始末です」


「おうさ! 立つ鳥跡を濁さず行こ……か…………」


 その語尾にあまりにも力がなくて、違和感を感じた一真は振り向いた。


 大和は記録蒼晶(メモリア)を握ったまま首を傾げている。


「…………どうかしましたか? 早く換装してください」


 一目でそこに正常に魔力が注ぎ込まれ、循環しているのが見て取れる。いつでも起動できる状態だ。

 しかし、彼の武装である長銃が手元に現れる気配はない。転送の予兆が微塵もない。


 強烈な違和感。


 全身にのしかかるそれは、脳内に歪な警鐘を鳴らしている。


 ーーなんだ、何がおかしい…………


 大和はバトンのような半透明の結晶体を手の中で弄ぶ。魔力を通して発光しているが、すぐに迷子になってしまったかのようにチカチカとした点滅に切り替わり、光を失う。


 一真は耳元に手を添えて、彼方へと声を投げた。


「……環さん。記録蒼晶(メモリア)に不具合が出ています……」


 支援官への報告。


 脳裏に響くのは宛先不明のノイズだけ。


「…………環さん……?」


 ーー通信が、切れている……?


 空白はほんの一瞬だけ。そこに続く一瞬を一真は最大限に利用して思考する。

 

 通信が切れている。いつ切られた? いや、通信障害で切断されたか。回復する気配もない。何故だ。単純に考えれば結界が不安定になっているからか。

 ならば何故、結界が不安定になっているのか。狩場(フィールド)を解除しようとしたからか。なにか不具合でもあって通信がかき乱されているのか。どのタイミングから通信は通じなくなっていた? 解除直前、いや直後までは通信は通じていたはずでーーーーー



「ーーあっ」


「おいクドウ……やっぱりこいつ全然動かんなっーー」




「ダメだ!!!! スズっっ!!!!!!」




 走り出す。やはりだ。間違いない。鉛の脚にいくら(まりょく)を流しこんでも、()()()()()()()()()()


 不安定極まりない術式の起動。駄目だ。無理やり流せ。強引に流せ。例え()()()()俺は出来る。出来たはずだ。落ち着け動揺するな前を見て息を整えて足並みを揃えて視界を揃えて力を込める流れを直進して一周いつも通りに蹴って進めーー


 脚が千切れたかと思った。


 心臓の悲鳴がカウントダウンを刻んだ。


 土壇場の一瞬。


 その加速は確かに『魔法』で、経験値が紡いだ必然。


 千鈴は狼の一体に切りかかろうとして()()()()()()()()()()()()()()()。大丈夫。間に合う。その牙は届かせない。ここを踏み切れ。跳べ。そうすれば一歩でこの手が届……………………








 色は






 赤だった。







 ーーーー




「どうしたの!!! 応答しなさい第六(カズマ)班!!! ()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」


 管制室。甲高い悲鳴が渦巻く。


 突然途絶した通信。そして観測不能になった班員たち。現実世界に帰還したはずなのに反応が無い。


 その現象は九野里市の班、そのすべてで起こっており、管制室は半ば阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図だ。

 想定をしていない事態に人は弱く、()()()()()()()()()()()()()()()()()が、()()()()()()()。それに今更気づいても、もう遅い。せめて冷静に状況の判断を……



鮮明化(クリアライズ)完了!! 正面モニター、映像出ます!!」



 今まさに急ピッチで探知の制度を上げ、現状の把握を推し進めていた索敵官(オブザーバー)たちから、場を(せい)す一声が上がった。


 自信が監督する班員への叫び声が止み、顔が上がり。


 静寂が場を支配した。


「………………え」


 その一声は自分か、他の誰かか。疑問か、それとも理解の拒絶か。もっと違うなにかか。


 目の前の現れた情報は、ただただ有り得ないことを、有り得るのだと突きつける、非情な女神だった。


「なん、で…………」そして漏れた声は、今度こそ自分の……




「魔獣が外、歩いてる」























 声が聞こえる。






 あれ、今日ってこんな曇り空だっけか……



 すごく、あれだ。なんだかあれだ。……寒い……な。……なんか……寒い……というか冷たい……のか……?…………あれ……でも手はちゃんと握って……るな。良かった。俺はちゃんと間に合って……なんかあれだ。あと……五分……



「……ぁぁ……!!! ……!………っ…!??……!!!」



「…………っっ!!!!!????? ………………ぇっ!! ……ぁ……ぅ……!!!」



 なんて……言ってるん……ですか…………て、どこ向いてるんです…………大和さん…………わかりま……せん……て……なんで…………今………ここ……は…………



「ーーお兄ちゃん!!!」



 絵の具を撒き散らしたみたいに閉じていく世界で。


 その響きだけが、ずいぶんと久しぶりに聞くようで。


 遥か彼方で、風鈴のように綺麗に鳴っていた。

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