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この街に『勇者』はいない【絶筆版】  作者: 田神 へいき
第一部 ■■■ to ■■■■■■■
33/36

第二章[表]影の足跡を辿る③

 

 こみ上げる衝動のまま、大口を開けて空気を(むさぼ)った。


 大きく、それはそれは大きい、もはや芸術性すら見い出せない事は無いかもしれないレベルの素晴らしい欠伸を一つ。


 惰性の心から(にじ)む涙の向こうでは、チョークが走る音がカツカツ響き、白髪混じりの教師がよくわからない話をしている。しかしそれを真剣に聞いている生徒は数人いれば多いほうだろう。


  ぶっちゃけてしまえば、退屈だ。

 この教室に隔離された人間のほとんどが思っているはずの当然の帰結。角張った言語を吐き出し続ける教師だって、それは例外ではないはずだ。ーーはずであって欲しい。


 そんなごく普通の高校の、ありふれた授業風景。


 なんだか時間を無駄にしてるみたいで、自分を無駄にしてるみたいで。もやもやした不快感を覚える。

 日本式で言うなら「もったいない」ってやつ。もったいなくて退屈。負の二重コンボだ。自習でいいし、自習がいい。

  授業終了のチャイムまで約十分。

 気休め程度の睡眠に当てるのもいいが、なんとなく窓の外を眺めてみる。

  今日は快晴でも何でもなく、どこかどんよりとした曇り日和だ。 こんな景色に喜びはない。


 視線を戻して、今度はポケットから取り出した角張った水晶を手の内で転がす

 スミレ色の宝石は質が良くないのか、日に当てると濁ったように鈍く輝く。どことなく色も変わって見えた。


 だが、きっと大事なものだ。


 教師に頭をペシペシと。少年が視界に捉えたのは、そんな坊主頭の男子生徒の側頭部。深き眠りに誘われ、起きる気配は全くもって感じられない。三ツ星級の居眠りマスター。

  教室内でクスクスと笑いが起きながらも、そのまま授業は再開された。坊主頭の野球少年は放置で、白髪混じりもすぐに意識から追い出したと見える。

 彼が若い頃なら、殴って起こしたりとかしたのだろうか? 今のご時世では確実にご法度だが。


  やっぱりいつもと変わらぬ授業風景。


 ーー世界は今日も今日とて変わらず平和だな。


 そんな思考が脳裏に漂う。

 痛々しいこと極まりないが、これが思想・良心の自由というものである。昔に偉い人が決めたんだから間違いない。


  異常なんて何処にもいない。いつも通りの日常。


  代わり映えを知らない、繰り返されるモノクロ。


  きっと明日も似たような光景を、似たようなことを考えながら眺めるのだろう。

 主観的で俯瞰的(ふかんてき)な、空白(からっぽ)の理論式を組み立てるのだろう。


 そんな日々を今日も繰り返して、世界はまた一歩、また一歩と時を刻む。


 その止まらない歩みにどこか半歩遅れているような、どこか地に足のつかないような。


 そんな感覚を覚えるのはきっと年相応の事なのだと、欠伸を噛み殺しながら無声で呟いた。













 …………あれ?




 胸の中に、トゲがある。


 どうしてかそう思ったから、手で触れた。おっかなびっくり指で触れた。


 違う。そうじゃない。胸ポケットにトゲがあるんだ。取り出して、視線の前まで、顔の正面まで。右手で(つま)んで持ち上げてみる。


 暗い赤色の石。綺麗で、それでいて妖艶な水晶石。


 違う。そうじゃない。それを綺麗だと思ってはいけない。美しいだなんて、そんなことを考えるのは許されないことだ。


 ただ、どうしてか。あぁ、どうしてか。その血赤と視線が交差している気がした。不快だと跳ね除けるには脆弱(ぜいじゃく)華奢(きゃしゃ)で、甘えを許してはくれないような。そんな視線がこちらを見ている。逸らすことが出来ない。


 違う。そうじゃない。左手が熱を持っていた。金縛りが解けたとは言えないほど自然に目線は下がり、熱を持つ手を開く。


 スミレ色の石が、くすんで(よど)みを溜め込んだようなその石が、鈍く揺らめき、発光しているように感じる。光は緩やかに波紋を宙に溶かし、いつの間にか右手の血赤もトゲを見せつけながら咲いてみせた。まるで共鳴しているかのようだ。


 違う。そうじゃない。


 違う。そうじゃない。それは。ここじゃない。ここは。どこにもない。どこにも。あってはならない。ぼくは。どこにも。きっと。だれにも。なにも。なににも。きっと。ぼくは。ぼくはーー





「ーーーー」





「ーーっーー!!」





「ーーーーーー?」





「ーーー………………」














「ぅぅおおおおおおいいいいい!!!!!!!!!!! おきろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!」








「うわぁぁぁぁーーっっっっ!?? ……………………ん?」


「ん??? ーーじゃねぇこの馬鹿野郎!! さっさと起きろってんだよガキンチョ。どんな夢でよろしくヤってるか知らねぇが、五年経っても一番寝まくってんのはやっぱりお前さんじゃねぇか。誠人に負けて悔しくねぇのか?」


「…………ロ、ッド」


「おうさ。パッと見どこも怪我してねぇが、異常はないかいお客さん?」


 目の前に立っていたのは筋骨隆々を凝縮したような、着物姿の男だった。




 ーーーー




「納得い〜か〜な〜い〜!!」



 ほっぺたぷっくら。卓にべったり。いつも通ーー珍しくしのかが拗ねていた。


「はいはいさっきまで割と上機嫌そうだった部長様。いったいどのようなご不満がおありでございまするのでございますのでしょうか?」


「も〜、ユウくんふざけないで。それに分かってるでしょ、何がご不満だったのか〜」


「……まあ、確定的なのが一つ」


 空はどっぷりと黒にふけて。

 庶民的でありながら豪勢さを漂わせる夕食時は通り過ぎーー豚カツだったーー現在時刻は午後七時を半分回った頃。ゆったりと涼やかな時が居間に流れる。時計の音が数段近い。


 裕也は蛍光灯の白光にスミレ色の石をかざして暇を潰し、誠人(バカ)はどういう脈絡か「花火を探す!!」と家の主(明義)を連れて飛び出し、智紀(イケメン)ロッド(酒盛り筋肉)に酒瓶を運べと連行され。

 そして数分前までおっとりにこやかな対応と表情を崩さなかった少女は目が死地から舞い戻っていた。


 裕也は断定する。彼女の不機嫌の原因は本日の午後。

 発見したあの明らかに常識外の超常空間。鎮座する空の祠。透明な不可解な壁。救えない誠人(バカ)。突如飛ばされた謎の森。『黒』との出会い。森の探索。傷だらけの森。ルーン文字。ーーそして滑落。


 どうやら裕也たちが最後にいたあの場所は、相当に斜面に近い位置だったらしく、迂闊に足を踏み出して滑り落ちてしまったらしい。誠人が突如消えたのは、ブリキノダンスしていたからだ。馬鹿野郎。

 幸運にも三人とも怪我一つなく、さらには滑り落ちて行った先で、筋肉達磨(だるま)無精髭大将ロッドに出会うことが出来た。

 どうやら一度戻っていた智紀と共に、裕也たちを捜索していたらしい。帰り道の彼はしこたま不機嫌だったが、裕也は内心ホッとしていた。


 そう、帰り道だ。


 様々なアクシデントはあった。


 しかし怪我の一つもなかった。


 残ったのは無数の『謎』という名の成果物だけだった。


 我が部を統べる篠川しのか部長は今、まさに自身の欲望ーーもとい部活動に勤しんでやろうと瞳を(たぎ)らせ、そこに監督者(ロッド)が命じたのは帰還だったわけである。


 彼女は怒っていた。


「も〜、いったい全体どういうことなの〜!! このままだとわたし怒髪天とか衝いちゃうよ〜」


 すでに怒髪天なのでは? とは突っ込めない。プンスカ言ってるぐらいではまだ怒りは浅いからだ

 彼女は、自分の考えていること、やろうとしていることが『普通』でないことぐらい分かっているのだろう。危なっかしさへのブレーキはちゃんと付いている。

 だが、諦め切るほど賢い良い子ではありたくないらしい。


「ユウくん付き合い長いんでしょ? どういうことなの〜」


「そんな無茶な……」


 そんなことが二つ返事で出来るほど彼を理解しているのならば、あるいは語るーーもとい(かた)る度量を少年が持ちうるならば、今現在に少年の肩にのしかかる疑問諸々は即座に解き放たれてしかるべしなのだ。過度な期待はよしてもらいたい。

 そもそも、しのかはかなり不満げだが、あの時点で斜面を登る体力もなければ時間もなく、別ルートを探すことも出来なかっただろう。

 ーーとは、裕也は口が裂けても言いたくないのであった。火に注ぐべきは常に水、及び消化剤だ。これもやはり分かっているのだろうし。


「あ〜、こんなことならトモくんがロッドさんを呼びに行くの止めるべきだったよ〜」


 (ほこら)発見直前。誠人が崖下にいるのを発見したとき、『監督者に報告すべき』と主張した智紀をそのまま行かしてしまったことを、しのかは後悔しているらしかった。


「そこは素直に選択ミスだったかもね」


「こんなことになるなんて考えても分かんないし。ユウくんは猛ダッシュで滝まで走ってっちゃうから焦るし〜」


「……面目ない」


「それに〜、納得いかないことはそれだけじゃないんよ〜」


「はて、それはなんでございやしょう?」


 一瞬「あ、そのキャラ通すんだ」と虚しい目をした少女は、一言も明言せずに続けた。


「戻ってくる時にね〜、もう一回ちょびっと周りの住宅地を回ってみたんだ〜」


「あぁ……僕が寝てる間にか」


「でもね〜。やっぱりみんな知らなかったんだよ〜。昼に行った時より人はいたんだけどね〜」


「……そうか」


 山を探索する前段階として、裕也たちは近くの住宅街ーーと言うほど大きくはないがーーへと聞き込みを行った。


 結果は成果なし(ホワイト)。これは、改めてしのかが行っても同じことだったようだ。()()()()()()()()()なんて話は聞けなかった。

 ロッドの話では井戸端を席巻(せっけん)しているとまで表現していたのに。


「……別に、そんなのただの偶然かもしれないし。もしかするとロッドが話を盛るために嘘をついたとかーー」


「あのねユウくん。君があの人のことを話したとき、なんて言ったか覚えてる〜?」


「…………『嘘はつかない』か」


「そ〜だよ〜。わたしにも真剣そのものにそう言ってたしね〜、ロッドさん。……そもそも、こんな中途半端に話を盛っても意味ないんじゃ、って気もするかな〜」


 ここら一帯を聞き込みした時間を返して欲しくなる、と。しのかは冗談めかして頬を膨らませた。


「おかしなところはまだあります!!」


「……まだ不自然なことがあるのか?」


「あるよ〜。()()()()()()()()()()()()()()()()()()〜」


「?」


 わずかに首を傾げる裕也に、しのかは人差し指を立てて補足する。


「わたしが『ちょっと聞き込み調査に行ってきま〜す』ってロッドさんに言ったのに、返事は『六時までには家に戻っとけよ』だったんだよ〜」


「……?」


「だからね。自分がウソついてるのに、それをバラすようなことするのは変だって話だよ〜」


「……あぁ、確かにそうか」


『幽霊のウワサが有名でない、もしくはそもそも存在しない』という仮定が事実だとして、彼女を聞き込みに行かせてしまうことは、それをバラすも同然の愚行であるだろう。


「こっちはここまで調査に来てて、聞き込みするのは当たり前なんだから、すぐにバレる嘘なんてついても仕方ないよね〜。変なの」


 いったい何を考えてるんだろ〜。しのかはどこか噛み合わないような面持ちで眉根を下げた。


「…………」


 裕也は一点を見つめて動かない。ここに自分たちを呼び寄せた彼の行動の理由を知っておきたい。それは裕也の本心だ。


 彼の意図を知る。


 そのためにここに来た、とも言えるだろう。


 頭の回転を上げようと努力してみるも、効果は実感できずに後ろに倒れ込んだ。ちょうど丸い蛍光灯の真下で、眩しげに目を細める。


 ロッドのことなんて分からない。


 何を考えているかなんて、分からない。



「わたし、ちまちま思うんだけどーー」



 何も、何一つとして分からない。分からない。



「もしかしてユウくんって、本当はロッドさんのこと信用してないの?」



 分からない。



「それともーー」



 わたしたちを信用してないの?



 分からない。



「…………そんなことないよ」


 パチン、と。少女はやわらかに両手を合わせた。


 頭を傾けて視線を合わせると、変わらない微笑みがそこにはあった。


「よし! こんなこと考えてても仕方ないか! また後で本人に聞いたら済む話だしね〜。何だか怪しげなユウくんのことも今は無し!! よく分からないけど、今度ゆっくりお説教で〜す

 ーーあ、京子(きょうこ)さん! ちょっとお話いいですか〜!」


 素早く立ち上がった少女は居間を横切ろうとした家の主をつかまえーー「それとね〜、」裕也の方へ振り向いた。


「さっきの話も、やっぱり割と本気なんだよ」


 ユウくんの意見も改めて聞かせてね〜。そう言い残すとすぐさま駆け寄り、興味のままにまくし立て始めた。それを受ける女性の、やわらかに寄った(しわ)が困り顔にシフトしていく様は少し可哀想だ。


 彼女の言ったさっきとは、()()さっきのことだろう。


 かなわないなぁ、と裕也は一息に立ち上がり、男子用寝床である客間へと足を運ぶ。




 合宿一日目の夜は一歩ずつ。確かに更けていく。




 何だか、痛かった。

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