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この街に『勇者』はいない【絶筆版】  作者: 田神 へいき
第一部 ■■■ to ■■■■■■■
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第一章[表]ユメモノガタリの続きへ

 


 夢を見ているんだと。そう、思ったんだ。




 だってその方が断然に好都合だ。


 七十億分の一のちっぽけな人生。


 矮小なその軌跡(シナリオ)には、喜劇(いいこと)悲劇(わるいこと)にも事欠かない。


 でも人様にはお見せできないクソッたれ。


 心の内に押し込めて。


 けれどそれでも思い出す。


 だから人は夢を見る。


 ポツリポツリと雫を溜めて。


 砂糖と塩でねるねる煮込む。


 どんな味かは予測も付かない。


 そんなロシアンルーレット。


 一夜でペロリと平らげる。


 だから人は夢を見る。


 奇想天外を貼り付ける。


 そうやってフクロを軽くするのだ。


 そうやってハレツを回避するのだ。



 ーーこんなこと。……誰が、言ってたんだっけ……?



 きっとそれも夢で食べちゃったのだ。


 そしてこれも夢で食べる途中なのだ。



 ーー……あぁ、でも



 どうやらこれは違うみたいだ。


 頬も膝もジンジン痛む。


 鼓動の早鐘はドカドカ響く。


 時計はチカチカうるさいし、風はヒューヒュー気ままに隙を裂く。


 すれ違った自転車はギシギシと、貫く視線をこちらに飛ばし。窓の向こうはパラパラと、布地の揺らめきは鮮やかだ。


 空はひたすらにどこまでも青くて、雲はのんびり泳いで流れる。


 人が、家が、街が、全部が現実(うつつ)だと突きつける。


 知らなかった。知らなければ良かった。でももう遅い。なにもかも。



 世界は非情に『ホンモノ』を語り、その実まとめて『ウソツキ』だなんて、



 そんな『魔法』は、知らなくて良かった。




 ーーーー




「ーーっ! おいっ! 聞いてんのか!」


 世界が明滅する。


  意識の覚醒は突発的に発生した身体の揺れによって。霧から抜けるように顔を出す。

 目線を上げると、目の前には見慣れた顔だ。


 どうやらすっかり眠ってしまっていたらしい。かなりの熟睡(じゅくすい)だったと自己分析した。


「ユウ!! お前またボーッとしてたのかよジジイか!!!」


  元気ハツラツな声が寝起きの頭蓋に粘り気のある鈍器のように響いた。不快。(まぶた)をこする必要は今この瞬間に覚めて消えた。

 少年、神城(しんじょう) 裕也(ゆうや)は自身が温厚な部類の人間だと自負しているが、流石にこれは看過できない。


「……僕がジジイ、か。……ならお前はクソガキだ。近所のお山にカブトムシでも取りにいくといいよ」


「おっ、そうだな。ーーいつ行く?」


「……マサ、何個ツッコミどころがあるかは数えてやらないからな……」


 想定内の想定外の反応に全身から力が抜けていった。

 すると目の前の少年は、いったい何に満足したのか大仰にうなづき、すぐさまベラベラと薄っぺらな語りに移行してみせた。


 現国がつまらない云々(うんぬん)、羅生門はよく分からん云々、太宰(だざい)はそんなこと考えてねぇだろ云々。

 骨粗鬆症(こつそしょうしょう)脊髄反射(せきずいはんしゃ)みたいな内容だ。それに『羅生門』は太宰治の著作ではない。指摘はしない。

 そもそも相槌(あいづち)も打たず、意識は『騒音は催眠音声になるか否か』という満場一致で『否』で決が採られるであろう人類の命題に挑戦していたので、少なくとも会話ですらない。


 口をマーライオンのごとく垂れ流す、おつむ弱者系のこの少年は伊吹 誠人(いぶき まさと)。裕也の幼馴染みで、正反対に近い性格の乖離(かいり)が一周回って噛み合うタイプの腐れ縁だ。


 裕也より頭半個低い背丈。

 少しクセのある短い黒髪。

 日に薄く焼けた健康的な肌。

 引き締まった肢体。


 魅力的に聞こえるが、それは甘すぎる考えだと言わざるを得ない。

 本人曰く、そのやや小さい身体には不屈のエネルギーが満ち満ちているそうな。

  たしかにその浅黒い肌が紡ぐ笑顔には活力が溢れている気がしないでもない。それは裕也の正直な所感だ。それらが全てマイナス計算される欠陥調整なのがずっと傷。


 鼓膜を滑り抜ける音を避けるように周囲を見渡してみれば、忌まわしき授業から解放された教室の騒がしくも楽しげな様相が、今まさに幕引きといった調子だ。


「……ホームルーム、終わってたんだ」よくもまあこんな空間で熟睡出来たものだと、裕也は自画自賛的に感心する。


「でなでな、オレは言ってやったのさ! 『貴様は目の前のハードルをいちいち数えーー」


「ーーで、僕になんの用?」


 去っていくクラスメイトの背中を一瞥(いちべつ)しながら興味ゼロな彼の話に割り込む。

 あぁそうだった!! と誠人は机に勢いよく乗り出した。


()()()を聞きに行くぞ!!」


「やだよ」


「なんでだよっ!?」


 活力に満ちたその提案を聞くやいなや真っ向から拒絶した。むしろ聞きながら拒絶した。予想外でもなんでもなく、どうせその件だろうと当たりを付けていたのだ。


「嫌なものは嫌だ。それになんでまた僕が……勝手に行けよ」


「オレが行ってどうすんだ!!」


 今まさに決定的な自己矛盾を見るが、しかし実は全くのその通りだ。

 強引でまっすぐな黒い瞳が裕也を射抜く。少したじろぐように視線をそらせた。


「そりゃ、マサはうちの部と全く関係ないしーーというかお前部活は? 陸上部?」


「サボる!!」


 誠人は満面の勝利を(たた)えて言い放った。


「どうして?」無意味なのは承知で理由を問う。誠人は深い哲学でも語るように腕を組んで、


「いやぁなんて言うかなぁ。あそこはオレの居場所としちゃ役不足なのさ。オレはあんな場所に縛られたままのオレじゃねぇ。オレはオレのまま、オレの『生き様』が求める場所へ進んでいくだけなのさ」


 お前らといる方がしっくりくんだよ。誠人はニシシと笑った。

 裕也は何も言えなかった。オレって何回言うんだよ、としか言えなかった。胸には言語化できない虚しさが(つの)るばかりだ。


「というわけで、なんだぜユウ!!」


 誠人は前置きを叫び、抗議するかの如く右手で机を平手打ちした。


「いざ往かん! 魂の行き着く地へ!!」


「…………」


 周囲に迷惑を振りまいているから黙ってくれません? と言いたくなるが、残念ながらそれは杞憂(きゆう)だ。すでに教室は二人きりを残したがらんどう。放課後のシチュエーションとしては最高級品だが、それは結局相手に寄るところが大きいと裕也は深く理解していた。


 それに、この伊吹誠人という少年は空気の識字を放棄する芸風で売っている。クラス内需要も今のとこ安定した、公認のアホの子だ。人が居たところで、多少(わめ)いても苦情はない。


「いざ往かん! 魂の行き着く地へ!!」


 同じ言葉を繰り替えすのは頑固の予兆。


「あそこは冥界じゃないよ」


「あぁ、楽園(エデン)だな!!」


「明らかに現代日本には実在し得ないのですがそれは……」


楽園(エデン)は本当にあったんだ!!」


「天空の城でもないよ……」


 少ない息で深く溜め息をつく。

 何を言われようと、行きたくないものは行きたくない。一生と言えば誇張が過ぎるが、()()()()()にはしばらく必要以上の関わりは持ちたくない。それが裕也の正直なところだった。

 なので代案を提案する。


「しのかを連れていけよ。今日部活ないから捕まえられると思うぞ」


「そりゃ無理だ。用事があるんだと」


 先手を取られていた。彼女から先に丸め込む気だったらしい。大方、彼女と二人がかりで裕也を連行していく目論見だったに違いない。彼女が食いついて来ないとなるとそれなりの用事。ツイている。

 つまり今は勝機だ。キッパリと言い張る。


「とにかく行きたくないものは行きたくないんだ。残念だけど今日はお引き取りねがーー」


「ーーそういやこんなもんを預かってたんだった」


 今思い出したと誇張するように、ノートの切れ端を机に広げる。悪巧みな笑み。そこには達筆でわずか一言。


「…………行きます」



『部長命令☆』



 末尾に飾られた星が荒々しく踊って見えた。




 ーーーー




 坂を下る。


 学校が徐々に遠くなり、今から一日が始まるのだと言わんばかりの部活動の喧騒(けんそう)も、町に呑まれて消えていく。このまま帰宅一直線といきたいが、そうはいかない。

 裕也の自宅は正反対。つまりは完全に逆走しているわけだ。この歩みはただの徒労(とろう)。気乗りなぞまるでしない。


 見上げれれば、道沿いの桜はほとんど散っていた。春が通り過ぎていく。


 ーーだが、


「マサ」


「なんだ?」


「暑くないか」


「暑いな」


「暑いよな」


「ファッキンホットだぜ、ベイビー」


 そう、とても暑い。


 まだ四月の下旬。だというのに、中天で燃え盛る太陽はアスファルトを容赦無く焦がし、ひりつく背筋で目玉焼きが焼けそうだ。

 ここまでの日差しは完全に想定外で、裕也は素直に帰るべきだったと後悔していた。帰宅欲が凄まじい。帰りたいし行きたくない。


 ひりつく暑さを紛らわすように、適度に軽口を挟みながら。わずかな早足で目的地を目指す。


「アイス、食べたいなぁ……」


「だよな、ブラザー」


「向こう着いたら買うか。今めっちゃバニラの気分」


「バー? カップ?」


「カップ」


「じゃあオレはバケツでクールにキメるかな」


「……なんで張り合ってるんだよ」


 そしてさっきから謎の欧米かぶれ。ウザイからやめて欲しいと裕也は切に願う。クールじゃねぇよファットだファット。


「知ってるかい? 裕也(ゆーや)ボーイ」


「違った。ペガサスかぶれだった」


「『バケツアイス』ってググッたら『アイス・バケツ・チャレンジ』の方ばっか出てくるんだぜ」


「すこぶるどうでもいい……てかやっぱ欧米かぶれじゃねぇか……」


「?」


「肩すくめんなよ欧米か」


 画像検索したら先頭に出てきそうなその表情と仕草は『煽り』という概念の結晶だった。

 その伝統的無形文化遺産的なツッコミに満足げにうなづく誠人。渾身のドヤ顔がムカつく。


 そんなこんなで歩くこと十分と少し。住宅地の片隅、進行方向右側に目的の建築物を捉える。

 誠人は堂々たる面持ちで仁王立ちして両腕を腰に立てた。


「さーて!! オレ達の思い出の楽園(エデン)に到着だ!!!」


「まだ言ってるのか……。楽園にしては随分と廃れてるみたいですが……」


「そこがオツなんだよ!!」


「まあ、わからないでもないけど」


 住宅地の一角に居を構える小さなその建造物は昭和風の香りを漂わせ、どこかぼんやりと存在感を放っている。悪く言えば浮いている。

 まるでそこだけが切り取られた別世界のようだ。

 それでも家々の森の中に紛れ込んでいるのが、見事でもあるとも思えた。浮いているのに隠れているとは言い得て妙だが、それで誰が喜ぶのかは知らない。


「ーーそういやよぉ」


「ん?」


「さっき、どんな夢見てたんだ? うなされてたぞ」


 唐突に思い出すのは誠人の特権。それを実行に移せるのは誠人の蛮勇だ。



「……さぁ? なんだっけかな。忘れたよ」



「そか」


 誠人は一瞬で興味を切りかえ、鼻息を荒らげる勢いで引き戸を開け放ち、軽快な挨拶混じりに突入して行った。


 裕也は一度頭上を見上げる。空はペンキ色に青かった。


「……あっちぃ」


 今さらな言葉を呟いて後に続く。


『駄菓子屋 あかね』


 すっかり(さび)色に薄ボケた看板には、確かにそう刻まれていた。

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