第二章[裏]昼下がり掃討戦③
三十年前に一波乱巻き起こしたと言われる『第三の特級』
協会総出で大歓迎パーティを執り行ったのは、ベテラン隊員の胸に刻まれ、今では大切な思い出らしい。
その思い出を語れば酒の席でゲロのように吐き出し、親愛の証にツバも吐く。
スパイスが効いた紆余曲折の結果として、瀕死まで追い詰められた件の『特級』はそれから数度の出現が確認されているが、どれも討伐には至っていない。ここ十数年は音沙汰も無しだ。
獣の王とまで呼称されたヤツは、その置き土産としていくらかの新種の魔獣を産み落とした。その中で最悪と扱われているのが黒と白の番のような狼型である。
その片割れ。白影狼。
魔力測定値。ゼロ。
実際の値はもちろんそうではなく、むしろ内包している魔力は高水準のB相当。しかしそれを感知することは出来ない。奴らはその特性により、魔力感知をすり抜けるのだ。
そのステルス性は、魔力感知を前提で成り立つ協会の戦術をも、たやすくすり抜けた。
脅威度はB++。あまりにも低い戦闘能力を差し引いても、脅威となりうる個体だ。
白影狼は、相方の黒い狼型と並んで最大級の警戒をされていた。ヤツらを優先して狩る作戦も何度か行われた。
それなりに長い年月の中であらかた狩り尽くされ、今では見かけることの滅多にない希少種になったはずだがーー
ーー今更こんなにワラワラと。在庫処理でもしているのか……? これが最後の邂逅になるなら万々歳なんだが……。
喜ぶべきか焦るべきか。一真は前者を取るように努力した。
ガリガリと、陶器を刃物で削るような神経に障る不協和音。一真たちを包む障壁に無数の狼が食いついて牙を立てている。
茂みを見やると、見返してくる大量の瞳は変わらずそこにある。これだけ大所帯だと毎日の食費は馬鹿にならんだろう。魔獣は何も食べないが。
「大和さん。近距離戦が出来るようにしておいて下さい。一掃は得意でしょう?」
「おっ、よぉく分かっとるやんけ。『狙い良しで馬力良し』ってのが俺の人生哲学なんや。覚えといて損は無いで」
「四番の記録蒼晶お願いします」
「無視かいな……。ほいっ」
軽く放られた十五センチ程度、薄青色の物体を掴み取る。六角形のバトンみたいなそれを腰のホルダーに収めた。
作戦と呼べないような、本当に単純明快な方針は伝えた。しかしそれ以上は望めない。
この状況で複雑な要素は加えられない。第六班はまだ産まれたての赤子で、卓越した連携なんて取れやしないのだから。
まだ時間はある。数分にも満たない、わずかだが一瞬とは言い難い空白。小狩場内の再計測を現在進行形で行ってもらっているため、その時間は待つ必要がある。
といっても出来ることはあまり無い。心構えの問題だ。
覚悟が必要だ。
古来より奪うとは、奪われることと紙一重で、その覚悟は慣れでゼロにはしてはならないことだ。
自分たちは下手を踏めば明日どころか、数分後の談笑すらもドブに棄てて無駄にしてしまう。少なくともその可能性は高まった。
しかも自分が立っている薄氷の足場が、厚みも割れ目も大きさも分からないなんて、余りにも酷い条件だろう。
なにせ魔力規模九十という数字は、魔力感知できない白影狼を除いた数字なのだから。
それを正確に実感することは生憎できないが、それでいい。結局やることは変わらない。頭でざっくりと概算できていれば十分だ。
境界線が軋む音がする。心に食い込む牙がある。
手首の感覚。呼吸の感覚。足裏の感覚。距離感の感覚。衣擦れの感覚。呼吸の感覚。手首の感覚。
一通りに気を配って、これでいつも通りの完成だ。
些細な自己暗示と、これまでの経験。別に死地は初めてではないし、自分たちは死ににくい。ずるいとは言わせない人の知恵。戦いは必ずしも公平なスタートではない。
気休めかもしれないが、確かに体を軽くする。人は脆いが単純だ。
ーーあと一分。
少し考えて、本当に少しだけ考えて。背伸びをしていた青年へと口を開いた。肝が据わりすぎているのか、実感を切り離しているのか。どちらにしても大物な新人。彼への精算だ。
「大和さん。さっきは助かりました」
「『さっき』がなんのことか、言わな分からん」
「真っ先に白影狼に気づいたでしょう? あれがないと俺は無傷じゃ済みませんでした」
白影狼との突然の邂逅。それに最初に反応ができたのは大和司だった。
「いやいや、スズちゃんのおかげやろ。俺は何もしとらん」
「いえ、一瞬だけ早く気づくことができました。些細なんかではなく、それは確かに大きな『一瞬』です」
「まあ俺は鼻がいいんや。密かな特技やな」
そうですか、と一真は返す。なるほど、と一真は思う。返事になってない、と一真は呆れる。
もう一つ、と一真は続けた。
「まだ確定とは言えないんですが、俺の予想として戦闘中は常にーー」
「影には気をつけろ、やろ?」
「言うまでもなかったですか……」
さすがに錦討伐官の直属の弟子だ。それとも彼からひたすら愚痴でも聞かされて知っていたのだろうか? 説明する必要は無さそうだ。
それは一真の直感、と言うよりは予測か。『白』がいるなら『黒』もいるだろうという、それだけの話で。
不自然な規模と湧いてこない魔獣の理由をそこに見ただけだ。
答え合わせはすぐに脳裏に響いてやって来た。
『地形照合完了』
開始の合図。その火蓋に切っ先が当たる。
更新された地図情報を確認。予想は的中。吐き気を食いしばって抑え、少し笑った。
疑問は後回し。そんなもの豪勢な夕飯をつつきながらゆっくり聞けばいい。楽しみが増えたってもんだ。
万全を期しなさい、と言った我らが支援官は、いつもよりも優しげで、かたくなであったように思えた。
「あと三十秒。ーーはい隊長、激励をどうぞ!」
「…………できれば無傷で帰って、美味いメシを奢って貰いましょう。…………絶対食うぞっ!!」
「……なんやそれ、締まらんわ」
「食欲は重要視するべき事柄です。……スズ笑いこらえるな。笑っておけ」
「アハハハハ。いやーフツーにセンスないわ。サイコー」
「とにかく全員無傷で生還!! ーー仕切り直しだ全力で気張れ!!!」
力強い返事が返ってくる。頬は自然と引き絞られていた。
切り落ちた火蓋は豪快に、祝砲は硝子の破砕音。
長い長い。息継ぎの間で通り過ぎる災厄の幕開け。
狩人は大地を踏みしめて駆け出した。
ーーーー
「四十四!!」
「よしキタ!! チェーンジ!! ハイタッチーー!!」
「行ってらっしゃいませえぇぇぇ!!!!」
森の深緑の闇から飛び出してきた影を迎え入れるように、青年はその背後に弾丸の雨を横殴らせる。
リレーのバトンタッチのように俊敏で滑らかに、少年少女はハイタッチ。半ばすれ違うようにして飛び出して行く影を見送りながら、青年は滑り込んできて息を吐くその影に声をかける。
「生きとるかクソッタレィ!!」
「見たらわかるでしょう瀕死です!!」
「そうは見えんがとりあえず言霊云々!! スズちゃんが言いよったやろうがボケ!!」
「とっても元気だ頑張るぞ!!!」
「その意気や!! ーー死ねやおらァ!!!!」
釣り針にかかった魚のごとく、開けた空間に次々と飛び込んでくる狼たちを爆音で撃ち落とす。
その発生源には二つの銃口。硝煙の代わりに煌めく粒子を吐き出すそれは、二丁の散弾銃だ
片手で一本ずつ、軽々と取り回す姿はどこかアンバランスさが際立つ。本人曰く『浪漫』
実弾ではなく魔力を打ち出すそれは、そもそも正確に銃の形態をとる必要はさほどないとも聞いたことがある。言うなれば。その存在そのものが彼の一言に収束するのだろう。
しかし『浪漫』であることが、そのまま『無駄』に直結するとは限らない。
「ーーよくそんなデタラメなことして当たりますね!!」
「ああぁぁっ!!? 東の高校生探偵様の目は節穴かいな!! こんなんだいたいの方向が分かってたら当たるんやボケ!!!」
「それが十分にすごいと言っているんです!!!」
「え!!! なんて!!?? 褒めた!!???」
「褒めてないから外さないように!!!!」
寿命なのか旧型なのか仕様なのか。工事現場の向かいさんの食事風景のようなお約束をしながら、一真と司は怒鳴り合う。
司の腕は確かだ。
明らかに狙いを定めづらい条件でも、与えられた役割を真っ当に果たす。むしろ二丁散弾銃は最善の選択だったのかもしれない。
しかし、そのまま彼にここを丸投げできるほど、一真は楽観主義者ではないのであった。
轟音で唸る散弾銃を左右別々の方向へ振り回す不条理の権化と化した司は「弾切れや!!」前を向いたまま唐突に叫び、転がるように後ろに跳ねた。
その声が念話を通して脳内に荒く響く前に、一真は動き出していた。
気持ちだけは適度に渾身を込めて、腕で前方を抉りようにかき上げる。
遅れて彼の声。脳内と耳を通して計二回も聞くはめになったが、つい声に出してしまうのは仕方がない。
炸裂する音
地面を走って、めくるように反り立った氷の壁は、数匹のケモノを呑み込んで侵入を阻む。範囲重視で威力は足りてないが、だが時間稼ぎには十分であろう。
「しゃあ!! バッチコイや!!」
死に晒せぃ!! と叫ぶ背中がそれを物語っていた。魔弾の横雨が再開する。
銃タイプの武器は運用難度の高い実弾よりも魔力弾の方が、威力は低いが好まれる傾向にある。
中でも彼は、人体から直接魔力を込めるのではなく、魔力を含んだ鉱石ーー魔晶石と呼ばれるーーを込めたカートリッジを交換するタイプ。弾が切れれば装填する時間が必要になる。
基本的に魔晶石に内包された魔力は人体には猛毒であり、こういった燃料としての運用や、術式の触媒としての扱いが主なものとなっていた。
一真は弾ける轟音を煙たがるように後退し、眼鏡のフレームを手で押し上げた。レンズにベッタリ貼り付いた獣の体液が軽くはじけて消えて、装いも暗めの紺色に瞬時に戻る。
背後の冷たい壁にもたれて息をつく。
この小狩場に入った際の出発点となった森の中に開けた空間が彼らの中継点だ。
円状に安全地帯ーーと言いきれるほど安全ではないが、とにかくその空間の一部に、先ほどまではなかった巨大な氷の壁が屹立していた。
現在、九野里市辺境、銀英山の小狩場内。森林地形。規模は暫定九十。
狩場は目視通りーーいや、それ以上に狼まみれだった。約半径一キロメートルの閉じた箱庭。その一部分、一真たちがいる地点にどんどん集まっている。
そして暫定とは、見えないものがあるということだ。不確定な要素は五感で捉えなければならない。
それなりの修羅場に、一真が打ち立てた作戦はーー
ーーーー
「拠点を定めよう……て言っても、それで引きこもるわけじゃないが……」
戦闘再始前の限られた時間。一真は端的に説明を始めた。
「最初にいた開けた空間を使おう。そこにまず壁を……そうだな。ここら辺を囲む感じで作って……」
円状にくり抜かれたように開けた空間。そのままでは全方位からの魔獣の侵入を許し、警戒と対処が行き届かない可能性がある。そうなれば予期せぬ損害を被ることになるだろう。
よって一部分を封鎖し、魔獣たちを可能な限り正面で迎え撃つ。
今はより多くの敵を阻むことではなく、背後を絶対的な安全圏にすることこそが、優先されるべき事柄だ。
「それで大和さんと一人がこの場所で敵を迎え撃って、もう一人が森の中であいつらを攪乱する。交代制だ。物量で潰されるのは避けたいから、出来るだけ注意を引くようにしてくれ。中も外も。いいか?」
異論が無いのを確認し、一真は続ける。
「それで交代の間隔だけど、ーースズ、どうする?」
「うーん、フツーに考えて五分前後くらいかな。魔力抜きの感知は疲れるし、たぶん長期戦なんでしょ? 消耗しきらないくらいの塩梅で行かないと」
「そうか。ーーなら俺は」




