第二章[裏]昼下がり掃討戦①
「……はぁ」
「…………」
「…………はぁ」
「………………」
「…………………はぁ」
「……『雲外蒼天』」
「…………はぁ」
『禍福は糾える縄の如し』」
「…………はぁ?」
「『元気出せ。いい事あるぜ。ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ』と隊長は申しております」
「…………はぁ」
気の抜けたような溜め息をつきながら歩く大和大和。
その背中に意味深な言葉を投げかける矢車一真。
翻訳する胡桃沢千鈴。
そんな三者三葉の足取りで、彼らは確かな感触の土を踏み締め、坂道を登っていた。
今彼らが歩いているのは、ある程度、最低限整備されている山道だ。
見渡す限りの緑が揺らめく影を落とし、傾斜も甘い。道幅はそこそこ広いが、車の通行はオススメ出来ないぐらいには狭く、ところどころに木の根が張っている。
麗らかな春の日差しにはうってつけの散歩道になり得るが、疲労が溜まった脚にはそんな風情はクソッタレだ。
「緩やかやろうがなんやろうが、坂道は坂道。こんなんやっとられんわぁぁ帰りたい帰りたい……」
「……口に出したら言霊になんじゃん。萎える」
「そういうスズちゃんは元気そうやけどな。若い若い。いずれこの苦しみを知る時がくるわ」
うんうんと唸るように頷く大和。彼と自分との年齢差なぞたかが知れているだろうと千鈴は考えるが、「大和さんと俺たちの年齢差なんてたかが知れているでしょう?」と一真が先にツッコミを入れてしまったので、心の奥にしまった。
ただそれを口にした一真自身も、ここ一ヶ月あまりの疲れが抜け切っていないのは事実だ。その足取りは重たいもので、それは傍から見ても察せられるほどではあるだろう。
それを念頭に置いてから千鈴の足取りを見ると、なるほど、確かに軽快に土を踏んでいるように見える。
気だるげな大和とは対極の歩みだが、しかし疲労は千鈴にだって確実に溜まっているだろう。無意識に気丈に振舞うのは変わらない。彼女の美徳と言えば美徳なのか。一真の中に明確な答えは出ない。
魔獣大掃討作戦『収穫』。街の均衡を保つための定期的なガス抜きに例えられるそれを明日に控えた、とある土曜日昼下がり。
『収穫』を安全かつ円滑に進めるための前準備として、街に大量に発生している小規模の魔獣反応の処理が行われていた。
追加業務としてそれに参戦させられた第六班所属の三名は、作戦エリアへと足を運ぶべく、九野里市近郊の銀英山を登っていた。
「……そうや。俺人生最高の名案を思いついた」
「…………なんか予想できちゃうけど、どーぞー」
「こんな時に魔法とかでな。こうズゴォって早う移動できたらええと思うんや。瞬間移動とかできんのか? 瞬間移動」
「うわー常識ないなー大和さん。あたしはフツーにムリー」
「俺も無理です」
一ミリ程度しか感情のこもっていない言葉で否定されてから、面と向かって真っ直ぐな瞳で否定され、大和は白けたように息を吐いた。可視化したらとてもモヤモヤしてそうな吐息だ。
「実は繋げるよりぶった斬る方が、あたしは得意なのだよー。ムズかしいのだぜ。それ」
「そりゃまあなぁ、ムズい技術なんやろうけど。けど、だけどや!! お前ら二人はそれ専門やろうが」
「空間系専門でもフツーに色々あるんですよー」
「じゃあお前らやなくても、誰かは出来るやろ? 瞬間移動専門とかおるはずや」
「………居るにはいますけど、そんな高度なのは気軽にホイホイ使うもんじゃないです」
空間系統の魔法は軒並み難度が高い。
とある理由から協会には、その適性が高い術師は何人か居り、それには一真や千鈴も該当する。
だがそれでも、瞬間移動などのさらに高難度魔法になると、まあお察しだ。千鈴はともかく一真は特に。
「やるにしたってこの場に補助はありません。大和さんだって外での訓練ではそういう結界を張ったんじゃないですか?」
「いやまあそうやが。……なんやつまらんな。めんどくさいルール多すぎやわ魔法ってもんは。
もっとゲームみたいにホイホイ使えるぐらいがちょうどええやろこんなん」
「じゃあゲームやっといてください」
「クドウは言葉の綾の分からん男やなぁ。俺が言いたいのはそういうことやなくてやな」
「一緒にやります? カービィのエアライド」
「やらんがな。……なんかちっちゃい頃にやった覚えあるな。そのゲーム」
その渋る反応に対し、一真は数秒考え、「あぁ」と納得したような素振りを見せた。
「コントローラー二個あるのでご心配には及びません」
「別に心配してないけどな!」
「二個ないとクリアチェッカーが埋まらなくて……」
「聞いてないけどな!」
「『同時にマシンから降りろ』というチェッカーがまるで埋まらず、あの時はもう万事休すかと思われたんですが。……あれは元々一人用のゲームではなく……もっと早くに買っておけば……」
「聞けや!!」
「完徹シティトライアルで構いませんか?」
「何一つ同意してへんけどな!!」
その光景を可哀想なものを見る目で見守る少女。部外者の体を装う。
そんなこんなで歩くこと十分。
「ーーおっ、あれちゃうか」
なんだかんだ言いながら先頭を歩いていた大和が、右前方の茂みを指さした。追いついて、それを視線で辿ると、確かに空間の歪みのようなものが見える。
「……歪みを発見。対象の小狩場だと思われます」
『支援官了解。……仲良しなのは構わないけれど、切り離した思考も大切よ。言うまでもないけれど、今回は特にね』
「胸に刻んでおきます」
足元の草根の感触を意識の端で感じながら、手早く近づき、手をかざす。
狩場の魔力保有量を示す規模は九十。これは平均の倍以上。中々に骨が折れることは確実だ。
慎重に、確実に。
浅く一息。
「……二人とも、準備は?」
「バッチコイですぜ。隊長」
「同じくや」
「では。ーー環さん。始めます」
『了解。通信状態に問題無し。怪我をしたら豪勢な晩御飯は食べられないと思いなさい。これは確定事項だから』
三人で頬を緩めて、引き締める。
それに呼応するように、結界が大口を開けて挑戦者を歓迎した。受けて立とう。
一歩踏み出し、全身がブレるような、妙な感覚に包まれ溶けていった。
ーーーー
肉体が纏まる。
世界が揺らめく。
空気が巡る。
大地が触れる。
焦点が合う。
視界が色付く。
手を開いて握って、軽くその場で跳ねてみる。全身の感覚が正常に機能することをゆっくりと確認。そして周囲の景色に気を回す。
ーーここは、森か。
周囲は木々に囲まれて、その一部、円状に開けた半径十五メートル程の広い空間が、今回の開始地点らしい。
狩場の内容はその立地にある程度は左右されるが絶対ではない。それに基づけば、今回の森林地形は最も真っ当であると言えるだろう。
狩場の内容は入ってみるまで把握出来ず、当たり外れは当然存在する。森林地形は自分たちには戦いやすい戦場。当たりだ。
「二人とも、大丈夫か?」
数メートル後方の二人に声をかけ、適当な返事が一言返ってくる。ごく稀に空間移動でバランスを崩して脚をくじいたり、嘔吐したりということがあるが、今回はどちらも快調のようだ。
一真は二人に周囲を軽く警戒させながら、通信を開いた。
「支援官。第六班、無事に現着しました」
『了解。簡易探知を開始。索敵官に通信交代』
一瞬、ザザッとざらついたお決まりのノイズが入り、次に聞こえてきた声は随分と幼く透き通って感じられた。
『ハロー、カズマ。ーーどっちでしょう?』
「…………よづきちゃんだな」
『セーカイです。さすがカズマ。兄様もさぞ喜んでいるわ』
「大袈裟だよ。ーー頼んだ」
『リョーかいっ。ーー地形照合を開始します』
恒例の行事『私は誰でしょう?』を百点満点一発合格でパスして、声の向こうで笑顔の返事を確認する。
索敵官。
鋭敏な感応能力で人力のレーダーとして機能する。替えのきかない超重要役職。突出した才能を要求される貴重さが、それに拍車をかける。『協会』屈指のブラック部門。
創始者達の家系『六家』の一角、柊真は、その生業の副次効果として、高い感応の才を持つ。
世にも珍しい双子索敵官の片割れ、柊真よづきは、そこの秘蔵っ子の虎の子だ。
主とする仕事だけでも多岐に渡り、狩場の発見に監視。結界内の地形の把握や、魔獣の探知などを一手に引き受ける。彼らは『協会』の生命線とも言えるだろう。
十数秒ほど待って、声が響いた。
『地形照合完了。データを共有します』
昼下がりの腹ごなしには重たすぎるような、そんな戦いが幕を開けた。
ーーーー
九野里市辺境、銀英山での第六班の戦いが始まった頃。同時刻。
美咲香市。とある路地裏。
「あーいあいあい。もしもーし。こちら第八班隊長、紅さんだ。美咲香支部、応答求むー」
『聞こえています』
狭苦しい薄暗い道に積み上がったゴミ山。微かに漂う饐えた匂いを避けるように、彼は建物の非常階段で、手すりにもたれていた。
細身長身、癖っ毛の黒髪は双眸まで届く。全身をフォーマルな黒スーツで包み、それでいて全体的に漂う枯れた雰囲気を誤魔化しきれない彼は、少々気だるそうに発声する。
「経路の連結は滞りなく完了。これでお姫様は駕籠者要らずって寸法ですかね。何はともあれ、オレの仕事はこれにて終了ってわけだ。ーー戦況はどんなもんだ?」
『……現状、静木市は即席A班とD班が戦闘開始。どちらも規模は小さい。じきに収まるでしょう。美咲香市は即席E班が北部の一つを半制圧。想定より早く、南に手を回せるかもしれません。
最も高密度の九野里市は。即席B班C班、第六班がそれぞれ戦闘を開始。先行していた第十一班が半制圧。第九班の人形兵部隊が一つを制圧、二つを七割制圧、といったところでしょうか。
どの戦線でも重傷者の報告は上がっていません』
淡々とした戦況報告。男はうんざりとしたように数秒溜めて、息を吐いてから言った。
「うっわぁ、なんだそれ、正直引きますわ。さっすが『人形姫』様。働き者で果報者とは、『六家』の名は伊達じゃないってことですかい」
『……貴方が言うと盛大な自虐にしか聞こえませんね。過小評価が過ぎる言い草と、それだけは言っておきましょう』
「へーへーそんなつもりはございやせんぜ。オレはオレを最大限に評価してるつもりだ。ま、取り合いを誰かさんに丸投げするってのは、存外歯がゆいもんなのさ」
こちとら戦闘は専門外でね。男は冗談めかして嘯いた。
『そうですか。とにかく、事前の予測よりもかなり早く人形兵部隊は制圧を完了するでしょう。そしてその有利性を不足なく活かせるのは、間違いなく貴方の戦果です。それだけはお忘れなきように』
「肝に銘じときますよ、と」
『…………それと』
「それと?」
『……………………似合ってます』
絞り出すような前後不覚で繋がりのない一言。どこぞのクソジジイに着せられてるだけの、罰ゲーム扱いのそんな黒スーツ。それは男にとってここ数日稀に見る不本意な記憶で、これからしばらく不毛な勝負は受付ないようにしようなんて考えていた中での、意外すぎる言葉であった。
秒数的には短く、そして精神的に果てしなく長い沈黙が場を支配する。
『…………経路の強度確認は怠らず、そのままで待機』
そう言った支援官は、彼が了解の返事を言い終える前に通信を切断した。
「……照れ屋さんかよ」
頭をボリボリとかき、春の暖かな空を見上げる。もうあのジジイに関わるのは控えることとする。よって思考は打ち止め。切り替えていこう。
今、大物に食らいついているであろう愛すべき彼らに思いを馳せる。あいつらは強い、最高に強い。だがそれだけが戦いの強さではない。ないのだが、それでもねじ伏せろ。そうでなくては面白くない。
そうでなくては、顔向けできない。
「だろ? 一真」
指でコインを弾く、表か裏か。ここは表だ。
さて、今日は何を賭けようか。
ーーーー
獣は森を疾走する。
食欲をそそる匂いのする方へ、全速力で駆け抜ける。
距離を詰め、飛びつき、牙を立てる。至極単純な三つのステップを迅速に、でなければ獲物を同胞に奪われてしまう。早い者勝ちなのだ。
しかし、何か妙だ。
先ほどから数えきれないほどの同胞が先んじて匂いの元へ駆けて行くのに、その匂いが消えることも、動きを休めることも無い。
むしろ動きはどんどん速くなっているようなーー
ぐじゃりと潰れて、ぶつりと断線。砂の城を崩すようにあっという間に、すべての感覚が空気に溶けて。
最後に捉えたのは声ーー
「十八!!」
少年は崩れ落ちる胴体に目もくれず、もう一歩を腕を振るって踏み込んでいく。




