piece■■ ボクは傍観者。キミの旅路には無関係な、お節介焼きのお茶目なキャラなのさ
「あんた死にますよ」
部屋の主からの『ありがとう』に、青年は『どういたしまして』と、そう返した。
眠気覚ましに入れた珈琲。
左手のトレーに乗せられたそれは、誕生の弾ける元気を内に秘め、大人ぶった白い吐息を吐き続ける。
部屋に溶けるように、主人の髪色のように暗くて黒い。
長ったらしい白の廊下を抜けて、いかにもな自動ドアを通った先の、一つの個別ルーム。
基本的な照明は統一され、それをそのまま流用している部屋の光度は、自身の部屋とはそう変わらないーーはずだ。
だが不思議と薄暗く感じるのは、さざめく波のように足元を覆う資料の山のせいか。
はたまた奥のデスクにそびえるデスクトップパソコンのような、それでいてその常識とはかけ離れた巨大な絡繰り仕掛けのせいか。
とにかくその部屋はどこか暗く、重い。
それはまるで、主人の荷物を肩代わりしているかのように。
「いきなり死にますよ、とは。……実に、実に物騒極まりないじゃないか。君はボクの処刑人か、裁判官にでもジョブチェンジしたのかな?」
神官の所には行ったかい? と、部屋の奥から白衣が笑う。それは訳の分からなさを覆う苦笑ではなく、理解した上での言葉遊び。手のひらの上の人形遊びだ。
知っている。青年は知っている。
もうとっくの昔に、そんなことは分かっていた。
それでも、と右手に持った紙束。無数の名前と、続けて様々な情報が一緒くたになった、とある資料を視線でなぞる。
知り合いなんて一人もいない。
それは見知らぬ人物達の羅列。何度反芻しようと間違いなく赤の他人。
そもそも異世界人の名前なんて普通は知る由もなく、そんなのは当たり前の話だ。
それが本当に『普通』なら。
その苗字は見覚えがありすぎる一族の証。
そして普通でないのは彼らの出自だけではない。何よりその情報の深度。掘り起こした領域が常軌を逸している。
「これ正直、掛け値なしに第一級秘匿情報っスよ。知られたら破滅まっしぐら。…………何のためにこんな危険ーーいやそもそもどうやってこんなにーー」
その言に秘めるは、怒りと動揺と失望ーーーーがわずかに欠片ほどと、情報共有の権利主張。あとは一応の形式だ。
こんなことを……悲しいかな、往々として起こすのが、この秘密主義者のクソ相棒様なのだから。
白衣から伸びた手が言葉を遮った。
多い多いと。今度こそ本当に苦笑して。
「よし、一つずついこう」
そう言ってまずは一本。人差し指が天井を指す。
「破滅はしない。
北斗クンはボクがそんなヘマするタマだと思ってるのかい? 最低として次の開門までは絶対、それ以降もまず無い。向こうはそんな興味も意欲も、毛ほども残しちゃいないさ。知ってるだろ?」
立てた指がすぐさま三本に増えた。
こちらに疑問を投げかけておいて、キャッチボールに応じる気はサラサラないらしい。あとで硬球を投げ込もう。
「情報の所在は企業秘密。
昔にね、それはそれはスゴい偶然があったのサ!!」
「……ヴァンさんの偶然ほど信用できないものはーー」
無いと、北斗は断言出来る。
だが続きは言わせないと。二本に減った指が示す。
「動機は……彼への報酬だよ。
至極当然の常識に沿った考えだろ? 褒めてくれたまえ」
「それ本当に報酬、ちゃんと相手の利になるような事なんスかね?」
「失礼な。ーーボクの仮説が確かなら、きっと役立つナニカを提示できるサ」
わざとらしく唇を尖らせて、自身の目論みが白紙同然の紙切れである事を暴露した。対する北斗は呆れと不満を視線に込める。
「『鬼が出るか蛇が出るか』。どうせ彼女への届け物のついでだし。土産は多いに越したことはない」
「ーーっ、決まったんスか!!?」
その反応に対し、ヴァンデは極めて愉快気に肩を竦めた。
「いや〜まだだよ。ただの『勘』さ。ーーまあ彼女が試験者として適任だってのは、紛れもないボクの本心だけれど」
ホントだぜ、と無邪気に笑う。
実際問題、『彼女』は試験者としての資格はあるだろう。それも申し分無しと言えるほどの。
だが、初期ロットを当てるには少々混ざりけが強すぎる。彼女では『純正』なデータは得られないと判断できる。
そもそも協力してもらえるかも分からない。試験者は別に用意する方が良いと思うのだが……
「…………でも当たるんスよね。それ」
欠片ほどの確証もないのにそう断じてしまえる何かが、この男にはある。本人も自負しているのは明白だ。強いて言うなら経験則か。
だが例え外れていたとしても、『彼』には報酬が必要だというのはチームの共通認識だ。
それだけのものを自分たちは得たのだから。
「それで、この正念場の大事な時期に一体何を?」
納得はした。異論もきっとないはずだ。だがそれを聞かねば船には乗れぬ。
「北斗クンはちっちゃい頃、『勇者伝説』、信じていたかい?」
問いの上からバターナイフで塗りつぶしてやったかのような問いは、意図の全く読めないクソ問だった。
「いきなりなんスか? ……別に、信じちゃいなかったっスよ」
「それはキミだけかい?」
「…………誰も信じてなかったっスけど」
「いつから?」
「そんなもん分かんねぇっスよ。考えたこともねぇ。あの街の人間ならサンタさんといっしょに卒業っス」
「今は?」
「……んなもん、信じる信じないの次元じゃないでしょうが。…………何を言わせたいんスかヴァンさん。今さら『信じてなくてゴメーン』とでもさせる気っスか?」
「ナニ怒ってるんだいそんな裏声出してー」
「関係ないでしょ、はよ結論!」
会話のワビサビが分かってないね〜。ヴァンデは白衣をはためかせながら肩を竦める。あんたのどこに和の心があるんだよ。
「キミの言う通りだよ」
「は?」
「『勇者』の実在を信じるのか、信じないのか。文字通りその議論以前の問題だったのサ。そもそもね」
白衣は羽ばたくようにくるりと回り、軽快にデスク上のキーボードを叩く。
そして然るべき要素を入力しEnterキーを弾く。画面上で揺らめく『魂』の指紋が、手を繋ぎあって溶けていく。
数秒の後に確定された情報に、彼は何を思ったのか。
遥か彼方の忘れ物に巡り会ったような。
長い旅路に暇つぶしを思いついたような。
かつての盟友からの手紙を受け取ったような。
「何はともあれ」
とにかくその表情はいつもより何段階か迫真で
「この番外編は、中々に趣向が凝らされているようだ」
少し、遠く感じた。
ぬるくなった珈琲は欠伸をグッと押し込めて、彼の口にはとても合うはずだ。




