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この街に『勇者』はいない【絶筆版】  作者: 田神 へいき
第一部 ■■■ to ■■■■■■■
18/36

第二章[裏]仕事納めはまだ先で

 

 風を切る音が聞こえる。


 鋭く、滑らかで、迷いない。人を魅了する飾り気のない美しさ。


 毎日のように聞いていた日々が、とても遠くて。その足は自然と吸い寄せられ、一段落を見計らう。


「フィル。まだそんな危ない槍振り回してるのか?」


「カズマ。見ていたのならを声をかけてください。いつも言っているでしょう」


「悪い悪い。先生」


 不定期に行われる。他愛ない世間話。


 強い瞳は信頼で満ちて、風で揺れるセミロングの赤髪。


 あぁ。


 また遠くなった。


 二度と届かないその手は、もう近づくことはないのに。




 ーーーー




 保管庫の奥にある小部屋。カビ臭さとは無縁の柑橘系が漂う。年季物の木扉にもたれかかり、矢車(やぐるま)一真(かずま)は前を見る。


 ()()を触れる、彼を見る。


 小部屋の奥の壁を背にして凛として直立するその槍は、超常的特性を鎮静化する封呪布(ふうじゅふ)に巻かれて肌を見せることは無い。


 大和(やまと)大和(つかさ)が布面を撫でる手には、あくまで遠慮はなく、しかしそれは少し違う、と感じた。一真の目からでは上手く(すく)いとることは出来ない。遠慮がないのではなく、それをあえて切り落として意識しないようにしているような。一種の『覚悟』のようなものがその手にはあるのでは。考えすぎは悪癖か。


 ただ、彼は知っている側の人間だ。


「……『魔導卿』シリーズ。やっばあるとこにはあるもんやな……。しっかし、こんな布切れ一枚でここまで抑え切れとるんか……?」


「それはレプリカ、因子を込めて作った模造品です。原典(オリジナル)には及ぶべくもない『重さ』だと思います」


「ほんなら訂正。こんな(まが)(もん)も完全に抑え込めへんような処理やと、ちと不味いんとちゃうか? 余計な『縁』が出来んように芽は詰んどくべきや」


 そう言いきった。

 いったい大和はどのようにして知覚しているのか。一真にはその槍が本来持っている『呪い』の欠片すらも感じることは出来ず、封印処理に疑問を挟む余地はない。


「……大和さんはーー」


「かの『勇者』様が扱う武器は、これ以上に厄付きの逸品なんかなぁ……。どう思います。隊長?」


「……どうでしょう。この街由来の勇者は前例がありませんから、なんとも言えませんね」


「はぁ、俺がこの街居る間に生まれてくれんかなぁ。勇者……」


「……大和さんは、どうして勇者にこだわるんですか?」


 染み込ませるように深い息で呟く大和に、一真は素直な疑問をぶつける。勇者の存在をどこか渇望しているような大和の物言いは、一真のとっては新鮮そのもので、微かな興味に値する事柄であった。大和は頬のキズをポリポリかきながら、気の抜けた唸り声を漏らした。


「なんで言われてもなぁ。俺、そないにこだわっとるか? ……まあ『勇者』っていう響きからもう浪漫ではある。男の追い求めるものやとは思うで。……その反応見る限り、クドウはちゃうみたいやけどな」


「俺は矢車です」


「せやけど、ぶっちゃけ俺が興味あるんは勇者そのもの言うより、そのエモノの方やな。ーーこういう曰く付きのん従えとると思わんか? 勇者って」


 一真がなんとも言えない表情を返すと、大和は視線を布巻きの槍に戻し、それを軽く触れた。


「にしてもレプリカか……悪趣味やなぁ……。廉価版にしても危険(リスク)ばっかで旨みがないやろ。まずこれが出来る技術(うで)ならこんな博打は打てん。俺が職人やったら真っ平御免(ごめん)や。正直見たくもないしな」


 そう本気で嫌そうに吐き捨てた大和は立ち上がって(きびす)を返した。


「もういいんですか?」


「もうええもうええ。実際どんなもんなんか見たかっただけやし。…………本音を言ったらぶっ壊してやりたいところやけどな」


 かなり悪い笑顔でわざとらしく口角を釣り上げてみせる大和。単純に笑えない冗談。さっきまではなんのための時間だったのか。今日一日で彼の何もかもが信用出来なくなりそうだ。「まあーー」大和は真面目に笑った。


形見(・・)、なんやろ? お前にとっちゃ不本意かもしれんが」


「ーーっ」


 瞬間、ポケットが震えた。それは耳馴染んだ電子音。


 表示を見て、そのまま大和に伝える。


「……見計らったの如くなタイミングやな」大和は右手を挙げて「行くで」と一言。出て行った背中を遅れて追った。


 フィリエル・ガーデニア・エイルフォルト。彼女は異世界の騎士であり、優れた鍛冶職人であり、気高き女性であり、『使者』であり、師であり、



 もうこの世界のどこにもいない。




 ーーーー




「…………あっ、来た」


 無機質な自動ドアの開閉を見届けた少女。胡桃沢千鈴(ちすず)は手のペットボトルを置いて立ち上がった。


「矢車一真(かずま)、大和大和(つかさ)です。何かありましたか?」


「急に呼び出して悪かったわね。ーー二人は有意義な時間が過ごせたかしら?」


 少々息を切らしている一真と大和に、支援官(オペレーター)の瀬乃(たまき)は、肩下までかかる(つや)のある黒髪を揺らしながら立ち上がる。そして、相変わらずの落ち着いた声をかけた。


「男同士で水入らず。めっさ有意義な談義でしたわ。なあクドウ?」


「…………」


「ははは。照れおってからに」


「…………」


 何も言わない一真を見て、環はわずかに頬を緩めた。


「どうやらそれなりに有意義だったようね。大和さんには感謝を。さすが部外者なだけあるわ」


「それは褒めとんのか……」


 一真の肩をパシパシ叩く速度が急激に減速していく。


「そう言えばスズ。お前いつの間にどこに行っていたんだ?」


「っやゴメンゴメン。ちょぉっと喉乾いちゃってさ」


 そう言って傍らのペットボトルを取って揺らす。嘘だ。さっきまで駅前で何故かタコ焼き食べてた。何重かの意味で言いづらい。鍵を借りに行ったのは千鈴だったので、真っ先に連絡が来たのは幸運だった。


「それで、いったい何が……?」


 どことなく挙動不審な千鈴には気づかず、再度問うた一真。

 それに支援官がリアクションを取る前に、まったくのあらぬ方向から返事があった。いや、支援官がリアクションを取ったのには間違いないのだが……。


「あら〜、お二人共。やっとお揃いなのね」


 その声は背後から。自動ドアの開閉音と共に、どこか聞きなれない足音が響く。


 その女性は、着物だった。


 スラリとしたスレンダーな長身に、後ろで結われた(あで)やかな黒髪。それに松葉を散らした藤色の着物は、驚くべきほど似合っている。いるのだが、いかんせんこの場にはそれ以上に不釣り合いだ。


 まずこの『管制室』と呼ばれる広い一室。簡潔に一言で表現するなら、『SF』だ。テレビでよく見る宇宙機関の管制室。それをもっと圧縮した感じか。

 正面に堂々と構える巨大ディスプレイには、一面に地図のような映像が投影されており、そこに散りばめられた無数の光点が、まるで夜空に浮かぶ星のようだ。

 それに向かいあわせで横一面に並んでいるのは、無数のデスク。前列と後列に分かれており、お互いに差異がある。

 後列のそれぞれのデスクは、デスクトップパソコンのような機器が中央に鎮座した、一般的にイメージできるものに近いものだ。

 しかし、前列のデスクに備え付けられた直方体の物体に繋がっているのは、ディスプレイ付きの見慣れたカラクリではなく、キーボード並の大きさの水晶のようななにかだ。

 そのデスクたちには空席が目立ち。埋まっているのはちょうど半分くらいだろうか。部屋がより広く感じられ、どこか貧相で寂しい雰囲気が漂う。


 そんな空間に美しい着物の麗人が当然のごとくいるのだ。当然、浮く。


「ふふふ。どうしたの一真君。そんな意外そうな顔して。()()()()の顔になにか付いてるかしら?」


 そう微笑みかける彼女は、全くというほどその違和感を気にしてはいないようだ。というより、もう隊員全員が慣れきってしまって、そんなのは今更な話ではあるのだが。


 そして、もっと指摘しなければならないことがある。


「あの、美空さん。()()()()()()()()?」


「あら〜わかる? さっすが、モテる男は違うわね。野暮なジジイとは違うわ〜」


「別にモテません」


 その一般常識的に考えるなら冗談。それもタチの悪い鉄拳制裁もののダーティなジョークに取られかれないが、彼女に対してはこれ以上なく的を得たものである。


「ですが流石にやりすぎですよ。外見は三十代前後にうかがえますけど……」


「残念。これは三十五歳の時の肌でした。惜しい。アメちゃんあげちゃう」


「…………じゃあそこのアゴ外れてる人に」


 オホホホ笑いがやけに板についている着物の麗人。

 彼女は『協会九野里本部支援官統括副長臨時代理』 柊真(とうま)美空(みそら)。年齢不詳。


 一真の父どころか、祖父の代からベテランだという噂のその女性は、どう見たってあらゆる矛盾をその内に抱えており。

 びっくりついでにアゴがランデブーしてる関西人に飴玉を握らせるその笑顔は、例えようのないくらい歪んだ魔性が滲んでいる気がした。


 焦点の微妙に合わない目で飴を口に含んで転がす青年。もしかすると()()()()()()()()()()()()()()()、残念ながら夢から覚めてもらう時間だ。明日はきっといい日になる。

 そんな情けない姿を眼鏡のレンズの端に捉えながら、一真は三度、同様の質問を繰り返した。


「それで、いったい何が……?」


 対して肩をすくめてみせた我らが支援官は、一目でその動作に慣れていないことが丸わかりだった。


「本日二回目で申し訳ないけれど仕事の時間よ。終わってからご馳走されたいもの、考えておきなさい」


 それは彼女による半死刑宣告であった。




 ーーーー




「今日、魔獣の発生件数の急上昇が観測されたわ。これは朝にも言ったわね」


 一真がそれを肯定すると、雑念を振り払った傍らの茶髪が手を挙げた。


「俺聞いてへんし、魔獣大量発生とか今更なんちゃいますか? あんたらはどれだけヒヨッコの新人をこき使っとるか考え直すべきーー」


「そのレベルを十分に踏まえた上で、()()()()()()()()()()()のよ。ーーこれを見て」


 大和の申し立てを割り込み却下した第六(カズマ)支援官(オペレーター)、瀬乃(たまき)がキーボードを叩く。パソコンに表示されていた地図の表示が切り替わった。


 先ほどまでまばらにあった光点は消え、また新たに何ヶ所かに、ポツポツと、やがてバラバラと。光点が一気に溢れ出した。まるで通り雨のアスファルトを見ているようだ。


「これが午前八時からの作戦範囲内での推移よ。 ここまでの反応を放置すれば、明日の『収穫』に支障をきたすわ。…………大和さんも一度『収穫』を体験したから分かるでしょうけれど、感触はどうだったかしら?」


「はい! この仕事辞めたくなりました!!」


「それは良い傾向ね。辞められないから安心もらって構わないわ」


「鬼畜!! べっぴんお姉さん鬼畜!!」


「あらあら〜、私が慰めてあげても、いいのよ?」


「そりゃ別ベクトルで鬼畜!!」


 環の言葉に実感が湧いていない様子の大和に、ついこの前の『収穫』の記憶を呼び覚まさせる。


 魔獣はいついかなる時、今この瞬間にも街のどこかで発生している。それを防ぐ(すべ)は無い。

 しかし、そのまま街に魔獣を解き放つようなことは、絶対に起こらない。起こらせない。そのための機構が街を覆う大結界には備わっている。


 狩場と呼ばれる限定的な結界に、一時的に魔獣を隔離するのだ。


 これには長期的に魔獣を集める『大狩場(パスチャー)』。不定期で突発的に街中に現れる『小狩場(インスタント)』の二種類が存在し、前者は月に一回の『収穫』で、後者は発生する都度、対応する。


「月一の『収穫』では巨大な大狩場を掘り出すわけだけれど、その時にそれなりの()()をバラまくわ。それで小狩場を活性化されては仕事は倍加よ」


「そいつは……死にますねぇ……命日が明日はいややて……」


「だから今日のうちに処理しておこうという判断です。ただでさえ周期を半月も早めて行うんですから、不安要素を取り除いて然るべき。明日の『収穫』を安心安全に行うための下準備と思って、本日の追加業務に身を入れるように。ーー二人も、分かったわね?」


 了解、と返した。


 ここ一ヶ月の大増殖には肝を冷やしていたが、それを塗り替えるようにさらに発生数が急増したというのは、その終わりが近づいたのか、遠のいたのか。希望的観測を述べるのであれば迷いなく前者だが、一真は自身の運に期待を持ってはいない。


「やー本当に大変だったのよ。今は落ち着いてきたけど、さっきまで『これ以上増えるなんてありえないっっっ!!! このままずっと続いたら過労死しちゃうっっっ!!!!』てヒス起こしてたんだから。タマちゃんが」


 情感たっぷりで演技派な美空支援官。ちなみに『タマちゃん』とは(たまき)支援官の渾名である。

 しかしその名を呼ぶメンタル富豪は数える程しかいない。対価にお命を頂戴される高級嗜好品(しこうひん)なのだ。


 ギラリと凍てつく視線。


 穴が開かんばかりの冷光線を浴びせられた着物婦人は、しかしそよ風そよそよどこ吹く風だ。こういうのはどこかの業界ではご褒美らしいが、実際のところどうなのだろう。謎である。

 とっくの昔に諦めを思い知らされているのか、それとも年上に一応の敬意を払っているのか。眼光は数瞬でふっ、と音を立てたように消えた。


 環は少し不機嫌を織り交ぜながら、


「私はそんなことは言っていません。それに、この状態が長く続くとも考えていません。きっと仕事納めは近い。害虫駆除は、最後にヤマが来るものでしょう?」


「あら珍しい。タマちゃんが確証が薄いのに断定的だなんて」


「…………そんなこともあります」


 居心地悪そうに、墓穴を掘ったように。目を微かに伏せた環。

 一真は一種の覚悟を決めて、切り出した。


「それで、俺たちはどれに行けばいいんーーいや、()()()()()()()()()()()()?」


 ざっと見た限り、急発生している小狩場は十個以上はあるだろう。

 一真は身体の奥にのしかかるモノを実感し、千鈴は胃の中身が全部もんじゃ焼きになって出てきて、果ては肝が(えぐ)れてしまうのではと、嫌な予感をめぐらせる。

 しかし、続いた台詞(セリフ)に、一真の認識が少し的とズレていると示された。


「いえ、第六班(あなたたち)が受け持つのは一つよ」


「一つ……? それで対処が間に合うんですか?」


 一真の動揺は、千鈴にも同じく伝播、もしくはお互いに共鳴していた。


 今動ける戦闘員、最大で十八名。


 幹部級を中心とした異世界派遣勢。『酔い』で戦闘がままならない者達。残ったのはたった十八名なのだ。


 全員参加を前提とし、三人ずつで組むとしても、チームは僅か六つ。

 あるいは個として突出している一真と、第五の駒橋(こまばし)。第十一の霧宮(きりみや)辺りで戦力を分散、調整するなら、八つほどは作れるだろうか。

 だとしても一つの班で複数の小狩場(インスタント)を担当しなければならないはずだ。


「んー。なにか、とっておきの秘策でもあるん?」


 何を気取っているのか知らないが、(あご)に指を置いて訳知り顔の千鈴。目の端にキラリと漫画的な光を幻視する。


「そうね。とっておきかもしれないわ」環はそう前置きして続けた。


「第九の”人形姫”が覚めた(・・・)わ。もう調整代わりに()()()()()()。そして今回は出し惜しみ無しでやるつもりだそうよ。驚いたことにね」


「ーー本当ですか……!」


「えぇ。今の状況が状況だとは言えるけど、よくあの重苦しい腰を上げたものだわ。第九の支援官(ハルヒコ)がうまく焚き付けたんでしょう。あの二人は見てて辟易(へきえき)するけれど、実際大いに助かるのだから考えものね」


 珍しく喜んでいることが見て取れる。それもそのはずで、件の”人形姫”が出し惜しみをしないというのは、文字通りの戦力大増強を意味している。

 それに他にもいくらかの隊員が『酔い』から冷め始めているという。復帰まで時間はかからないそうだ。


 数年に一度、術師に多大な被害をもたらす『酔い』 今回は最悪の規模とタイミングだったが、このままいけばなんとかなりそうだ。影響を免れた十数人だけの、超鬼畜シフト地獄からの解放も近い。


「なんや皆さんが何に感動しとるんかはよう分かりませんけど」大和は言った。


「とにかく俺らは一つに集中してバケモン狩り殺せばええってことですね?」


「その通りよ。ただこの戦力の増強は、そのまま任務への余裕には直結しないわ。空いた隙間はまだそれにはほど遠いことを忘れないように」


 彼女は一真達を見回すと、地図の一部を拡大して静かに告げた。



「場所は銀英山。今のところ規模(スケール)が最も大きい結界になるわ。しかと、気を引き締めてかかりなさい。いいわね」

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