第二章[裏]錆の匂いは柑橘系②
大和は木製の両扉に手をかけ、重々しく押し開く。
廊下の灯りに照らされた室内は、どうしてかホコリもカビ臭さとも無縁だ。
しかしその薄暗さが、どうしてもそれらを思い起こさせ、幻の感覚までも呼び起こす。
一真は右腕を壁に滑らせて、倉庫の照明のスイッチを入れた。
室内が薄い蛍光灯の光で満たされ、一般人ならまず日常離れした光景に目を奪われるだろう。
追加で呼び起こされたのは鉄の匂い、と微かな柑橘類の香り。
目に飛び込むのは前左右に展開する武具防具不明物の壁だった。
奥行きは十五メートル、横幅が十メートル程度だろうか。一真は適当に目算してみるが、実際はもう少し大きいのかもしれない。
鎧、兜、籠手、盾、片手剣、刺突剣、大剣、戦斧、刀、槍、弓、棍棒etc..... いくつかある木箱には小物が詰まっているのだろう。多種多様な武具が、ある程度規則性を持ちながらも、概ね自由に並べられている。特に場所をとっているのは鎧だろうか。
これらはほとんどが使われなくなった”骨董品”だ。
『九野里本部第二武装保管庫』。通称『骨董倉庫』。
九野里市のかなり端っこの方に居を構える歴史ある日本家屋。その地下の空間を切り開いて造られた、それが『協会』本部だ。
昭和初めから中盤にかけての様々なゴタゴタと、現『六家』の一角でもある四杖家、鐙谷家のひと工夫。そしてささやかな手品によって、密かに完成させられたこの施設は、何度かの改修を挟みながら、近未来的な秘密基地の様相を呈していた。
しかしどんなものにも失敗は付きまとう。
まず本拠地を地下に構えてしまったことがそもそもの大失敗かもしれないが、それに目をつぶってもいくつかある。
そのささやかな一つがこの倉庫だ。
人間ごときでは及びのつかないような、樹齢たっぷりの霊樹を余さず使った、”呪避け”の倉庫。それだけである種の結界として作用する。
せっかくだからと、霊的な恩恵を最も受けられるであろう位置。本部のさらに端の龍脈に近い場所に造られたこの部屋。
半ば願掛けのためにアクセスが非常に悪いこの部屋には近代武装の一つもなく、使われなくなった立派な年期を持つ品々が集まる。百年前に使われたような、前時代的な品々だ。ある程度の品質は保たれており、まだ使おうと思えば使えるものは意外と多い
独特の重厚で枯れたような雰囲気も相まって、大和の願いにはお誂え向きであると言えるだろう。
「クドウ。この中で一番古いヤツどれや?」
その反応からするに、楽しむ気満々のご様子。一真は右奥の鎧を指さしながら。部屋の奥へと数歩踏み込んだ。
本日の大和大和は、いわゆるところの『お宝探し』をご所望していた。
ーーーー
開始十分が経過。
「飽きた」
「よし帰るぞスズ。明日はまた『収穫』だ。では大和さん。お先に失礼しまーー」
「ーー待てやコラ。…………いや待ってや止まってや。ちょい冗談キツいでホンマに」
窮屈な大気状態の倉庫から足早に脱出し、流れる手で問答無用に消灯する。この間わずか二秒弱である。
千鈴の溜め息が深々と響いた。
「大和さんさぁ、そりゃないんじゃないの。セーイ足んないよセーイ」
「……せやな。よう分かった悪かった悪かった。でも無言でよう分からんガラクタを物色するのはなんかアレやろ。退屈やわ」
「連れてこいと言った人のセリフとは思えませんね」
冷めた目で部屋の再度照明を点灯させる一真。
「おおきにおおきに」大和はパンパンと膝を払って立ち上がり、立てかけられた簡素な装飾剣を一本、ジャリンという重く滑らせ、鞘から抜きさった。
「……おっも」そう漏らしつつも片手で身の丈半分のショートソードを支え、目を細める。彼の審美眼のほどは不明だが、その感慨が張り付いた表情は胡散臭く見えた。静かに三度納得したように頷き、剣を収める。
「せや。クドウがなんか面白い話を後ろでしとけばええねん。剣と魔法のファンタジー、みたいなん何個かあるやろ?」
いったい何に納得しているのかは知らないが、名案閃いたりといった様子で言えばなんでも通ると思ったら大間違いである。
「どうして俺が……」
「単純作業には愉快でポップなBGMって法律で定められとるからな」
「…………」
ジャッ、と軽快な金属音が部屋に響いた。
ーーーー
「ーー最深部まで到達出来たのは二十人ほど、しかしその大半は取りまき散らしの手が離せず、物量を捌くのに精一杯。最終的には数時間に渡ってほぼ一騎打ちの状態で決着したそうです。
これが、未だに唯一無二の『特級』討伐成功例となっています。彼が十年以上経った今でも『英雄』と呼ばれ続けることには、疑問の余地もないと言えます」
「ほーん。そいつはすさまじい怪物がおるもんやな。お互いにーーおっ、これは悪魔祓いとか出来るタイプの護符とみた」
「簡易結界の起動核ですね。他にいくつか中継石を使って陣を組むタイプです。手間の分はそれなりに強力ですが……」
「なんか良さげやん」
「これは……恐らく式がほぼ焼ききれていますね。刻印から調整しないと使い物になりません」
「なんやまたガラクタかいな。小物見てもそんなんばっかやな」
「よりにもよってジャンク箱を漁るからですよ……」
こぶし大の骨董品がくすんだ玩具箱のように詰め込まれ、その傍らにはヘタな積み木が組み上げられていた。頬のキズ跡をいじりながらいい加減な溜め息をつく大和に、一真の声には疲れが見える。
どういう意図があるのかは分からないが、そんなところからいったい何をサルベージしようというのか……。彼が求める『お宝』の定義がそもそも分からず、一真はどうすることも出来ずに眺めるのみだ。
座り込んで木箱を漁っていた手を止めて、大和は大きく伸びをした。追加で眠たげな欠伸。
既に宝探し開始から三十分程度の時間が経過しており、完全に飽きが回っているご様子だ。
「…………そんで。その英雄サマは今何しとるんや?」
藪から棒に続きを促された一真は、自分が昔話を語り続けている状況にまんざらでも無くなっていることに気づいていない。
千鈴がトイレに行くと言ったまま、現在駅前行きのバスに乗っていることにも、清々しいほどに気づいていなかった。
「あの人は前回の開門で向こう側に帰りました」
「なんや、会いたい思ったんやけどな。今回は帰ってこんのか?」
大して残念そうでもなく、そう言った。
一真は首を傾げる。
「……そういえば何も聞いていませんね。あの人はかなり『特級』にご執心でしたから、もう一度渡ってくると思っていたんですが」
「帰るときになんか言うとらんかったんか?」
「俺には何も。……誰にも何も言わなかったのかもしれません」
この世界と異世界間を繋ぐ『天門』が開かれるのは五年に一度。三十日の期間だ。
この九野里と異世界の魔法大国メイルシュタニアを繋ぐ門は、期間中は待機状態であり、比較的容易にやり取りを行うことができる。
しかしそれ以外の期間での国交は不可能だ。
天門の開門による危険と費用。利益と不利益。それらを加味した結果が、五年に一度、約一ヶ月。この間隔となる。
現在は開門状態待機期間。それが閉じるまであと二週間だ。これに四、五日程度の余裕を持って、現在向こうに派遣中の隊員たちは帰ってくる。
現在こちら側は人手不足で火の車。一刻も早い派遣勢の帰還が望まれるが、それは不可能だろう。ただでさえ今回はそうはいかない理由がある。
「その英雄様ってのはどんなやつやったんや?」
胡座をかいたまま百八十度回転し、本格的に雑談する体勢に移行した。
一真は彼のその態度に眉根をピクリと痙攣させる。
「……活力に、満ちた人であったと思います」
「…………」
「…………」
「…………え、そんだけか?」
「どうだったんでしょうか……?」
呆気に取られる大和。真顔で疑問形の一真。やはり呆気に取られる大和。
「こっちのセリフやわ、それ。ーー話したことないんか。芸能人みたいな」
『芸能人みたいな』とは、『芸能人のように距離感が遠い人物』といった意味だろう。一真はあたりを付ける。
「そんなことはないです。……距離感は、きっととても近い人だったんじゃないかと思います」
「じゃあなんでや? お前の口下手がすぎて喋れんかったんか」
「実は人と話すのはあまり得意ではなくて」
「そんな感じするわ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………お、なんか光った」
「それは中継器が魔力伝導により発光しーー」
「いや喋るんかい」
「? 喋りますが?」
「……お前と話すの、やっぱ疲れるわ……」
どうして目の前の青年が疲れた様子なのかは分からない。一真は疑問を咀嚼して理解することは叶わなかった。ただ、今それを尋ねると相手を困らせてしまうことだけは経験上理解出来た。まだ学ぶべきことは多い。
一真が真顔の内で自身の不甲斐なさを嘆いていると、軽く溜まった息を吐き出す音を捉える。その発生源である大和大和は、その一息に仕切り直しとタネ明かしの意を含ませていた。
大和は手に持った短剣を熟練がうかがえる軽快な手さばきで踊らせてから元あった木箱に放り込む。立ち上がると、一真を見下ろした。
「『マスターソードが欲しい』、って俺は言ったな。ーーこれ噛み砕くとどういう意味や?」
「…………それは、『歴史ある異界の武具を直に閲覧することで新たなる知見を得るためにこの保管庫に案内しろ』ということでは?」
「そうやな。『宝探し』やな」
言外に、話進まんわボケ、と言う大和。一真が汲み取れていたかは不明だが、話は進む。
「だから奥、案内しろ」
ここでようやく、一真は彼の目的を理解するのだった。そうであっては欲しくなかった。
少し吐き気を覚える自分を、胸の針が許してはくれない。
ーーーー
『使者』という役割があった。
『使者』は異世界側から日本側にやってくる。
彼らは次の五年間までをこの九野里の本部。及び作戦範囲である隣接市の美咲香、静木の支部の特別隊員として過ごし、次の開門と共に帰還。そしてまた次の使者がやってくる。
この繰り返しを作戦が始まった百年近くの昔から続けているそうだ。
五年に一度の開門を除いて、世界同士で情報をやり取りする方法は実質的に皆無であり、『使者』たちはその間の情報を円滑に共有するための潤滑油、そして監視としての役割を担っていた。
しかしそれも過去の話。
今日ではすっかり形式だけに成り下がり、人数は数人規模まで縮小していた。
それなりに仲良く、平和を満喫してからみんな帰っていく。
「『もう次からは来ないんじゃないか?』と言われてしばらく経つそうですが、あいにくまだゼロ人にはなっていません」
「そりゃまたなんでや?」
「俺には組織の事情、ましてや向こう側のことなんて深くは理解出来ていません。ですが恐らく爪痕を残すためなんだと思います。このあとのために」
「……はぁ、形だけでも『自分たちは貢献してますよー』てツバ付けとくための使者ってわけやな。アホくさ」
百年以上の歴史を持つ『魔王討伐作戦』。それは未だ明確な終わりは見えていない。
だが、いつかそれは来る。
魔王を本当に滅ぼした瞬間か。もう滅ぼされていたと証明された瞬間か。はたまた別の要因か。とにかく、終わりはいつか来る。
それも、恐らく遠くない未来に。『協会』の共通認識としてそれはある。
「この作戦の背景にはとある貴族たち、さらに三つの国家が存在します。そして今は限定的に解放されている日本も、作戦終了後の扱いは確定ではありません」
今はまだ物品や技術のやり取りは皆無と言っていいほどの不自由な契約で、それは絶対遵守で破れない。しかし作戦後にはどうなるか分からない。
分からないのなら、分からないなりに先に手を打っておくに越したことは無い。はずだ。
だからこそ作戦との関係の分かりやすい繋がりとして、彼らは『使者』を送り込む。
なんだか一方的に向こう側が悪いみたいな話し方になったが、一真はそれに別段不満を持っているわけではない。当然の帰結だと思うし、なんなら見えてないところで。もっと多くの手を回しているだろう。良くも悪くも。
一介の若造が妄想出来るのはこれくらいのものだ。
「そんで俺は、クドウの長々とクソつまらん解説聞かされたわけやが、前回の使者ってのは、こいつの持ち主やったってとこか」
肯定する以外の選択肢は、あいにく今は削ぎ落とす以外にないと思った。
「………『フィリエル・ガーデニア・エイルフォルト』 俺たちの先生でした」
目の前には布で過剰に巻かれた長槍が突き立てられていた。




