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この街に『勇者』はいない【絶筆版】  作者: 田神 へいき
第一部 ■■■ to ■■■■■■■
16/36

第二章[裏]錆の匂いは柑橘系①

 日差しは暖か。空気は冷たい。

 この季節は、そんな相反する顔を覗かせる。


 そしてこの病室という空間も、そのような二面性を持っているのではと、茶髪の青年は思うのであった。


 六つの車輪付きベッドが、しかし狭苦しさを感じさせることなく敷き詰められて、同じく六人が純白の布団を被っている。 しかし眠ってはいないようだ。眠れてはいないのか。

 せめて身体は起こしておこうというのは、茶髪の青年ともう一人への歓迎であり、気遣いでもあるのだろう。彼らの目の奥には何やら引け目のようなものが(うかが)えた。


 目の前の少年がベッドの一人と何やら小難しい雑談をしている。


 あくまで付き添いでやって来た見舞い。茶髪の彼にとってはここにいる人間は誰もが他人だ。赤の、と前につくような。どうみたって体調の(かんば)しくない彼らに、さらに気を使わせるわけにはいかない。


 頬のキズを手持ち無沙汰に指でなぞっていると、背後のベッドからの、隊員たちの会話が耳に触れた。


「……それで、結局()()()には持って帰らなかったんだと」


「はぁぁ、マジか。一応()()だろ? 優先するとこ間違ってんじゃねぇか? お貴族様は」


「だからさ、アレはしばらくは()()()()保管しとくらしい。あってもどうしようもないけどな」


 あくまで傍観。そう肝に銘じつつ、雑談には耳をそばだてるのであった。




 ーーーー




 日増しに春の色が濃くなる今日この頃。

 肌を未だに残寒が撫でる今日この頃。

 冷たいのは右手で握った缶ジュースかもしれない、そんな今日この頃。


「は?」


 つい立ち止まった。


 矢車(やぐるま)一真(かずま)は、なにか自分の知らない業界用語か、逆にもっと一般的な比喩表現でも使われたのではないかと感じた。それほどに突拍子もない一言が、自然そのものに飛び出したからだ。


 それとも文脈を取りこぼしてしまったか……


「将棋的な『待った』といきましょう」


「ん? まあ、別にええぞ」


「つい二十分ほど前、俺たちは療養室へお見舞いへ行きました」


「……おぉ、『将棋的』ってそういうことな……」


 一真は先までの自分、及び薄い茶髪で紺色の隊服を着崩した隣の青年との行動を(さかのぼ)り、一手ずつ確認していく。


「俺たちは『酔い』の重症化で休養中の隊員の方々、特に個人的な親交から釼持(けんもち)討伐官と、天気から仕事の愚痴まで、伸びやかに雑談をしました。時間にして十分ほどだったと」


「……微妙に細かいわ」


「見舞いの品として『駄菓子屋あかね』で買い込んできた菓子類を置いて、つい数分ほど前に療養室を出ました」


「せやな。俺は正直に驚いたで」


「それから特に先だった用向きもなく、今日の討伐(シフト)までの短い時間をどうするか思案しながら、俺は大和さんと並んで廊下を歩いていました」


「そうやった今日もあるんやったか。ほぼ毎日やな」


「すると大和さんが急に立ち止まって、自販機で缶ジュースを買いました。ファンタグレープです」


「オレンジ派やったか?」


「はい。ーーそして、大和さんはそれを俺に差し出して言いました」


「マスターソード欲しい」


「………………は?」


 たっぷりと間をとっても、やはり何を言っているのか分からなかった。

 缶を伝って一筋の水滴が右手に滴る。……冷たい。




 ーーーー




『ーーえっ!? ナンダッテ!??』


「だから、さっき大和さんがーー」


『ちょちょちょちょい待ち! それイマ必要!? フツーに危なーーっジャマ!!』


 脳裏の向こうで響く声に砂山を崩すようなノイズが入る。同時に数十メートル先の()()()()()()()()()()()()()()()の三階の壁が吹き飛んだ。状況把握のついでに話を振ったが、完全にタイミングを間違えてしまった。


 支援官(オペレーター)からの軽い叱責を受けながら、一真は自身の集中力の欠如を自覚する。

 新体制になって浮かれているのではなかろうか。油断も慢心も、せめて持ち込まぬように意識すべき事柄だ。勝利の確約も無傷の保証もない。意識一つが、命運を分けるときだってある。


 しかし、思考はやめられない。



 ーーマスターソード……マスターソード?……??



 自身に飛び込んでくる数体の風切蜂(ウインドワスプ)は砕けて消えていく。やわ雪でできた雪弾を投擲されているようだった。

 さらに迫る蜥蜴人(リザードマン)たちを、最低限少し上の警報(アラート)を脳裏に乗せたまま、身体が馴染むままに打ち払う。

 胸の急所たる水晶は狙わず、半身を()ねて砕いておしまいだ。自身とほぼ同サイズの生物を虫でも払うようにあしらっていく。


 手は、冷たい。


「…………あ」


 ーーファンタグレープ……


 今蹴り払った蜥蜴(とかげ)の頭蓋が最後の一体であった。




 ーーーー




「………あのさー、大和さん。いくらなんでもそんなウルトラでアルティメットでハイラルな装備は現実には存在しないわけでありましてーー」


「ーーいや分かっとるわ。なんでスズちゃんもそないなガチの反応やねん冗談やて。……俺はそんな阿呆に見えるんか……」


 大和は呆れたような悲しいような、何とも言えぬ沈み顔でガックリ肩を落とした。


 とりあえず大和の妄言は保留とし、第六班で今日の分の討伐を苦戦もなく終わらせた。

 まだ大和が加入してから日は浅いが、立ち回りにおいての違和感は順調に払拭できてきていると言えるだろう。過密シフトで毎日のように班行動を強いられていたこその『結果オーライ』と言うべき報酬だ。対価は疲労。


 そんな疲れ目の昼下がりに満を持して再燃した大和の妄言に、セミショートのクセを指先で弄る少女はジト目で呆れ返るのであった。


 一真はつい先ほどまで、その言葉の真意についてあれやこれやと勘ぐっていたのだが、結論を言うとすべて杞憂(きゆう)、というより無意味な思考だった。


 悪いのは大和の語彙表現に難があったことである。


「いきなりマスターソードが欲しいって、大和さん何歳なん? 生涯少年、死ぬまで童心?」


「いやそれはわかりやすい比喩なんやって。誰も本気で緑のトンガリ帽子やりたいわけやない。……でもあれやぞ。これは浪漫(ロマン)や、浪漫(ロマン)


 大和は誇らしげに腕を組む。


「男には捨てられないタマシイっちゅうもんがいつまでも付きまとうもんや。一生ガキでも構わんってぐらいビックサイズのな。せっかく『勇者』(ゆかり)の街に来たんやからそれぐらい許されるべきやで。ーークドウ隊長はどう思います?」


「……青服の可能性もあるのでは、と」


「うんうん……うん?」


「あと俺は矢車です」


「…………え、どゆことや?」


「あたしには男の浪漫とかフツーにわかんないし」


 半回りほど年下の少女に助けを求めるが、千鈴は微塵も取り合う気配を出さない。


 そんなどこか噛み合わせの悪い会話をしながら廊下を進んでゆく。すっかりぬるくなった炭酸抜けファンタは、やたらと甘く感じた。


 大和の唐突な発言の意図を汲み取りきることは出来ていないが、その目的、行くべき場所は一応はっきりしている。


 目的地への入室許可は支援官(オペレーター)瀬乃(せの)(たまき)を通じて取ってもらったのだが、「大和くんを一人で行かせるのは怖いわね。性格的に」と半ば命令的だった。

 今日のノルマは達成され、今のところやることも無い。よって大和の目的地には『協会』九野里本部の案内、及び彼自身の監視の意も含めて、第六班で同行する運びとなった。大和大和、信用されていない。


 時折すれ違う隊員たちに軽く会釈。平常よりも少々慌ただしそうに思える。


「……そういや聞きたいことがあったんやが……」


「なんです? また豚骨至上主義のお話ですか?」


「ナニソレ知らない。あれじゃん、それ女子禁制のお話ってやつでしょ。カズ君も隅に置けませんなぁー」


「…………あぁ、なるほどあん時な! そういやそんな話もしたわな忘れとった。ーーでもちゃうちゃう。それも、()()()()()()も別にもうええねん」


 何かをこらえるように記憶を探り出した大和は、それを否定する。そしてわずかに視線を背後にやった。


「今通り過ぎてった兄ちゃん。死ぬほど疲れた顔しよったやろ?」


「……そうですか?」


「フツーに見えたけどねー」


「俺はな、鼻がいいんや」


 大和はドヤ顔で鼻を膨らませた。表情を嗅覚で判別できるとは。便利なものである。


「でもさぁ、それフツーじゃない? …………そっか! 大和さん()()()()()が普通だと思ってるでしょ! 今そーとーヤバいよ。ヤバい」


「……いや、たぶん『酔い』のことだ」


 あくまで大和の勘違いを指摘しようというスタンスの千鈴のヤバイヤバイ発言から、一歩引いて一真は言った。大和は目を細める。


「なんでそう思った?」


「同じ話を何度もするのは、あまり好きではないので。少しだけ分が良い消去法です」


「なるほど。せーかいやで、正解。さすがは平成のシャーロック・ホームズ候補やわ」


 首を傾げる千鈴。発言の意図を深堀りしようとする一真。「コナンや」大和は失敗したような顔で鼻じらんだ。


「さっきのお見舞いもそうやが、体調グロッキーなやつがホンマに多く見える。三人に一人が二日酔い顔しとるで。……おぉ、一二三全部揃ったわ。

『酔い』ってのはそんなに辛いもんなんか?」


 大和の問いに、一真は申し訳なさを滲ませた。


「重症化するとかなり辛いそうです。『二日酔いが例えじゃあ生温いな』と言われたりもします。近しい症状らしいですが、生憎(あいにく)俺には経験がなくて。個人差が大きいものなので」


「結界との親和性がどーこー言われるけど、まあマユツバだよね。今回は()()が大きかったから人手が足んなくてもう……」


 肩こるわー、と千鈴は肩をぐりぐり回す。


「その、なんや。空間震とかいうのが原因って言っとったな」


「はい。俺たちは()()()()()()()()()を受ける身。結界への負荷が、時に俺たちへの負荷となることもあります」


「改善できる見込みはないんやろ? 確立された対処法がないとか結構な問題やと思うけどな」


「それを差し引いても十分な恩恵を受けていますから。結界無しでは作戦が成立しないのは、大和さんも身をもって体感しているでしょう」


「う……。現在進行形で体感しとる身としては何も言えぬ……」


 九野里、美咲香、静木の三つの市を覆うように存在する結界には、『魔獣』の討伐を有利にする機構がいくつか備えられている。


 それは自由に駆け回ることの出来る戦場(フィールド)であり。


 練り上げた技術を損なわないための補助(サポート)であり。


 それらは自らの生命を保証してくれる安全弁(セーフティー)でもあるのだ。


 平常ならば、多少のデメリットも差し引きプラスでお釣りが来るのだがーー


「ーーこれだけ影響が出ると、どうにかして欲しくなるのもしゃーなしだよね」


「……それは同意だが、どうにもならないものはどうにもならない。俺たちにやれることをやるだけだ」


「後で特大ボーナス期待しとかなきゃだぜぃ」


 だいたい数年に一度ほどのペースで訪れる空間震と呼ばれる()()()()()()は、結界との接続者、つまり結界の恩恵を受ける『協会』の構成員たちに、酒酔いや乗り物酔いに近しい症状をもたらすことがあり、これをそのまま『酔い』と呼んでいる。これは深いも浅いも個人差が大きく、期間にして数日から数週間に及ぶ。


 一ヶ月前の空間震は特大規模、在中している『協会』構成員の実に四割が療養中の大惨事となっている。現在進行形で。


 よって深刻な人手不足。シフトは必然的に過密だ。


「貧乏暇なし飯もなし。何はともあれ仕事があるだけまし言うたらましやが、なんともまぁ複雑な気分やで。でも、さっき快方に向かってるとか言いよったな。……えぇ、と。ケンモチさんやったか?」


「へー、そりゃ良き知らせだね」


「もうちょいして忙しなくなったら、ゆっくり休みでももろてどっか遊びにでも行こうや」


 とてもひよっこの新人とは思えない情感を込めて放たれた台詞に、一真は少し申し訳なさを感じる。決して大和はサボったりもせず、平常以上の仕事を初日からこなしていた。


「大和さんってさー、なんか思ってたよりしっかりしてんよねー」


 唐突と言えば唐突。だが一真がまさに今考えていたことだ。頷いて肯定。


「なんや、俺のことクルクルパーやと思っとったんか」


「…………まぁ」


「いやリアルか!? 言語化しっかりして!!」


 初対面の印象としては。と付け加えようとしたが、嘘をつくのはいけないな、と思いとどまった。

 またも大和は肩を落としてガックリし。それはそれで胡散臭いポーズのようにも見える。

 関西人特有のオーバーリアクションというやつかな、なんて言うと失礼だろうか……


「……大和さんってぶった切ったら死んでくれそうですね」


「いや遠回しに見えてガッツリ殴ってきとるやん!? めっちゃ技巧派インファイターやん!?」


「すいません、オブラートに包むの苦手らしくて……」


「つまり死ねと!?」


 およよよよよと崩れ落ち、悲壮な精神状態を全身でアピールしだす。千鈴がそれとなくフォローに入った。


「とりま大和さんの恥ずかしい小学生メンタルを満たす目的地に着いたー」


「下手くそか!? 色々と!!」


 先行して歩いていた千鈴は聞く耳持たず、立ち止まってからこちらに振り向く。ポケットから鍵束を引き抜いて大和に向かって投げ渡した。


「大和さん開けていーよ。初めて記念」


「ーーっお、おぉ…………なんや、思ったよりボロいな」


 大和は驚いた声を漏らし、続いて落胆混じりの感想が漏れる。


 そこにあったのは木製の古びた両開きの扉。しかも鍵が南京錠という凝りようだ。まあそれが趣向を凝らしているのだとしたらだが。実際古くて大変ボロい。


 扉右上に金属製であろうプレートが嵌め込まれている。もう少し新しければ不自然さが目に付いて仕方が無いのだろうが、それも半端に古びて溶け込んでいる。



『第二武装保管庫』 そう銘が彫られていた。

 

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