第二章[裏]らぁめん問答②
地球にはかつて『超常』が溢れていた。
生態系から逸脱した怪生物が大地を闊歩し、その大地からは可視化できるほどの生命力が溢れんばかりだったという。
当時でも特別な存在ではあった。しかし、それでも当然のようにそれらはそこにあり、彼らは生活の一部であり、人類もまた彼らの一部だったわけだ。
しかし当然、それは現代ではまかり通ってはいない。
『超常』が幅をきかせる時代はやがて終わりを告げる。
「彼らの繁栄の真偽が議論されることもありますが、とりあえずは真であることを前提として。色々とらしい記述は残っていますね」
「ドラゴン祭りができん!! みたいな話やろ? 聞いたことあんで」
あくまで当然の知識を披露するかのように。大和は思い当たり一つを例示した。一真も当然知っている。
「有名な欧州の大和祭の手記ですね。なんでも竜種が子を成せなくなったことで祭儀が取り行えない不安が綴られているとか。どちらかと言えばその内容より、年代が不鮮明なことで一悶着あったことで有名な話ですが。竜種が邪なるものとされる時代だとしたら、そういった信仰も一苦労だったでしょう」
まず変化として現れたのは、神秘を宿した超自然的存在たち。時に『神』と同一視され、時に信仰の対象ともなる彼らの生活圏の縮小及び総数の減少だった。
主となったのは星を母体とする上位種たち。元より稀少な存在だった彼らはあっという間に絶滅まで転がり落ちて行ったのだ。現代に至っては既にその糸はか細く残るのみで、怨念のような残滓が世界中で散見される。
その原因は現代になっても妄想の域を出ない仮説が転がるのみである。
彼らが表舞台からも去ったことで、世界からは様々な奇跡が失われることになった。表裏一体で紙一重な世界の半分は、その全容が解明されることなく崩れて消えたのだ。
「そして続いて起こったのがーー」
「『魔術』の衰退、やな」
一真は頷く。
「原則として借り受ける力である魔術そのものについてもそうですが、使用機会が減少したのも大きな痛手です」
そもそもの魔術の目的とは超常の『観測』と『制御』が主なものであった。
現代でもその主軸は変わっていないとも言えるが、それを用いるべき対象は大きく減った。術の起源として、衰退期に失われた超自然的存在を据えている流派も多くあった。『魔術』とは『契約』だ。契りを交わし、力を譲り受けるための『親』が必要なのである。その繋がりを失うことは、流派の断絶を意味する一大事であった。
そして何より、大きな役割を失った魔術師、広く言えば魔道士ーー『超常』に関わる者たちーーは恐れられた。
衰退もやむなしと言える。
この急激な衰退は徐々に緩やかな下降曲線へと変わり、いつしか大多数の人間は『超常』を知覚することすら出来なくなっていった。意識からも剥がれ落ちるまでに大した時間は必要なかった。
かくして『超常』が人間と共存する時代は御伽噺となり、自分たちが生きる現代へと繋がる。
本当に簡潔にまとめたが、概ねこのように『超常』の時代は動いてきた。
「粗探しは捗りましたか?」
「そうやな……。あぁ、一応史実としては滅びの寸前なんやろうが、思いのほか超自然的存在は居るんちゃうかとは、思ったか。ほら地縛霊とか」
「それはそもそも由来が大きく違います。普通に生きてればそうそう遭遇することもないでしょう」
「そうかぁ? 俺とかここ来る前に結構遭遇したで。いやぁ祓ったりするのも割と重労働でなぁーー」
「錦さんの匙加減ですね」
「やっぱそうか。あのハゲタカはクソやな、クソ」
この世の異端に遭遇するためにはそれなりの理由が必要だ。
それは砂場に紛れた一粒の偶然であり、また先駆者たる隣人が引き込む必然でもある。両者に得てして言えるのは、それが危険と隣合わせであるということか。お遊び半分ならば、せめてその領分は守らなければなるまい。
辛いあの日々の答え合わせを済ませた大和は、お冷を自分のコップ、一真のコップの順に注ぎ、一気に飲み干した。
「俺の所感になるけど、魔術師も何やかんやでしぶとくしとる。業界もしばらくは消滅せんやろ。今じゃ立派な幽霊やら妖怪の掃除業者になっとんのは悲しい話やが……」
酷い言い草であるとは、街の外の彼らを知らない一真には簡単には言えぬセリフであった。
「まあ加えてお前ら魔法士連中に命運握られてる面もあるんちゃうか思うがな。お前ら、外の魔術師からはあんまりええ印象ちゃうで。やっぱ」
「無駄な心配ですね」
「如何にもに怪しげな他所もんが勝手に居着いてんのが不気味なんのもあるやろが、何よりお前らの十八番の『魔法』さんが、やっぱり恐ろしいんやろな。縛り塗れの魔術師から見たらなんでも出来る力ってのはやっぱり脅威やで。いつ侵略されるか気が気じゃないんや」
「………………」
大和は暗色気味の高菜をホイホイと口に運ぶ。
すると突然大和の目の前に丼がスライドしてくる。それは一真の醤油ラーメン。
大和がその奇行にアクションを取る間もなく、一真はちょうど一息で啜れる程度に残った麺を箸でわずかに持ち上げて、そのまま三秒ほど静止した。
箸を離す。
当然の成り行きとして麺と箸は重力に引っ張られてスープの中に落下の後、スープが服を汚す程度には飛び散るーーことは無かった。
麺と箸は持ち上がった状態のまま、出来のいい食品サンプルのように静止している。湯気も既に消え失せていた。
「この凍結状態を五分持続させてください」
「…………は?」
「ほら早く」
いきなりの展開を飲み込めないままに急かされ、大和はぎこちない相槌を漏らしながら凍結魔法による即席ラーメンサンプルに手をかざした。身体にそれなりに染み付いた感覚で制御を試みる。がーー
「………………最悪や」
箸と麺は十秒経たずして重力に抗うことを思い出して落下。着水と共に跳ねたスープは見事に大和のズボンにシミを作った。
「これで分かりましたね」
「…………え、何が?」
どうしてか諭すような雰囲気の一真だが、大和にとって今の一連はただただ身体が醤油臭くなっただけの喜劇だ。
「大和さんはまだまだ未熟であるということです。これぐらいは最低十分はもたせられるようにならなくては」
「あのなぁ。俺だってこんな場所やのうて、ちゃんとーー」
「ーーちゃんと狩場の中なら安定する、ですか?」
「そうやーーって。……あぁ、そういうことな」
「『魔法』による侵略などありえないでしょう?」
「……回りくどっ。……分かりにくっ」
何かを察したらしい大和はチクリと二言刺して残す。
一真は丼を自らの正面に引き戻し、スープに浸かった箸を持ち上げる。水面に波紋が幾重にも生まれ、同時に湯気が立ち上った。気のない拍子で手を叩く大和。
「人間の意識を骨子とする『魔法』は、理論上は従来の『魔術』と比較にならないほどの柔軟性、創造性を備えています。しかし致命的欠陥として安定性が著しく低い。外部からの補助がなければ、実用にはとても耐えない」
そう言い切ると、すっかり元の熱を取り戻した麺を一息で啜り、コップを煽って水を飲み干した。この話はこれでおしまいと言わんばかりだ。
「……ま、外の魔術師連中がこっちの仕組みを理解しきれてるとは限らんってことや。未確認の存在は忌避してまうんが人間ってもんやろ。UMAみたいなもんやな」
「俺たちは未確認生物じゃありません」
「いーや、世界の外からやってきたなんてUMA以外の何者でもないとは思わんか? 俺は思う」
「……UMAというのは目撃例や伝聞による情報があるのに実在が確認されていない生物のことを指す言葉です。俺たちは確かにここに居ると内外問わずに知られていますし、そもそも大多数が日本国籍を取得しています。紛れもなく、俺たちは日本人です」
人々から『超常』が忘れられた現代。それは奇跡か否か。百年前、日本の片田舎に打ち込まれた変動の相。
世界はもう一つ存在した。
『この世界』とはまるで異なる歴史を刻んできた、『もう一つ』の世界が。
「……にしても、ようやるもんやでお前らの家系は。軽く『百年』なんて言っとるが、そんだけ長い間ずっと獲物を待っとるっちゅうんは、普通に考えても正気やないわ。みんな大して突っ込まんが、全員どっか狂っとるで。
「何を今更……」
「俺は一般人代表やからな。……『逃亡した魔王の残党を追いかけ遥々異世界までをも渡り、百年もの時を越えてその根絶の機会を待つ』。ファンタジーの導入としてはそれなりやが、俺は好かんな。釣りは好きやが気長が過ぎる。適度につついたら攻め場変えな」
大和はより一層芝居がかった口調で謳ってみせると、直ぐに砕けて呆れてみせた。一真は眉根をひそめない。
「それはそうですが、これも仕事ですので。好悪の問題ではないでしょう」
「仕事ねぇ。でっかい釣り針ぶら下げても、魚が居らんのなら意味ないんとちゃうかなぁ。俺は『魔王死亡説』、割と推しとるで。勇者選定者とか一回も現れたことないんやろ?」
「ですから、これは仕事です。現状がどうあれ達成報告も中止指令も挙がらないのなら続けるしかありません。百年だろうと千年だろうと。
何より、この街の『魔獣』たちは俺たちの管轄で、俺たちの蒔いた種です。魔王の生死に関わらず、奴らを滅し切るまでが一応の終着になります」
「なるほど、ご大層なこって」
大和は頬に笑みを刻む。それは少し語気を強めた一真を、笑って歓迎するようだった。少なくとも嘲笑の類ではなかった。
『勇者』と『魔王』
百年以上の昔、地球とは違う異世界で起きた『魔王侵攻大戦』
魔王を打ち倒し、戦いを決着させた英雄、勇者。しかしその存在には謎が多い。
ウェリック・フレーベル。
その倒錯した精神性から『魔王狂い』とも呼ばれた彼は、稀代の天才魔道士であった。
勇者システムを構築し、この街の結界構築の要ともなった作戦の最重要人物である彼は、それだけを残して死んだ。最重要の機密をいくつも抱えたままに。
勇者について分かっているのは、特に魔を払う力に特化した強大な『勇者の加護』を見に宿すこと。
加護の力を分け与えた『眷属』と呼ばれる存在を作り出せること。
その加護は選定され、与えられるものであること
そして、そのシステムはこの街に張られた結界に仕込まれていること
魔王復活の兆しを察知すると、資格者が自動で選定され、勇者の加護を身に宿す。
しかしその一連の現象を体験した者は未だ存在しない。
結界の仕組みから解明しようにも、天才が創り出したその中身は超越理論の塊で、そのパズルに挑める胆力を持つものはいない。
ガラス細工の精密模型を再度組み上げられる保証などなく、その責任を負える者もいないからだ。腐れど廃れど、これは国を挙げた計画なのである。
ーーただ、それも長くはないのかもしれない。
「……作戦の終わりが近いという話は、前の開門のあたりから噂はされてはいます」
「前っていうと、五年前か?」
「はい。半ば予想に近いものですが、大和さんと同じ結論の人は多く居るということでしょう。魔獣の観測件数も減って、新たな『特級』も観測されなくなって長いです。……もしかしたら、もっと昔からそんな思いはあったのかもしれません」
「ーーの割に、俺ら今めっちゃ働いとるけどな」
バケモンめっちゃ湧いとるやん、と意図的に話の腰を折ろうとするような大和はそう言った。
「今は一時的に均衡が崩れて不安定なんです。今回は規模が大きめですがーー」
瞬間、会話を切り落とすように電子音が鳴り響いた。
天井の扇風機がかき混ぜる生暖かい空気を切り裂いたそれに、反射的に体を強ばらせる。
すっかり耳に馴染んだ呼び出しの電子音。一真は自身の上着からスマートフォンを取り出し、半ば確定的なその表示を視界で捉えた。
覗き込む大和は深く哀しみを表現し、一真も少し息を吐く。仕方ないかと、カウンターから腰を浮かせる。
残念ながら、仕事の時間だ。
「へい!! 替え玉ちぢれ一丁!!」
やや遅ばせながら現れた小さな丼に、少年は目の前の店員と顔を見合わせた。一度試してみたいセリフがある。
刈り込んだ黒髪が力強い眼差しとマッチした店員は少し戸惑っているようだった。
「テイクアウト、出来ますか?」




