表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

She loves me

作者: りく

「何より、僕に惚れ込んでいるところが一番の美点かな」

「それはごちそうさま」


 ラブコメ調短編です。

 うららかな春の陽射しが心地よく、小鳥のさえずる朝。

 静寂は、甲高い女性の声で破られた。




「何ですって!?」

「いや、だから、ね」

「だ・か・ら、何ですって?」

 あまりの剣幕に尻込みする父親に向かって、リンディアは一歩父に歩み寄った。


「いや、その、ね」 

「その、なんです?」

 目線をさまよわせる父に対し、彼女は追及の手をゆるめない。

「だってねえ、とっても良いお話なん……」

「お・こ・と・わ・り! してくださいませ」

 眉間に青筋を浮かせながら、彼女は何とか話を続けようとする父を遮った。


「騎士団の団長で……」

「だ・か・ら、何ですの?」

「きっと、リンディアも喜……」

「お・こ・と・わ・り、してくださいますね?」


「……王も喜んで下さったのに」

 深いため息をつく父を前に、彼女は一瞬言葉を失う。


 おうも喜ぶ? おう? 王様? 


「……な、なんですってえ!?」

 先ほどよりももっと大きな、悲痛な声が辺りに響き渡った。








 リンディアは、ずんずんと前だけ見て歩を進めていた。ドレスの長い裾を、蹴り上げるようにして突き進む。

 長いドレスは、普段なら感じないほど歩きにくくて仕方がなかった。

 父親の部屋を出て、屋敷を出て、表門へと真っ直ぐに突き進む。玄関口で執事に呼び止められたが完全無視。

 淑女の慎みだとか作法だとかいった言葉は、すっかり彼女の頭から抜け落ちている。もともと、彼女はそう言った行儀作法は好きではないのだ。


 淑女は走ってはいけない。

 淑女は顔を真正面に向けてはいけない。常にやや俯き加減でいること。

 声を立てて笑ってはいけない。


 なんて、つまらないこと!




「リディ、ご機嫌斜めのようだね」

 前だけを向いていた彼女は、だから横からゆっくりと近づいてきた彼に気付かなかった。

「……ミュスカ様。ご機嫌よう」

 立ち止まって、声の方を振り向くと、リンディアはドレスの裾を持ち上げ、静かに腰を折る。

 隙のない動作。貴族の作法を嫌っていても、身に付いたものは咄嗟のことでも自然に出てくる。


 声の主は、笑顔の爽やかな若い青年だった。

 若い、というのは語弊があるかも知れない。明るい栗色の髪の毛、黒に見える、濃い蒼い瞳。

 外見だけならリンディアと対して年が変わらないように見えるが、彼、ヴェリル・ミュスカは童顔なのだ。

 彼は彼女の兄と幼なじみで、同じ年齢だから、8つ年上だったはずだ。つまり、26歳。


「そのまま進むと、屋敷を出てしまうよ? 伯爵家のご令嬢が、そんな恐ろしいご面相で外を歩いていたらまずくないかい?」

「ミュスカ様、兄に何かご用ですか?」

 つっけんどんに問い返すと、彼はくくっと面白そうに笑う。

「今日は、君の父上にね。どうしたの、姫?」

 勝手知ったる他人の屋敷。彼はすっとリンディアの手を取ると、中庭へと導く。


 その様子を、玄関から追いかけてきた執事が目にとめて、ほっと胸をなで下ろしていた。








「何も言ってくれないと分からないよ? 姫はどうしてご機嫌斜めなのかな?」

 中庭に置かれたベンチに二人並んで腰掛けると、彼は優しく問いかける。

「その呼び方は止めて下さいとお願いしましたわ、ミュスカ様」

 何だか子供扱いされているようで、リンディアはその呼び方を嫌っていた。実際のところ、幼なじみの妹で、まして8つも年下とくれば、本当に妹のようにしか思えないのだろうけれど。


「じゃあ、その他人行儀な呼び方も止めてもらえる、リディ?」

「……あまり優しい声を出されると、鳥肌が立ってくるわ、ヴェリル」

 心底嫌そうに返すと、彼はにっこりと笑う。

 彼の優しい声音が、余所行き用の声であることを、長い付き合いで彼女はよく知っていた。


「嫌われたもんだ」

 素っ気ない声で、からかうように彼が呟く。それは、もう聞き慣れた声音だった。

「嫌ってるわけじゃないわ、ヴェリル。ああ、もう、そんなことどうでも良いじゃないっ!」


「そうだね、リディの不機嫌の理由は、差詰め縁談の話かな?」

 さらりと返され、彼女は一瞬息が止まった。


「な、な、何で知ってるの!?」

 顔を真っ赤にして立ち上がるリンディアを、ヴェリルは座ったまま面白そうに見上げる。

「そういう話が持ち上がる年でしょう?」

「そ、それはそうだけれど」

 彼女は横を向いてぼそっと呟く。

 何もかもを見透かされたような視線が痛いが、視線は頑なに戻さない。


「まあ、実は、君の兄上から聞いていたんだけれどね」

「……」

「嫌なんだ?」

「……別に、仕方ないと思ってるわ」

 ベンチに乱暴に腰を下ろすと、横を向いたままふてくされたように彼女は答える。

「でも怒ってる」

「そう言うヴェリルだって、まだ婚約すらしてないじゃないっ!」

「したよ」

「え?」

 あっさりとした返答に、リンディアは言葉を失った。


 彼女の兄は、4年前に可愛らしい女性と結婚している。兄の仲の良い友人達は、それぞれその前後に結婚していて、ただ一人、ヴェリルだけが結婚していなかった。

 ヴェリルは子爵家の次男で、確かに玉の輿を狙う女性達には受けが悪かったが、将来有望な婿として、多くの諸侯達に注目されていた。彼は若くして王立三騎士団の一つ、白銀騎士団の副団長にまで上り詰めた、有能な騎士だったから。

 しかし、数ある縁談話を、ヴェリルは悉く断っていたという。


「その、報告に来たの?」

 ぼんやりと視線を真正面に向けて、彼女は静かに問いかけた。


 兄の幼なじみであるヴェリルを、父は息子同様に可愛がり、目にかけている。彼女の父は白銀騎士団の団長であり、彼がヴェリルを副団長まで取り立てたのである。

 娘には甘くて弱い父親だが、騎士団では鬼の団長と怖がられているらしい。


「いやいや、それはとっくに済ませてるから」


「……どんな、人なの?」

「う~ん、可愛い女性だよ。明るい金色の髪に、明るい空色の瞳。絶世の美女ってわけじゃないけど、まあ、美人の部類かな」

 にこにこと、彼は嬉しそうに話し出す。その声音は、どこか甘い。


 金色の髪に、空色の瞳って、私だってそうなのに……。


「性格も良いよ。話していて楽しいし、とても優しい人でね。何より、僕に惚れ込んでいるところが一番の美点かな」

「……それはごちそうさま」

 彼女は不機嫌を募らせ、ぶっきらぼうに言葉を返す。


「で、リディはその縁談を断るの?」

「王にも報告済みなのよ? 私は知らなかったのに。

 ……断れるはずもないわ」

 泣きそうになりながら、今度は半ば投げやりに答えた。瞬きを繰り返して、何とか涙をこらえる。


 自分が、どういう身分に産まれたかを、彼女はきちんと理解している。例え年の離れたじいさまだろうがなんだろうが、身分にふさわしい相手と結婚しなければならない。

 もとより、断れない話なのは分かっていた。ただ、ちょっと我が儘を言いたかっただけだ。

 貴族の娘である自分に、そんな勝手が許されるはずもない。


「そう、それなら良かった。じゃあ、行こうか」

「行くって?」

 ヴェリルは立ち上がると、すっとリンディアの正面に立ち、彼女に手をさしのべた。彼女はぼんやりとその手を眺める。


 大きくてごつごつした、童顔の彼に似合わない武骨な手。

 でも、幼い頃によく彼女の頭を優しくなでてくれたその手が、彼女は大好きだった。


「君の父上の所に。ちょうど良いから君もおいで。せっかくだから婚礼の話も進めてしまおう」

「? 何を言ってるの?」


 彼は戸惑ったような彼女の手を強引に取ると、無理矢理立ち上がらせた。


「今日はね、青騎士団団長就任のご挨拶に伺ったんだよ」

「騎士、団長?」

「そう」


 王立三騎士団。

 白銀騎士団の団長は、彼女の父親。

 赤騎士団の団長は、5年前に就任した、働き盛りの男性で、もちろん既婚者で。

 残るのは青騎士団。


 彼女の結婚相手は、騎士団長と言ってなかっただろうか?


「……ヴェリル、貴方の婚約者のお名前を聞いても良いかしら?」

 ゆっくりとした口調で、リンディアはヴェリルに問いかける。やや俯き加減で、貴族の令嬢らしく、相手に視線を合わせないで。


「リンディア・ファラオン嬢ですよ」


 くすくすっと、彼は幸せそうに笑う。


「リディ?」

 優しく、甘い呼びかけ。それは、余所行き用の作り声では決して無くて。


「君以上に、僕を好きな女性はいないと思うのだけれど?」


 ぼんっと、リンディアの顔は燃え上がった。

 顔を上げない彼女の手を持ったまま、彼はひざまずく。

 ひざまずいたところで顔を上げれば、ずっと俯いたままのリンディアと目があい、これ以上ないくらい優しくヴェリルは笑いかける。


「リンディア、僕と結婚していただけますか?」


 ヴェリルは楽しそうな笑みを浮かべている。リンディアが断ることなど、夢にも思っていないのだろう。

 実際、彼女に断る気などない。ずっとずっと憧れていた、兄の友人。


 こんなに、喜ばしいことはなくて。

 それが、ちょっと悔しくもあったけれど。


「ええ、ヴェリル」


 リンディアはとっておきの笑顔をヴェリルに向けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ