She loves me
「何より、僕に惚れ込んでいるところが一番の美点かな」
「それはごちそうさま」
ラブコメ調短編です。
うららかな春の陽射しが心地よく、小鳥のさえずる朝。
静寂は、甲高い女性の声で破られた。
「何ですって!?」
「いや、だから、ね」
「だ・か・ら、何ですって?」
あまりの剣幕に尻込みする父親に向かって、リンディアは一歩父に歩み寄った。
「いや、その、ね」
「その、なんです?」
目線をさまよわせる父に対し、彼女は追及の手をゆるめない。
「だってねえ、とっても良いお話なん……」
「お・こ・と・わ・り! してくださいませ」
眉間に青筋を浮かせながら、彼女は何とか話を続けようとする父を遮った。
「騎士団の団長で……」
「だ・か・ら、何ですの?」
「きっと、リンディアも喜……」
「お・こ・と・わ・り、してくださいますね?」
「……王も喜んで下さったのに」
深いため息をつく父を前に、彼女は一瞬言葉を失う。
おうも喜ぶ? おう? 王様?
「……な、なんですってえ!?」
先ほどよりももっと大きな、悲痛な声が辺りに響き渡った。
リンディアは、ずんずんと前だけ見て歩を進めていた。ドレスの長い裾を、蹴り上げるようにして突き進む。
長いドレスは、普段なら感じないほど歩きにくくて仕方がなかった。
父親の部屋を出て、屋敷を出て、表門へと真っ直ぐに突き進む。玄関口で執事に呼び止められたが完全無視。
淑女の慎みだとか作法だとかいった言葉は、すっかり彼女の頭から抜け落ちている。もともと、彼女はそう言った行儀作法は好きではないのだ。
淑女は走ってはいけない。
淑女は顔を真正面に向けてはいけない。常にやや俯き加減でいること。
声を立てて笑ってはいけない。
なんて、つまらないこと!
「リディ、ご機嫌斜めのようだね」
前だけを向いていた彼女は、だから横からゆっくりと近づいてきた彼に気付かなかった。
「……ミュスカ様。ご機嫌よう」
立ち止まって、声の方を振り向くと、リンディアはドレスの裾を持ち上げ、静かに腰を折る。
隙のない動作。貴族の作法を嫌っていても、身に付いたものは咄嗟のことでも自然に出てくる。
声の主は、笑顔の爽やかな若い青年だった。
若い、というのは語弊があるかも知れない。明るい栗色の髪の毛、黒に見える、濃い蒼い瞳。
外見だけならリンディアと対して年が変わらないように見えるが、彼、ヴェリル・ミュスカは童顔なのだ。
彼は彼女の兄と幼なじみで、同じ年齢だから、8つ年上だったはずだ。つまり、26歳。
「そのまま進むと、屋敷を出てしまうよ? 伯爵家のご令嬢が、そんな恐ろしいご面相で外を歩いていたらまずくないかい?」
「ミュスカ様、兄に何かご用ですか?」
つっけんどんに問い返すと、彼はくくっと面白そうに笑う。
「今日は、君の父上にね。どうしたの、姫?」
勝手知ったる他人の屋敷。彼はすっとリンディアの手を取ると、中庭へと導く。
その様子を、玄関から追いかけてきた執事が目にとめて、ほっと胸をなで下ろしていた。
「何も言ってくれないと分からないよ? 姫はどうしてご機嫌斜めなのかな?」
中庭に置かれたベンチに二人並んで腰掛けると、彼は優しく問いかける。
「その呼び方は止めて下さいとお願いしましたわ、ミュスカ様」
何だか子供扱いされているようで、リンディアはその呼び方を嫌っていた。実際のところ、幼なじみの妹で、まして8つも年下とくれば、本当に妹のようにしか思えないのだろうけれど。
「じゃあ、その他人行儀な呼び方も止めてもらえる、リディ?」
「……あまり優しい声を出されると、鳥肌が立ってくるわ、ヴェリル」
心底嫌そうに返すと、彼はにっこりと笑う。
彼の優しい声音が、余所行き用の声であることを、長い付き合いで彼女はよく知っていた。
「嫌われたもんだ」
素っ気ない声で、からかうように彼が呟く。それは、もう聞き慣れた声音だった。
「嫌ってるわけじゃないわ、ヴェリル。ああ、もう、そんなことどうでも良いじゃないっ!」
「そうだね、リディの不機嫌の理由は、差詰め縁談の話かな?」
さらりと返され、彼女は一瞬息が止まった。
「な、な、何で知ってるの!?」
顔を真っ赤にして立ち上がるリンディアを、ヴェリルは座ったまま面白そうに見上げる。
「そういう話が持ち上がる年でしょう?」
「そ、それはそうだけれど」
彼女は横を向いてぼそっと呟く。
何もかもを見透かされたような視線が痛いが、視線は頑なに戻さない。
「まあ、実は、君の兄上から聞いていたんだけれどね」
「……」
「嫌なんだ?」
「……別に、仕方ないと思ってるわ」
ベンチに乱暴に腰を下ろすと、横を向いたままふてくされたように彼女は答える。
「でも怒ってる」
「そう言うヴェリルだって、まだ婚約すらしてないじゃないっ!」
「したよ」
「え?」
あっさりとした返答に、リンディアは言葉を失った。
彼女の兄は、4年前に可愛らしい女性と結婚している。兄の仲の良い友人達は、それぞれその前後に結婚していて、ただ一人、ヴェリルだけが結婚していなかった。
ヴェリルは子爵家の次男で、確かに玉の輿を狙う女性達には受けが悪かったが、将来有望な婿として、多くの諸侯達に注目されていた。彼は若くして王立三騎士団の一つ、白銀騎士団の副団長にまで上り詰めた、有能な騎士だったから。
しかし、数ある縁談話を、ヴェリルは悉く断っていたという。
「その、報告に来たの?」
ぼんやりと視線を真正面に向けて、彼女は静かに問いかけた。
兄の幼なじみであるヴェリルを、父は息子同様に可愛がり、目にかけている。彼女の父は白銀騎士団の団長であり、彼がヴェリルを副団長まで取り立てたのである。
娘には甘くて弱い父親だが、騎士団では鬼の団長と怖がられているらしい。
「いやいや、それはとっくに済ませてるから」
「……どんな、人なの?」
「う~ん、可愛い女性だよ。明るい金色の髪に、明るい空色の瞳。絶世の美女ってわけじゃないけど、まあ、美人の部類かな」
にこにこと、彼は嬉しそうに話し出す。その声音は、どこか甘い。
金色の髪に、空色の瞳って、私だってそうなのに……。
「性格も良いよ。話していて楽しいし、とても優しい人でね。何より、僕に惚れ込んでいるところが一番の美点かな」
「……それはごちそうさま」
彼女は不機嫌を募らせ、ぶっきらぼうに言葉を返す。
「で、リディはその縁談を断るの?」
「王にも報告済みなのよ? 私は知らなかったのに。
……断れるはずもないわ」
泣きそうになりながら、今度は半ば投げやりに答えた。瞬きを繰り返して、何とか涙をこらえる。
自分が、どういう身分に産まれたかを、彼女はきちんと理解している。例え年の離れたじいさまだろうがなんだろうが、身分にふさわしい相手と結婚しなければならない。
もとより、断れない話なのは分かっていた。ただ、ちょっと我が儘を言いたかっただけだ。
貴族の娘である自分に、そんな勝手が許されるはずもない。
「そう、それなら良かった。じゃあ、行こうか」
「行くって?」
ヴェリルは立ち上がると、すっとリンディアの正面に立ち、彼女に手をさしのべた。彼女はぼんやりとその手を眺める。
大きくてごつごつした、童顔の彼に似合わない武骨な手。
でも、幼い頃によく彼女の頭を優しくなでてくれたその手が、彼女は大好きだった。
「君の父上の所に。ちょうど良いから君もおいで。せっかくだから婚礼の話も進めてしまおう」
「? 何を言ってるの?」
彼は戸惑ったような彼女の手を強引に取ると、無理矢理立ち上がらせた。
「今日はね、青騎士団団長就任のご挨拶に伺ったんだよ」
「騎士、団長?」
「そう」
王立三騎士団。
白銀騎士団の団長は、彼女の父親。
赤騎士団の団長は、5年前に就任した、働き盛りの男性で、もちろん既婚者で。
残るのは青騎士団。
彼女の結婚相手は、騎士団長と言ってなかっただろうか?
「……ヴェリル、貴方の婚約者のお名前を聞いても良いかしら?」
ゆっくりとした口調で、リンディアはヴェリルに問いかける。やや俯き加減で、貴族の令嬢らしく、相手に視線を合わせないで。
「リンディア・ファラオン嬢ですよ」
くすくすっと、彼は幸せそうに笑う。
「リディ?」
優しく、甘い呼びかけ。それは、余所行き用の作り声では決して無くて。
「君以上に、僕を好きな女性はいないと思うのだけれど?」
ぼんっと、リンディアの顔は燃え上がった。
顔を上げない彼女の手を持ったまま、彼はひざまずく。
ひざまずいたところで顔を上げれば、ずっと俯いたままのリンディアと目があい、これ以上ないくらい優しくヴェリルは笑いかける。
「リンディア、僕と結婚していただけますか?」
ヴェリルは楽しそうな笑みを浮かべている。リンディアが断ることなど、夢にも思っていないのだろう。
実際、彼女に断る気などない。ずっとずっと憧れていた、兄の友人。
こんなに、喜ばしいことはなくて。
それが、ちょっと悔しくもあったけれど。
「ええ、ヴェリル」
リンディアはとっておきの笑顔をヴェリルに向けた。