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漂う嫌悪、彷徨う感情。  作者: 中め
2/9

無関係な関係者。



「……はぁはぁ」


 上手く息が吸えない。吐けない。苦しい。心臓が痛い。目が霞む。視界が狭い。でも逃げなきゃ。早く遠くへ。


 帰るなら勇太くんの両親に挨拶するべき。分かっているけれど、リビングに泣いてぐちゃぐちゃになった顔を出すのは抵抗があった。いや、違う。真琴ちゃんがいるだろうリビングに顔を出すのに抵抗があったんだ。


 恐怖に負けた。無礼を承知で誰にも気付かれない様に玄関の扉をそっと開けた。


 外の景色が目に入った瞬間、安堵で意識を失いかける。こんなところで倒れちゃダメだ。もっと遠くに行かなきゃ。


 塀に寄りかかりながら道路に出ると、


「大丈夫ですか?」


 近くを歩いていた男の人が駆け寄って来た。


「……大丈夫です。お気になさらずに。本当に何でもないので。気にかけて下さってありがとうございます」


 必死に平気を装った。 


 この人は困っている人を見過ごせない親切な人なのだろう。だから、変な呼吸を繰り返す私を見て救急車を呼びかねない。そんなことをして騒がれたら、勇太くんの家族に見つかってしまう。それだけは嫌だ。

 

「アナタ、この家から出てきましたよね? 俺、この家の人間と知り合いなんで、呼んできますよ。

……ていうかもしかして、真琴のお兄さんの婚約者さん? 確か真琴が『お兄ちゃんが婚約者連れてくる』って言ってたから。俺、真琴の彼氏で日下と申します。ちょうど真琴を迎えに来たところなので、一緒に中に入りましょう」


 勇太くんの家を指差しながら微笑む目の前の男の人に、寒気がした。


 親切だと思っていたその人が、一瞬にして敵に見えた。


「違います‼ 本当に違うので、真琴ちゃんには外に私がいる事は言わないでください‼ 絶対に‼」


 この場から逃げようと駆け出した足が縺れ、その場に倒れ込む。


「早くて浅い呼吸を繰り返している人間が走れるわけがないでしょう」


 そんな私を日下さんが抱き起した。


「お願いですお願いです。見逃してください」


 親切そうに見える日下さんが、本当に親切な人であって欲しいと願いを込めて懇願する。


 日下さんは真琴ちゃんの彼氏。怖い人なのかもしれない。


 だけど、自分の力で逃げる事さえ出来ない私は、頭を下げる以外ない。


「『見逃す』って何を? どうしたの? あの家で何かあったの?」


 切願虚しく、日下さんは私を解放してはくれなかった。


「何もないです。お願いです」


 今度は更に深く頭を垂れる。そもそも、日下さんには何の関係もない。話す義理がない。


 ここでもたもたしている場合ではない。一刻も早くこの場から立ち去りたい。


「ねぇ。俺、真琴の彼氏だって言ったよね? あの家から息を切らせた女の子が出てきて気にならないわけないよね? 今、俺に担がれてあの家に連行されるのと、場所を移して何があったか話すの、どっちがいい? どうせ逃げる体力ないんでしょ? どっちかしか選択肢ないよ」


 それでも日下さんは私を逃がしてくれず、選びたくもない2択まで突きつけてきた。


 日下さんは、私たちの結婚には無関係だけど、勇太くんの家とは関係があった。


「……肩を貸して頂けませんか? ここから離れた所で話します」


 本当は2つ共拒否したい選択肢。それが出来ないのなら、私が選べるのは後者しかなかった。


 肩さえ貸してもらえれば、何とか歩ける。


 兎に角、兎に角、是が非でも遠くへ。


「肩は貸しません。背中を貸します。乗って」


 日下さんは私の前で背を向けてかがむと、『おいでおいで』と手招きをした。


「大丈夫です。歩けますから」


 さすがにおんぶしてもらうのは忍びないし、いい歳をして恥ずかしい。やんわり断るも、


「早くしないとあの家から誰か出て来ちゃうかもよ。見つかりたくないんじゃないの?」


 日下さんは『早く乗って』と私を急かした。


『早くしないとあの家から誰かが来る』日下さんの言葉に、背中がゾクっとした。


「すみません。お言葉に甘えます。重いのに申し訳ないです」


 そっと日下さんの背中に身体を預けると、


「俺、女の子おぶれないほど軟弱じゃないんんで」


 日下さんは私を持ち上げて腰を起こすと、


「しっかり掴まっててね。ダッシュするよ‼」


 と言って走り出した。


 しかし2分後くらいに突然自販機の前で足を止める日下さん。


「この近くに公園があるんだけどね、話はそこで聞こうと思うんだけど、その前に何か飲みもの買ってからにしようよ。どれ飲みたい?」


 日下さんは『好きなの選んで』と言いながら、私を降ろすことなく、自分のお尻のポケットに器用に片手を入れると、携帯を取り出し、自販機に翳した。


「……じゃあ、お水を頂けますか?」


「じゃ、水とコーヒーのボタン押して。あ、ブラックね」


 しかし、ボタンは私に押させる日下さん。


 おんぶされながら自販機のボタンを押すのは子どもの頃以来で、懐かしくて、ちょっと楽しかった。


 更には、


「悪いけど、持っててくれる?」


 と、背中をかがめて出てきた飲み物を私に取り出させると、そのままそれを私に持たせる日下さん。


「ふふふ」


 日下さんが、子どもに初めて自販機に触れさせる親の様に見えて、思わず笑ってしまった。


「あ、笑った。良かったー。キミ、俺を邪険に扱いすぎ。出会った瞬間に嫌われるって、何事⁉ 俺、キミに何したよ? こんなに親切なのにー。ショックだわー。謝って。名前教えて」



 日下さんが私をおぶりながら『謝れ』『ホラ、名前!!』と膝を曲げたり伸ばしたりして、私の身体を揺さぶった。


「すみませんでした。木原です」


 素直に謝り、名乗ると、


「それ、苗字。な・ま・え‼」


 日下さんは更に激しく私を上下に揺すった。


「美紗です。美紗ですから‼ 止めてください‼ 落ちる‼」


 振動で落下しそうになり、慌てて日下さんの首に絡みつく。


「締まってる‼ 首‼ 何なの⁉ 殺す気なの⁉」


 私がしがみついたせいで日下さんの首が締まっていたらしく、日下さんが『緩めて緩めて‼』と私の腕をポンポンとタップした。


「あ、ごめんなさい。ていうか、だったら揺らさなきゃいいじゃないですか」


 力み気味の腕をそっと解きながら言い返すと、


「あんだけ俺に、何か汚いものでも見るかの様な視線を飛ばして嫌っておいて、ちょっと意地悪し返したくらいでコレだよ」


 日下さんに嫌味を返された。


「……すみません。私、降ります」


 正直、精神的に参ってしまっている今、初対面の人間にまで攻撃されて平気でいられる程、私の心臓は鉄壁ではない。


 日下さんの背中を滑り落ち、地面に足をつこうとすると、


「拗ねるし。女子ってホント、面倒臭い」


 今度は日下さんの方が腕に力を入れ、私を自分の背中に押し戻した。


 日下さんは、私の身体を気遣って、私を歩かせようとしないのだろう。


「もう大丈夫なのに……すみません」


 正直、呼吸はだいぶ楽になっていた。


「日本人って、『すみません』と『ありがとう』の使い方おかしい人多いよね。今は『ありがとう』を使うべき。そっちの方が言われて嬉しいし、言う方も気持ちいいでしょうが」


 日下さんが私をおぶり直して歩き出した。


「……ありがとうございます」


「You bet!」


「日下さん、外国人?」


「純日本人」


 日下さんが『ふっ』と息を漏らして笑った。


 確かに『ありがとう』の方が嬉しいし、心地よい。


 日下さんに連れられて近くの公園へ。


 日下さんは、公園にある大きな木の下に設置されていたベンチに向かうと、ゆっくり私を降ろし、そこに腰を掛けさせた。


 そして自分も私の隣に座ると、私の手から水とコーヒーを抜き取り、水が入ったペットボトルのふたを開けて私に手渡してくれた。ジェントルマンなのか。女を喜ばせるのが上手いのか。


「御親切にどうも」


 日下さんから水を受け取ると、


「Sure thing」


 またも英語で答えるアメリカンな日下さん。


「だから、外国人?」


「純国産」


 日下さんは、こういうやり取りが好きなのか、目を細めながら自分の缶コーヒーのプルタブを開けた。


 それぞれの飲み物を一口含み、一息ついたところで、


「で、何があったの?」


 日下さんが本題に入る様に切り出した。


「……日下さん、聞いたら100%嫌な気持ちになりますよ。それでも聞きたいですか?」


 さっきの『ありがとう』とは正反対。


 これから話そうとしている事は、言う方も言われる方も最悪な気分にしかならない。


 それに、私が口にするのも嫌なんだ。思い出す事さえ辛い。


「うん。じゃなきゃ、何の為に美紗ちゃんとココに来たか分かんないじゃん」


 だけど、日下さんは聞きたいらしい。


 日下さんにとって真琴ちゃんは、愛する彼女。知りたいに決まっていた。


「……じゃあ、今から話すことは話半分で聞いてください。先に言っておきます。私の口からは真琴ちゃんの悪口しか出てきません。主観が入らない様に話そうとは思いますが、どうしても恨み辛みが出てきてしまうと思います。私の一方的な言葉になります。真琴ちゃんのいないところで、真琴ちゃんの意見も聞かずに欠席裁判みたいになるのは卑怯だと思うから」


 ペットボトルをぎゅうっと握り、意を決する。


「何て言うか……律儀だね、美紗ちゃんって。話半分でなんか聞かないよ。100%で聞く。大丈夫。後で真琴からも100%で聞くから。どっちの話も真剣に聞く」


 日下さんが、ペットボトルを握りしめながら俯く私の頭を撫でた。


『100%で聞く』と言ってくれた日下さんの誠意に応えたいと思った。


 目を閉じ、思い返す事さえ避けていたあの頃の記憶を呼び起こす。


 小さく息を吸い、言葉を吐く。


「……真琴ちゃんと私は、中学の同級生です。……私は中学の時、真琴ちゃんから苛めを受けていたんです。何が原因だったのか分かりません。私が何かしてしまったのだと思います。何がいけなかったのか気付きもしない鈍感さも、嫌われる原因だったのかもしれません」


 少しずつ蘇る、思い出とは到底呼べない記憶。


 ペットボトルを持つ手が震え、中に入っていた水が『チャプチャプ』と音を立てながら波を打った。


「……中学時代の真琴ちゃんは、いつも女子の真ん中にいて、先頭に立っていました。反対に私は、目立つこともなく自分の席でひたすら読書をしている様な人間でした。本が好きだったんです」


 どこから話せば良いのか分からない。核心部を話すのも怖い。当たり障りのない話を紡ぐ。


「真琴と美紗ちゃんが同じグループに属する事はあり得ないよね。だとしたら、分かんないかもね。苛められた原因」


 日下さんは、眉間に皺を寄せながら宣言通りに真剣に私の話を聞いてくれる。


 話さなきゃ。ちゃんと話さなきゃ。


 分かっているけれど、喋ろうとすると喉の奥が締まる。


「兆候が分からなかった。突然苛めが始まりました。私と違って人気者だった真琴ちゃんの言葉に、真琴ちゃんのグループの子たちも、そうじゃない子たちも賛同しました。いつのまにか、クラスの女子対私になっていました」


 記憶と一緒に涙が溢れ出る。せめて呼吸が乱れない様に、必死で平静を保とうと気を張る。


「きっついね、それ」


 なのに、日下さんが同調してくれるから、あの頃の自分が慰められている様で、涙が止まらなくなる。


「……きっつかったです。正直。本当に…」


 ヒックヒックと背中が動き、否応なしに呼吸が浅くなってきた。


「何をされたの?」


 日下さんが私の背中を摩りながら、1番聞かれたくない事を質問してきた。


「……最初は、教科書隠されたり、制服捨てられたり……でした。……それから、体育倉庫に監禁されたり、トイレに閉じ込められたりしだして……。どんどんエスカレートしていって……便器に顔を押し込まれて溺れさせられたり、口の中に土と虫を詰め込まれたり……してました」


 話した途端に、ペットボトルも持っていられないくらいに、手どころではなく身体全体が震え出した。


 手からペットボトルが滑り落ち、足元を転がった。


「大丈夫。大丈夫だから。もう、中学時代に戻ることはないんだから」


 日下さんは、地面に落ちたペットボトルを拾うと、砂を払いながら私の膝の上に置き、私を落ち着かせる様に何度も『大丈夫』と言い聞かせた。


「『美紗の何もかもがムカつく』と言われました。直して苛めがなくなるなら直したいと思って、真琴ちゃんに何がいけないのか聞いたんです。そしたら『そういうところだよ』って言われました。どういうところなのか最後まで分からなかったし、今考えても分かりません。自分を【正しい人】だとか【善人】だなんて全く思っていませんが、少なくとも真琴ちゃんに嫌がらせをしたり、困らせたりしたことはなかったと思います」


【主観は入れない】と言っていたくせに、どうしても感情的になってしまう。事実だけを平然と話せるほど、私にとっての中学時代は、淡々とした時間ではなかった。


 日下さんは余計な言葉を挟もうとはせずに、ただ私の話に耳を傾けた。


「学年が上がって、クラスが変わってもいじめは続きました。真琴ちゃんたちは、毎日私がいるクラスにやって来ました」


 喋りながら唇が震えた。上下の歯が『ガチガチ』と音を鳴らす。押し寄せる過去の恐怖に身震いする。


「親にはその事を言わなかったの? 苛めを受けると分かっていて、毎日学校に通っていたの?」


 日下さんは上着を脱ぎ、私の肩に被せると、その上から私の肩を摩った。


「……ウチ、母子家庭なんです。幼い頃に両親が離婚していて。母は『親の都合で別れておいて、子どもにひもじい思いをさせたり、子どもの進路の選択肢を狭める様なことはしたくない。大学にだって行かせたい』と言って、私の為に必死に働いてくれました。……とても言えなかった。学校に行きたくないなんて。母に余計な心配かけたくなかった。『死にたい死にたい』と毎日思っていたけど、母を想うと出来なくて……逃げ場がありませんでした」


「……良かった。美紗ちゃんのお母さんが素敵な人で。お母さんがいてくれて良かった。お母さんの存在が美紗ちゃんを踏みとどまらせてくれたんだね。美紗ちゃんが死ななくて良かった」


 日下さんはそう言ってくれるけれど、


「その頃の私は、母さえいなければ気兼ねなく死ねるのにって、母の存在を疎んでいました」


 中学時代の私は、母に感謝出来るほど、心にゆとりなどなかった。


「それは嘘だよ。だって美紗ちゃん、お母さんのことが大好きでしょ? 自分の為に頑張ってくれるお母さんを疎ましく思うわけない。簡単にお母さんとお別れしたいと思うわけがないよ。だけど、相当追い込まれてたんだね。よく踏ん張ったね。偉かったね」


 日下さんが中学時代の私を褒めながら、私の頭を撫でた。


 耐え抜いて良かったんだと思えて、涙が溢れだす。


「出会うのが今じゃなかったらなー。美紗ちゃんの中学時代に出会えていたら、絶対助けたのに」


 日下さんが、泣きじゃくる私に笑いかけた。


「……いましたよ。中学時代に日下さんみたいな人。全力で遠ざけました。巻き込めるわけないじゃないですか。私と同じ目に遭わせてしまったら最悪じゃないですか。優しい人にそんなこと出来ないです」


 あんな思いを誰かと共有したいだなんて、微塵も思えない。


「イヤイヤイヤ。俺が女子に負けるわけがないでしょうが。束で掛かって来ても蹴散らすわ。俺のこと、どんだけ非力だと思ってんのよ。心外。謝って」


 日下さんが、さっきまで優しく撫でてくれていた私の頭を掻き荒らした。


「……ごめんなさい」


 グスグスと鼻を啜りながら、乱れた髪を手櫛で直す。


「美紗ちゃんってさ、素直なんだか頑固なんだか分かんない子だよね。とりあえず【信念が強い】ってことだけは分かったけど。美紗ちゃんのそういう強さは男前でカッコイイと思うけど、女の子なんだし、弱さとか隙とか見せた方が絶対モテるよ。それが出来ないなら、計算ずくの強がりを披露するとかさー」


 日下さんが笑いながら、自分で乱した私の髪を一緒になって整えだした。


「……計算ずくて」


「女子の『強がってないもん‼』て、健気を装って涙目で言うパフォーマンス、バレてないと思ってた? 何気に男も少女マンガ普通に読むからね。男もキュンキュンしたいのよ、たまには。だから、女子の強がりアピールからの男子による『俺の前で強がんなよ』待ちの一連の流れが女子の大好物であることは分かっていて、それでもやっぱり可愛いから負けてるだけ」


「パフォーマンスて。ていうか、結局負けてるんじゃん」


「可愛いければ何でもいいんだよ、男なんて。それに、負けといた方がモテることを知った上での計算を、男だってするわけさ」


「なんか、引くんですけど」


 日下さんに白い目を向けると、日下さんが舌を出しておどけた。


『クックックッ』


 そして2人で私の頭を整えながら笑い合う。


「日下さん、私が泣くからわざとしょうもない話を挟んだでしょ? 優しいですね」


 私だって気付いている。日下さんが、苦しそうに話す私のことが見るに堪えなくて、意図的にふざけている事に。


「しょうもないて。優しいのは間違いないけど」


 私に『優しい』と言われて、日下さんが照れ笑った。


「今、こうして美紗ちゃんに無理に話をさせておいて何だけど、俺は基本的には言いたくないことは言わなくていいと思うし、聞かなくてもいいって考え方の人間なのね。だけど、美紗ちゃんの話は吐き出すべきだと思う。きっと思い出したくないんだと思うけど、心の中で上手く埋葬出来なかったから、しこりになって今疼き出しちゃったわけじゃん。自分ひとりの力で成仏させられなかった思いなら、他人に聞かせてスッキリさせて葬ればいいと思う。でも、それを話すって苦しいことだとも思う。だから、ゆっくりでいいよ。美紗ちゃんの話したい言葉で、美紗ちゃんのペースでいいよ。俺、全然付き合う。合わせるから。休み休み話せばいいよ」


 日下さんが「それまでくだらない話しようぜー」と私の髪を自分の人差し指に巻き付けて遊んだ。


「……なんで、自分の彼女の悪口を言う私に、そんなに優しく出来るんですか?」


 私には出来ない。勇太くんを悪く言われるのは絶対に許せない。


「半信半疑だから。ごめんね。100%で聞くって言っておいて美紗ちゃんを信じ切れてなくて」


 日下さんが申し訳なさそうに笑った。


 なんて正直な人だろう。だから私は、この人に正直な気持ちを言えるのだろう。


「……日下さんは、真琴ちゃんのどんなところが好きなんですか?」


 私には恐怖でしかない真琴ちゃんは、日下さんにとってはどんな存在なのだろう。


「私の頭は便器に突っ込まないところー」


 日下さんは笑いを取ろうと言ったボケなのかもしれないが、ダークすぎてちょっと笑えない。


「……中学を卒業して、真琴ちゃんたちとの関わりを一切なくしたくて、通学時間すら被らないように遠方の高校に行きました」


 また、ポツリポツリと話し出すと、日下さんは「うんうん」と静かに相槌を打った。


「それからは平穏無事に生活をしていたんです。もう会わなくて済むんだ。これからは何にも脅えずに過ごせるんだ。だから中学時代のことは忘れようって思ってました。というか、記憶から消したかったんです。高校・大学を卒業して、今の会社に入って、彼に出会って。彼が同じ市出身だと聞いて、私と同じ歳の妹がいると言われたのに……。彼、真琴ちゃんと同じ苗字なのに……幸せすぎて、頭の中がお花畑過ぎて気付かなかった。彼が真琴ちゃんのお兄さんだったことに」


 勇太くんを好きになった事に後悔なんてしていないし、したくもないのに、それに似た感情が顔を出す。


「【佐藤】って、クラスに1人はいる珍しくない苗字だもんね」


 日下さんが苦々しく笑った。


「で、彼氏の家に行ったら真琴がいて動転しちゃったわけだ」


 疑問が解けた日下さんが「なるほどねー」と呟いた。


「彼に中学の頃の話を聞いたことがあったんです。私は受験しなかった組が行く地元の中学に行っていたんですけど、彼は私立の進学校出身でした。彼に妹さんがいると聞いた時、『きっと彼と同じ中学に行ったのだろう』と掘り下げて聞きませんでした」


 どうしてもっと深く聞かなかったのだろう。どうして。どうして……。


「もしかして美紗ちゃん、『どうしてもっと詳しく妹について聞かなかったんだろう』とか思ってる? だとしたら、彼氏の妹が真琴だって分かった時点で別れてたの? 美紗ちゃんを苛めていたのは真琴でしょ? 彼氏は何も悪くないんだよ。自分が選んで真琴を妹にしたわけでもなければ、立候補して真琴の兄になったわけでもないんだよ?」


 日下さんが私の胸の内を見透かした。


「……」


 日下さんの言葉は正しく、反論の余地もなかった。


「ねぇ美紗ちゃん。『結婚やめよう』なんて思ってないよね? 加害者の家族は加害者じゃないよ。ねぇ、初っ端から俺を避けたのも、俺が真琴の彼氏だからでしょ?」


 日下さんが鋭い視線を向けてきた。日下さんには何でもお見通しなのだろうか。だけど……。


「……もう遅いです。『結婚出来ない』って言って逃げてきてしまったので」


 私は今、【考え中】ではなく、既に決断を下した後だった。


「どうしてそんな突発的に結論出しちゃうの⁉ それでいいの⁉ 結婚したいくらいに好きなんでしょ⁉ 彼のこと‼」


 日下さんが私の肩を掴んだ。


「『加害者の家族は加害者ではない』それは分かってます。分かってるけど、日下さんが私の立場でもそう言えましたか⁉ 部外者が善人ぶって、被害者に肩入れして加害者家族を攻撃するのはどうかと思います。だけど、被害者は……被害者の気持ちはそんなに簡単に割り切れないんですよ‼ 怖くて怖くて仕方がないんですよ‼ 今は優しいけど本当は……って、そんな風に思いたくないのに疑ってしまうんですよ。そんな私と結婚して、勇太くんが幸せになれるわけないじゃないですか‼」


 肩に乗っていた日下さんの手を振り払って立ち上がった。


 もう、日下さんに話すことは何もない。全部話した。


 日下さんは、中学時代の私の話を100%で聞いてくれたけれど、勇太くんと結婚したくて、結婚後の生活の夢まで見ていたのに、それを自らの手で壊した今の私の悔しさを理解してはくれないだろう。


 あとは家に帰って1人で泣こうと、公園を出ようとした時、


「待って美紗ちゃん‼ 送るから‼ 今の美紗ちゃんを1人で帰らせられない」


 日下さんが私の手首を掴んだ。


「大丈夫です。1人で帰れます。1人にしてください。お願いだから。真琴ちゃん、日下さんを待ってるんじゃないんですか? デートする約束してるんですよね? 私の話に付き合わせてしまってすみませんでした。もう行ってください。私、本当に平気なので」


 日下さんの手を降ろそうとするも、


「じゃあ、せめてタクシーで帰って。心配だから。美紗ちゃんがタクシーに乗ったことが確認出来たら、真琴に会いに行く。じゃなきゃ、真琴のとこには行けない。美紗ちゃんを1人になんか出来ない」


 日下さんは更に力を入れて私の腕を掴んだ。


「……分かりました。そうします」


 家に帰るにはタクシーに乗るしかないらしい。真琴ちゃんの彼氏さんに送ってもらうなんて命知らずなことは、何があっても出来ない。


 2人で公園を出ると、日下さんが手配してくれたタクシーに乗り込んだ。


「美紗ちゃん、帰ったら水分たくさん取ってね。いっぱい泣いたから」


 窓の外で日下さんが心配そうに手を振った。


 そんな日下さんに大きく頷き手を振ると、タクシーが出発した。


 流れる景色を見ながら、「ふぅ」と息を吐いた。



 やっと1人になれる。


 やっと1人で号泣出来る。

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