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漂う嫌悪、彷徨う感情。  作者: 中め
1/9

彼女たちの過去。




 商社に営業として入社して3年。


 仕事にもこなれ始めた頃、俺の課に新卒の営業事務として入って来たのが美紗だった。


 健気で、何にでも一生懸命で、面倒な仕事にも嫌な顔をせずに頑張る彼女。


 そんな彼女に恋に堕ちるのに、時間はかからなかった。


 一緒に仕事をしながら、たわいもない話を出来る様にまで打ち解けたある日。


 お互いの実家が同じ市内だった事が発覚。


 地元トークで美紗との距離が一気に縮まった。


 仕事帰りに一緒にご飯に行ったり出来るまでになった時、思い切って美紗に告白をした。


『私もずっと好きでした』と顔を真っ赤にした美紗。


 可愛くて可愛くて。


 こんなに可愛いコが自分の彼女になった事が嬉しくて、自慢で。


 美紗との時間は、楽しくて幸せで。


 ささいなケンカはあれど、順調に付き合い続けて2年が経った。



「そろそろ結婚しませんか?」



 デートの帰りに美紗にプロポーズをした。



「したいです」



 涙目になりながら、嬉しそうに返事をしたこの日の美紗を、俺は一生忘れないだろう。




 俺は、美紗と結婚する。




 結婚の報告をすべく、美紗を実家に連れて行く事に。


 俺の両親と美紗は、外で何回か食事をした事はあるが、美紗を実家に入れるのは今日が初めて。


 美紗は玄関の前で足を止め、肩も頬も強張らせて緊張しきっていた。


「イヤイヤイヤ。オトンとオカンには何回も会ってるじゃん」


 ガッチガチに固まる美紗の肩を揉むと、


「……そうだけど、妹さんに会うのは初めてじゃん。変な印象持たれない様にちゃんとしなきゃ」


 美紗は俺の手を乗せたまま、肩で大きく深呼吸した。


「大丈夫だよ。気合うんじゃん? 美紗と妹、タメだし」


 今度は美紗の背中を摩って落ち着かせようとすると、


「だといいな。勇太くんの妹さんだもんね‼ いいひとに決まってるもんね‼ 仲良くしたいな」


 美紗が笑顔を作り、俺を見上げた。


 まだちょっと表情が硬いけれど、笑顔を作れるようになった美紗に笑い返し、インターホンのボタンを押した。


 大丈夫。こんなに素敵な美紗を、妹が嫌うわけがない。




「ただいまー。美紗連れてきたー」


「おかえりなさーい。美紗ちゃん、いらっしゃい。さぁさぁ、あがってあがって」


 すぐに玄関の鍵が開き、俺らを待ち構えていただろうオカンがお出迎え。


 オカンは美紗の事を気に入っていて、嫁姑関係は良好だ。


 俺と美紗を中に入る様に急かすオカンの後ろから、


「もー。なんで今日顔合わせにするかなー。私、彼氏とデートだって言ったじゃん」


 美紗の緊張の元凶・妹が顔を出してきた。


「いいだろうがよ、どうせお前なんかすぐ捨てられるんだから。てか何なんだよ、その態度。美紗に失礼だろうが。謝れ、馬鹿女」


 妹の髪をぐしゃぐしゃに掻き毟り、


「ごめんな、美紗」


 と美紗に両手を合わせると、


「……ぜ……全然」


 美紗が俺の背後に隠れる様に一歩下がった。


 美紗は妹に怯えてしまったらしい。


「お前が私に謝れよ。デートだって言ってるだろうが‼ 折角髪の毛セットしたのにー‼」


 俺を睨み付けながら手櫛で髪を直そうとする妹が、


「……」


 俺の後ろで小さくなる美紗を見て手を止めた。


 そんな妹に気付いた美紗が、横髪で顔を覆う様に更に下に顔を向けた。


 美紗の様子がちょっと気になって、


「美紗?」


 美紗の顔を覗こうとした時、


「おーい。いつまで玄関にいるのー? 中に入ってこいよー。お父さん、淋しいだろー」


 リビングで俺らを待っていたオトンが業を煮やし、玄関で立ち話を続ける俺らを大声で呼んだ。


「はいはい。今行きますよー」


 オトンに大きな声で返事をしたオカンが、


「もう。お父さん、淋しがり屋さんなんだから。お父さん、美紗ちゃんが来るの楽しみにしてたのよ。早く顔を見せてあげて」


 とオトンに呆れながら美紗を手招きした。


 オトンも美紗に好意的。


 俺と美紗の結婚には何の障害もない。


 

「……おじゃまします」


 美紗が俺のシャツの裾を強めに握った。


 やっぱり今日の美紗は何か少し変だ。


 美紗を気に掛けつつ、4人でオトンのいるリビングに。


 オトンとオカンが並んでソファに座り、その正面に俺と美紗が腰を掛けた。


 そして、妹が美紗の斜め前に座ろうとした時、



『ハァハァ、ヒッヒッ』



 美紗の方から変な音がした。


 美紗に目を向けると、美紗が震えながら青ざめていた。


「……美紗? どうした? 顔色悪いぞ。 体調悪いのか?」


 美紗の肩を掴んで揺らすと、美紗は俺の顔を見ながら口をパクパクさせた。


 喋りたいのに、喋れない様子の美紗。


 明らかに様子がおかしかった。


「大丈夫か? 病院行く?」


 プルプル震える美紗の肩を抱くと、美紗は大きく首を左右に振って、ぎゅうっと両目を瞑ると、苦しさを堪える様に拳を胸に押し付けた。


「美紗、ちょっと休もうか。ちょっと美紗、俺の部屋連れて行くわ」


 自力ではとても歩けそうにない美紗の腕を自分の肩に回し、美紗の身体をソファから持ち上げた。


「そうね。具合悪いなら無理しなくて良かったのに……。気を遣わせちゃったのね。ごめんなさいね、美紗ちゃん」


 美紗の異変に困惑する両親の横で、


「わざわざデートの時間ずらしてやったのに……」


 と妹が悪態をつくから、


「オイ、黙れよクソブス」


 立ち上がったついでに、上からまた妹の頭をぐっちゃぐちゃに掻き乱してから、美紗を抱きかかえてリビングを出た。


 階段を上り、2階にある自分の部屋に美紗を運ぶ。


 オカンは俺が家を出て一人暮らしを始めた後もこまめに掃除をしてくれているらしく、ドアを開いた先の俺の部屋は綺麗に整頓されていた。


 しっかりと洗濯もしてあるだろうシーツが掛かったベッドの上に美紗を横たわらせると、美紗はきょろきょろと大きな黒目を動かして部屋を見渡した。


「そんなに見んなって。恥ずかしいだろうが」


 手のひらで美紗の目を覆い隠そうとすると、美紗は俺の手をスルっと避け、四つん這いになりながらベッドを降りると、そのまま本棚の方に向かって行った。


「……美紗?」


 美紗の行動に首を傾げる。


 そんな俺の疑問になど構う事なく、美紗は本と本の間に挟まっていた、過去に薬局でコンドームを買った時のものと思われる紙袋を抜き取ると、それをためらいなく自分の口に当てながら息を吸ったり吐いたりした。


「オイオイオイオイ……」


 半笑いになりながら、美紗の口元にある紙袋を取り上げようとすると、美紗は俺に背を向けてそれを阻止した。


 只ならぬ美紗の様子に戸惑う。


 ふと、美紗の動作が前に情報番組で取り上げられていたものに似ていることに気付いた。


「……過呼吸……なのか?」


 俺の問いかけに答える余裕のない美紗は、目を固く閉じ、息苦しさを堪えながら何度も袋の中で呼吸を繰り返した。


 過呼吸だとしたら、ペーパーバック法は確か危険って言われているはず。再度美紗から紙袋を奪おうと手を伸ばすと、美紗は『やめて』と言わんばかりに顔を左右にフルフルと振った。


「……美紗、初めてじゃないだろ」


 美紗はきっと、正しいペーパーバックの仕方を知っているのだろう。


 とても辛そうだけど、どこか慣れている様にも見える美紗。


 だけど、美紗が俺の前でこんな状態になったことなど、今まで1度もなかった。


 美紗は呼吸も乱れているが、相変わらず震えも止まらない。


 寒いのか? 熱でもあるのか? と美紗の頬に触れようとすると、美紗が身体をビクっと跳ねさせ、俺から後ずさった。


「美紗?」


「……勇太くんは、妹さんのこと……好き?」


 美紗が震えながら、苦しそうにしながら出した言葉は、今しなければいけない質問とは思えない。


「別に。普通に好きなんじゃね? 妹だし、特別嫌いじゃないし、仲は別に悪くないとは思うけど? まぁ、さっき見た通り悪口言い合ったりはするけどね」


 とりあえず聞かれたことに答えると、


「……そっか。……勇太くんごめんなさい。私、結婚出来ない」


 ただでさえ息をし辛そうな美紗が、頭を下げながら泣き出した。


「は? ちょっと待ってよ。何急に。美紗、何で?」


「……私、中学の時……ずっと真琴ちゃんに苛められてたの」


 まだ教えていないはずの妹の名前が、美紗の口から出てきた。


「それが本当ならゴメン。本当にゴメン。真琴にもちゃんと謝らせる。でも、それは昔の話だろ。大事なのは今じゃん。だから、そんな事言うなって」


 美紗を宥めようとまた近付くと、


「そうだよ。昔の話だよ。私にとっては思い出したくない、忘れてしまいたい過去の話だよ」


 美紗は顔を振り上げ、両目から涙をボロボロ零しながら俺を見た。


「真琴呼んでくる。美紗が赦そうと思えるまで、何度でも頭下げさせる」


 思い出しただけで過呼吸になってしまうほどに美紗を追い込んだ真琴が赦せない。


 引きずってでもここに連れて来て美紗に謝罪させようと、リビングに向かおうとした時、


「……何度も、何度もね、死のうと思った。なのに出来なくて……。中学を卒業した時、本当に嬉しくて、物凄く安堵して、もう2度と会いたくない。会わないって心の底から思った。私をイジメていた人間から逃げよう。誰も自分を知らない高校に行こうって決めて、片道2時間半かかる学校に通ってた」


 美紗が思い出したくないはずの過去の話をし出した。


 暗に『真琴を連れて来るな』と伝えたかったのだろう。


「中学は3年間だから、終わりがはっきり分かっていたから何とか我慢出来た。でも、結婚は違う。家族は一生続く」


 そして、結婚出来ない理由も涙ながらに話す美紗。


「美紗が嫌なら、俺の実家になんかもう来なくていい。オトンとオカンに会う必要がある時は、2人に俺たちの家に来てもらえばいい。真琴に会いたくないなら、一生会わなくていい。美紗は真琴と結婚するんじゃないだろ? 俺とするんだろ? 俺は真琴とは違う。美紗とケンカした時、意地悪を言ったことは確かにある。でも俺は、美紗に危害を加えたりしたことなんか1度もないだろ!?」


 美紗の気持ちは、理解は出来るが受け入れられない。だって、俺の過失では全くなかったから。俺はどうしても美紗と結婚したいから。


「勇太くんは優しいよ。勇太くんと一緒にいて嫌だったことなんか1回もない。だけど勇太くん……真琴ちゃんのお兄さんなんだもん。真琴ちゃんと血の繋がった兄妹なんだもん」


 美紗は、美紗にも俺にもどうすることも出来ない現実を口にすると、大きく深呼吸をして無理矢理呼吸を整え、フラフラになりながら立ち上がった。


「……ごめんね、勇太くん。ごめんなさい」


 部屋を出て行こうと、美紗がドアノブに手を伸ばした。


「待ってよ美紗!!」


 美紗の手首を掴んで止めると、


「本当にごめんなさい。許してください。ごめんなさい」


 その手を美紗が泣きながら解いた。


 何を言えば良いのか分からず、フラつきながら階段を降りる美紗の後ろ姿を見ているしか出来なかった。


 ただただ、妹への怒りが沸き起こるだけだった。


 美紗の言葉が頭の中で木霊し、しばらくその場に立ちすくむ。


『結婚出来ない』と『ごめんなさい』。


 そして、『真琴ちゃんに苛められてたの』。



「……真琴。ふざけやがって」


 勢いよく部屋を出て、妹がいるだろうリビングに向かう。


 階段を駆け下り、乱暴に大きな音をたてながらリビングのドアを開けると、


「ビックリしたー!! もう少し静かに開けられないの!? 美紗ちゃんは? 具合、大丈夫そう?」


 それに驚いたオカンが、心臓の辺りに手を置きながら俺に怪訝な顔を向けた。


 しかし、オカンの相手をしている場合ではない俺は、


「美紗、帰った」


 とだけ言うと、オカンの隣に座っていた真琴に睨みを利かせた。


「はぁ⁉ こっちはデートの時間調整してやったのに、何ソレ」


『チッ』と舌打ちしながら立ち上がり、リビングを出て行こうとした真琴の肩を、親指がめり込む程に強く掴み、行く手を阻んだ。


「痛った‼ 何すんの⁉」


「お前、美紗のこと知ってただろ」


 俺にブチキレる妹に、俺も静かに怒りを返す。


「え? どういうこと?」


 美紗は知らない間に帰ってしまうし、兄妹は突然喧嘩を始めるしで、オトンとオカンはわけが分からないと言った様子だった。


 そんな両親に丁寧に事の経緯を説明出来る心の余裕など、あるわけもない。


「美紗に『真琴ちゃんに苛められたー』とか言われたの? 言っておくけどアイツ、学校の全員から嫌われてたからね。お兄ちゃん、なんであんな嫌われ者と結婚しようと思ったの? まじでやめた方がいいって」


 真琴が「痛いって言ってるでしょ‼」と俺の手を振り払った。


 真琴の言葉が腑に落ちない。


 確かに俺が知っているのは今の美紗だけで、昔の美紗がどんな人間だったかは分からない。


 でも、【イケメンだから】【上司だから】と特別に態度を変えず、男も女も年上も年下も関係なく親切に接する美紗を嫌うヤツなど、会社にひとりもいない。


「なんで嫌われてたの? 美紗は」


「超陰気じゃね? アイツ。近くにいるとこっちの空気も淀むって皆嫌がってたし」


 真琴のとてつもなくくだらない答えに、思わず真琴の髪の毛を鷲掴む。


 両親に口酸っぱく『女・子どもに手を挙げてはならない』と教育されてきた俺の、最大の暴力だった。


「……お前、美紗に何をした?」


「別に何も? アイツ、何て? どうせお兄ちゃんはあの嫌われ者に夢中だから、私が何を言ってもあっちの言う事を信じるんでしょ?」


 俺が殴らない事を知っている真琴は、髪を掴まれたところで怯まない。


「言いたくないならいいよ。SNSでお前の中学の同級生探し出してて聞くから」


 真琴の髪の毛から手を放し、パンツのケツのポケットに入れていた携帯を取り出す。


「やめてよ‼ 恥ずかしい‼」


 それを奪い取ろうと真琴が俺の腕に飛びついてきた。


「何もしてないんだろ? だったら別にいいだろうが」


 携帯を妹の手が届かない様に高く上げ、SNSのアプリのボタンにタッチした。


「やめてって言ってるでしょ‼ お兄ちゃんが昔の話を嗅ぎまわったりしたら、私がみんなから変な目で見られるじゃん‼ 何もしてないって言うか……ちょっとからかっただけじゃん‼」


 俺の携帯に触ることの出来ない真琴は、今度は携帯の操作を邪魔すべく、俺のシャツを掴み、伸びてしまいそうな程に激しく揺らした。


「どんな風にからかったんだよ。お前の同級生と俺を接触させたくないならちゃんと話せ」


「分かったから‼ 携帯しまってよ」


 聞きわけの悪い妹が、やっと腹を決めた。


「お前の話が嘘臭かったり矛盾が少しでもあったら、速攻で片っ端からお前の同級生に聞きまわるからな。このご時世、易々と秘密の隠蔽や虚偽がまかり通るわけがないんだからな」


 が、自分の妹なのに、どうも信用出来ずに釘を刺す。


 顔を顰めた真琴が、しぶしぶ話し出した。


 それは、耳を疑う内容。


 オカンは泣き出し、オトンは怒り狂い、俺は、


「……人間のやることじゃねぇだろ」


 血の気が引いた。

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