エノシマ、語る
天国に行ってしまったお父さん、お母さん、こんばんは。
由比です。
お父さんたちが死んでしまってからもう6年経つんですね。私はこんなに大きくなりました。
突然ですが、私は今とても困っています。
私を殺そうとした女の子と、私が召喚してしまったワーウルフと、何故か食卓を囲んでいます。
私の正面の席に座る女の子……エノシマが、汁椀を傾けながら感嘆の声を上げた。
「ふむ! 美味い! 兄貴殿の味噌汁は絶品じゃな!」
「口にあってよかったよ、エノシマさん」
「ここ数十年味気ない合成食料しか口にしとらんかったのでな。温かい飯というだけでも有り難いのに。料亭でも開いたらどうじゃな?」
「いやぁ、俺の飯なんてただの家庭料理だからなぁ。……テオはどうだ? 食えるか?」
そう訊ねられたテオがわたしの隣の席でチキンステーキにかぶりつきながら頷く。
「おいしい。コルドバードとおなじあじだ」
「コルドバード……聞いたことのない生き物だなぁ。お前、一体どこの世界から来たんだ? 人狼がいる世界と言えば……アーティズムか? それともオールドエンドか?」
テオは首を傾げている。
「せかいのなまえ、わからない。ニンゲンは、いた。エルフも、ドワーフも、ホビットも、ジェルマンもいた」
「ま、普通自分の住んでた世界の俗称を知ってる奴の方が少ないか。エルフ……ドワーフ……それを聞くとオールドエンドっぽいんだけどなぁ。ジェルマン……聞いたことのない種族だ」
両腕を組んでうーん、と考え込む湘兄ちゃんを横目に、両手を油でべたべたにしながら、再びテオはチキンステーキを齧る。
「まぁ茅姉が帰ってきたら聞けばいいか。あの人だったら解るだろ」
そう独り言ちて、台所へと戻っていく。
お兄ちゃんは私が思うよりももっとあっさりとエノシマとテオを受け入れた。エノシマが未来から来たと言えば「時空転移なんてものすごい魔術じゃないか。しかも俺たちの末裔だって? すごいなぁ!」と驚き、テオを召喚し血の盟約を果たしたと言えば「由比にもちゃんとした使い魔ができたんだなぁ。まさか血の盟約を交わすとは思わなかったけど。良かったな!」と素直に喜んだ。
そして喜び勇んで作られたダイニングテーブルに広がるお兄ちゃんの手料理の数々。美味しそうなのに、私はどうしても手が伸びなかった。
「どうした、由比。しっかり食わねばならんぞ。食事は身体の資本じゃ。身体がしっかりしていなくては、まともに魔術を放つこともできんからな」
白米をわしわしと口に掻き込みながらエノシマは言う。私はぎゅう、と部屋着の裾を掴みながら、絞り出すようにエノシマに訊ねた。
「エノシマ……さん。時空転移者だって言ったよね。どれだけ先の未来から来たの?」
箸を置き、湯気の立つほうじ茶を啜りながら、エノシマは空を見上げて言った。
「そうさな……100……いや、150か。それくらい先の未来じゃ。この時代に来て思った。ほんの100年ばかしで、ああも簡単に国ひとつが滅ぶものなのじゃな」
「滅ぶ!? 日本が!? どうして!? 世界大戦でも起こったの!?」
エノシマはゆっくりと首を横に振る。
「日本の魔術師の間でちょっとした内乱が起きたのじゃ。それは一般人すら巻き込む、酷い争いじゃった……。その責を問われ、日本は世界の魔術師連盟から切り離され、封印された。儂の時代、生き残った魔術師は儂だけじゃ。人口も10分の1にまで減った。老人ばかりで子供は少ない。このままだと遠からず日本人という存在も、日本という国も、世界から完全に消えるじゃろう。儂はそれを食い止めるために、時空を越えてここに来たのじゃよ。長い時間をかけて、時空跳躍の魔術を研究してな」
私には、意味がよく解らなかった。
未来で、日本の魔術師同士が争う?
どうして?
今は西日本支部との関係も良好だ。
それなのに?
「……じゃあ、エノシマは、その内乱を止めるために過去に……今に来たのね? 内乱を起こす首謀者を倒す為?」
「それも違う。些細な事で未来は常に微々たる改変を続けているが、人をひとり殺すとなると、それが大きく歪む事になる。もしかしたら、もっと酷い事態になるやもしれん。それを行うことは、あってはならん事じゃ」
「じゃあ、エノシマは何をしに来たの?」
「あと一手……そう、一手足りなかったのじゃ。それを防げば、おそらくあんな馬鹿げた争いは起こらなかったじゃろう。それを押しに来た。それがお主じゃ、由比」
湯呑みを置き、エノシマはじっとこちらを見つめてくる。
「由比。お主が魔術を使いこなせるようになれば、内乱は起こらん。お主が抑止力になるのじゃ。儂はお主を鍛えに来た」
「鍛え……、えぇっ!?」
「お主の潜在的な魔力は、儂の時代まで経ってもそうそう現れん程の代物じゃ。それを腐らせたままじゃったから、些細な綻びが生まれ、下らぬ争い事が起きた。いいか、由比。云わばお主が特異点なのじゃ」
理解が、いよいよ追いつかなくなってきた。
私が? 特異点? 私の行動で、日本が滅ぶ可能性があるって事?
頭の中を様々な物が駆け巡る。
私が頑張れば。私がやらなくちゃ。そもそもエノシマは本当のことを言っているの? どうして私が。どうして。どうして。
「ゆい。かおがまっさおだ。だいじょうぶか? にく、たべる?」
不安げに尋ねてくるテオの声で我に返った。
「ううん、大丈夫だよ、テオ。少し……少し、混乱してるだけ」
「エノシマ。ゆいをあまりこまらせないでくれ。ゆいがこわがってる」
テオに窘められ、エノシマは肩を竦めて口を閉ざした。どうも、彼女はテオに甘いらしい。
「ゆい。テオにむずかしいことはわからない。わからないけど、ゆいは、テオがかならずまもる。ゆいのためなら、なんだってするから、かなしいかおをしないで」
くぅ、と鼻を鳴らしながらテオが私を見つめてくる。
「テオ……。どうしてそこまで言ってくれるの?」
テオは首を傾げた。
「ゆいは、あるじだ。テオは、あるじにしたがう。それにテオはゆいがすきだ。ゆいがかなしいかおをすると、テオもかなしい」
……この忠義心は、血の盟約がそうさせるものなのだろうか。
それでも、なんだか少しだけ元気が出てきたような気がする。
少なくとも、テオは私の味方をしてくれると言っているのだ。
「よし、わかった! や、やれるだけ、やってやろうじゃないか!」
私が席を立ち拳を握るのを見て、エノシマは口角を上げて手を打った。
「よい心がけじゃ、由比。なぁに、心配はいらん。お主の出来の悪い脳みそでも理解できるよう、しっかり鍛えてやるわ」
「お、お手柔らかにお願いします……」
「相談事が終わったなら、飯ちゃんと食えよー、由比。冷めたら美味しくなくなるだろー」
お兄ちゃんが台所から顔をひょこりと出し、呆れたように呟いたのを聞いて、私はようやく箸を取った。
そんな私を見つめていたテオは、満足そうに目を細めると、手に付いていた油をぺろりと舐めた。