由比、召喚の授業で
週は明け、召喚の授業のチャイムが鳴る。
私たちのクラスの生徒は体操服を着て、グラウンドの片隅にある召喚室に集められていた。
「じゃあ召喚の実習を始めるぞー。阿方から順番に召喚していってみろー」
私ははちきれそうになる心臓を押さえ込む。クラスメイトは次々に水精や雷精、風精や火精を召喚させていく。それらは暫く召喚させたクラスメイトたちの周囲を漂うが、すぐにふわりとエーテルの霧になって消えていった。
皆、一時的な召喚獣を召喚している。私は、私は大丈夫だろうか。うまくできるだろうか。
「じゃあ次、東條ー」
「は、はい!」
言われて立ち上がり、一歩前に出る。クラスメイトはひそひそと何か噂話をしている。おそらく、私に召喚なんてできっこないと思っているんだろう。
私は手に滲む汗を握りしめ、先生に訊ねた。
「先生、血の盟約を交わした使い魔を召喚してもいいんですよね?」
先生は生徒名簿の挟まったクリップボードを眺めていたが、私の声に目を丸くして「あ、あぁ……そりゃ、構わんが」と答える。
それを聞いて胸を撫で下ろし、手のひらにエーテルを放射させた。それは一本の糸になり、私の家の方へ伸びていく。
「テオ!」
しんと静まり返る召喚室。時計の針の音がやけに大きく聞こえた。
誰からともなく笑い声が聞こえてくる。それでも私はエーテルの放射に集中した。大丈夫。テオは、必ず来てくれる。
「……来ないな」
先生がぼそりと呟き、私の名前の横にバツ印をつけようとした、その時だった。
地面を蹴る音がする。ドアを開け放ち、灰褐色の被毛のワーウルフが現れた。
「よばれにしたがい、さんじょうした! ゆい! テオをよんだ?」
「テオ!」
「テオ、はしってきたよ! あ、あるいてるひとのめいわくにならないくらいに、でも、いそいできた!」
私が手を広げると、テオがその中に飛び込んできた。嬉しそうに尻尾を振り、私の顔に鼻筋をこすりつけてくる。
「先生、私の使い魔、テオです」
テオの耳がぴくりと動いた。私にじゃれつくのを止めて、背を伸ばして先生を見下ろす。
「とうじょうゆいがじゅうしゃ、テオ。あるじのよびかけにしたがい、さんじょうした」
そう言ってぺこりと礼をする。
先生は口を開けたままテオを見上げていた。
「あの……先生。ダメ、ですか?」
私が恐る恐る訊ねると、先生はやっと我に返ったように首を数度振り、言った。
「瞬間転移は出来なかったが……まぁ、良し。東條、合格」
「やった!」
私は思わずテオに両手を向ける。テオは少し不思議そうにそれを見ていたが、やがて真似をするように手のひらを私に向けた。私がその手にハイタッチをすると、ぱふっと音を立てた。
「いやぁ、これが由比の使い魔かぁ」
元いた位置に戻る私の隣に、テオも座る。その隣で佳苗がしげしげとテオを眺めていた。
「テオくん、だっけ。私、宅間佳苗。由比の友達。よろしくね」
「かなえ、しってる。ゆいが、よくはなしてくれるひとだ。よろしく、おねがいします」
辿々しく言うテオを、佳苗はそわそわしたように見つめながら、私に訊ねてきた。
「ねぇ、由比。撫でていい?」
「大丈夫だよ。テオ、佳苗が撫でてくれるって」
私が言うが早いか、犬好きな佳苗の手がテオの頭に伸びる。テオは気持ちよさそうに佳苗のされるがままになっていた。
「テオくん、こんなに誰にでも人懐っこいの? ワーウルフって、凶暴なものだって聞いてたけど」
「あ……いや、どうなんだろ?」
「テオ、ゆいにやさしいひとはわかるよ。それに、テオのことがきらいなひとは、テオにやさしくさわろうとしない」
「テオくんは賢いんだねぇ。よしよし」
「東條! 宅間! 駄弁るなら後にしろ、後に!」
先生に窘められてしまい、私たちは慌てておしゃべりを止めた。テオは不思議そうに先生を眺めている。そして私の耳に口を寄せ、小さな声で訊ねてきた。
「あのひと、ゆいよりまりょくないのに、えらいんだね」
「学校の先生だからね」
「でも、エノシマのほうが、ずっとつよいよ」
「学校は魔術以外の他の事も色々教えてくれる場所なの」
「ふぅん……」
テオは体育座りをする私の隣で真似をするように体育座りをしている。周囲の視線がなんだか痛い。皆、こんなに理性的なワーウルフが珍しいのだろう。
チャイムが鳴り、生徒たちはばらばらと更衣室へ向かって歩いて行く。私は召喚室に残ったまま、テオの頭を撫でた。
「私、まだ帰れないんだ。午後の授業、まだあるから」
「そうなの?」
「あと2時間くらいしたら帰るから、テオ、先に帰っててくれる? 帰り道、分かるよね?」
「においがするからだいじょうぶ。ゆい、テオにようじがあったんじゃないの?」
「テオを呼ぶっていう、用事があったの。でも、もう終わったから、帰っていいんだよ。来てくれてありがとう」
「テオ、ゆいがよべば、どこにでもいくよ。てんいは、できないけど、はしっていくよ」
「ありがとう。また何かあったら呼ぶから、エノシマやお兄ちゃんと家に居てね」
「うん。じゃあ、テオはかえるね」
テオは少ししゅんとした様子で、尻尾を項垂れさせたまま召喚室を出て行く。
「テオくん、バイバイ」
佳苗が手を振るのに答えるように手を振ると、爪が地面を蹴る音がした。驚いて召喚室のドアから外を覗くと、テオはもうすっかり遠くへ走り去っていた。
「すごいなぁ。あんな身体能力があるなんて、敵にはしたくないタイプだよねぇ、テオくん」
佳苗が呟くように言い、私はその時初めてテオが自分の味方であるという事を考えてみた。
もしもテオが敵だったら。
おそらく、お兄ちゃんでも手こずる相手になっていただろう。
エノシマに鍛えられていない私だったら、あの鋭い爪で、牙で、裂かれ、噛み砕かれ、死んでいたに違いない。
テオに魔術のようなものは使えないけれど、あの強靭な肉体があるというだけで、それは十分な脅威だ。
自分の考えに、私は背中に冷たいものが流れる感覚を覚えた。
「……でも、テオは、私の味方だよ」
自分に言い聞かせるように、私は言葉にする。
テオは私に従ってくれる。それよりも、もっと大切な存在だ。言葉にするのは難しいけど、テオは言葉に出来ないくらい、私にとっては大切な存在なんだ。
それが万が一敵に回るなんて、考えたくもなかった。




