由比とテオのお買い物
休日の昼下がり、私こと東條由比はまたしても見た目は年下の、実年齢はわからない自分の子孫だと自称する少女エノシマに魔術の特訓を受けていた。
今日は投影魔術……要するに、火を出したり水を出したりする魔術の特訓だった。だが、これはむやみに使う事を禁止されている魔術でもある。うかつに使うと魔術師ではない人に迷惑をかける可能性もあるからだ。それでも魔術師としての位を高めるには、避けて通れないものでもある。
「由比、お主に足らんのは呪文を覚える事ではない。想像力じゃ。熱いと想像するんじゃ。そうすれば炎が、冷たいと想像すれば氷が投影される」
「うう……想像……」
「……ま、ゆっくりやれば良い。魔術が上手くいかず苦悩する、それも経験じゃ」
エノシマは今日も巫女装束姿で、縁側で足をぱたぱたさせながら、私に向かってアバウトすぎるレクチャーをしてくる。だが、そのアバウトさが自分にはとても理解しやすかった。
「由比ー」
廊下の奥から私を呼ぶ声がする。いつもの部屋着、ひっつめ髪にスウェットを着た茅姉ちゃんがちょいちょいと手招きしていた。
「何、お姉ちゃん」
「あんた、ちょっとお使い行ってきて。ええーと、これ、買い物メモね」
言われて畳まれたエコバッグとメモを渡される。そこには神経質そうな字がつらつらと踊っていた。湘兄ちゃんの字だ。
「別にいいけど……。いいの? 今特訓中だったんだけど」
ちらりとエノシマを見ると、エノシマは手をひらひらと動かし小さく頷いている。
「良い良い。根を詰めても出来ん時は出来んもんじゃ。気晴らしついでに行ってこい」
エノシマはそう言うと、手元に置いてあったせんべいの袋を開けてばりばりと噛り出す。
「でも、こんなにたくさん、ひとりじゃ無理だよ」
私がそう言うと、お姉ちゃんは呆れたように腰に手を当てて言った。
「あんたねぇ、せっかく使い魔がいるんだから連れていけばいいでしょ。ついでに商店街の人たちとかご近所さんに使い魔の顔見せしてらっしゃい。うっかり通報されて警察のお世話になりたくないでしょ?」
想像してしまった。テオがひとりで街を歩き、善良な一般市民に獰猛なワーウルフと思われて通報されてしまう所を。
テオはきっとパトカーに乗せられて涙声で私を呼ぶのだ。
そして私は警察官に阻まれながら追いすがるも、無情にもパトカーは走り去ってしまう……。
「い、行ってきます」
「よーし。行ってらっしゃい」
満足げなお姉ちゃんは置いておいて、私は周囲を見渡す。使い魔であるワーウルフ……テオの姿が見当たらない。
「テオどこいったんだろ……」
「召喚すればいいじゃない。せっかく保健所から首輪もらったんだから活用しなきゃ」
「……どういう事?」
私が訊ねると、お姉ちゃんは深く深くため息を吐き、頭を抱える。
「あれは、召喚者と召喚獣を繋ぐ鎖でもあるのよ。あんたがエーテルを軽く放射させて『呼べ』ば、どこからだって使い魔にはあんたの居場所が分かるわ。どんなに距離が離れていてもね」
「へぇ、便利なんだね」
「別に名前を呼ぶ必要はないけど……ま、あんたはまだまだご主人様としては新米だもんね。ほら、呼んでご覧」
言われるがまま、軽くエーテルを放射させる。手のひらが淡く光り、それがまるで糸のように一瞬伸びて、消えた。
「テオ!」
私が呼ぶと、しばらくして廊下をかりかりと爪の立った足音がする。灰褐色の大柄なワーウルフが、小走りでこちらにやってきた。
「ゆい!」
テオはふさふさの尻尾を振り、そして敬うように私の前に跪いた。
「よばれにしたがい、さんじょうした。ゆい、テオをよんだ?」
「テオ、私の声聞こえた?」
「きこえた。でも、くびわがひっぱられるみたいなかんじもした。ゆい、テオにめいれい?」
嬉しそうなテオの頭を撫でる。
「あのね、私とおつかいに行って欲しいの。こんなつまらない事にテオを使いたくないんだけど……」
「テオ、ゆいのめいれいならきくよ。なんでもきくよ。テオ、ゆいとおつかいにいけるのうれしい」
「ま、運動不足も良くないからのう。散歩だと思っていっておいで」
そう言ってエノシマは微笑む。
「じゃあ、行こっか」
「うん!」
私とテオはお姉ちゃんとエノシマに見送られながら、商店街へ向かって歩き出した。
テオは歩幅を私に合わせ、寄り添うように歩く。嬉しそうに鼻を鳴らしながら、ちらちらと私を見つめながら。
「ゆい、どこまでいくの?」
「すぐそこの商店街だよ。昔からある八百屋さんとか、お肉屋さんとかがあるの。うちは昔からそこで買い物してるんだ」
「そうなんだ。おにく、かう?」
「……うん、買い物メモに、鶏胸肉400グラムって書いてある。片栗粉とかも書いてあるから、今日はからあげかな?」
「からあげ?」
「ええーと……鶏肉に味付けして、油で揚げた食べ物だよ。お兄ちゃんのからあげ、美味しいよ」
「そっか、おにくのりょうりなんだね。しょうはいろんなものがつくれてすごいなぁ」
「本当だよね。家事やってる時が一番楽しそうだもんなぁ」
「しょうとおるすばんしてたときも、しょう、うれしそうにソージキ? してたよ。すごいおとだったけど、ごみをすいこむキカイなんだっていってた」
他愛もない事を話しながら、てくてくと歩く。途中でご近所の田中のおばさんに出会い、軽く会釈をするとおばさんは口元に手を当てて大げさに言った。
「まぁ! 由比ちゃん、どうしたのこのワーウルフ!」
「あ、おばさん。彼は私が召喚したんです。帰し方がわからなくって、定住させる事にして……。ほら、テオ、ご挨拶して」
私が促すと、テオはぺこりとお辞儀をした。
「とうじょうゆいがつかいまにしてじゅうしゃ、テオです。よろしくおねがいします」
「あらぁ! 賢いのね! 私、ワーウルフってもっと獰猛なものだと思ってたわ!」
「テオはいい子ですよ!」
「うん、テオ、ゆいをこまらせることはしない」
「本当ね、おとなしくっていい子だわ。私は田中のおばちゃんよ。よろしくね、テオちゃん」
おばさんに頭を撫でられ、テオはどこか心地よさそうに鼻を鳴らす。
「由比ちゃんにも使い魔ができたのねぇ、昌江さんと誠治さんがいなくなって、茅ちゃんがお家を治めるようになって随分経つけど、これでもう安心ねぇ」
「あはは……まだまだ新米ですけど」
「召喚獣に振り回される主も多いって聞くもの。その点、この子はしっかりしてるわぁ。良かったわね、由比ちゃん」
「ありがとうございます。じゃあ、私たち買い物の途中なんで失礼しますね」
「あらあら、ごめんなさい、呼び止めちゃって! またね、テオちゃん」
「うん、おばちゃん、またね」
おばさんと別れ、歩きながらテオは言う。
「このせかいのひとはやさしいね」
「そう?」
「テオのいたせかい……シオドミアン、だと、ニンゲンはみんなテオをころそうとしたよ。でも、このせかいのひとは、あまりそうしないみたいだ。ゆいが、みんなとなかがいいから、つかいまのテオにもやさしくしてくれる」
「そうなのかなぁ……」
「テオはゆいにしょうかんされてよかった」
テオは嬉しそうに尻尾を振る。
八百屋さんの女将さんも、お肉屋さんのおじさんも、初めはテオに少し驚いていたが、テオが凶暴なワーウルフじゃない事、私の召喚獣である事を理解するとすぐに破顔した。
「よし、テオちゃんにサービスだ」
お肉屋さんのおじさんはそう言うと、細切れになった牛肉を少し分けてくれた。テオは嬉しそうにそれを受け取り、口に放り込んで咀嚼する。
「おじさん、ありがとう!」
テオが言うと、おじさんも笑う。
「こんなに大人しいワーウルフは初めて見たよ。でも、しっかり食って、いざって時はご主人様をしっかり守るんだぞ!」
「うん、テオはゆいをまもるためにいる。ちゃんとまもる」
「よし、いい子だ!」
おじさんに褒められ、テオは嬉しそうに尻尾を振った。
買い物が終わっての帰り道、テオは野菜や肉の詰まったエコバッグを持ってくれた。大きなその袋には牛乳パックやお酒の瓶も入っていて、重いだろうそれを片手で軽々と抱え、やはり私に付き従うように横を歩く。
「いっぱい買っちゃったね。重くない?」
「へいき。たくさんあるけて、たのしかった。おにくももらえた……し……」
テオが言葉を詰まらせる。そして眉間に皺を寄せ、周囲を見渡し唸り声を上げる。
「テオ?」
「ゆい、まじゅうのけはいだ。テオからはなれないで」
商店街に悲鳴が上がる。女性の叫び声だ。
「テオ、あっち! 私はいいから、女の人を助けてあげて!」
「……めいれい、された。いってくる!」
テオは荷物を置いて地面を蹴った。瞬時に悲鳴の元へと駆けつけると、若い女性に襲いかかろうとしている魔物と対峙した。
私は荷物を持ったままよたよたとそれを追う。魔物の正体は、正気を失ったオークだった。
「大丈夫ですか?」
襲われていた女性に駆け寄り、声をかける。オークはテオに睨まれ、身動きが取るに取れないといった様子だ。
「だ、大丈夫……です。あのワーウルフは」
「私の使い魔です。安心してください。……テオ、遠慮しなくていい! そいつを倒して!」
「わかった!」
私の命令を待っていたかのように、テオの全身の毛が逆立つ。そして、一声吠えて牙を剥くと、オークに掴みかかった。
「今のうちに逃げて下さい!」
「あ、ありがとう……!」
女性は足を引きずりながら走り去る。十分に距離を取った事を確認してからテオの方を見やると、テオはオークの身体に拳を突き立てていた。何度も何度も、拳を振り上げ、その度にオークの身体は跳ね上がる。そして大きな声で吠えると、鋭い爪でオークの肉を引き裂いた。肩口から腰にかけて、4本の爪痕が走り、血が吹き出す。
「ブ……ヒィ……」
それがとどめになったのだろう、オークはだらりと力を失い、その身体をエーテルへと変えて霧散した。
テオは荒い息を押さえ込むように肩を震わせる。
「テオ! テオ、大丈夫? 怪我はない!?」
私が荷物を置いてテオに駆け寄ると、テオの逆立っていた毛が落ち着いていく。
「テオは、だいじょうぶ。あのおんなのひとは、だいじょうぶだった?」
「うん、少し足をひねっただけだったみたい」
しばらくすると、近くの交番から来たのであろう、お巡りさんが駆け寄ってくる。あの女の人が駆け込んだらしい。
「オークの通り魔が出たと聞いたのですが……!?」
お巡りさんが私とテオを交互に見ながら訊ねてくる。
「大丈夫です、彼が、テオが撃退してくれました」
「このワーウルフは……」
「私の使い魔です。私は東條の者です。ちゃんと届け出も出してます」
「そうでしたか、東條の……」
有名な魔術師の家系というのは面倒事も多いが、こういう時に便利だと思う。名前ひとつで納得してもらえるというのは有り難い。
「この度はありがとうございました」
「いえ、魔術師はこういう時にお役に立ててこそですから……。じゃあ、私たちはこれで失礼します」
「あっ、いえ、魔獣の撃退に協力していただいたのですから、表彰されると思うのですが……」
「たまたま通りすがっただけですから。テオ、帰ろう」
「うん。かえろう。ばいばい。わるいまじゅうにはきをつけてね」
テオは荷物を持ち、お巡りさんに手を振って私の側に駆け寄ってくる。
お巡りさんは敬礼をしたまま私たちを見送ってくれた。
「テオ、お手柄だったね」
「テオは、めいれいにしたがっただけだよ」
「テオ、すごかったよ。すごく強かった。オークなんて敵じゃないんだね」
「ゆい、テオがかってうれしい?」
「それもあるけど……怪我してないのが、一番嬉しい。無茶な命令してごめんね」
「むちゃじゃない。それに、ゆいのやくにたてたなら、テオはうれしいよ」
日が暮れようとする商店街を、テオとふたりでゆっくりと歩く。
テオが戦っている所を初めて見た私は、奇妙な高揚感と、畏怖に似た感情を同時に味わっていた。
無邪気な姿しか見たことがない私は気が付かなかった。テオは、こんなに強かったんだ。
「からあげ、どんなあじかなぁ。たのしみだなぁ」
それでも私の隣を歩くテオは、私の知っているいつものテオで、それがなんだか、とても安心できるようにも感じた。
「テオ」
「なに、ゆい?」
「からあげ、気に入ったら私の分も分けてあげるね」
「ゆい、ゆいもちゃんとたべなきゃだめだ。エノシマがおこるよ」
「その分野菜いっぱい食べるから、いいよ」
そう言って笑う私にテオはどこか不満げだったが、それでも尻尾はふわふわと揺らしていた。




