水島八丸の思い出
登場人物
水島八丸・・・12歳。男。
水島友佳梨・・・17歳。女。八丸の姉。
水島源三郎・・・八丸の父。
水島桐・・・八丸の母。
津根・・・水島家のお手伝い。
水島家は幕府の旗本の武家である。石高は260石程の小さな家であった。水島家は砲術師範を代々継いできたが、第15代当主水島源三郎の娘、友佳梨が幕府14代将軍石明の側室に選ばれると、若干の加石を受けた。友佳梨は教養に長け、美人で人柄も良いため、身分は低いながらも将軍の寵愛を受けていた・・・。
水島八丸は、水島家第15代当主源三郎の長男である。そして彼の5つ上の姉が友佳梨である。興和5年、八丸は12歳となり、元服の齢が近づいていた頃の話である。
八丸は今日も築地の講武所に通っていた。講武所は西洋調練、火器使用の訓練所である。そこで八丸は、小銃、大砲の発射訓練、西洋式の歩調、格闘技、剣術を学んでいた。父源三郎は、和式の砲術以外に西洋の砲術も極めてほしいと講武所に通わせていた。講武所の訓練はとてもきついものであったが、八丸は一生懸命食らいついた。もちろん実家が砲術師範であるという理由もあるが、将軍に嫁いだ姉友佳梨に良い報告ができるように頑張ったのだ。そして、今日は、姉の友佳梨が休暇で帰って来る日である。
遅くなってしまった。今日は姉様が帰って来る日なのに。先輩の稽古に付き合っていたらこんな時間になった。僕は逸る気持ちを抑えながら、家路を急いだ。そして、自宅に着いて、敷居を跨ぐと、丁度、姉様もお帰りになっていた。
「あ、姉様、もうお帰りになったのですね・・・。」
「もう、こんな重たい服はいや!八丸、こんな所で突っ立てないで早く私の着物を持ってきて!」
「はいはい。分かりました。」
確かに器量よしであるが、ストレスを溜めない性格の姉様は、一度に様々な愚痴を連発銃のように撃ちだすのだ。特に大奥では本音は言いづらいから、尚更である。
「姉様、お持ちしましたよ・・・。」
「もう、早くちょうだい。」
姉様は僕がいる前で着替えはじめる。本人は、僕がまだ子供だと思って平気で着替えているが、男であっても僕は繊細であった。恥ずかしい。しかし、姉様の繊細そうな白い肌も、腰も、尻も、全て美しいと感じた。まだ姉様は家に居たころは感じたことなかったのに。
やがて、姉様は普段着に着替え終わった。
「聞いてよ!八丸。もうお城はしきたりが煩くてさ!やれ、あれはだめ、これをしろ、前例がない。将軍の手前なんて女御たちが言うのよ。もう嫌になっちゃう!」
「あ、姉様・・・。」
「それでまだあるのよ!この前夕食で鰻のかば焼きが出たんだけどね、すごく美味しかったの。だからお代わりしたいって言ったら、鰻なんて下衆な魚一々食べるなとか言ってくるの。もう頭来ちゃう!」
「姉様も大変なのですね。」
「もう、そうなの!後、麦姫って奴もムカつくの。本当は様を付けなか行けないといけないんだけどね、私より断然身分が高いから。でも私のやることなすこと一々ケチ付けてこっそり悪い噂を流すらしいの。しかも将軍様にもよ!」
「でも、姉様は将軍様の寵愛を受けていると窺っています。大丈夫ですよ。姉様を良く思っている女御もいますよ。」
「まあ、将軍様は大切にしてくれてるけど・・・。」
心のわだかまりが解けた姉様は優しく僕を後ろから抱き寄せると、
「ごめんね。八丸。ずっと抱きしめられなくて。寂しかったでしょう?」
姉様はやっぱり優しい。
「いえ、僕は強くなりましたから。それに、今は姉様が居るので寂しくありません。」
「もう、八丸ったら。」
僕たちは照れくささと温かさで、笑いあった。
この日の夕食はお手伝いの津根を含めた家族水入らずの食事であった。姉様の大好物の鰻のかば焼きもある。
「これはいつもの鰻屋から仕入れました。今日はぞんぶん食べられますね。姉様。」
「もう、からかってるの?八丸。」
「いえ。姉様は少しばかり痩せてしまったので、精を付けてほしいのですよ。」
「わかったわよ。ありがとうね。」
姉様はこうして鰻を美味しそうに食べた。憂げ出汁豆腐も美味しそうに食べた。いちご汁(エビのつみれ入れのお吸い物)も、味醂酒も美味しそうに飲んだ。
この日は一家全員が笑顔に溢れた食卓になった。そして、久しぶりに姉様と風呂に入った。湯気で輪郭が曖昧になったが、相変わらず姉様は美しかった。
「八丸、御稽古は大変?」
「いえ、姉様。男たるもの稽古で泣き言は許されません。大丈夫です。」
「そう。やっぱり大変なのね。」
「・・・。」
「ごめんね。無理させて。私が側室になって色々と背負わせちゃって。」
「そんなことは無いですよ。姉様。僕も姉様に恥ずかしくないように立派な武士になります。」
「ありがとうね。八丸。やっぱりいい子よ。」
やっぱり、姉様は優しく、良い姉であった。
姉様は4日間滞在した。そして、3日目の日に菩提寺に墓詣りをした。姉様と津根と一緒に作ったおはぎも持って行った。そして、
「ごめんね、ちょっと由親和尚と話をしてくるから待っていて。」
「わかりました。姉上。」
それを聞いた姉様は、にっこりとほほ笑んでくれた。
それからしばらくして姉様が戻ってきた。姉様を見送る和尚はとても悲しげな表情をしていた。
「おまたせ、八丸。帰りましょう。」
「はい。姉様。」
夕暮れの帰り道。姉様は僕にこう言った。
「八丸はそうね・・・。強くなれとは言わないは。優しい人でいてね。」
「はい。優しくて強い武士になります。」
「それを聞いて安心したわ・・・。」
黄昏の夕日に映る渡り鳥が、だんだん点となっていくのが良く見えた。
そして、姉様が帰った2か月後、ある知らせが水島家を震撼させた。
「な、なんだって!姉様が謀反!?」
父上から聞かされた知らせに衝撃を受けた。
「な、なぜ姉様がそんなことをしたと・・・。」
「うむ。友佳梨が将軍の膳の飯に針を仕込み、暗殺を仕組んだと、大奥で噂になり、実際に針が見つかったと・・・。」
「それで、姉様は・・・どうなってしまうのですか?」
「・・・早急に磔の刑に処すと・・・。」
僕はいてもたってもいられず、家を飛び出して処刑場に向かった。この間の時間は、とても短く、とても長く感じた。そして、処刑場には既に多くの人だかりができていた。罪状が掲げられ、今まさに処刑されようとしていた。僕はつかさず
「姉上!!!」
と叫んだ。そうすると、姉様はやさしくニッコリとほほ笑んだ。そして2本の槍が姉様を突いた。
家に帰ると既に父上も母上も津根も屏風を逆さにして自害していた。呆然としていると、外は雨が降っているということだけ気にしていた。そして大八車を借りていき、処刑場に戻ってきた。そして、蓆に包まれたものに男たちが屯っていて淫らな行為をしようとしているのを見つけた。
「すいません。お金は差し上げますから、僕に譲ってくれませんか?」
男たちは渋々帰って行った。そして、蓆を大八車に乗せて、由親和尚の元に向かった。雨が降り続いている。そして、寺の門を叩くと、すぐに和尚が出てきた。
「和尚様。不憫とは言え、姉様は謀反人でございます。しかし、先祖が眠るこのお寺に埋葬したいのです・・・。無縁仏として埋葬しても構いませんから・・・。」
「八丸殿。承知しています。懇切丁寧に弔いますので、どうかご安心を・・・。」
「・・・ありがとうございます。」
雨が降り続いている。冷たい雨が僕を責めていた。雨でぬかるんだ道を、僕は訳もなく歩いて行った。何もかもを失っていた。
世界観は新田捨義の時代と同じです。




