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まぐろの行進曲

朝。

人は家の戸を開け各々の職場へと漕ぎ出し、カラスはごみ捨て場で新鮮な生ゴミを漁り、城の孤独な独裁者となったお母さん達は、下界で修行に勤しむ勇者の帰宅を気にしながらつかの間の休息を味わう。

そして私はというと、駅のホームで一人寒さと闘っていた。

「さむ…」

冷たい風がホームを通り抜けていくと同時に、スカートとハイソックスの間に開く魔の地帯に寒さが染みる。

マフラーに顔を埋めても、魔の地帯(ひざ)の寒さが和らぐことはない。

もう、ほんと何でこんなところを攻撃してくるかな!

このデリケートな部分は甲殻類だって嫌がるであろう関節、すなはちデスゾーン…!

鎧の張りが薄い場所を攻撃されたら人間様だってノックアウトKO待ったなしだよくそう…!!

「…っくしぇい!っあ〜…」

しかも今日は風邪を引いている。

寒い風と頭痛、悪寒の三連コンボは堪らなかった。

心の中で北風への罵詈雑言を思いつく限り吐きつけながら、Twitterのタイムラインをひょこひょこスクロールする。

早朝だからか、皆ほとんど居ないようだ。

そうだよね、まだ朝早いもんね。

そしてつい、まだ見ぬ友達が布団にくるまって呑気に寝ている様を想像した。

数十分前までは自分もあそこで布団とぬくぬくよろしくしていたのに…。

軽快な音楽と共に、赤い車体がホームに滑り込む。

…だが無駄だ、例え暖色の車体で私に媚を売ろうと、貴様が身に纏うのは冷たい風。

私とお前は相容れぬ存在なのだよ。

とりあえず、まだ布団の中でぬくぬくしている全人類の布団が採れたてナマコに変わりますようにと祈ってから、暖房の効いた車内へと足を踏み入れた。


「っあ〜〜、ぬくい」

未だ携帯の画面を見ながら、ガラガラの席につく。

『ガリバルディ』…何これ、なんでこんなのがトレンドに…?

人が全くいないので、ここぞとばかりにど真ん中をぶん取り、座席の下から吹く暖かい春の風に身を任せ、ふんぞり返った。

トレンド入りしていたガリバルディは、どうやらトマト好きの過激集団の名前らしい。

赤シャツを着た彼らがトマトを擁護するため各地のケチャップ・トマトジュース工場でデモを起こしたらしかった。

暇なことする人もいるんだなあ……おっ、うわ。

まとめサイトで記事を読み終わり、他の面白そうなトピックをクリックしたところで別のクッションページにジャンプする。

うわ、これ面倒臭いんだよね…しかもこれ真ん中ぐらいまでスクロールしないと赤字ないやつだよ。

一気に心が萎え、ふと前方に顔を上げた。

この瞬間は、私の人生にとって忘れがたいものとなるだろう。

もし私が面倒くさがらず、記事を追ってまた他のサイトのリンクに飛ぶ、という魔のまとめサイトループに陥っていたならば、平穏無事、平々凡々、弱肉強食な人生を送っていたことだろう。

もし私が顔を上げ、夜勤明けのコンビニ店員が欠伸をし、思春期少年が起こしにきたお母さんを片想い中の女の子と間違えて告白し、なければ。

『次は〜〜、奇抜ヶ原ぁ、奇抜ヶ原ぁ〜』

頭の中の車掌が独特の抑揚で駅名を告げる。

んな駅あるか!!

私の目の前には、マグロが座っていた。

ってちょっと待てぇーーーい。

マグロってなんじゃーい。

あまりにも衝撃的すぎてゆるーツッコミしか出来なかったわーい。

まだゆるさ直らないわー。

そう、私の目の前にはマグロ、確かにマグロが座っているのだ。

といってもマグロというよりマグロ人間と言った方が正しい。

あの、築地とかで取引されてるような生き生きとしたマグロから身体が生えているのーだ。

マグロ人間は『天下一品』とプリントされたTシャツと、細身のジーンズを身につけている。

左手からはコンビニ袋がぶら下がり、頭部にあたるマグロ部分は周りの邪魔にならないようにか、右手で抱え込んでいる。

そのせいで首は曲がり、マグロの背が黒光りしていた。

えっ、、肩こらない?

まだ人生の多くを経験しているわけではない私の、ボキャブラリー不足のツッコミ機能ではこの事態を処理しきれなかった。

えーっ、いや…マグロ!!マグロ??マグロ!!!待て落ち着けまず考えろ、何マグロだこれ、それにしてもリアルだなぁおい、おかあさーーん!!!

『俺だったら写メ撮ってソッコーでツイッターにあげるわ笑笑』

うっせえお前は黙ってろ!!肖像権に違反しちまうだろうがよ!!

脳内の金髪DQNに怒りのボディーブローを食らわせた後、再び目の前の現実と向き直った。

此岸と彼岸を4回ほど行き来したお陰か、最初より冷静になってきた気もする。

そういえば、こんなに暖かい車内にいるのに生臭さが全くない。

となるとこのマグロは作り物か、そっかぁ、安心。

撮影か何かか…?マグロ人間が主演助演もしくはエキストラのドラマか映画かCMの撮影とは。

まあ用途は何にせよ、本物ではないだろうマグロ。

しっかしよく出来てるなあ〜。

規則正しく天下一品の文字が上下する。

マグロ人間が気持ちよさそうに寝ているのを良いことに、ジックリ観察させてもらった。

座っているから分かりにくかったが、今見るとなかなかにすらりとした手足をしている。

程よく引き締まった身体から見るに、そんなに歳はとっていなさそうだ。

と、途中駅に電車が停車し、開いたドアから冷たい風が流れ込む。

マグロのヒレがピクリと震えた。

「っ、ふあ〜〜……」

大きな欠伸と共に手足を伸ばそうとするものの、マグロの尻尾が窓につっかえ、上体を反らしきれていない。

『手や足、ヒレは車体からはみ出さないようにしてくださいね〜!!!』

どうすんだろう。

思わず見入っていると、彼は突然それぞれの手で頭と尻尾を掴み、ぐるりと横向きに回転させた。

グッロ!!!!…!??

私の穏やかでない心中をよそに、彼はようやく伸びができて満足そうだ。

しかしマグロが横向きになったせいで、マグロの目が思ったより澄んだ瞳だった、という気づきたくもない事実に気づいてしまった。

…新鮮そう、だね…しかもちょっと笑ってるのかあの顔!!?ニヒルだなあ、おい!!!?

澄んだ瞳にニヒルな笑み、というギャップもなんだか絶妙にイラッとした。

…マグロ、だよなあ。

気がつけば、電車はとっくに走り出している。

目的の駅まではもう少し時間が掛かりそうだ。

周りを見渡しても、このマグロ人間と私しかこの車両には乗っていない。

まるで、ここだけ別の世界に来てしまったかのようだった。

そのままジッとマグロを見つめていると、マグロ人間はモジモジしだした。

おや?これはどうしたことだろう。

見ていることがばれたのか、いやそれならば見る為の穴は何処に空いているのだ?

「あ、あの…」

「は、はい!」

突然目の前のマグロ人間が話しかけてきた。

そうくるとは思っていなかったので、変なところから声を出してしまった。

「僕の顔に何か付いていますか…」

「えっ、あの、いえ…すみません…」

いやいやいや『付いてる』どころの話じゃねぇー!!!一体何を装着していらっしゃるんですかそれは!!マグロ!!マグロですよね明らかにぃー!?

とはいえ、私も初対面の男性にいきなり『あの、マグロですよね?』などと聞けるほど図太い神経は持ち合わせておらず、疑問は結局心の中に留めておくだけとなった。

しかし、やっぱり私が見てたこと気づかれてたのか…。

さっきまで確実に他人同士であったはずの二人が、変に話をしてしまったおかげでまるで『道を聞いた人にお礼を行って別れた後、その人も同じ方向に歩き出してきて無視しきれずなんだかお互い気まずくなっちゃってとりあえず早歩きをする』のような雰囲気だぁー!!

更に車内に二人しかいないという点もこの雰囲気を助長させているぞぉーーー!!?

この微妙な気まずさは、繊細な日本人にとっては大きな問題である。

それを察してか、次に口(?)を開いたのは彼だった。

「えと、学生さんですよね?」

「え、あ、はい…!」

「こんなに朝早くから学校なんですか?偉いですねぇ」

「あ、はい、委員会の仕事がちょっと…」

「あ、そうなんですか」

「あの、お兄さんもお仕事ですか?」

「えっ、お兄さんですか?はは、嬉しいなあ」

そう言って、彼は照れたように背ビレのあたりを掻いた。

どうしてくれよう、なんとも言えない気持ち。

「あっ、すいません、お兄さんなんて呼ばれるの滅多にないのでちょっと喜んじゃいました。えと、今は仕事の帰りなんですよ。夜からの仕事なので」

「へえ、そうなんですか。お疲れ様です」

夜の仕事…?しかもお兄さんと呼ばれ慣れていないなら、普段はどう呼ばれているんだ?もしやアニキとか若頭だったり…!??

『普段は頭、としか呼ばれないんで、お兄さんだなんて可愛い呼び名で呼ばれるとなんか照れちゃうなあ〜〜』ということか…!??

マグロ人間についての憶測は留まることがなく、私の頭の中だけで既に彼は、咥えタバコの特攻ツナ野郎みたいな二つ名までついてしまっている。

とうとう日本刀を取り出して頭の中を横行する彼に、ついさっきまではマグロの衝撃で忘れていた頭痛がぶり返してきた。

うう、頭いた…。

「っくしゅ…っあ〜」

「大丈夫ですか?最近は風邪が流行ってますからねえ」

「すいません、これくらいなら軽いもんですけどね」

すると彼は、隣に置いていたコンビニ袋をガサゴソし出した。

「…じゃあ、これ。ささやかなものですが」

席から身を乗り出し、伸ばされた手に握られていたのは、ホットドリンクとホッカイロだった。

「ゆずレモン…えっ、こんな、いただけませんよ」

「いやいや、遠慮しないでください。貰い物だし、それにほら、僕が飲むと味ついちゃうんで」

はは、と笑う彼にどんな返しがベストだか分からなかったが、彼のマグロとしての意識の高さを垣間見た気がする。

「…本当にいいんですか?」

「ええ、是非もらってください。こういう物は必要とされる場所にあるのが一番ですから」

マグロの下の彼の顔はきっと、笑っているのだろう。

受け取ったペットボトルは暖かかった。

「ありがとうございます…大切に飲みますね」

「風邪、早く治るといいですね」

車掌のアナウンスが車内に響いた。

私が降りる駅より一つ前の駅だ。

「あ、じゃあ僕はここで」

「あ、お仕事お疲れ様でした。本当にありがとうございます」

「いえいいんですよ。頑張ってください」

そう言って、ちょっと身体を傾けてドアから出ていく。

彼の後ろ姿を眺めながら、やっぱりマグロだ。と改めて思う。

最初はそりゃあビックリってもんじゃないくらいビックリしたけど、面白かった。

電車の中でマグロと対談だなんて、人生を三回やり直してもそう体験できることではないだろう。

「…また会えるかなあ」

結論、マグロ人間はいい人だった。

彼はマグロの顔を正面に戻しながら、朝日がさし込むホームを歩いていった。

やっぱりそれ、戻すんだ。

ふと、温かさを手の中に閉じ込めておいたままだった事を思い出した。

…美味しい。

ゆずレモンの爽やかな甘さが胃に落ちた。


…これでマグロが美味しくなるのかは分からないけど。


マグロの彼と、彼女が、優しい世界で生きられますように

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