俺は考え彼女は……
結局、俺は何をすることもなく、時間が過ぎていった。
深城が言っていた意味を考えて。
――感情をうまく見極めなさい。なぜゆいは傷ついているのか。その答えは既にあなたが持っているはずよ。
深城の言葉。この口振りでは彼女が正解を知っているのは言うまでもないことだ。
中学時代の彼女ならば俺に正解を教えてくれたかもしれない。だが、今の彼女は教えない。ヒントだけを残した。
それはなぜか。
答えは明確である。
彼女はもう周りの評価で行動する人間ではなくなったというわけだ。
そして、彼女は俺に選択権を委ねた。それはつまり勝ち組の行動を取るか、もしくは負け組の行動を取るかどちらを取るかという意味合いを指す。
悪いが、俺は負け組だ。負け組が勝ち組の行動をしたところでそれは違和感でしかない。
ならば、俺がすることは決まっている。
今のこの状態を放置すれば良い。そうすれば、時間が万事解決へと導いてくれる。
だけど、それで良いのか?
考えるうちに授業が終わり、昼食が始まったかと思えば、気がついてみると放課後だ。
俺は結論を出せぬまま、家へと帰ってきている。
時間は待ってくれない。時間帯はすっかり夕飯時になっている。
良い匂いが台所から漂ってきていた。
「おまたせーお兄ちゃん。今日の夕食は酢豚だよ。酢豚~」
優奈はクマの刺繍がついたエプロンを外し、食べる準備をする。俺と向かい側になるよう席に座った。
「ああ」
優奈の声に生返事で応える。
優奈はそれ以上何も言わず「いただきます」と言った。
俺も頂くとしよう。
そこからは何も会話がなく、淡々と食べ進めていった。ひたすら、目の前のある食べ物全てを口に放り込んでいく。
箸で掴んでは食べ、箸を掴んでは食べ、と機械の動作のように平らげていった。
このまま食べ終わるかと思っていたが、優奈が沈黙を破る。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「ゴールデンウィークから元気がないね。ううん。正確に言えば、私の誕生日の次の日ぐらいからかな」
やっぱり勘付いていたか。
予想していたシチュエーションだったので、あまり動揺しなかった。逆にこういうことに敏感なのが優奈である。
優奈の目は真剣な表情をしているため、簡単にお茶を濁せないだろう。
「理由聞いちゃダメかな?」
もし嫌であれば優奈はこれ以上足を踏み入れない。俺はそう直感した。長年の付き合いで分かるからこその直観だ。
優奈に真実を言うか言うまいか、そんなこと既に結論として出ていた。
「悪い。話せない」
「……そっか」
優奈は多少しょんぼりと悲しそうな顔をしたが、無理矢理作った笑みを浮かべる。優奈の即席笑顔が俺の心を締め付けた。
優奈には話せない。
負け組には負け組の意地がある。
でも、俺は内心言いたかったのであろう。だから、つい口を滑らせてしまっていた。
「俺は負け組だからな。勝ち組の考えが分かるんだ。俺が勝ち組の行動をすれば解決する問題なんだ」
「負け組? 勝ち組? お兄ちゃん何を言っているの?」
「別に何を言ってるか分からなくていい。俺がそう決めつけているだけだからな」
言ってから、しまったと思った。
優奈がキョトンとしている。これでは俺がただの頭の痛いやつだ。
何言ってんの? マジキモいと言われるのは覚悟していたが、優奈からの憐れみ視線はない。それどころか興味深そうにこちらを見てくる。
「あのね、お兄ちゃん」
優奈は何を感じたのか穏やかな表情で、
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。勝ち組でも負け組でもない。だからね、誰かの行動じゃなくて、お兄ちゃんの行動をして欲しいな」
その言葉は優奈が俺に対しての助言だった。そして、気遣いでもある。
優奈の言う通り俺は俺らしくすればいい。
それは分かっている。だが、決定打が足りない。村川を傷つけずに俺らしくする方法。それはなんだ。
「誰かと喧嘩したら仲直りすればいいんだよ?」
「なっ……」
「あれ当たった? なんかお兄ちゃんがそんな顔をしてたからそうかなーって思って」
ニヤニヤと微笑む優奈。
喧嘩だと。俺と村川はそこまで仲良くした覚えはない。
「なんかねー、何年も一緒にいるとわかるものだよ。昔からお兄ちゃんはそうだよね。自分のためより誰かのための方がずっと考えちゃう」
さらに優奈は「まあ、そこが良いんだけどねー」と付け加える。
「お兄ちゃんが今悩んでいるのって友達の事?」
「俺に友達がいないぐらい知ってんだろうが。嫌味か」
「だったら、友達になってあげたら? お兄ちゃんが他人のことで悩むなんて相当なことだからね」
優奈は俺と村川の関係を理解していない。
理解していないからこそ、平気で友達になろうだなんて言うのだ。
俺は歯を噛みしめながら、優奈に聞いてみる。
「それが偽りの友達でもお前はそいつを友達だと思えるのかよ」
「えっ?」
俺の返答とは予想外の内容だったようで、優奈は少し考えてから頷く。
「わからない。そんなのわかんないけど、でも私は友達って思いたい。きっと、最初は嘘から始まってもそれが本物になることだってあるから」
「そうか」
としか俺は答えられなかったと同時に、ああ、そうだ。優奈はこういう人だったなと改めて感じる。
そして、上井草 優奈らしい解答がきたことで、とっさに俺は微笑んでしまった。
上井草 優奈はそういう人間である。たとえ何度でも裏切られようが彼女は相手を信じ続ける。自分から好意を持って近づいて、さらに遠ざかっても近づいて。
よく言えば面倒見が良い。悪く言えばお節介だ。
だが、それ故に俺は何度だって助けられてきた。いじめだって乗り越えられた。
何度だって俺は闘える。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「いつでも頼られるの待ってるよ」
優奈は人差し指を俺に突き立てウインクをした。