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禁苑の花と影 ~皇帝の寵愛を失った下級妃は美貌の宦官によろめく~  作者: 極北すばる


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第九話 偽装の刃、密告の罠

 夜が明け、太陽が昇る頃、太医院の筆頭医官は、厳重に封印された報告書を手に、緊張した面持ちで皇帝の執務室に向かった。この報告書こそ、紫雲が作らせた「偽装された毒物鑑定報告書」だった。


 報告書は、香木から確かに毒物が検出されたことを示していたが、鑑定に使用された手法や、毒物の種類に関する記述は、意図的に曖昧な表現に留められていた。さらに、鑑定者の署名も、複数の医官の連名となっており、責任の所在が特定しにくいものとなっていた。


 皇帝は、報告書を読み終えると、安堵と怒りが入り混じった溜息をついた。


「やはり、皇后が関わっていたか……」


 しかし、その直後、柳尚書が執務室に現れた。彼は、すでに皇后の軟禁措置が解かれるよう、有力な廷臣たちに根回しを済ませていた。


「陛下。この鑑定報告書は、極めて疑わしい代物でございます」


柳尚書は、報告書を一瞥すると、即座に否定した。


「鑑定者の署名が曖昧であり、毒物の種類も特定されていない。これは、誰かが皇后陛下を陥れるために用意した、虚偽の報告書である可能性が極めて高い」


「何だと! お前は、自分の姉を庇うつもりか!」


 皇帝の怒声が響いた。


「陛下、私は公正を期したいだけです。そもそも、毒の発見者は、ただの医官である宦官。そして、毒を盛られたとされる蓮月妃は、この宦官と私的な接触を繰り返していたという噂がございます。これは、宮廷の権力闘争に敗れた者が、宦官と通じ、皇后を謀った狂言ではないかと……臣は疑っております」


 柳尚書は、蓮月が最も恐れていた「密通」の噂を、この決定的な瞬間に持ち出してきた。彼の目的は、証拠の真偽を問うのではなく、告発者の信頼性そのものを叩き潰すことだった。


 皇帝は、顔色を変えた。宦官と妃の密通は、宮廷の根幹を揺るがす醜聞であり、たとえそれが噂であっても、看過することはできない。


「紫雲と蓮月を、直ちに連れてまいれ!」


 その頃、蓮月は、紫雲の指示に従い、かつて皇后の侍女であった者たちの待機室を訪れていた。彼女の清らかな美しさと、毒に倒れた弱々しさが、侍女たちの警戒心をわずかに緩めていた。


「皇后様から、毎日のように新しい香木が送られてきて……。私はただ、それを焚けと言われただけ」


 蓮月はなよなよと倒れ、すすり泣くように話した。


「ですが、翠蘭の突然の連行から、私は皇后様のなされように恐怖を感じています……」


 蓮月は、噂話という名の毒を蒔いていた。


 皇后は、自分に尽くす者さえも、簡単に切り捨てるし、自分を病死に見せかける冷酷さを持っていると。


 この情報は、侍女たちを通じて、宮廷の隅々へと瞬く間に広がった。皇后への恐怖と不満を持つ者たちは、この噂をさらに誇張して広め始めた。


 蓮月が落寿苑に戻った直後、皇帝からのお召しの報せが届いた。彼女は、紫雲が残した言葉を胸に、覚悟を決めて皇帝の執務室へと向かった。


 皇帝の執務室には、怒りに震える皇帝、柳尚書、そして呼び出された紫雲がいた。


「蓮月。お前と凜との関係を洗いざらい話せ!」


 皇帝が机を叩いた。


 蓮月は、迷わず跪いた。


「陛下。凜は、病に倒れた私を、命を賭して救ってくれました。彼だけが私を……。彼は命の恩人です」


 彼女は、紫雲との関係ではなく、救命の恩があるという、反論しにくい事実で柳尚書の攻撃をかわした。


 しかし、柳尚書は追及の手を緩めない。


「恩義だと? 蓮月妃は、毒の証拠を握って皇后様を告発さえた。宦官である凜と、密通の罪を共有することで、皇后への告発を正当化しようとしているに違いない!」


 その時、紫雲が静かに一歩前に出た。


「柳尚書殿、あなたの言う通り、私の身分は宦官。妃嬪と私的な接触を持つことは、死罪に値する重罪です。しかし、私には、その罪を犯すだけの、明確な理由がございます」


 紫雲は、皇帝と柳尚書を交互に見つめ、誰も予測しなかった言葉を口にした。


「陛下。私は、この香木の毒を鑑定した者の中に、真実を隠蔽しようとした太医院の医官がいることを知っています。そして、皇后の冷酷な計画は、蓮月妃への暗殺だけではありません」


「何だと!」


 柳尚書が色を失った。


 紫雲は、柳尚書が最も恐れていた、血統に関わる最後のカードを切った。


「皇后は、蓮月妃を殺害した後、皇后一族の血を引く娘を、次の妃として送り込むつもりでした。この毒殺未遂は、宮廷を乗っ取ろうとする皇后の企ての始まりにすぎません」


 この告発は、単なる暗殺未遂ではなく、帝国の乗っ取りを狙った大逆罪を示唆するものだった。


 皇帝の顔から、血の気が引いた。彼は、柳尚書を見た。その瞳は、もはや怒りではなく、深い不信感と恐怖に満ちていた。


「柳尚書……その話、真実なのか?」


 皇帝が絞り出すように尋ねた。


 柳尚書は、この紫雲の突如の反撃に、言葉を失って立ち尽くした。紫雲が、毒の真偽という小さな問題ではなく、国政を揺るがす問題に焦点を移したことで、彼の策略は崩壊したのだった。


「陛下、これは…でたらめです! この宦官は、皇后への怨恨から、虚言を……!」


「黙れ!」


 皇帝は立ち上がった。


「調査権を、そなたから剥奪する。凜、お前が、この件の証拠を朕に示せ。真実を見つけ出すまで、朕は誰の言葉も信じぬ!」


 紫雲は深く頭を下げ、その表情には、冷たい勝利の光が宿っていた。


「御意のままに」


 彼の偽装報告書は、皇后一族に反撃の隙を与えたが、それは彼らを最も痛い場所、すなわち紫雲の仕掛けた罠だったのだ。

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