第十話 真実の光
皇帝から調査を任された紫雲は、すぐさま行動に移した。その瞳には、かつての皇子、紫雲としての威厳と、復讐の道程の果てに得た静かな決意が宿っていた。
「柳尚書が真に恐れていたのは、毒の真偽ではない。宮廷を乗っ取ろうとしたという、大逆罪の嫌疑」
落寿苑の奥の部屋で、紫雲は蓮月に静かに語りかけた。
「彼には、皇后が蓮月様を亡き者にした後、一族の娘を次の妃に据えて操り、将来的に帝位を狙うという計画があった。私の言葉は、陛下の心に深い疑念の種を植え付けた」
蓮月は、紫雲の額に浮かんだ微かな汗をそっと拭った。彼女は、この戦いが、彼女自身の命だけでなく、紫雲の長年に及ぶ苦悩と使命の集大成であることを知った。
「私は、あなたの策の助けになれたでしょうか」
「十分すぎるほど。あなたが侍女たちに広めた噂は、皇后の冷酷さと、翠蘭を口封じしたことの非情さを宮廷中に知らしめた。陛下もまた、その噂を耳にしているはず。皇后が、皇帝の命をも狙う冷酷な人間であるという真実が、宮廷の空気として出来上がったのです」
紫雲は、窓の外の闇を見つめた。
「今こそ、真の証拠を提出する時です。偽装の報告書で時間稼ぎをし、皇后側の反撃を誘い込み、そして、この最終的な真実で、彼らの基盤を根こそぎ崩す」
その夜、紫雲は再び太医院へ向かい、忠誠心の篤い古参の医官から、柳尚書の手が届かぬよう秘密裏に隠されていた原本の鑑定報告書を受け取った。その報告書には、香木から検出された毒物の詳細な成分、致死量、そしてそれが人為的に仕込まれたものであるという、揺るぎない鑑定結果が、医官たちの血の滲むような筆跡で記されていた。
翌朝、紫雲は皇帝に謁見した。執務室には、憔悴しきった表情の皇帝と、不安げに事の成り行きを見守る数名の重臣たちが控えていた。柳尚書は、皇帝の命により、すでに謹慎を命じられていた。
紫雲は、深く跪き、厳重に封印された報告書を、静かに玉座の前へ掲げた。
「陛下。臣、皇后一族の関与を示す、決定的な証拠をご提出申し上げます」
皇帝は、その報告書を手に取ると、一語一句、目を凝らして読み始めた。
そこには、紫雲が提出した偽装報告書とは比べ物にならない、具体的な真実が記されていた。
検出された毒物は、宮廷の医薬記録に存在しない、稀少な南方の毒草由来であること。
その毒は、長期にわたり微量を摂取させることで、徐々に体を蝕み、最終的に「原因不明の急死」に見せかけるよう調整されていたこと。
鑑定を行った古参医官たちの、明確な実名と、太医院の正式な印が押されていること。
皇帝は、報告書を読み終えると、深い怒りと絶望から、その場で崩れ落ちそうになった。皇后の行動は、もはや蓮月個人への嫉妬の範疇を超え、帝国を内側から食い破ろうとする冷酷な裏切りだった。
「許せぬ。だが、この報告書が、偽りでないという保証は……?」
皇帝は、震える声で尋ねた。
紫雲は、すかさず、もう一つの証拠を提示した。
「陛下。この毒は、皇后が一族の権力を固めるため、遠方にいるある人物から秘密裏に入手したものにございます。その人物への送金の記録、そして、皇后自らが毒薬を翠蘭に渡す現場を目撃した、匿名の侍女の証言がございます」
紫雲は、皇后がかつて切り捨てた侍女の一人から、皇后側の決定的な内部情報を得ていたのだ。宮廷の誰もが、紫雲が一介の宦官として皇后の侍女たちに接触し、情報を引き出すことなど想像しなかった。
「真実の光」が、皇后一族の築き上げた「権力の影」を完全に焼き払った瞬間だった。
皇帝は、重臣たちを見渡し、絞り出すように最後の勅命を下した。
「皇后および柳一族は、帝室の威容を脅かした大逆罪である。皇后を廃位とし、幽閉せよ。柳一族は、その職を解き、全財産を没収の上、遠方へ追放せよ」
この決定は、宮廷全体に激震を与えた。十数年にわたり宮廷を牛耳ってきた皇后一族の没落は人々を驚愕させた。
――夕刻。蓮月は、落寿苑の庭で、紫雲を待っていた。すべてが終わり、静けさが戻った宮廷の空は、晴れやかだった。
紫雲が戻ると、蓮月は彼に寄り添った。
「よくぞご無事で、凛。……いいえ、紫雲様」
紫雲は、深く息を吐いた。彼の長年の苦労は、この瞬間、一つの大きな区切りを迎えた。
「ああ、蓮月。これで、母と姉の仇は討てた……と思う。そして、君も守り切った」
しかし、紫雲の顔には、完全な安堵はなかった。
「皇后は倒れたが、しかし……まだ問題がある。私たちが背負った重荷は消えていない。私は、宦官でありながら、皇后を排除した……」
紫雲は、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「蓮月。この禁苑は、まだ私たちを解放してはくれない。私は、亡き母の無念を晴らすために身分を偽った。そして君は、私の真実を知り、愛を誓ったが……いまだに皇帝の妃。私たちの秘密の関係が露見すれば、ただでは済まない。混乱と、再びの破滅を招く」
蓮月は、紫雲の手を固く握りしめた。
「わかっています。私たちの戦いは、まだ終わっていません。あなたは、自由になるべき皇子。そして私は、あなたと共に……生きたい」
「だが、どうしたものか」
「方法を探しましょう。あなたは、もうしばらくは宦官として振る舞い続ける。私は、あなたに救われた病弱な妃として、影であなたを支える。二人で力を合わせれば、必ず道は開けるはずです」
二人の愛と使命は、宮廷内の最大の敵を打ち倒した今、その真の最終目標である「禁苑からの逃亡」へと向けられた。
彼らの新たな、そして最も危険な秘密の旅が、今、幕を開ける。




