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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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短編ホラー

妖精

作者: 壱原 一

父が職場の煩悶ですっかり参ってしまったらしく、母が仕事を増やし、父が家に居るようになった。


家計にゆとりを持たせる為、住んでいたマンションを引き払い、近場の安い借家へ越した。


学校や友達の家は遠くなったものの、周りは田畑に原に川。下校後や休みの日に、父と釣りや虫取りや自転車や、とにかく沢山かまってもらい、自分の機嫌は上々だった。


いつも不健康に浮腫んだ垂れ気味の下まぶたに隈を作り、いらいら瞳をぎらつかせ、悔しそうに歯列を噛み締め、自分が思わず声を張ったり笑い声を上げたりした時は、ねずみ花火の如く炸裂して至る所を暴れ回った、あの怖い父の面影は、千々に霧散して遠くなった。


最初はとても不安そうに仕事へ出掛けていた母も、職務に精を出した名残の清々しげな疲労感を漂わせ、父の作った夕飯を親子3人で囲み、1番風呂へ促された浴後父にビールとつまみを出され「お疲れ様」と労い合う内、


ある休日、庭で洗濯物を干す父の背中を茶の間でぼんやり眺めていた折、傍で宿題に励む自分から、少し顔を背け、俯いて、ほうっと和らいだ息を吐き、目元を拭ったようだった。


やがて父は近隣の農家へ手伝いに行き始め、幾らか余裕が出来たのか、かねてから自分の願いだった犬を飼える運びになった。


父の手伝い先で生まれた雑種の中型犬で、活発で好奇心に溢れ、愛嬌があり付き合いが良く、夢中で世話をして遊んだ。


父母に良く従ったが、自分は舐められている節があって、散歩のリードは必ず父が持ち自分と犬と3揃いで行った。


だからその日じぶん1人で犬と散歩へ出掛けたのは、荒天と父の体調不良と母の休日出勤が続き、一向に散歩へ行けず健気に鬱憤を募らせる犬を憐れんだ故の独断だった。


母の帰宅まで間があり、父は奥の寝室で寝ていた。犬は賢く、自分が散歩へ連れ出そうとするのを決して騒ぎ立てず享受し、自分がちゃんと連れて行けそうだと信じ込むまで大人しく寄り添い歩いた。


そうして家から十分に離れたと断ずるや否や、弱い握力で掴まれたリードごと自分を振り払い、疾駆する喜びを全身に漲らせて普段行かない空き地へ向けて矢の如く駆けて行った。


仰天して声を張り上げて追うと、犬も益々(はや)り、互いが速やかに空き地へ着いた。


犬は脇目も振らず草むらの一点へ突っ込み、猛然と地面を掘り起こす傍ら振り返って自分に目を呉れ、雑に呼び寄せる調子で中途半端に繰り返し吠える。


其処に何か見せたい物があるらしいと察し、ぜえはあ息を切らしつつ犬の側へ寄って覗き込む。


そう深くない穴の中に何かある。


奔放に茂った草むらの、掘り散らかされた穴の底で、ねじれた細めの縦長で緑色の小さな物が、ぬるぬるのぬめりを帯びて黒い土くれに塗れている。


漬物と沼の泥を混ぜた風ないと生臭みを漂わせ、ぽつねんと横たわっていた。


唸りながらワフオフと吠えて自分に纏わり付く犬を宥め、屈んで、しげしげ眺める。


それは変形したカマキリやバッタ、あるいは何かの蛹とか、はたまた豆のさやとか、朝顔の蕾とかに見えた。


ぬるぬるの粘液の上を細かな土くれがゆっくり運ばれ、中心の奥まった方は黒に近い緑色で、捻じれてすぼまった皮が表面へ行くに連れ、春の柔らかい新芽のような明るい黄緑だと分かる。


脚なのか、茎や蔓なのか、翅なのか、葉や表皮なのか、細部は複雑に入り組んで、某かの生き物と思えたが、ぴくりともしないので、元から動かない物か、既に死んでいるようだった。


そこはかとない気味の悪さに徐々に鼻白む横で、犬がひんひん鼻を鳴らし盛んに足踏みして擦り寄る。


折角みせてくれたが、訴えたい事が分からない。


神妙に異物を凝視し、膝に乗せた手を濡れた鼻に小突かれていると、不意に犬がさっと伏せて沈黙し、上からぬっと影が差し、見上げれば背後で腰を折った父が真上から自分を見下ろしていた。


ふすんっと勢いよく鼻息が漏れて、驚きに目と口が開いた。


父は夕方の低い陽を受けて、顔を暗く陰らせていた。


我が子のおいた(・・・)を鷹揚に赦す穏やかな親の微笑みで、「駄目だろ独りで散歩に行っちゃ」と、仰向いた自分の後ろ頭を厚く大きな手で受け止め、いとも優しく撫で回した。


辺りはゆったり吹き渡る微かな風鳴りの音しかしない。


呆然と謝った鼻先を掠める異臭に導かれ、勢い異物へ目を戻すと、父は犬越しに自分の脇へ屈み、少し冷えた自分の肩を抱き寄せる。


温めるように擦り、合間に再び頭も撫でる。顔を寄せ、視線の先を重ねて、しみじみ語り聞かせる口調で、「これはお父さんに居た妖精だよ」と言った。


思わず聞き返すも、ごく平静に続けられる。


これはお父さんに居た妖精で、長らく□□やお母さんや、周りの人達を苦しめて、お父さん自身も追い詰めていたとてもとても悪いものだよ。


お父さんがお仕事で疲れてた、その隙を突いて入り込んで、お父さんはどうにか追い出そうと力を尽くして闘った。


だけど前、お母さんが居ない時、お父さん、□□が笑った途端、突き飛ばして仰向けに転ばせて、伸し掛かって凄んだ事があったでしょう。


それでお父さんは観念して、追い出そうと闘うんじゃなくて、そういう事にだけは成らないでくれって、今までの力を全部そそいで、一生懸命、お願いしたんだ。


「そうやってお願いして出て行って、二度と戻れないように埋めたのが、この悪い妖精だよ。今のお家に引っ越して、それまでのお家を離れたから、漸く出て行ってくれて、此処へこうして埋めたんだよ」


何の反応も出来ない内に、「だからこれはまた埋めておこうね」と父が土を掬い穴へ戻す。


じっと見る視界の隅で、犬が弾かれるように顔を上げ、けれど一切こえを上げず、自分と穴を見比べる。


触れると犬は震えている。


ねじれた緑色の妖精は、あっと言う間に埋め戻された。父の厚く大きな両手でぎゅっぎゅと押し固められて、「これで良し。さて帰ろうか」と立ち上がった足の靴底で、更にしっかり踏み締められた。


土を払った父の手に促されて立ち、脇で震える犬を撫でて自分を見下ろす父を見上げる。


「□□。今まで、特に、あの時は、酷い事をしてごめんな。お父さん、妖精を追い出したから、もうあんな事しないよ」


改めてそっと肩を抱き、頭を撫でて告げる姿に、かつての面影はまるでない。つまり、本当の話なのだと、自分は黙って父を見る。


「ただ、妖精が入る奴って、元々そういう奴だから。二度と戻って来られないように、此処に埋まってる妖精は、念の為、ずっと、誰にも内緒で、埋まったままにしてくれるか」


暴れなくなった父。


構ってくれるようになった父。


打ち付けた頭は痛かった。伸し掛かられて怖かった。


苦しくて、辛かったし、悲しかったし、不服だった。


いま父が謝ってくれたので、自分は屈んで犬に抱き付き、離して、地に垂れていたリードを拾い、「うん」と喚いて走り出した。


心得た犬がならって吠え、自分に合わせて並走する。


空き地へ妖精を置き去って、振り切るように全力で走る。


家の前でちょうど母が帰って来る。


穏やかに満たされた表情で、「お帰り」と言われて返す。「もう具合いいの」と言われ振り向くと、思い掛けないほど直ぐ後ろで父が「完璧。お帰り」と微笑んだ。


玄関で自分に足を拭かれ、父と母に撫でられる犬は、ぶんぶん陽気に尾を振って最早すこしも震えていない。


「今日の夕飯なにを食べたい?」


「カレーかなぁ。□□はどう?」


これを続けられるなら。


こうして居続けられるなら。


「それが良い」と笑顔で声を張り、家族みんなで家に入った。



終.

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