第01話 引っ越しと変わり者一家
馬車が土埃を巻き上げながら、石畳もない田舎道をのんびりと進んでいた。揺れる車体の窓から、草の匂いと、遠く小川のせせらぎが入り込んでくる。
レオナールは、窓を開けては閉め、ため息を吐き、また開けては閉めるを繰り返していいる。
そんな姿を、妹であるアナスタジアが声をかける。
「レオナールお兄様……それ、もう十回目よ?」
アナスタシアが、栗色の髪を揺らしてくすくすと笑う姿に、レオナールは再度息を吐いた。
彼女はこの旅をすっかり楽しんでいるらしく、膝の上の猫のようにリラックスしていた。
「風の流れが、ちょうどいいところを探してるんだ」
「ふふ。やっぱりレオ兄様は変わっているわよねぇ」
アナスタシアのその声に、レオナールは肩をすくめるだけだった。
彼の右頬には、淡く赤黒い痣がある。
かつてある人物の魔術の暴走を止めようとして受けた傷。
それを理由に誰かから責められたことはない――少なくとも、家族の中では。
だが、首都ではそうはいかなかった。
魔術院の過剰な研究、貴族による支配的な魔術使用の推進。
それに異を唱えた父はあっさりと追い出され、
兄は胃痛持ちだったが、さらなる胃痛持ちになった状態で、薬を手放せない日々。
母は……最後に魔術院の門を斬り飛ばした。ばっさりと、あっさり。
おかげで家族そろって、自然な流れで田舎へ逃げ出したのだった。
「まぁ、私は都会の魔術より、こっちの方が性に合っているしな!」
前の席から笑いながら、母――オリヴィアの声が響く。
男勝りな剣士。魔力は一切ないが、その腕っぷしは王国でも名が通る。
「剣一本あれば十分だ!熊が出ようが、山賊が出ようが!どんとこいだ!」
「……熊は出ないと思う」
母の笑っている声に静かに返事を返したのは、寡黙な父であるユリウスだ。
無口ながら、誰よりも強く、優しい人。
「え、出ないのか?出るだろう?山の方でうろうろしてるんだから、絶対出る!」
「……お前が山に入らなければ出ない」
「むう……ユリウスのくせに冷たい!」
「お母様、素敵ですわっ!」
母の姿を見て、妹のアナスタシアが拳を握って応援している。
そんな彼らの姿をレオナールはこめかみを押さえた。
「……胃が、痛い……」
「……兄さん、大丈夫?」
「あ、ああ……」
ぼそりと漏らしたのは、兄のリヒト。
侯爵家の長男で本家を継いでいるが、妹と母の暴走に常に胃を苛まれている状態である。
そんな兄の心配をするのが、レオナールの役目の一つでもある。
ある意味で、兄のリヒトはこの家族の中で常識人と言っていいだろう。
リヒトは笑いながら、話を続ける。
「本来なら僕は、こんな片田舎の移動に付き添う立場じゃないんだけどな……」
「……まぁ、出来れば僕は兄さんについてきてもらってうれしいなぁと思うけど」
「そうですわよリヒト兄様!リヒト兄様がいないと、家族バランス崩壊しますもの!」
「フォローしてるようでしてないからやめてくれ……」
リヒトはそのように呟きながら、青ざめた顔をし、窓の外を見ているのだった。
やがて、馬車は丘の上の古びた屋敷へとたどり着いた。かつての貴族の別邸だという。石造りの壁に蔦が這い、裏には森が広がっている。
「懐かしい顔じゃないか、ユリウス!」
玄関で迎えたのは、立派な口髭を蓄えた男。領地の主であり、父の旧友アグネウスだった。
ユリウスは出てきたアグネウスに軽く会釈する。
「……世話になる」
ユリウスは短く答え、彼と固く握手を交わした。
「大歓迎さ。あの頃の貸しを返せる日が来るとはな。オリヴィアさんも元気そうで何よりだ」
「元気どころじゃないぞ!うちの子、嫁入り前なんだから、変な虫がつかないように見張っててくれ!」
「母さん、僕は別に嫁入りしないけど……」
「レオ! 田舎の子は可愛いぞ!?もしかしたら運命の子に出会っちゃうかもしれないぞ!?」
「やめてくれ……」
そのやりとりを横で見ていたアナスタシアが、ふいに呟く。
「ねえ、レオ兄様……都会に戻りたいって、思ったりする?」
レオナールは少し考えてから、かぶりを振った。
そのままアナスタシアに手を伸ばし、優しく頭を撫でる。
「……あそこは、息が詰まる。人の目も、声も、全部重たかった。ここなら……魔術も、空気も、素直に流れてる気がする」
「ふふっ、レオ兄様ってほんとに変わってますのね。でも、だから好きですわ」
アナスタシアはくすっと笑い、レオナールの腕にそっとしがみついた。
あの場所はある意味、息が詰まっている感じだったので、正直田舎暮らしは楽でいい。
今でも、その気持ちがわからない――そのように思っていた時だった。
ふと屋敷の裏手――森の奥に、視線のようなものを感じた。
何かが、ひっそりとこちらを見ていたような……そんな気がしたのだ。
だが、次の瞬間には風が吹き抜け、草木のざわめきに紛れてしまった。
レオナールは眉をひそめつつも、振り返ることはせず、家族の笑い声の中へ戻っていった。
まだ知らなかった。
あの森の奥で、自分の運命がひとつ、息を潜めていたことを。
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