第九話 視察に行きましょう
フィーナに背を押されてクロヴィス様に積もる気持ちを打ち明けた夜、私たちは久しぶりに夫婦としての時間を過ごした。
何度も「愛している」と囁かれ、恥ずかしくて仕方がなかったけれど、精一杯私も「愛しています」と応えた。
少し寝坊をしたので、部屋に朝食を運んでもらって、まだボーッとする頭でゆっくりと朝食を摂っていると、テーブルを挟んだ対面で同じくゆっくり食事をしていたクロヴィス様が私の名を呼んだ。
「アネット、今度の視察だが、君とフィーナを連れて行きたいと思う」
「本当ですか!? 嬉しいですっ!」
心優しい旦那様は、昨日伝えたワガママを早速叶えようとしてくれている。
この二ヶ月の間、クロヴィス様は仕事の合間に信頼できる人材探しも行っていたらしい。採用の目処が立ったため、今後は事務処理を中心に任せることができそうだとか。
「無理をして倒れてしまっては、余計に家や領民に迷惑をかけるからな。時間ができると良くない考えを巡らせてしまうので、しばらく仕事に没頭していたのだが、杞憂は晴れた。これからは家族と過ごす時間を第一に生きていこうと思う」
「クロヴィス様……」
やはりまだ、仕事に迷惑をかけているという後ろめたさは拭えないが、クロヴィス様が大丈夫だというのだから、妻の私はその言葉を信じるだけだ。
「嬉しいです。視察の日はいつでしょうか? 色々と準備をしなくてはなりませんね」
嬉しくて、フフッと思わず笑みが溢れる。
「次の視察は三日後だ。急で申し訳ないが、時間を作ってくれると嬉しい」
「もちろんです。フィーナにも後程伝えておきますね」
「……喜んでくれるだろうか」
まだ、フィーナの父親としての自信がつききっていない様子のクロヴィス様の顔に影が落ちる。
「ええ、きっと。フィーナは努力家で心優しいお父様が大好きですから」
「本人がそう言っていたのか?」
「そうですよ。フィーナはクロヴィス様のことが大好きですよ」
「そうか……それは、よかった」
クロヴィス様は安心したようにはにかむ。私が好きな表情だ。
私たちはお互いの杞憂や不安を取り除くように、たくさん会話を重ねた。話す度に心が軽くなるようだった。
◇◇◇
「しさつ! フィーもいっちょに? やったあ!」
「ふふっ、楽しみね」
「はいっ!」
早速視察に同伴することを伝えると、フィーナは嬉しさのあまりぴょんぴょんと跳ね回っていた。最終的にクロエに「お行儀が悪いですよ、お嬢様」と捕獲されていて可愛かったわ。
「それでね、せっかくだからお揃いの服を着ていこうかと思って……」
ここ二ヶ月は屋敷の敷地内に篭りっきりで、フィーナを外に連れ出してあげられていない。せっかくだから親子らしく揃いの服を着て行きたいと提案すると、フィーナは手を額に当ててふらりと後ろに倒れた。いや、正確にはクロエの腕の中に倒れ込んだ。
「フィーナ!?」
「お、お揃い……なんて破壊力のある言葉なの」
「え?」
少し息が荒くて何と言っているのか聞き取れなかった。
フィーナはすぐにシャキンと立ち上がって、「はやくえらびましょう!」と息巻いた。
「そうね。実はいつか一緒にお出かけができたらと思って、何着か仕立ててもらっているのよ。今回は新しく用意する時間がないから、その中から選びましょう。今度フィーナの好きなデザインで服を作りましょうね」
「おかあたま……! ありがとうございます!」
フィーナは嬉しそうに私の腰に抱きついてくれる。むふふ、と頬を染めるフィーナが可愛くて、私まで幸せな気持ちに包まれる。
「クロエ、お願いできるかしら?」
「もちろんでございます」
他の侍女にも手伝ってもらって、服や鞄、靴などを運び込んでもらう。フィーナは「ふわあ」と目をキラキラと輝かせてその様子を眺めている。
「さ、一緒に着てみましょうか」
「はいっ!」
フィーナのサイズに合わせて作っているけれど、多少のお直しは必要だろう。
着ていく服が決まったら、細かな直しをしてもらわなくっちゃ。
まず手に取ったのは、爽やかなマリンブルーのワンピース。胸元に控えめなレースが使われていてヒラヒラと上品ながらも女性らしさを引き立ててくれるデザインだ。白くてつばの大きい帽子を合わせて被る。黄色い花のコサージュをつけても可愛いわね。
侍女に手伝ってもらって着替えを済ませてフィーナの様子を窺う。フィーナもクロエがテキパキとした動きで着替えを済ませたところだったようだけど、どうしてか両手で顔を覆って天を仰いでいる。
「どうかしたの? 体調が優れない?」
心配になって腰を落としてフィーナの目線に合わせるも、フィーナは「だいじょうぶです。ちょっと、まぶちくて」と言いながら首を振った。目眩かしら? 心配ね……
「そう? しんどくなったら必ず教えてね。それにしても、とても似合っているわ。本当に可愛い」
「おかあたまもすてきでちゅ!!!」
「ふふっ、ありがとう」
フィーナの銀色の髪とマリンブルーのワンピースがよく合っていて、目を楽しませてくれる。
続いて二着目に着替える。
桃色のロングワンピースで、絹の柔らかな生地がストンして足首まで覆ってくれる大人びたデザインだ。フィーナの分は子供らしさを強調するため、内側に白のレースでボリュームを持たせてふっくら膨らんだ様相となっている。動くたびにふわふわと揺れてまるで春の妖精のように愛らしい。
「天女……?」
「てん……なんて?」
フィーナの可愛らしさにうっとりしていると、放心したように私を見返してくれていたフィーナがまた不思議な言葉を呟いた。聞き返しても心ここに在らずといった様子で、困ってクロエに視線を向けるも、クロエまでぎゅっと眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
桃色は私にはちょっと可愛らしすぎたかしら……
最後に三着目。白のシャツにエメラルドグリーンのスカート。町娘風のデザインだけど、シャツには美しい刺繍が施されていて気に入っている。
フィーナはクロエによって長い髪を左右で三つ編みにされていて、可愛さに拍車がかかっている。え? 可愛過ぎないかしら。外に出して大丈夫?
私もフィーナの髪に合わせて侍女が素早く三つ編みを丸めて髪をアップにしてくれた。
「どうかしら? 髪もお揃いね」
「尊過ぎて泣きそう」
なぜか口元を両手で押さえて目を潤ませているフィーナ。クロエも、他の侍女たちもみんな私たちを交互に見て「はうっ」や「ここは精霊の花園……?」と口々に何か言っている。
みんなどうしたのかしら……試着続きで疲れちゃったのかも。
「フィー? 気に入った服はあった?」
「全部最高でした」
「そ、そう。それはよかったわ」
今、随分とハキハキと喋っていたような?
少し気にはなったけど、きっと可愛い服に囲まれて気分が高揚しているのね。
「どの服にする? どれも似合っていたから悩むわねえ」
「どれもすてがたいでちゅが……いまきているふくがいいでしゅ」
「あら、私もこの服がいいかなと思っていたのよ。ふふ、気が合うわね」
「くぅっ!」
「ぐっ」
「ん?」
フィーナと好みが合ったことが嬉しくて、笑みを深めたらフィーナが胸を押さえて一歩後ずさってしまった。同じようにフィーナの後ろに控えていたクロエまでふらついている。
本当に体調不良ではない? クロエまで不調なの?
「フィーナ? 本当に無理はしていない? 視察だって、次の機会があるでしょうし、今回無理についてこなくても大丈夫よ?」
クロヴィス様との初めての視察ということで浮かれてしまっていたけれど、フィーナの体調が第一だものね。
「げんきでちゅ! ぜったいぜったいいきましゅ!」
フィーナはムンッと拳を握りしめて、元気ですアピールをしている。とても可愛い。
「そう……じゃあ、着ていく服は決まったし、あとはアクセサリーと靴を選んでしまいましょうか」
「はいっ!!!」
その後も時折呻きながら胸を押さえるフィーナと共に装飾品を選び、視察に向けた準備は順調に進んでいった。