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第七話 夫婦としての歩み


「フィーナ……そう、かしら」



 自分の娘、しかもたったの四歳の女の子に諭されるなんて、そんなに思い詰めた顔をしていたのかしら。


 そっとセバスチャンとクロエに視線を向けると、二人は静かに、ゆっくりとフィーナに同意するように頷いていた。



「あのね、私……もっとクロヴィス様と一緒の時間を過ごしたいの。二人きりの時間も、フィーナと三人の時間も。でも、クロヴィス様はお忙しいでしょう? 負担になるようなことはしたくなくて……」


「カーーーッ!」


「……え?」



 モゴモゴと一人思い悩んでいたことを打ち明けると、フィーナが突然叫んで天を仰いだ。



「そういうところ! 本当に! 相手を思いやる心は尊い! けど、それがすれ違いの原因になるのよ!」


「え……? フィー?」



 いつもと違って随分と流暢に喋るものだから、言葉の主がフィーナだとなかなか脳が理解してくれなかった。


 私が目を瞬いている間に、フィーナはハッと我に返った様子で「なんちゃって」とペロリと舌を出している。



「ええっと、とにかく! おかあたまはもっとまわりにあまえてくだちゃい! ほんとうのきもちはコトバにしないとつたわりません!」


「そ、れは……フィーナの言う通りかもしれないけれど、迷惑ではないかしら。それよりも、もっともっと、辺境伯夫人として努力を重ねた方が……」


「おかあたまはとてもがんばっていまちゅ。フィーがほしょうしましゅ。それはおとうたまも、セバスも、みんなしっています。でも、おかあたまがたくさんがまんしていることも、みんなしってましゅ」


「え?」



 まさか、そんな。


 ポーカーフェイスは特に幼い頃から身につけるために尽力してきた。自分本位な感情を殺す術は、しっかりと身についているはずなのに――そう思っていたのは私だけだったようね。



「おとうたま、いってまちた。おかあたまにむりをさせているのではって。おうとからはなれたいなかになんて、ほんとうはきたくなかったのでは、って」


「そんなことないわっ!」



 相手はフィーナだというのに、思わず大きな声を出してしまった。慌てて手で口元を押さえる。フィーナはニコリと大人びた笑みを浮かべている。



「むふふ、フィーはちってまちゅ。おかあたまがこのいえがだいすきだってこと。でも、おかあたまはコトバがすくないとおもいまちゅ! すきなことも、きらいなことも、コトバにしないとつたわりましぇんよ? おとうたま、かなちいかおしてまちた」


「っ!」



 ガンと頭を殴られるようだった。


 私は、立派な辺境伯夫人になろうと、フィーナの母として頼られる存在になろうと、そう気負いすぎてしまっていたのだ。


 思い返せば、嫁いできてから少しずつ、自分の本音を言わなくなってしまっていた気がする。まだたったの二ヶ月だというのに。何か物言いたげなクロヴィス様の様子に、気づいていて気づかないふりをしてしまっていた。



「フィーナ、ちょっと、私、行かなくちゃ!」


「はい! フィーはクロエとあそんでいまちゅので」



 私はクロエにフィーナを託し、クロヴィス様の執務室へと向かった。



「失礼いたします!」


「アネット……? どうした、仕事中に訪ねてくるなんて初めてだな」



 急いた心を落ち着かせながら、執務室の扉をノックすると、驚いた様子のクロヴィス様がすぐに招き入れてくれた。



「旦那様、旦那様……!」



 何から言っていいのか。うまく頭の中がまとまらず、何度も「旦那様」と言ってしまう。


 仕事の邪魔をしているというのに、クロヴィス様はそんな私を落ち着かせるように、優しく抱きしめてくれた。



「ああ、俺はここにいる。落ち着いて」


「旦那様……はい」



 深く息を吸い、吐く。コツン、とクロヴィス様の胸に額を押し当てる。深く息を吸った拍子に、クロヴィス様の香りで肺がいっぱいになった。落ち着く、大好きな香り。



「旦那様……いえ、クロヴィス様。私、クロヴィス様のことが大好きです。愛しています。子供の頃からずっと、あなたの妻になることを夢見ていました」



 クロヴィス様は、トントンと私の背中を撫でてくれている。



「私、毎日幸せです。この家の一員となれて……でも、気負い過ぎていたのかもしれません。家のために勉強することは楽しいです。クロヴィス様のお仕事の重要性も理解しています。ですが、もっと一緒に過ごしたい。家族の時間が欲しい。二人で出かけたい。そう思ってしまう私を、お嫌いになられますか?」



 縋るようにクロヴィス様の胸に手を添え、胸の中でクロヴィス様を見上げる。


 クロヴィス様はとても優しい目をして、嬉しそうに頬を染めていた。



「アネット。嬉しいよ。君はどうも我慢しすぎるところがある。正直、王都と比べて華やかな店もカフェもない我が領地で過ごすうちに、実家に帰りたいと思っていないだろうかと心配していた。君に、我慢を強いているのではないかと……俺と結婚したことが、アネットにとっての幸せだったのだろうかと、そう思っていた」


「幸せです! 私は、クロヴィス様の妻となれて、幸せです。フィーナも可愛くて……本当に幸せなのです」


「そうか」


 クロヴィス様が目元を和ませて見つめてくれる。子供をあやすように頭を撫でてくれる。それが無性に嬉しくて、心地がいい。



「あの、一つ……わがままを言ってもいいでしょうか?」


「うん? なんだい? 一つと言わず、いくらでも聞くよ。君にわがままを言ってもらえるなんて、嬉しいことだ」


「もう少し、お身体を労ってくださいまし。月に一度のお休みでは、疲れも取れないでしょう? あなたの身体はもう、あなた一人のものではないのです。妻の私と、娘のフィーナがいます。もっと休みを取ってください。そして、家族で時間を気にせず過しましょう。街にだって行きたい。視察についていくことはできますか? お仕事の邪魔はしません。もっと領民と交流を持ちたいです。それに……」



 一つだと言ったのに、堰を切ったかのように色々な願望が溢れ出す。

 なんて自分勝手なのだと、そう思う。

 でも、クロヴィス様が全て優しく受け止めてくれるから、私は包みかくさず自分の汚い欲望を吐き出し続けた。



「ああ、分かった。休みを増やそう。人を雇って、仕事を分散する。家族との時間も増やす。実は、俺もアネットと二人で出かけたいと思っていたんだ。なかなか言い出せなくて、かえって悩ませてしまったな。どうも俺たちは、互いに想いあっているのに、遠慮しすぎていたようだ。これからはもっとわがままになろう。相手を困らせたっていいじゃないか。夫婦だろう?」


「はい……はい!」



 クロヴィス様への愛おしさが溢れ、目尻に涙が滲む。


 クロヴィス様が微笑みながらそっと目尻にキスを落としてくれる。


 これからはもっと、心のうちに留めずに、お互いに本音で向き合える夫婦になりたい。

 そう思いながらギュウッとクロヴィス様に抱きついた。

 クロヴィス様も応えるように腕の力を強めてくれる。それがどうしようもなく幸せで、喉奥に熱いものが込み上げてくる。



「あー……その、なんだ。俺からも頼みというか、聞きたいことがあるのだが」


「? はい、なんでしょうか」



 腕の中でクロヴィス様を見上げると、どこか気まずげに視線を逸らしてしまう。心なしか頬が赤い。



「最近、俺たちは、その……夜の関係を持っていないだろう? 君が乗り気ではないのかと我慢していたのだが、そういうわけではないと解釈してもいいのだろうか?」


「えっ!?」



 カッと頬に熱が集まる。本音を伝えるのは恥ずかしい。けれど、しっかりと自分の気持ちは言葉にしないと伝わらない。フィーナに言われた言葉を思い出して、意を決する。



「えっと、は、はい……私も、その、クロヴィス様ともっと触れ合いたいと……思っております」


「そうか」



 クロヴィス様は照れ臭そうにはにかむ。


 うう、なんですかその表情は。


 胸がぎゅっと鷲掴みにされたように締め付けられる。胸がドキドキして、クロヴィス様への想いが溢れて止まらない。



「んぎゅう……!」



 その時、カエルを踏み潰したような奇妙な音がして、私たちは顔を見合わせた。


 部屋の扉に視線を向けると、僅かに扉が開いていた。急ぎ過ぎて閉め忘れてしまっていたらしい。その隙間から、誰かが廊下で倒れている姿が見えた。



「大丈夫!? って、フィーナ?」



 慌てて駆け寄ると、廊下で突っ伏していたのはフィーナだった。もしかすると、心配して見に来てくれたのかもしれない。でも、何がどうなって廊下で倒れることになったのだろう?



「はぁ、はぁ……推しの幸せは私の幸せ……」


「え? おし……? だから、それは一体……」



 困惑しながらフィーナを抱き上げると、音も立てずにクロエが現れてヒョイとフィーナを回収した。



「失礼いたしました。夫婦の時間をお過ごしになる際は、戸締りをお忘れなきよう」



 淡々と述べて、フィーナを抱えたまま立ち去ったクロエ。その目尻が僅かに赤かったような気がしたのだけれど……気のせいだろうか。


 残された私とクロヴィス様は顔を見合わせて首を傾げた。

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୨୧┈┈┈┈┈┈ 6月10日頃発売┈┈┈┈┈┈୨୧

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